そして全ての席は埋まる
この部屋はあの男の写し鏡のように見える。それが、彼女がこの部屋を最初に見たときの印象だった。
何もない真っ白な部屋に、とても簡素な円卓と六つの椅子。全てが白く塗り固められ、まるで他の何かを包み隠しているかのように、その色に統べられている。
この部屋の白は彼の強さのようだと感じた。元々はきっと他の色だったのだろうと思わせる、所々に覗く葡萄酒のような濃い赤色。
その赤はきっと彼の過去であり、それを覆い隠すために彼は白を纏った。全てをその色で覆い被せてしまう程に。
故意に簡素に造られたその部屋は、余分なものを必要としない彼のやり方そのものだ。でもそれは、あくまでも故意であり、本心ではないように感じる。
そう思わせる何かが、彼の中には眠っている。それを、これだけ自然に見せられるのは、彼が多くの色を塗り重ねてたどり着いた先がこの白だったからだろう。
そんなことを考えながら、龍仮面で目元を覆ったニアはこの部屋の至る所に眼を向けていた。
「なんだよ、誰かいると思ったらあんたかよ」
そんな落ち着いた一人の時間は長くは続かず、すぐに雑音が耳をざわつかせる。
「あんたと二人っきりってのは、気味が悪くて嫌なんだけどな」
気遣いの欠片もなく無遠慮極まりない言動を、扉を開けてすぐに口から吐き出すのは、ここグランパニア王国軍第三部隊隊長『ジェド・エリオフォース』。
「私はしゃべる気はありませんので、いないものとして扱って頂ければ結構です」
何を言われようが、ニアは事を大きくするつもりはない。ただ平然と、口にされた嫌みも妬みもその身体をすり抜けるように受け流すだけだ。
「そういうところが気持ち悪いって言ってんだよ。アルベルトの方がまだマシだったよ。あんたには人間味ってもんを感じねえんだよ」
この国にいて、散々他の国を襲い、人を奴隷として扱うことを許してきた人間が、よくも平然と人間味などという言葉を吐けたなと、多少の怒りを感じながらも、ニアはそれ以上口を開かなかった。
「けっ……、こんだけ言われても何も言い返さねえのかよ。本当に張り合いのない女だな。その仮面を剥ぎ取ってあんたの素顔を拝みたいもんだよ」
「それくらいで止めないか。お前は誰かに突っ掛からないと気が済まないのか!?」
ジェドの後ろから、新たな女性が顔を覗かせる。後ろで括った金髪を揺らしながら、水縹色の瞳がこちらを射抜く。
ニアを庇ったようにも見えたが、ニアに向ける視線は敵意にも似た鋭いものだった。
その視線を向けるのは、グランパニア王国軍第五部隊隊長『シェリー・ヴェールライト』。今ではニアの出現により紅一点ではなくなったが、それでも彼女が実力者であることは間違いない。
「まあ、ぼろ負けした相手に強くは言えねえよな?お前は大人しくそいつの機嫌を取ってればいいじゃねえか」
「なんだとっ!?」
シェリーのさらに鋭くなった視線がジェドへと襲いかかる。お互いの魔力が一瞬のうちぶつかり合い、周囲に魔力の波が巻き起こる。
これだけの魔力を一瞬で練ることができるのは、彼らがそれだけ強い人間だからだ。そこらの凡人であれば、これだけでも気を失っているかもしれない。
「どけ、邪魔だ」
そんな二人を止めたのは、なんともやる気のない弛緩した声音だった。まるでシャボン玉が弾けとんだかのように魔力の波が消え失せる。
二人の間を無気力な足取りで歩く男の名は『オウル・デルタリア』。グランパニア王国軍第一部隊隊長を勤めるグランパニア国王の右腕。
その風貌からは想像もつかないほどの力を秘め、隊長たちからも一目置かれている。ここ数年では伝説の男を討った資質持ちとして名が上がることもしばしばある。
「殺し合うのは勝手だが、俺の睡眠の邪魔をしたら殺すぞ」
そう言いながらニアの隣の席に腰を下ろすと、腕を組みながら瞼を閉じる。まるで他のものには興味が無いと言うように少しだけ首を垂らしてすぐさま眠りに就く。
突然の介入に魔力は消え失せ興ざめした二人も、大人しくそれぞれの席に腰を下ろす。
本人にその気があったのかは甚だ疑問ではあるが、ほんの数秒で事を収めてしまう手腕は素直に尊敬する。だが、それ程の力がありながらも、何故彼は他人の下に就こう思ったのだろうか。
居心地の悪い時間が続く。いや、そんなことを気にするほどの器の小さい人間はここにはいないだろう。だが、ここにもしも凡人がいればこの押し潰されそうな程重い空気に吐気を催してもおかしくはない。
全員が腕を組みながらもう一人が現れるのをただ無言のまま待ち続けた。その間、誰一人としてお互いの視線を交わす者はいなかった。
やがて、扉は開かれる。最後の一人を招き入れる為に。この国の主を迎え入れる為に。
遅れたことへの謝罪などありはしない。誰しもがそんなものを求めてなどいないからだ。この場では彼が絶対なのだ。彼の言葉に逆らう者など誰一人として存在しない。
グランパニア国王『キラ・アルス・グランパニア』。世界最悪の暴君と恐れられ、四大大国の国王、四天王の一柱に座する男。
自らの席に辿り着いたキラは堂々と腰を下ろすと手足を組んだ後にゆっくりと口を開く。
「招集ご苦労。では、さっそく始めてくれ、ニア」
「かしこまりました」
元々、彼らの会合での司会はアルベルトだった。だが、そのアルベルトは、先の大戦で命を落とした。
その後釜としてこのグランパニア軍に参入したのが、彼女『ニア・ドラゴヴェール』だ。だから、今は彼女がその役割を果たさなければならない。
「ここ数日で、新たに三国の占領が完了しました。このままの速度で行けば、グランニア領全国の占領も時間の問題かと」
「随分と働き者じゃねえか。ここの所俺たちが何もしねえでも、ドンドン領地が増えていくもんな」
ニアの報告に答えたのは、驚いたことにキラではなくジェドだった。だが、その言葉には明確な嫌味が含まれており、彼がニアに何か文句を付けようとしていることは明白だった。だから彼女は、その言葉の続きをジッと待った。仮面の下に疑念の瞳を隠して。
「でもな、お前が領土支配を進めている地域は、そのほとんどが政治的限界線の近くだ。それ以上踏み込めば、俺たちはレガリアと事を構えなくちゃならなくなる」
『政治的限界線』とは、キラが定めた自分の領地をどこまで広げるかを明確に記したものである。それを超えた場合、恐らく他の四大大国との戦争に発展しかねない場所をキラが定め、それ以上の侵攻を禁止している。
他国が同様の制度敷いているかはわからないが、少なくとも他の三国は、グランパニアのような戦争はここ数年起こっておらず、ほぼ停滞の時が続いている。
キラもこの限界線を越え、四天王同士の戦争を引き起こすことは、仮初めながらも取られた今のガーランド大陸のバランスを崩すことに繋がるとわかっている。
「ジェドさんにしては、弱気な発言をなさるのですね。私はむしろ、いい機会なのではないかと考えています。キラ様がこの世界を支配するのであれば、いずれは戦わねばならぬ敵。そして、四大大国の中でも、レガリアの王『グレイ・ガレリアス』は戦闘能力で考えれば我々に劣ると思いますが」
そう、ニアがここ一帯を占領しているのは、まさにレガリアとの戦争に向けた準備を考えてのことである。
「俺は別に構わねえさ。レガリアとの戦争だって言うなら、喜んで前線に立ってやる。だが、俺らの王であるキラが、そこに一線を敷いた。ならば、それに従うのが俺たちだ」
ジェドは普段はふざけたように見えるが、これでも義理堅く律儀な男である。だから、自らの主が決めたことには絶対服従をしている。
だが、ここで一つ彼らの中に謎が生まれる。どうして、キラはそこまでして四大大国との戦争を拒むのか。彼の性格からすれば、むしろ自ら進んで戦争を起こしそうなものなのだが……。
「それについては、まだ時ではないというだけだ。もちろん、四大大国の戦争が起これば、この大陸そのもののバランスが崩れる。『レジスタンス』や、今も蠢いている『自由の風』のようなテロリストは更に増加する。そうなれば、我々では御しきれなくなる」
この場にいた全員の疑念の視線がキラに向けられる。誰もがその言葉を口にすることを躊躇っている中、ジェドが真っ先に口を開いた。
「あんたは、混沌が好きなんじゃなかったのか?むしろ、そういう状況を楽しんでいるんだと思ってたんだが……」
そう、彼の言葉はこのグランパニアの現状から言っても考えられない言動だった。それならば、彼が多くの者の批判を浴びながらも敷き続けているこの暴政は一体何だと言うのか。
「ふっ……、お前たちは何も理解していないな」
キラの唇がニヒルに歪み、皮肉めいた表情を浮かべながら言葉の続きを述べる。
「俺が知らないところで虐殺や蹂躙が起こるのは面白くない。俺は全ての暴力をこの手に統べたいのだ。それには順序というものがある。突然いくつも穴を空ければ、水槽の水は一気に漏れ出し、自らの手の届かないところに流れ落ちてしまう。それならば、空ける穴は一つでいい。その穴から全ての水が流れ落ちるまで、この眼の届く範囲でじっくりと眺めようではないか」
いくつもの息を呑む音が鼓膜を震わせた。
確かに彼は、これまで無謀な領土拡大を行ったことは無い。それは、自分の手中で管理しておきたかったから。自らの知らないところで暴力が蔓延することを嫌ってのことだった。蔓延することを恐れているのではない、それを自分が制御できないことが彼にとっては不都合なのだ。
彼にとって暴力とは生きる意味そのもの。それをゆっくりと味わいたいからこそ、彼は自らに手綱をはめて、自らを制御していたのだ。それこそが政治的限界線の正体。
「キラにそういう思惑があるなら俺たちは何も言わねえ。あんたの好きなようにやってくれ。あんたの下に就くときに、俺はあんたに従うと決めていたんだからな」
ジェドの視線から疑念の色が消えていく。これ以上何も聞くことは無い。むしろ、そうだとすれば言葉を向ける相手は他にいる。
「そういうことだ、龍仮面。あんたが今やっていることは、キラの思惑に反する。確かにギリギリの範囲を攻めてはいるようだが、いつそれが崩れるかなんてわからねえ。もう少し大人しくしていろ」
「それについては私も同感だ」
これまで会合が始まってから一度も言葉を口にしていなかったシェリーが突然口を挟む。
「ジェドと同じ意見なのは癪に障るが、私たちはあくまでもキラ様の指先に他ならない。その私たちが、キラ様のご意志の外に抜け出すなど以ての外だ。その辺りは、いくら新人と言えども心得ておかなければならない」
キラの意志の外に出るのであれば、この軍を離れろ。今の言葉は、そういう類の忠告だ。
ここにいるのは、あくまでもキラを王として崇め、その意志の下働く下僕たち。自分たちの意志など所有することは許されていない。もしそれを冒せば、どうなるかなど目に見えている。いや、それを冒そうなどと思えない者たちがここにいるのだ。
少なくとも、ここにいる三人はそれをわきまえている。
だが、急ごしらえの彼女はそれをどこまで考えているのかは不明瞭なところである。それを伝えるいい機会だと、口を閉ざしていたシェリーが出張ったのだろう。
「わかりました。皆さまの考えは肝に命じておきます。キラ様のお心のままに」
ニアはそう言いながら、胸の辺りに掌を添えて一礼する。
「まあいい。いずれにせよ順序を間違えなければ問題はない。それ以外の報告は無いのか?」
そう尋ねられたニアは胸ポケットから羊皮紙を取り出し、そこに記されていたことを淡々と読み上げていく。
「では、もう一つの報告を。現在、奴隷解放の為にグランパニア傘下の国を荒らしている『自由の風』についてですが、先日『バリオール王国』が墜とされました」
「それって、あの幹部の国のか?」
基本的に口を挟むのはジェドだけだった。後の者はただ静観したまま、ジッと彼女の報告に聞き耳を立てていた。
「はい。グランパニア傘下国の幹部国であるバリオール王国が『自由の風』に敗北したとの情報を得ています。これで、十か国以上の傘下国がやられたことになりますが、如何いたしましょうか?」
疑問はキラに投げらえる。彼らにとっての司令塔はキラでしかない。キラ以外の誰にも、ここでの発言権は許されていない。
「占領しているよりも、墜とされた国の方が多いときたか……」
そう一言だけ呟くと、ゆっくりと視線を上げ隊長である彼らと視線を交わらせる。
「そろそろ、放置できない状況になってきたな……。幹部国をやられておきながら、こちらが何もしていないと思われれば、他の傘下国にも示しがつかん。傘下国の奴らの目覚ましにはちょうどいいと思って泳がしておいたが、そろそろ潮時か……」
顎を軽く抑えながら思考する様子を見せた後、顎を抑えていた指をニアに向けてこう言った。
「ニア・ドラゴヴェールに命ずる。第二部隊を使い、『自由の風』の頭領『ハリー・カルレニウス』の首を獲ってこい。他の首は好きにするがいい」
「承知しました。必ずや、その首をここに持ち帰りましょう」
ニアは跪きながら、キラからの命を承る。それだけ遜った態度をしておきながらも、その瞳は常に仮面の下に隠れたままだった。
「報告が以上であれば、俺から一つだけお前たちに伝えなければならないことがある」
突然のキラからの申し出に、皆の視線がキラへと向けらえる。自分から話しを切りだしておきながら、どこか興味が無いような表情を浮かべながら口を開く。
「ダグラスが抜けてから空いていた第四部隊隊長の席だが、ようやく後釜が見つかった。今日はお前たちにも紹介しておこうと思う」
ニアとオウルを除く二人の表情が驚きいたように目を吊り上げる。オウルも多少の反応は見せるものの、彼らと比べれば薄すぎて気づかない程だ。
そうしてキラが扉に視線を向けると、それに追随するように全ての視線がその扉へと向けられる。
「入れ!!」
扉は焦らすようにゆっくりと開けられる。そして、そこに現れた顔を知る者たちの時間を一瞬で凍らせた。何故なら、そこに立っていたのは、既に死んだはずの……。
「初めまして、って訳じゃない人も何人かいるようですね。これより第四部隊隊長の座に就くことになりました。『カルマ・オルフェリア』です。以後、お見知りおきを……」
とりあえず、これで登場人物ピックアップ回は終わりのつもりです。ってことで次回からは、アカツキに視点を戻していきましょう。何気に後編入ってから初めて出てくる訳です。それにしても、頑張って急いだつもりだったのに気付けばほぼ二週間が過ぎていたんですね……。マジで月に二回更新ペース……。これは不味い。と思いながらも、まあ他の方もやっているので、そっちも急ピッチで進めています。ので、次回も頑張るつもりですが、どうなることやら(ただの言い訳)。少しだけ本編に。久しぶりにグランパニア軍の登場でしたが、だいぶ雰囲気が変わりました。その上、新しく出てきた奴が奇妙過ぎる。なんであいつ出てきたのって思う人もたくさんいると思いますが、その辺は後々……。あ、一人だけ姓が変わっていますが、気にしないで下さい(笑)。さてさて、グランパニア軍は元から因縁深いのにどんどん因縁が増えていく感じがしますね。どうなることやら……。そんな感じで、自分が物語に操られているような気もしますが、上手いこと進んでくれることを願います。では、次話まで……。