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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十五章 自由を求める者たち
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砂の記憶


 遠くの地平線で砂嵐が巻き起こる。それを見下ろすようにして、少しずつ空気に溶け小さくなり、やがて消えていく姿をただじっと眺めている。

 この場所を選んだことに意味なんてない。そう思っているのはもしかすると自分だけなのかもしれない。自分の過去を知る誰しもが、この場所を選んだことに意味を見出だしていると、そう思っているのではないだろうか。

 乾いた風が頬を撫でていく感覚を懐かしいと思うのは、その風に自分の中の大切な記憶を秘めているからなのかもしれない。

 意識せずともこの場所を選んでしまうほどに、自分はこの砂に多くの記憶を閉じ込めてきた。

 他人からすれば自らの意思など何も持っていなかったように見えていたのかもしれない。ただ彼女の背中をついて歩くだけの従者のような存在に見えていたのかもしれない。

 しかし、それこそが自らの意思。意思がないのではなく、自らの意思を以て彼女に付き従うと決めたのだ。自分が唯一、自分で決意したこと。

 初めは運よく貴族に産まれ付いただけの、ただのじゃじゃ馬娘としか思っていなかった。少しだけ親同士の繋がりがあった『エルステラ家』の一人娘。自分とは身分の違いすぎる、天真爛漫でいつも綺麗な姿をした女の子。

 何も考えることなく、ただ自らの思うままに走り回っている少女を、能天気な奴だと達観していたのは、まだ親が健在の頃。親の繋がりで、たまに彼女の家を訪れていたけど、一緒に遊ぶことはほとんどなかった。

 そもそも、一介の村人と貴族の娘では出会っていることがそもそも奇跡で、話なんて合うはずも無かった。ただ、エルステラ家の主が少し物好きで、そんな一介の村人にも優しく接してくれていただけのこと。そして彼女もまた、身分の差など気にしない優しい心の持ち主だっただけのこと。

 そんなある日、突然父は眠るようにして息を引き取った。多少病気がちなところはあったけれど、あまりにも突然過ぎて悲しみを感じることもできなかったことを覚えている。

 母は自分を産んだときに命を落としたと聞いた。物心ついた時には、既にその姿はどこを探しても見つからなかった。

 両親を失い路頭に迷いかけていた自分を引き取ってくれたのが、物好きなエルステラ家だった。

 今思えば、もしエルステラ家の主が自分を引き取ってくれなければ、自分はどうやって生きていけばよかったのだろうと、少し身の毛がよだつ。しかし、それを感じさせないほど、当たり前のように自分をその家に迎え入れてくれた。

 幼いながらも、自分がこの家で厄介になっていることだけは理解していた自分は、さすがにその家の娘の誘いを断ることはできなくなった。

 自分はこの娘の親に育てられているのだから、この娘に従うのは当然のことなのだと、まるで職務のように感じながら彼女と共に過ごしていた。

 今思えば、ただ大人振りたいだけの子供の戯れ言のようなもの。そんな幼い自分に彼女はこう言った。


『ハリーは楽しい人生を送っているの?』


 鬱陶しいと感じた。楽しく生きるなんて、それは全てが与えられた人間にしかできない行為なのだと。それ以外の人間は、何かを我慢しながら、それでも必死に『生』に喰らい付くのだと。

 自分には彼女のような大層な身分も無く、たった一人の親すらも失ってしまった。そんな自分の気持ちを彼女がわかるはずも無いと思いながら、その日ばかりは流石に素っ気無く当たってしまった。

 そんな彼女も病に次々と両親を奪われたときは傷心していた。活気のある眼差しは、雲掛かったように光を失い、彼女の声はまるで砂漠の砂に埋もれたように消えていった。

 その時の自分は正直清々しい気持ちを抱いていたと思う。ようやく自分の気持ちを理解したか、ようやく同じ舞台に立ったかと。

 きっと、彼女も今までのような天真爛漫な性格ではいられなくなる。あの日自分に投げ掛けた問い掛けなど、彼女にはもうできなくなるだろうと、そう思っていた。

 けれど、彼女の心は折れてなどいなかった。部屋に閉じ籠って数日が経ったある日のこと。彼女は部屋を飛び出し、国を飛び出し、近くの岩塚を掛け登っていった。

 自らを襲った悲劇に心を締め付けられ、我慢できなくなって飛び降りるつもりなのだろうか、などと大して興味も無さげに考えながら、それでも彼女の父の最後の言葉に突き動かされるように彼女の後を追った。

 落ちたのならばそれでいい。必然的にあの家は自分のものになる。それはそれで悪くない話だ。そんな下衆な考えを抱きながら、彼女の背中を追って岩塚の頂上へと登り詰めた。

 暗い内部へと差し込む陽光に目を細めながら、その先へと脚を踏み入れた自分の視界に飛び込んできたのは、澄み渡った青空へと叫ぶ彼女の姿だった。


『私強くなるから、私のことは心配しなくていいから、安心して旅立ってね!!』


 その叫びはこだまとなり、何度も反芻するように繰り返しながら空の青に融けていく。その雄大な大地に負けないほど、彼女の姿は凛として自らの瞳に映っていた。

 折れることなど知らず、立ち止まるという選択肢など存在しない。そこにあるのは、大地に巨大な根を張る大樹のように折れることを知らない強い意思。

 そんな彼女の後姿を見て、自分がとても小さい人間に見えた。いったい自分は何をこれまで見て、触れて、感じてきたのか。どうして彼女はこうも強く生きていけるのだろうか。

 自分にもこうやって生きていく道があったはずだ。今思えば、そんなに環境が違った訳ではない。ただ自分勝手に悲観して、自分勝手に心の扉を閉ざしてしまっただけのこと。そんな自分に気づいて、心に締め付けられるような痛みが走ったことを今でも覚えている。

 そんな彼女の姿に見蕩れていると、彼女はふとこちらを振り返り、まるで自分がいたことを知っていたかのように、驚きもせずにこちらに向かって尋ねる。


『私は強くなるから。二人が安心できるように、強くなるから。あなたはどうするの?』


 今思えば、それが全ての始まり。確かに、彼女の父親が最後に残した言葉がなければ、自分は彼女と共にいることはなかったかもしれない。

 けれど、本当に彼女についていこうと思ったのはこれが最初。大人になったような気になって、大人になった振りをして、何もわかっていなかった自分にこの時初めて気付いたのだ。


『俺は君の父親に君を任された。俺に選択の余地はないよ』


 都合のいい理由付けをして、自分の本当の気持ちに嘘を吐いた。その嘘が足枷となり、彼女への最後の一歩を踏み出すことができなかった。

 そう、この場所で吐いた嘘が、彼女への越えられない壁となって自らの前に立ちはだかった。それは、結局最後まで壊すことはできずに、壁の向こう側の世界は音も無く崩れ落ちていった。

 薄くて硬い透明な壁。あと少しの距離で、姿も見えているのに、それ以上先には決して進めない。

 今はもう、その先には何もない無意味な壁。

 そして間もなくして、彼女は本当に軍学校へと入学した。貴族の娘として、教養を十分に得ていた彼女は、瞬く間に軍学校のトップへと登り詰めた。昔から走り回っていただけあって、運動神経も申し分ない。彼女は成るべくして、軍人になったのかもしれないと、そう感じた。

 もちろん自分も彼女の後を追うようにして、何とか入学することはできたが、成績は天と地の差があった。けれど、彼女はそんなことは一切気にせずに、自分を側に置いてくれた。

 無口でぶっきらぼうな自分に対して、何の不平も不満も口にせず、いつも笑顔で接してくれる。

 それは、全てを与えられているからなどでは決してなく、彼女の心に宿る真っ直ぐな芯が、彼女をそうさせているのだと、その時の自分は気づいていたのだろうか。

 そして、軍学校の卒業と共に彼女は、彼女の大切な人と出会いを果たす。自分がどれだけ頑張ろうとも、彼女の中のその人の存在を超えることは出来ない、気丈で凛とした強き女性に。

 それは、まだ自分達の故郷が油田の国になる少し前の話。この砂の牙城から見下ろすことができた、今は地平線に融けてしまった小さな国の小さな記憶。




 長い夢を見たような気がする。いつから眠ってしまったのか、それすらも曖昧だ。

 目を覚ました時に自らの視界に映り込んできた景色は、夢の中とほとんど変わらないはずなのに、まるで別世界に感じるのは、その景色を映す自らの瞳があの頃とは変わってしまったからなのだろうか。

 陽の光に陽炎が揺らめく、砂の大地が真っ直ぐに伸びる地平線。彼女もまた、決意したあの日に同じ景色を眺めていたのかもしれない。

 あの日見えていたはずの目を細めるほどの青空は、巻き上がる砂に遮られ靄が掛かったようにぼんやりとしている。それが本当に砂のせいなのか、それとも……。

 乾いた風に撫でられた瞼がやけに冷たく感じて、自分の目元が湿っていることにようやく気付く。

 あの日から何度もこの夢を見る。夢というにはあまりにはっきりとした、自らの過去を辿る記憶の旅。

 忘れてしまうことなどできるはずもない。忘れられないからこそ、自分はここにいる。


「また一人で黄昏てる。もしかして、そうやって賺しているのが格好いいとか思っちゃうお年頃なの?」


 その跳ねたような声音は、後ろを振り返る必要などない。

 彼女もまた自分をいつも気にかけてくれている。だが、その本質は決して同じなどではない。そして彼女もまた、それを隠す素振りなど全く見せない。だからこそ、あまり気を遣う必要も無いから、彼女から離れることができないのかもしれない。

 その居心地のよさに依存して、彼女に甘えている自分がそこにいる。独りが好きなくせに、独りきりは耐えられない。我侭で、矛盾だらけの自分の気持ちに心の底から腹が立つ。そう感じて、ハリーは独りでに奥歯をかみ締める。


「相変わらず返事はしてくれないんだねえ。本当は話しかけられて嬉しいくせに。本当に素直じゃないんだから」


 リディアの声音が余計に跳ねる。ハリーをからかうことが楽しくなっている証拠だ。けれど否定などしようものなら、さらに彼女の声色が橙色に染まっていくので、ハリーは否定も肯定もしない。

 用が無くとも彼女はここに来る。ただ玩具を探す子供のように、好奇心に引かれてふらふらとハリーの下へ辿り着く。そして飽きたら次の玩具を探しに行く。そんな無邪気な子供のような彼女を、嫌に思わなくなるまでにそう時間は掛からなかった。

 いつものように気が済むまで独りで喋って、満足したら帰っていくのだろうとそう思っていたのだが、彼女は黙ったままハリーの背後に立ち続けた。

 あまりに珍しいことに後ろを振り返りたい衝動に駆られながらも、それこそが彼女の欲している行為かもしれないと思うと、それすらもままならない。


「今日の風向きはいつもと違うね」


 その言葉に何の意味があったのだろうか。

 からかわれる訳でも、いつものふざけた様子も無く、いつもの彼女からは想像もできない澄んだ声音で、ただ一言そう告げた。

 風向きなど毎日のように変わる。同じ風向きだったことなんて一度も無いと思えるほどに、この場所はめまぐるしく変わっていく。砂嵐なんて日常茶飯事なこの土地で、風向きを気にする方が難しい。

 いつもの戯言だと、そうは思いながらも、どこか違和感が拭いきれないまま、ただ悪戯に時間は過ぎ去っていく。

 やがて彼女は静かに消えてなくなる。噛み合わないパズルのピースのような違和感に、胸の辺りにザラザラとした感触を覚えながら、再び巻き上がった砂嵐に目を落としていた。






 それから数時間後、再び出発の時が訪れる。大切な記憶の欠片を奪った者への復習の狼煙。

 もう止めることはできない、ずれて噛み合ってしまった歯車の先に、正しい答えなど無いとわかっていても。それでもハリーはただひたすらに走り続ける。彼女が求めた強さとは決して交わることの無い平行線だったとしても、自分は強くなると心に決めた。

 出発の最中、ふとリディアが視線を横切り、先ほどの言葉の意味を問い質したくて、呼び止めようと一瞬だけ腕が伸びた。

 だが、その手はリディアへと掛けられることなく、ハリーの元へと還っていった。迷いなど今はいらない。彼女の言葉に意味を見出すなど、それこそ意味の無い行為だ。


「行くぞ」


 静かに告げられたその言葉と共に、薄暗い砂の牙城から外へと飛び出す。

 あの日と同じように陽光に目を細めながら、間違った強さと理解してなお、その強さを求めて戦場へと向かい……。


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