哀しみを越えた先
グランパニア領に広がる砂漠から少し離れた所にある岩で形成された自然の牙城。そこにアジトを構える革命軍『自由の風』。
力で全てを抑え込むグランパニアに力で立ち向かう反抗勢力。二つの巨大な反抗勢力が消滅し、誰しもが四天王の一角の強さを称え、怯え、恐怖したあの時から既に三年が経った。
この世界は狂っている。人に身分の差などありはしない。それを当たり前のように貪る者を最早人間などとは呼ばない。それは悪魔であり、そして悪魔は人間に狩られるべき存在なのだ。
だからこそ、この男は狩る側の人間になった。これは人殺しなどではない。人間の尊厳を護る為の悪魔狩りだ。
だから、元々の主の掲げた方針から逸れてなどいない。自分は、その意志を継いでいるだけだ。いや、それを理由に、大切な者の復讐に憑りつかれているだけなのかもしれない。
「またこんなところにいたんだ。本当に一人が好きだね」
物思いに耽っていた青年の背後に、突然赤髪の女性が現れる。けれど、青年はそんなことには一切興味が無いと言うように、その声の方向を振り向こうともしない。
「何か用か、リディア?」
砂漠の乾いた風がリディア・グラディエイトの赤髪を攫って行くかのようになびかせる。
口を開くだけで、砂漠の風が失った水分を奪っていくように喉を枯らしていく。そのことに煩わしさを覚えながら、青年はそれ以上口を開くことを嫌った。
「相変わらず冷たいなあ、ハリーは。リーダーなんだから、もっと団員に気を遣わなくちゃ」
「そういうことは、俺じゃなくてお前の役目だろ。俺は元々、誰かと話しをするのも嫌いなんだから」
青年の瞳はいつかの時と比べれば、随分鋭さを増していた。それも、この数年間思い続けても手の届かない者に時間を捧げてきたからだろう。
聡明な顔立ちながらも、その瞳にはどこか哀しみが浮かぶ青年、ハリー・カルレニウスは、ぶっきらぼうな口調でリディアを遠ざける。
だが、それくらいで距離を置くような女ではないリディアは、余計に歩み寄ってハリーの耳元まで距離を縮める。
「もお~、少しは喋るようになったと思ったのに、根は変わんないんだから。そんなんじゃモテないよ」
彼女の言葉のどこを探しても彼女を見つけることはできない。彼女の発する言葉に意味は無く、彼女の思いはどこにもない。それはまるで作業の様で、けれど真面目に考えずに話を出来るからこそ、彼女とだけは言葉を交わすことができる。
「そういう話は嫌いだ。俺はこれ以上誰かを好きになることはない。この戦いも、彼女のためにある」
行方知れずになった大切な人。死んでいるのか、それともどこかで生きているのかもわからない大切な人。けれど、きっともう会うことはできない大切な人。
彼女は自分の全てだった。最初は唯の義務感だったかもしれない。けれど、一緒に過ごしていく内に自分は彼女に惹かれていった。自分で事を起こすことを嫌う自分が、自ら茨の道を進もうと思える程に。
「ええ~、ハリーは意外と格好良いんだから、ちょっと女の子に声かければすぐに引っ掛かると思うけどな」
何も考えていないからこそ、どうでもいいことで心を抉ってくる。彼女の言葉の全てが煩わしい。
いや、こんな無意味な会話で腹を立てている自分が一番煩わしい。
いつの間にか握りしめていた拳のせいで、爪を立ててしまっていた掌に気付いてそっと手を開ける。彼女の言う通り、自分はあの頃から何も変わっていないのだ。
「そんなことを言いに来た訳じゃないだろ。用が無いなら帰れ」
ハリーは一人が好きだった。自分のテリトリーには誰も入れたくなかった。彼らは、それをちゃんと理解してくれていた。そして、そんな彼らの輪の中に彼女がいた。
とても居心地のいい場所だった。だから、それを壊した者を許すことができなかった。
これは、革命を謳ったただの復讐だ。そんなこと本当は理解している。こんなことは無駄だと彼女は言うだろう。それくらい、彼女を一番知っている自分ならわかっている。
けれど、どれだけ頭でわかっていても心が追いついていかない。いや、理解を越えた先に心があるのかもしれない。そんなこと、自分には到底わからない。
しかし、復讐を果たすためには力が足りない。自分の元主が勝てなかった相手に、自分が勝てるとは思えない。だから戦いが必要だった。強くなるための戦いが。
けれど、戦う為には、誰かを殺す為には理由が必要だった。だから、決めたのだ。悪魔狩りを始めることを。
「もう、ハリーは面白くないんだから。そんなんじゃ、女の子に嫌われちゃうよ」
ハリーの周囲を殺気が満たす。これ以上の無駄話をするなと、言葉ではなく空気で伝える。そして彼女もまた、それくらいの空気を読めない程の鈍感な女ではない。むしろ、気持ち悪いくらいに敏感な女だ。まるで、全てを見透かしているかのように。
「しょうがないなあ」
そう言いながらも不敵な笑みを浮かべながら、ハリーの背中から一歩後ずさり、胸に手を当てて地面に膝を付きながら頭を垂れる。
「『自由の風』頭首、ハリー・カルレニウス殿。出発のお時間です」
突如改まった口調に一変したリディアの言葉に応えるように、ハリーは下ろしていた腰をゆっくりと上げ、空に向かって不敵な笑みを浮かべながらこう呟いた。
「それをさっさと言え。血がざわついて仕方ないんだ」
砂漠の海を泳ぐように、百を超える馬が駆けていく。辺りは静かに渇いた風が砂を運んでいく中を、地面を揺らし砂煙をあげながら、自分たちだけがこの世界で生きていると言わんばかりに走り去る。
「ハリーさん、昔っからホントにしゃべらないっすよね」
「昔っからって言われても知らないわよ。私よりあんたの方が付き合い長いでしょ」
渇いた風が音の波を奪い、音の断片だけが鼓膜を震わせる。だが、この二人の会話はそれくらいで十分だと言わんばかりに、お互いに適当な返事を返す。
「そりゃそうですけど。何を考えてるかわからないから、少し怖いんすよね。とりあえず、ルブルニアからの縁で一緒にいますけど、このやり方だって俺は納得してないんすから」
「そんなに文句があるなら自分で言いなさいよ」
そういうリディアに驚いた素振りをして、自らの顔の前でブンブンと手を振るのは、元ルブルニア軍で唯一、建国当初から遅れて幹部になった青年『レクサス・アルフォード』だ。
「ええ、リディアさん言ってくださいよ」
「いやよ、面倒くさいもの」
「はあ……。ロイズさんやアリーナさんがいてくれたらな」
今は亡き二人の名に、喉の詰まりを感じながらも、レクサスは遠い目を砂埃の隙間から青い空に向ける。
楽しかったあの日はもう戻ってはこない。どれだけ願ったところで失われた命は帰って来ない。
ハリーはきっとそれを知っている。だから、弱音を吐いたり、立ち止まったりしないのだ。
何が正しいのか、何が間違っているのか。きっと彼にはそんなことは関係が無いのだ。
ただ、心の赴くままに、自らが進む道を歩み続ける。そこに言葉はいらない。ただ行動で示すのみ。
レクサスにはハリーがそんな男に見えていた。
けれど、それはとても危うく、彼が駆る馬はまるで綱の上を走っているようにレクサスには見えていた。少しでも踏み外せば、彼はそのまま谷底へと消えてしまいそうな気がしてならなかった。
「本当に、帰ってきてくれないかな……」
そう呟く彼の瞳には、いつもの戯れた色は無く、ただ迷いと哀しみの色で染まっていた。
「やれっ!!」
たった一言それだけの合図で殺戮が始まる。迷いが無い訳ではない。誰もが迷いを抱えている。
けれどその言葉を耳にした瞬間、感覚は麻痺し、触覚は消え失せ、嗅覚はねじ伏せられる。
自らが人の命を奪っているなど、まるで誰も気づいていないように、ただ無心で刃を振り回す。
これは自分たちが求めていたものでは無いと、どこかで気付きながらも、その心に蓋をして次々に人を屠っていく。それが、彼らの復讐だから。
赤く染まる大地の上空を独りの男が舞い上がる。その男に翼など存在しない。彼はまだ、この地球の重力に縛られながら、この不条理な世界に抗うように空を舞う。
「お前たちの噂は聞き及んでいる。お前たちの目的が一体何なのか。それを問い質すつもりもない。お前たちの殺戮に、どんな意味があったとしても、それは許されるものではないからな」
男が舞い降りた先に、一人の男が革の手袋をゆっくりとはめながら、一切の驚きを抱かない落ち着き払った様子でその言葉を口にした。
「この世界に正しさなどありはしない。そして、俺たちの行為を誰かに許してもらおうとも思っていない。俺が許して欲しいのはこの世界でたった一人だけ。この行為は、彼女への手向けだ」
自らの身を包む褐色のローブで口許を隠しながら、ハリーは目の前の男へと告げる。これから命を刈り取ろうという、ここ『バリオール王国』国王『アーデル・バリオール』に向けて。
「ならば、話し合いも無意味と言うことだろう。これでも、グランパニア傘下国の幹部の端くれ。そう簡単に、この国を墜とさせはせんぞ」
腰を下ろし、黒革の手袋で包んだ拳を握りしめ、アーデルは戦いの構えを取る。
「流石幹部と言うべきか、戦いの意志をそれほど露わにしてくれると、こちらも幾分戦い易い。だが、先の大戦で失われた席のおこぼれを授かっただけのあんたに、俺を倒すことはできない」
その言葉を皮切りに、纏っていた褐色のローブが宙を舞い、ハリーとアーデルが激突した。ほんの一瞬の出来事に、それでもアーデルは視界からハリーを見失うことはなく、その眼にはっきりと焼き付けていた。
「悪くない反応だ。俺のエレメント知っていたとしても、そう簡単に受けられるとは思っていなかったが……」
「そう簡単に、グランパニア傘下国の幹部になれると思うなよ。これでも、いくつもの戦争を潜り抜けてここに立っているのだ」
アーデルは岩を纏った腕でハリーを弾き返すとその掌に魔力を凝集し、岩の砲弾を創りあげる。そして、弾き飛ばされたハリーが着地するとほぼ同時に、その砲弾を凄まじい勢いで投げつけた。
「岩窟砲!!」
蹴球大の岩の塊が地面スレスレを一切触れることなく駆け抜ける。
だが、ハリーは一切表情を変えることなく、掌を前に差し出すと、その砲弾はハリーに届くよりも先に粉々に砕け散り、四方八方へと飛び散った。
戦場の時が止まることはない。刻一刻と戦場の秒針は刻まれ、考える余裕など無く、次の場面が繰り広げられる。
粉々に砕け散った欠片を気にすることもなく、ハリーは自らの掌に風の刃を携え、アーデルへと再び激突した。アーデルは一歩反応が遅れたものの、なんとか岩の大剣を創りあげ、風の刃を受け止めた。
だが、体勢は完全にハリーの優勢だ。上から覆いかぶさるように、ジリジリと岩の大剣を押し込んでいく。
岩の大剣が少しずつ削られ、罅が入り始めたその時、アーデルの腕が一瞬光を帯びると、凄まじい筋力で風の刃を一瞬押し返し、そのまま大剣が消滅したかと思うと、彼の足許に魔法陣が形成される。
自らの危機を感じ取ったハリーは地面を蹴って後退しようとするも、それを追いかけるように、地面から岩の蛇が何体も現れ、ハリーに襲い掛かる。
「逃がしはしない」
何体もの岩蛇がハリーに絡み付き、ハリーの身体を包み込みながら、ハリーを少しずつ締め上げていく。
ミシミシと骨が軋むような音が辺りに響き渡る。このまま絞め殺せば、アーデルの勝利は確実。
そんな思いが彼に油断を与えた訳ではない。それでも、その攻撃で戦いが終わることはなかった。
ハリーを締め上げた蛇たちが接合し、一つの大きな岩の塊となり始めていたその時、その岩を突き破るように竜巻の柱が立ち上がった。
岩は粉々に砕け散り、そこには五体満足の身体を残したハリーが立っていた。
ハリーは唾を飛ばすように鮮血を口から地面に吐き出しながら、たったそれだけの傷だと言わんばかりに直ぐに次の行動に移る。
掌を前に差し出したハリーの背後には、四つの魔法陣が形成され、風の刃が次々と放たれる。
アーデルは決して動きが素早い方ではない。だから、それを動きながら避けるという芸当は彼にはできない。
アーデルは自らの身体に岩の鎧を纏い、ハリーから次々に放たれる風の刃を何とか受け流していく。一撃を喰らうごとに、アーデルの身体は少しずつ後ろに押し戻されるが、ハリーの刃がアーデルの身体を貫通して生身を傷つけることはない。
「これくらいの攻撃で我が鋼の刃を砕けると思うなよ」
身体に魔力を集中させ、更に硬度を上げていく。だが、それが彼の致命的なミスとなった。
魔力を集中させるために、アーデルは一瞬自らの視界からハリーを取りこぼしてしまった。
その一瞬の視線の動きを、ハリーは見逃しはしなかった。
「ああ、こんな子供だましで、あんたの防御を崩せるなんて思ってないさ」
目の前にいた敵の声が、耳元から鼓膜を震わせる。
アーデルがハリーから視線を逸らした瞬間、ハリーは持ち前の速度でアーデルの背後に回りこんだ。その動きに、身体に岩を纏ったアーデルが付いていけるはずもなく、気付いた時にはハリーに背後を取られていたのだ。
「馬鹿な……」
言葉が出ない。思考が追いつかない。自分が生き残る姿が思い浮かばない。
その瞬間、アーデルは死を覚悟した。目の前の敵が、自分よりも強いことを確信した。自らの敗北を悟らなければならない敵の強さに恐怖した。
「人の尊厳を奪い、身分を蔑ろにした自らの行いを悔やみながら……」
強大な魔力を背後から感じる。必死に背後に魔力を集中させるが、速度で目の前の敵に敵うはずがない。
「死んで行け!!」
痛みを感じる暇もなかった。背中に敵の柔肌を感じた瞬間、アーデルの身体は内側から粉々に砕け散った。纏っていた岩も、彼を形作っていた肉と骨も。
鮮血が辺りに飛び散り、部屋の中心に深紅の花が咲く。その中心に立つ男は、その花の柱頭のように、自らの身体を返り血で真っ赤に染めながら、ただ立ち尽くしていた。
「こんなことをしても、虚しいだけだって言うのにな……」
目標を殲滅したにもかかわらず、彼の心を覆い尽くすのは、ぽっかりと心に穴が開いたような虚無感。そうだとわかっていても、彼の復讐は終わることはない。この虚無感すらも、彼にとっては大切なものだから。
「それでも、俺は必ず君を殺したこの世界を、この政治を、終わらせてみせるよ」
その言葉は、もうこの世にいない彼女へと向けられた言葉。それだけが、この男の生きる意味なのだから。
「だから、待っていてね。アリーナ……」
更新が遅れてしまい申し訳ないです。少しだけ言い訳をさせてもらうと、最近新しい企画を立ち上げて、新たな創作活動に取り組んでいます。創作から離れた訳ではないですよ(笑)。そうやって色々なものに触れながら世界を広げて、それがこの作品にも少しずつ昇華できれば嬉しいなと思いながら、今は新しい企画に没頭しております。それでも、ゆっくりとこちらの更新も続けていく所存でございます。更に、去年新人賞に応募していて、一通り審査が終わった作品を今日から少しずつ投稿していこうかなと思っています。そちらの方も、よければ立ち寄っていってください。遅くなりましたが、本編の方に……。中編の最後から繋がっていた今回のお話。リディアが見つけた拠り辺と言うのは、ハリーが造り上げたルブルニアの亡霊『自由の風』です。アカツキを失ったルブルニア軍の生き残りとリディアが手を組み、革命軍を造り上げたのです。こうやって、色々なキャラの関係性がアカツキがいなかった三年間の間に変わってきているので、そういう所にも注目しながら、後編を楽しんでいければと思います。では、次話まで……。