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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十五章 自由を求める者たち
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再び大地に立つ

「そのマフラー、まだしてたんだな」


 アカネの首から垂れるマフラーが、潮風になびいて揺れるのを眺めながら、アカツキはふと思い出したようにアカネに尋ねた。


「なんとなくね……。これがアランと一緒に過ごしていたときの、当たり前の格好だったから……。アランとの繋がりを何か残しておきたくて」


 どこか遠くを見つめるように、太陽が照り返す澄んだ青空を仰ぎ見る。今はもう会えない人の姿を、その空のキャンパスに写し出しながらアカネは小さな笑みをこぼす。


「こっちの気候だとその格好は暑くないか?」


 アカネが仰ぎ見る青空を悠々と浮かんでいる太陽に視線をやるも、その陽光に目が眩む。アカツキは掌で庇を作りながら目を細める。


「私、これでも砂漠生まれだよ。こんな海の上じゃ、むしろ少し寒いくらい」


 潮風が二人の間を駆け抜けていく。太陽の熱を攫って行くかのように、二人の身体の熱を冷ましながら。


「砂漠生まれって、いつの話してんだよ。まあ、これからその生まれ故郷に戻るわけだけど……」


 アカツキにすれば三年振り、アカネにしてみればもうレツォーネ大陸で過ごした時間の方が長くなってしまった生まれ故郷に向けて、船は青々とした海原を駆けていく。


「帰ったら、何かしたいことはあるのか?」


 もうきっと、ガーランド大陸で過ごしていた頃の記憶は曖昧だろう。それでも彼女はアカツキと共にガーランド大陸へと脚を踏み入れる覚悟を決めた。それはきっと、ガーランド大陸に何か心残りがあるから。


「やりたいことか……。なんだろうね……?」


 少し寂しそうな表情を浮かべながら、アカネは小さく唇を噛み締める。


「きっといっぱいあるんだろうけど、これってものが、靄が掛かったみたいに虚ろになるの。本当は、自分でもわかっているはずなのに……」


 たぶん怖いのだ。過去の自分と対峙するのが。

受け入れられないあの頃の自分を思い出し、もう一度この場所でやり直すことを、今の自分が拒んでいる。


「いいんじゃないか、別に……。何でもかんでも立ち向かうことが、良いことだとは思わない。それで自分がつぶれたら意味ないだろ」


 それはアカツキにとって、自分への戒めでもあるのだろう。ただただ壁にぶつかって砕けてしまった自分を、今の彼女に鏡のように映し出しているのかもしれない。


「逃げることが正しいことだってある。それに気づいたときには、俺はもう遅かったけどな……」


 胸の奥が小さく縮むように痛みを帯びる。自分が逃げてさえいれば、失う必要のなかった命と、これからは向き合わなければならない。

 自分で自分を追い込んで、自ら退路を絶ってしまった。その結果失ったのは、自分ではなく他人の命。アカツキが大切に想う者たちの、かけがえのない命。

 誰かに責められる訳でもなく、誰かに慰められる訳でもない。全ての責任は自分に降り掛かり、払うこともできずに、その心身を重圧の渦で押し潰す。

 そんな重圧の渦から引っ張り上げてくれたのは、他でもないアランとアカネだ。

 責められた訳でも、許された訳でもない。ただぶつかって、言葉を交わし、居場所をくれた。

 それがどれだけ自分を救ってくれたのか、考えるまでもない。もし出会っていたのがこの二人でなかったとしたら、この海の上に立っている自分はいなかっただろう。

 そんな自分を救ってくれた一人が、ここにはもういない。

 哀しむことは、彼への侮辱だ。彼は満足して、自らの思いを成就させて、この世界を旅立った。ならばそれを悔やむことは彼への侮蔑に値する。

 それでも、例えそうだとわかっていても、やはり彼が生きていた未来を夢想してしまう。

 それは仕方のないことだと、自らに言い訳をしながら。大切な命を惜しむことが、人間の本質であると自らに言い聞かせながら。


「遅くなんかないんじゃない?」


 責める訳でも許す訳でもなく、彼女はただ寄り添って励ましてくれる。そんな彼女に自分はいつしか甘えるようになってしまったのではないだろうか。


「アカツキはまだ生きているんだし、これから先、守らなくちゃいけない人がきっとたくさん現れる」

 

 彼女が、こうやって他人を励ませるようになったのはいつ頃だろうか。

 彼女は元々優しく他人思いな性格だ。けれどアランを失ったあの日から、彼女は自分をひたすら責めるようになった。他人に眼をやる余裕なんて、微塵も残されていなかった。

 それでも、彼女の根底に眠る芯の強さが、彼女をここまで立ち直らせた。

 アカツキは誰かを励ますときの彼女の母性的な笑顔が好きだった。だから、彼女が元気を取り戻してくれただけで、アカツキもまた救われていたのだ。


「後悔なんて、死ぬ寸前にたった一度だけすればそれでいいんだよ。終わったことにじゃなくて、出来なかったことに……」


「そうだな……」


 アカツキはまだ生きている。アカネはまだ生きている。

 多くの命を目の前で失ってきた。それでも彼らは生きている。

 ならば、前を向くしかないのだろう。前を向けと、神様に生かされているのだろう。


「それにしても、あれだけ死にたいって言ってた奴が、偉そうなこと言うようになったな」


「なっ……、人が励ましてあげてるのに、偉そうってどういうことよ」


「冗談、冗談。そんなに怒るなって。ほら、可愛い顔が台無しだぞ」


「かわ……、私のこと馬鹿にして……」


 顔を怒りで真っ赤にしたと思えば、今度は恥ずかしそうに頬を染め、再び怒りの表情が顔を出す。アカネの表情は忙しなく変化し、その表情の豊かさに、アカツキはまた安堵の気持ちを覚える。

 こうやってふざけていないと本当の気持ちが零れてしまいそうで、アカネには申し訳ないと思いながらも誤魔化してしまう。


「ほら、そこのお二人さん、イチャついてないでちゃんと仕事しろよ」


 そんな傍からの言葉により、二人はここが二人きりなどではないことを思い出す。

 ふざけて笑っていたアカツキも、流石に恥ずかしさが隠しきれないように、引きつった笑みを見せながら、声の主の方向に視線をやる。

 二人とも咄嗟に反論する言葉が出てこずに、時が止まったかのように口が半開きになったまま、お互いに顔を見合わせて紅潮する。

 長い時間一緒にいると言っても異性の相手だ。こういうふとした時に、意識してしまうのは必然だろう。


「別に、イチャついてなんかないし……」


 そんな苦し紛れの一言をなんとかアカネがひねり出したのを皮切りに二人は甲板の掃除に戻るのだった。

 言うまでもなく、二人は船の上にいた。レツォーネ大陸とガーランド大陸を結ぶ船は、とある戦争の決着の末、十数年振りの出港を遂げていた。どうやらガーランド大陸からの働きかけもアカツキたちのあずかりしらぬところであったようではあるが……。

 そんな船に乗船した二人だが、「船員が少なくて困ってんだ。とりあえずお前ら甲板の掃除してこい」という船長の勢いに負けて、二人は船員として甲板掃除を任されていたのである。


「あの船長もかわらないなぁ」


 ポツリとそんなことを溢すアカネに、アカツキは小首を傾げながら尋ねる。


「あの船長のこと知ってるのか?」


「まあ、一回会ったことがあるくらいなんだけどね。まあ、昔からあんな感じだから、印象的過ぎて記憶に焼き付けられちゃったみたい」


 あの頃はまだとても小さく、きっとあの船長は十数年前の航海で乗せた少女と同一人物だとは気がついていないだろう。表情だって、あの頃とは別人になっていると自覚している。


「まあ、あんな感じだもんな。忘れろって方がムリな話だ」


 そんなことを言いながら笑い合える自分を、あの頃の自分はどう思うのだろうか。

 アカネはふと、いつかの自分の姿をこの船の上に思い浮かべる。

 あの日もアランと共にこの船に乗った。ただただアランの後を追うだけだったあの日の自分は、どんな思いでこの船に乗っていたのだったか。それすらももう曖昧になっている。

 ただあの時はずっとアランの背中を眺めていて、海の青さも、空の青さも何も眼に入っていなかったように思う。


「海って、キレイだったんだね」


「どうしたんだよ、突然?」


「ううん、なんでもない」


 不思議そうに小首を傾げているアカツキを見ながら、アカネは小さな笑みを溢す。

 笑えるようになった。言葉を交わせるようになった。誰かを想えるようになった。

 失ったものを数えればキリがないし、自らの背後に並ぶのは多くの屍。決して、明るい道を歩んできた訳ではない。

 けれど、この先の道が自らの背中に広がる道と同じとは限らない。

 今見えている景色も、昔見えていた景色と違うのだ。ならば、これまでがどれだけ暗い道を歩いてきたとしても、これから歩む道が同じように暗いとは限らないのだから。

 きっと、ただ見逃してきただけなのだ。自分が海の青さを、空の青さを知らなかったように、視点を変えれば、今まで見ていた景色も明るくなるかもしれない。

 あの頃の自分がちゃんと海を、空を見て、その感動を彼に伝えられていたら、あの日の自分はもっと明るく振る舞えたのだろうか。

 そんなことを考えて、寂しさを覚えている自分に気付いたアカネは小さく首を横に振る。

 そうじゃない。後悔なんてたった一度でいいと言ったのは自分ではないか。

 だから前に進もう。後ろを振り返っている暇などない程に、必死に走り続けよう。


「じゃあね」


 誰に向かって言うでもなく、アカネは青々と拡がる空に向けて、晴れやかな表情で別れを告げた。






「ほら、お前たち、着いたぞ」


 暗闇に差し込む一閃の陽光を受けて、アカツキとアカネは目を覚ます。

 あれからどれだけの海の上を漂っていたのだろうか。永きに渡る航海を経て、二人はようやくガーランド大陸へと帰ってきた。

 寝ぼけ眼の二人が、夢現のままに金具が軋む木造の扉を開けると、その先には久しく目にしていなかった大地が拡がっていた。

 しかも、その大地には多くの建造物が大樹のように佇んでいる。その隙間を掛ける黒塊は、いつかアカツキが夢見たもの。

 車が当たり前のように道を駆け、人々は戦争という言葉すらも知らないかのように笑みを浮かべている。

 まるで異国にでも迷い込んだかのように目を瞬かせながら、アカツキは手に掴んでいたものを取りこぼしたように言葉を漏らす。


「すげえ……」


 あまりの景色に、言葉を失ったアカツキは、先程までの夢の続きを見ているのではないかと何度も目を擦る。


「なんだ兄ちゃん、ここに来るのは初めてか?」


 二人の背後からのそりと顔を覗かせる船長が、二人の肩に腕を回しながら二人の間に顔を突っ込んでこう言った。


「よく眼に焼き付けておけ。これが、この世界最も技術が進んだ都市、商業都市『レガリア』だ」


 その名を知らない訳がない。四大大国のひとつにして、四天王が一人『グレイ・レガリアス』が治める商業都市だ。


「これが……、この国が、レガリア……」


 噂には聞いていたし、この国がすごいことも理解していたつもりだった。だが、耳で聞くのと実際に眼にするのでは訳が違う。


「まあ、説明なんかされなくても、お嬢ちゃんは知っているよな」


「えっ?」


 その言葉に思わず、すぐ隣に顔があるとわかっていながら船長と視線を交わす。


「覚えていて、くれたんですか?」


「当たり前だろ。あの日は俺の最後の航海になるはずだったんだ。レツォーネとの交易は中止、俺は仕事を失い無職の自由な人生」


 凄い勢いで捲し立てる船長に圧倒されながら、アカネは自分のことを覚えてくれていた船長を、どこか他人とは思えないような目で眺めていた。


「のはずだったんだが、どうやら俺はまだ現役を引退することはできんらしい。それもこれも、お前たちのせいだからな」


 噂程度で聞いた話だが、どうやらガーランド大陸とレツォーネ大陸との交易は、再び息を吹き返すらしい。と言うことは、この船長も働かなければならなくなる訳で……。


「まあなんだ、その……、ありがとな」


 船長は小さく鼻を鳴らしながら、二人の感謝の言葉を告げる。

 別に二人とも、誰かのために何かをしたつもりはない。ただ自分たちの都合の良いように動いた結果そうなっただけだ。

 それでも、自分の行いが誰かの為になれていたのなら、それは素直に喜ぶべきなのだろう。


「それにしても、あの時の無口な嬢ちゃんが、ずいぶんと立派になったもんだ」


 言葉を交わしてすらいない。視線を合わせたのも、片手で数えられるほどだろう。それでも、自分はこうやって誰かと繋がれていた。この世界で、自分を知っている者など誰もいないと思っていたのに。


「あの時の兄ちゃんはいないみたいだな」


 名前を言われなくて、それが誰のことなのかは直ぐにわかる。

 言葉にしなければならない。自分を覚えてくれていた人に、自分の大切な人を覚えてくれていた人に、責任を果たすために。


「アランは、旅立ちました。本当に酷い人ですよ。私たちを放って、一人でどっかに行っちゃうんですから。でも、自由奔放な人なんで、いつかひょっこり帰って来るかもしれないですね」


 そうやって誰かに向けて言葉にすることで、また一つ靄が晴れたような気がした。少しおどけてみせたのは、やはりまだ全ての靄が晴れていないから。

 でもそれでいい。一歩ずつ、確かに前に脚を踏み出している証拠だから。


「そうか。また、会えるといいな」


「ええ。そうですね」


 この国にもう一度足を踏み入れることができる。あの時は真っ暗で見えていなかった景色も、今ならきっと向き合うことができる。きっと楽しむことができる。

 そんな思いを抱きながら、二人が感傷に浸っていると、突然後ろから大きな掌で背中を押される。


「ほら行け。お前たちの冒険はこれからなんだろう」


 押された勢いで二人が二、三歩前に踏み出す。そして二人が揃って船長の方に振り返ると、晴れ晴れとした笑顔で親指を立てる船長の姿があった。

 言葉はいらない。二人は顔を見合わせて頷くと、その船長に応えるように、船長に向けて親指を立てて踵を返して歩き出す。長い航海を経て、ようやく踏み出す二人の未来。

 まだ足許も覚束ず、視界も暗闇に覆われているかもしれないけれど、それは二人の歩む先に決まった姿が無いから。これから自分たちで、いくらでも切り開くことができるから。

 だから、暗闇でも構わない。自分たちで明るくすれば良いのだから。


「行こう!!」


「うん!!」


 そして、最初に二人が踏み出した未来は……。


「やあ、アカツキ君。始めまして初めまして、かな?」



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