友の足跡
コンコンコン、とこぎみのいいリズムが木材の軋む小さな音と共に奏でられる。
後ろに拡がるのは小鳥のさえずりが響き渡り、川のせせらぎが木々の間を駆けていくのどかな景色。
同じレガリア領とは思えないほど田舎の景色が拡がるここは、レガリアの中でも末端にある農村。
立地としてはグランパニアにほど近い場所にあるため、グランパニアに行くついでにアカツキとアカネはこの村に立ち寄っていた。
アカツキがノックをしてから少しして、「は~い」という可愛いげのある少女の声が家の中から響き渡る。顔も知らぬ少女の声を耳にして、アカツキは自らの胸に緊張が走るのを感じた。
それから少し待っていると、「お待たせしました」という声と共にゆっくりと扉が開けられる。
そこから現れたのは少し赤みがかった茶色い長髪を一つにまとめて肩まで足らし、まだ幼さの残った小動物のような小さな口とクリッとした目。
家から出てきた少女はこちらに少し疑わしげな瞳を向けて小首を傾げながらアカツキたちに尋ねる。
「どちら様ですか?」
こちらの様子を伺うように慎重に尋ねる少女。知らない人間の突然の訪問に、彼女の方も少し緊張しているようだ。
まあ、少女の反応は当然のものと言っていいだろう。何しろ、アカツキは少女と出会うのは初めてなのだ。アカツキも少女のことはとある男から聞いていただけで、顔を見るのも初めてなのだ。
「え~っと……」
アカツキが自分の素性をどう説 明したものかと悩んでいると、少女の瞳が少しずつ驚いたように丸くなっていき、そして突然……。
「あああああぁぁぁぁぁっ!!」
と、アカツキを指差しながら大声を上げた。
レガリア王都にて、グレイから差し出されたヒントは二つ。
一つは『自由の風』について。ヨイヤミと直接関係しているかは定かではないが、それでもアカツキが関わらなければならないことに変わりはなかった。
そして、グレイから与えられたもう一つのヒントはというと……。
「それじゃ、もう一つの情報だ。レガリアの北の方に『ナルビア』という小さな農村がある。そこにある一軒家を訪ねてみるといい。君にとって有益な情報が、きっと得られるはずだ」
そう言って渡された地図を目当てにここに辿り着いた。いったいここに誰がいるのかもわからずに。
だが、ここへ来る途中にとある昔話を思い出した。ヨイヤミが話していた昔話を……。
彼らはグランパニア領から命からがら逃げ出し、レガリア領に住んでいると言っていた。そうとなれば、彼が指し示した場所がそこである可能性は高い。
まあ、どうしてそれをグレイが知っているのかは謎であるが、今更彼が何を知っていようが疑問に思う方が馬鹿らしい。彼は何でも知っているという前提で話をした方が、疑念という余計な労力を使わなくて済む。
「あと、これも渡しておこう」
そう言ってグレイがアカツキに差し出したのは、見知らぬ紋章が刻まれた指輪だった。アカツキがそれを受け取ろうとしたその瞬間、驚きのあまり肩を弾ませてしまうほどの声がアカツキの鼓膜を震わせた。
「グレイっ!!あなた、何をっ!?」
その怒号のような、はたまた悲鳴のような声を上げたのはスピカだ。それが何物なのかもわからないアカツキは、何が起こっているのかも理解できないまま、視線を右往左往させていた。
「スピカが心配するのもわからなくはない。だが、彼は信用に足る男だ。これを悪用することなど無いだろう。それに、彼にはこれが必ず必要になる」
グレイに真正面から射抜かれたスピカは、まるで口に錠が掛けられたように唇が硬直する。自分のやり方に口を出すなと、その眼差しが語っている。
「あの……」
空気の悪さを感じたアカツキが、それを払拭するために、二人の合間に介入するように声を掛ける。
「これは、一体何なんですか?」
当然の疑問だ。自分が必ず使うものであり、スピカがそれほどの反応を見せるものなど想像ができない。
「それは王家の紋章だ。つまり、君はそれを持っているだけで、王家に認められた者として、多くの権利を得られる。だが、それと同時に君の行いが、我々レガリアの信用を落とすことに繋がることもある。彼女はそれを危惧しているんだよ」
スピカが推し量るような視線をアカツキに向けている。まだ出会って間もない関係なのだから、その視線は向けられて当然のものだ。
むしろ、グレイがアカツキに向けている信用の方が異常なのだ。
「そんなものなのであれば、これは……」
「言ったはずだよ。それは君にとって必ず必要な物だと」
アカツキの言葉を遮るように、グレイはそう言った。まるで、アカツキがその先を口にすることを拒むように。
「どういう意味ですか?」
「君はどうして、領土なんてものがあると思う?」
突然の問い掛けに疑念を抱きながら、アカツキは少しの間をおいて答える。
「自分が護るべき国を明確にするためでしょうか?」
「悪くない答えだ。ではその言葉を借りて、自分が護るべき国に、他の国から来た見ず知らずの人間をそう簡単に入れると思うかい?」
その先グレイが何を言いたいのかを察して、アカツキは怪訝な表情を浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。
「この紋章を持っていれば、君は王家に認められた者として、自由に境界を往き来できる。君にとってそれは、とても必要なものではないかな?」
完敗だとそう思った。スピカの様子を見ていれば、これはそんなに簡単に受け取っていいものではないと理解できる。これを受け取ってしまえば、何かから後戻りできなくなる確信がある。
けれど今のアカツキにとって、それは喉から手が出るほど欲しいものに他ならない。それを、グレイは全て見透かしている。
迷いがあった。グレイの掌の上にあるものを、すぐに受けとるだけの勇気が今の自分にはない。だが、この申し出を払い除けるだけの自信も今の自分にはなかった。
「ありがとう……ございます」
素直に喜べない自分がそこにいる。けれど事実として、アカツキはその指輪を受け取ったのだった。この行為が結果的にどちらに転ぶかは、今のアカツキにはわからない。
けれど、最後にグレイから投げ掛けられた言葉が、どうしても心の奥底にしこりを残して離れなかった。
「断言しよう。君はすぐにここに戻ってくることになる。そして、共に戦うことを誓ってくれるだろう……」
という事で、その扉から誰が出てくるのかある程度予想はできていたものの、いざ少女を目の前にすると、自分をどう説明していいのか困惑してしまったのだ。
そんなこちらの葛藤などいざ知らず、少女は大声を上げるなりアカツキの手を引いて家の中へと引きずり込んだ。
「え、えぇ、ちょ、ちょっと待って……」
こちらの反応などまるで見えていないように、ズカズカとアカツキを引きずりながら家の奥へと進んでいく。
もちろん振り払うことなど造作もないが、いたいけな少女に抗う気にもなれずにアカツキは為されるがまま。
そんなアカツキと少女のやり取りをアカネは呆然と眺めながら立ち尽くしていた。彼女からしたら、本当に何が何なのかサッパリといったところだろう。
そんな感じでアカツキを引っ張る少女は突然、とある扉の前で立ち止まった。
コンコンとその扉をノックして、向こうから返事が帰ってくるよりも前に、矢継ぎ早にその扉を開け放った。
「ちょっとレア、まだ返事してな……」
その部屋にいた女性は少しだけ怒ったように口を尖らせながらこちらを振り返り、そしてまるで時が止まったかのように言葉を失った。
それは、手を引っ張られていたアカツキも同様で、まさかここに彼女がいるなんて思ってもいなかったから……。
当事者の二人が驚きのあまり、思考が追いつかずに固まってしまっているなか、渦中の外にいたレアが無言の空間を打ち破った。
「お兄ちゃん、アカツキさんでしょ」
頭の中が真っ白になっていたアカツキは、唐突に投げ掛けられた質問にすぐには答えることができず、微妙な間が空いてからゆっくりと頷く。
その頷きをきっかけにするように、目の前の女性の瞳がうるうると揺らめきだし、そのまま一直線にアカツキの元へと駆け寄り抱きついた。
ちょうどそのタイミングで追い付いたアカネは、またも呆然とその光景を眺めることしかできなかった。まあ、一緒に旅をする男が、突然知らない女に無理やり連れ去られ、やっと追い付いたと思ったら、今度は別の女に抱きつかれていれば、思考が渦を巻いて停止してしまっても仕方がない。
彼女はもう、自分の中に渦巻いている感情がいったい何なのか自分でもわからなくなっていた。
「生きてた、生きててくれてた……」
まるでしがみつくようにアカツキに抱きつき、顔をぐちゃぐちゃにしながら、その女性は恥じらいもなく声を上げて泣いた。
「幽霊じゃない。ちゃんと触れるよぉ……」
そんな昔と変わらない彼女の声を耳にして、アカツキもようやく落ち着きを取り戻す。
「はい。ちゃんと生きてますよ」
そして、優しい声音で懐かしい響きを口にした。
「アリーナさん……」
『アリーナ・エルステラ』。
元々はノックスサンの軍に所属し、ロイズ・レーヴァテインの元で働いていた。
しかし、とある事件がきっかけでロイズと共にノックスサンを離れ、その後はルブルニアの幹部としてアカツキに仕えていた女性。
こうやって恥も外聞もなく他人に抱きついてしまうこの素直さを見て、昔の彼女と変わらないことを確認し、アカツキは胸の奥が暖かくなるのを感じていた。
そんなアリーナを抱き留めながらふと少女に視線をやると、少女も小動物のようなクリッとした瞳を潤ませながらこちらを眺めていた。
一人だけが、この状況を理解できずにアカツキの背後で呆然と立ち尽くしていたことをアカツキは知る由もなかった。
「アリーナさんはどうしてここに?」
一通り泣いてようやく落ち着きを取り戻し、アカツキの元から離れたアリーナにアカツキはそう尋ねた。
「ヨイヤミ君に連れてきてもらったの。私を戦いから逃がしてくれるために」
ある程度予想はしていた。この場所と彼女を繋ぐものはヨイヤミしかいないだろうから。
「あとでいいんですけど、あの日のこと、ちゃんと教えてくれませんか?」
それはきっと彼女の心の傷を抉ることになる。それを理解してなお、アカツキはそれを聞かなければならない。彼女を傷つけることになったとしても。
「俺はそれを知らなければならない。あの国の王であった者として。皆がどうなったのかを、受け止めなければならないから」
その言葉にアリーナは少し辛そうな表情を浮かべたが、独りでに首を小さく横に振ると、決心したような面持ちでアカツキに告げた。
「うん、いいよ。私もそうしなければならない気がするから。あの日、あの場にいながら、生き残った者として」
そんな真面目な雰囲気を振り払うように、アリーナは含みのある表情を浮かべてアカツキを見る。
「それはそうと、その後ろにいる子は誰かな?まさかアカツキ君、知らない間に大人の階段を……」
「何言ってるんですか、アリーナさん!!ただの旅の仲間ですから。一緒に旅をしてるだけですから」
逆に疑われそうなくらいに慌てながら、アカツキは後ろを振り返りアカネに向けて手招きしながら、こちらに来るように呼び掛ける。正直、アリーナにそう言われるまで、後ろにアカネがいることに気づいていなかった。
「ほら、自己紹介して」
先ほどまで放ったらかしもいいところだったのに、突然渦中に巻き込まれたようで、小さな怒りが胸の奥底でくすぶるのを感じながらアカネは自己紹介をした。
「アカネ・クロスフォードです。アカツキと一緒に旅をさせてもらってる、だけっ、の女です。よろしくお願いします」
何か凄く含みのある言い方は止めて欲しいんだけど。とアカツキが引きつった表情を浮かべながらアカネへと視線を向けるが、アカネはフンッとそっぽを向いてしまう。
「へぇ~、一緒に旅をね。いやぁ、アカツキ君も隅に置けないなぁ」
先ほどまでのアリーナさんはどこに行ったのだろう?と問い質したくなるくらいの含みのある笑みを浮かべながらアカツキを覗き込むアリーナ。こういう状況はアカツキはいつまで経っても苦手だ。
「そういうの止めてくださいよ。本当に何も無いんですから」
「ええ、本当に何もないですよ。全く、これっぽっちも」
「何で、アカネは怒ってるんだよ……」
「怒ってなんかないわよ。勘違いしないでくれる!?」
「もお、かわいいなぁ~」
「あの……、私の自己紹介がまだなんですけど……」
いつの間にか、完全に置いてけぼりになっていた少女が突然口を挟む。
自分の自己紹介も終わっていないのに、なんだかめちゃくちゃに荒れていく場の空気に少し辟易としながら、レアは自らの自己紹介を始める。
「私はレア・オルフェリアです。おにいちゃんの親友のアカツキさんですよね」
おにいちゃん?とアカツキが不思議そうに首を傾げながらレアに視線を向けると、それを察したレアが説明を始める。
「私が勝手にそう呼んでるだけです。おにいちゃんに話を聞いているなら、私の本当のおにいちゃんのことは知って下さっているんですよね?」
アカツキはヨイヤミが話してくれた昔話を思い出しながら頷く。
「私の本当のお兄ちゃんがいなくなって、私が一番辛かったときにそばにいてくれて支えてくれたのがおにいちゃんだった。だから、あの時の私はおにいちゃんって呼ぶことにしたんです」
レアはきっとヨイヤミに本当の兄を重ねているのだろう。それは依存とも呼べるのかもしれないが、彼女の寂しさを少しでも埋めることができるのなら、それでもいいと思えた。
「血の繋がりなんて関係ないんです。私にとって大切な人だから、おにいちゃんはおにいちゃんなんです」
「慕われているんだな、あいつは……」
「まあ、この家には全然帰ってきてくれないですけどね」
少し寂しそうな表情を浮かべながらそんなことを言うレア。本当はもっと近くにいて欲しいという気持ちと、彼を縛り付ける訳にいかないという思いが葛藤しているのだろう。
「アカツキさんは、ここにおにいちゃんを探しに来たんですよね?でも残念ですが、ここにおにいちゃんはいません」
まあ、そんなことは口にしなくても誰もがわかっていることだろう。
アカツキも、ここにヨイヤミがいるなどと思ってはいなかった。グレイがヨイヤミの居場所を知っていたかどうかは定かではないが、もし知っていたとして、彼がそのまま答えを教えてくれる訳がない。彼が教えたということは、ここが答えではなくそれに繋がるヒントに過ぎないからだ。
それでもここに寄ったのは、ヨイヤミに繋がる人たちに会いたかったから。
彼がどんな人たちに囲まれて育ったのか、あわよくば彼に関する情報が少しでも手に入ればと思って立ち寄っただけだ。
「いいんだ。あいつがいないことはわかってたから。それよりも、君やアリーナに会えてよかった」
「私に?」
レアは不思議そうに小首を傾げながら、その理由を求める。
「俺の親友の大切な人だから。俺、あいつのことあんまり知らないんだ。親友なんて言っておきながら、あいつの口から聞いたことしか知らない。だから、ちゃんとこの眼で見たかったんだ。あいつの歩んできた道を」
その言葉を聞いた途端、レアは何かから解放されたように頬を緩めると、安堵の笑みを浮かべながらアカツキに告げる。
「よかった……。おにいちゃん、アカツキさんと喧嘩したって言ってたから、アカツキさんはおにいちゃんのことなんてどうでもよくなったのかなって心配してたんです」
アカツキの口から『親友』という言葉を耳にして、ようやく確信が持てた。アカツキが未だヨイヤミを大切に思っていることに。
突然そんなことを言い出すレアに、アカツキは少しだけ驚いた素振りを見せると、ちょっとだけあきれ混じりの笑みを見せる。
「あいつが心配するなら未だしも、君がそんなこと心配してどうするんだよ。まあ、あいつはたぶんこれっぽっちもそんなこと気にしてないんだろうけど」
「そうですよ!おにいちゃんは全然気にも留めないんです。友達も多い訳じゃないくせに!だから私が心配してあげるんです」
まあまあ酷いことを口にしたような気がしたが、アカツキはそれについては気づかない振りをして話を続ける。
「あいつには、ちゃんと帰ってくる場所があったんだな……」
アカツキしみじみとした表情で、思わず漏れだしたようにそんな言葉を口にした。アカツキの視線の先には誰もいない。けれど、きっと彼の眼に映っているのは……。
「おにいちゃんだけじゃないですよ。アカツキさんも、行くところがなくなったらここに来て下さい!おにいちゃんの親友なら大歓迎です」
そんなレアからしたら何気ない言葉が、アカツキの心の奥底に突き刺さる。じんわりとした熱が混み上がり、思わず瞼を焼きそうになったところでアカツキは必死に堪える。
「ありがとう、レアちゃん。なんだか、背負っていた荷が少しだけ軽くなった気がするよ。君は、本当に優しいんだね」
そんなアカツキの様子を見て、思わずもらい泣きをしそうになったレアも、ズッと鼻をすすりながら晴れやかな笑みを浮かべる。
「だって、あのおにいちゃんの妹ですから」
その根拠を言葉にすることはできないけれど、レアのその言葉は呼吸をするようにすんなりと受け入れることができた。
「ああ……、そうだな」
先ほどまで場を荒らしていた二人も、そんな光景を暖かい眼で眺めていた。
アリーナは九章以来、レアは八章以来の登場です。こうやって、元々出ていたキャラを少しずつ出していくことができるのは長編のよさですね。やっぱり、めちゃくちゃメインどころじゃなくても、一回出てこなくなったキャラが再び出てきてくれるとそれだけで嬉しいものです。物語を描いている時もそれは同じで、久しぶりにそのキャラを創造できることに、なんともいえない嬉しさがこみ上げてきます。後編では、そんな嬉しさを何度も味わうことができるのかと思うと、これまでの前編中篇をやってきて本当によかったと思えます。レアはだいぶ成長しており、すっかり大人(年齢的には15歳くらい)になっているので、元々の感じは残しつつ、新しいレアを描ければいいなと思っています。アリーナは、前と変わらない姿を書きたいと思っています。まあ、別のところで変わり果ててる奴もいるので、変わらない懐かしさもやっぱり大事ですよね!ってな感じで、こっちの投稿も順次頑張っていきますが、王道ファンタジーRPG『Road of Crystal -龍に誘われし勇者と八つの宝玉- 』もよろしくお願いします。では、次話まで……。