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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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春の芽吹きと共に

 暖炉の中でパチパチと音を発てて、木片が火を揺らめかせて燃えている。少し早足でその前を通りすぎると、火がまるでその背中を追うかのようにその身を傾かせる。

 肩よりも延びる長い黒髪をなびかせる美しい後姿の少女。その容姿端麗な姿からはとても想像できないが、地団駄を踏むように大きな足音を鳴らしながら、目の前に構える扉へと向かって歩いていく。

 そろそろ家を出るはずの時間になるというのに、同居人が起きてこないのだ。


「まったく……。どうしてアカツキはいつも、いつも……」


 無意識に愚痴をこぼしている自分に気がつき、慌てて口を手で抑える。まだまだ若い自分が、小言を漏らすようになっては目も当てられない。そうなってしまっている原因は、今はもういないのだから……。

 だと言うのに、相も変わらずこの家には自堕落な人間がいることに溜め息を吐きながら、少女は扉が軋みそうなほど力強く叩く。


「アカツキ、もう時間だよ。早く起きてきて。もういい大人なんだから、朝くらい自分で起きてよ」


 ドンッ、ドンッ、ドンッと狭い部屋の中に扉を叩く音が響き渡る。同居人を呼ぶ少女の声は少しだけあどけなさを残した中性的な声。

 何度扉を叩いたか数えるのも面倒になった頃、ようやくドアノブがゆっくりと動き出す。扉も同じようにゆっくりと開かれ、中から酷い寝癖が付いたままの頭を掻きながら、眠そうに瞼を半開きにした少年が顔を覗かせる。


「わかった、わかった……。もう起きたから、ドアを叩くのは止めてくれ。頭に響いて仕方ないから」


 「うぅ……」と唸りながら再び頭を掻いたかと思えば、今度は大口を開けてあくびをする。出発の時間が迫っているというのに全く焦ろうとしない同居人に、少女は遂に堪忍袋の緒が切れた。


「いいから早く着替えて準備しろ、この寝坊助」


 その怒声と共に、鋭い蹴りが少年の鳩尾を捉えて、扉の向こう側に吹き飛ばす。その可憐な姿からは想像できない程の鋭い蹴りにより、少年は再び眠りに就きそうになる、永遠の……。


「少しは手加減しろよ……。目覚ましにしては度が過ぎるだろ……」


 寝起きの回っていない頭でも、目の前の少女がすっかり怒ってしまっていることは、はっきりと理解することができた。これで怒っていないと言われれば、それはそれで考え物だが。


「アカツキが直ぐに起きてこないから悪いんじゃない。今日が何の日かわかっているの?」


 そう言われて窓から覗く空を見て、アカツキは「ああ」と嘆息を吐く。


「もうこんな時間だったんだな……。ごめんよ、アカネ」


 その呼び名を止める者はもうどこにもいない。アカネは、アカネとして自らの人生を歩き出していた。もう、もう一人の自分を頼る少女はどこにもいない。


「ほら、もうすぐ出かけるんだから、早く朝ごはん片付けちゃって」


 アカツキは促されるがまま、湯気が立ち込める食器を持ち上げて、口につけながらゆっくりとすする。野菜をふんだんに取り入れたスープが、寝起きの身体に沁みわたる。


「うん、やっぱアカネが作る朝飯はおいしい。当分これを食べられないと思うとちょっと寂しいよ」


 そう言いながらアカツキはアカネに向けて優しい視線を送る。アカネは先程の機嫌取りでやっているのかと怪しむ視線を送りながら小言を漏らす。


「本当に、調子いいんだから……」


 それでも、この少年に優しくそう言われると悪い気はしない。そう思いながらクロガネは少しだけ頬を染める。


「まあ、恋しくなったら言ってくれれば、いつでも作ってあげるわよ」


 アカネがそう言うと、アカツキは本当に嬉しそうに笑みを浮かべて、残りのスープをすする。


「それにしても、本当に女の子っぽくなったよな」


 不意に彼女の後姿を見ていたアカツキがそう漏らすと、アカツキの頬を目掛けて、どこからともなく包丁が飛び交った。


「なっ……」


 包丁はアカツキの右頬を掠めて、小さな切り傷を刻みながら、後ろの壁に突き刺さった。


「どういう意味……??」


 アカネは一切こちらに顔を向けようとはしない。だがその後ろ姿が、表情を見るよりもその感情を物語っていた。


「いや、だって、自分から男みたいな格好して……」


 恐怖に怯えるように、狼狽えながらアカツキは答える。容姿は今までよりも余程女の子らしくなったというのに、性格は真逆の成長を遂げているような気がした。


「昔のこと持ち出すなって言ったよね……」


 スッとこちらを振り返り、何事もなかったかのように笑顔をアカツキに向けるアカネ。だが、その笑顔が逆にアカツキの恐怖心を掻き立てていた。


「いや、今日は大切な日だから、つい昔のことを思い出して……」


 もう言い訳のしようもない。落とし穴に落ちて周囲を敵に囲まれたように、逃げ場などどこにもなかった。だから、言い訳をすることは止めて素直に謝ることにした。


「ごめんなさい」


 その一言でアカネの怖い笑みはスッと鳴りを潜め、仕方ないなと言うように溜め息を吐きながら、手に持っていた包丁を投げ上げてもう一度自分でキャッチする。


「まあ、そう言うことなら仕方ないか。しょうがないから許してあげる」


 そう言って、手に持っていた包丁をしまうアカネを見て、アカツキは安堵の溜め息を吐きながら、額に滲んだ冷や汗を拭った。


「それにしても、あれからもう二年なんだな……」


「出会った時から考えたら、もう三年だよ」


 そう、アランを失ったあの日から、もう二度の冬が訪れていた。アカツキがこちら側に来た時から考えれば、既に三度目の冬が訪れていた。

 アカネの心はそう簡単に治らなかった。アランを失ってから数か月は、まるで赤子のように夜泣きをし、外に出ずに閉じこもったままの生活を送っていた。

 当時はベルツェラの復興も大きな問題だった。自分の兄が壊したということに責任を感じていたのだろう。皆がアカネの責任ではないと擁護したけれど、彼女は聞く耳を持とうとはしなかった。

 それでも、何かやることがあるというのは彼女の心の拠り所だったのかもしれない。何もしないでいれば、嫌でも頭に負の感情が過ってしまう。ならば、倒れるまで必死に働いていた方が、アカネとしてもよかったのかもしれない。

 だが彼女が倒れたのは言うまでもなく、その時はそれなりの騒動になったものだ。

 そして、ベルツェラの街が元通りになるまでおよそ半年の時間を要した。その時には、もう陽の光突き刺すように皮膚を焼く夏が訪れていた。

 レオナや街の人々に救われて、アカネは元気を取り戻した。アランの後姿を探す彼女は、ようやくアランの亡霊から解放された。

 そして、アカネの心が元通りになり掛けたのを見計らって、アカツキは向こう側に帰ることをアカネに伝えた。今のアカネならこちらの世界で、一人でもやっていけると思ったから。

 だが、彼女がそう簡単に引き下がる人間でないことをアカツキはまだわかっていなかった。

 置いて行こうと何度も説得した。だが、アカネはその説得を一度も聞き入れようとはしなかった。

 結局、先に折れたのはアカツキだった。だが、それでも譲れない条件がアカツキにはあった。

 それは一年半の間、アカツキが課す修行について来られたら向こう側に連れて行くという条件だった。

 向こう側はこちらの世界ほど甘くは無い。少しでも気を抜けば容易に命が消し飛ぶ。

 だから、アカネにも自分の身を守れるくらい強くなってもらわなければならない。

 だが、そこは流石と言うべきか、アカネはアカツキが出す課題に一切の弱音を吐くことなく、アカツキの予想を大きく上回る速度で成長していった。

 お陰で、いつの間にか男勝りなほどたくましい性格になってしまい、今のような有り様になってしまっていた。


「今、何か失礼なこと考えていなかった?」


 不意にアカツキに向けて冷たい視線が注がれる。腕っぷしだけでなく、アカツキに対する勘も鋭くなっているような気がする。


「いくら何でも被害妄想だろ。俺がいつでもお前のことを考えているなんて思うなよ」


「そ、そんなこと言ってないしっ!!」


 先程しまったはずの包丁が再びアカツキの頬を掠める。


「雪玉を投げるみたいに、気軽に包丁を投げるなって。どんな照れ隠しだよ」


 アカツキが思わず突っ込んでしまう。アカネと一緒に暮らしていると、ついついアランの面影を感じて、彼とのやり取りをなぞってしまう。


「べ、別に照れ隠しじゃないわよ。そっちこそ自意識過剰なんじゃないの?」


 などと頬を真っ赤に染めながら否定したところで全く説得力はない。けれど、そういう表情ができるようになったことをアカツキは嬉しく思うのだ。


「何よ……」


 アカツキが思わず笑みを零していると、何かを怪しむようにアカネが尋ねる。


「いや……、何でもない」


 アカツキは笑みを崩さないまま首を左右に振る。「ううっ」と唸りながらも、アカツキが答える気が無いことを察したのか、黙ったままこちらをジッと見つめていた。


「さて、そろそろ出発するけど、アカネは準備できてるの?」


「どの口がそんなこと言ってるのよ?私が起こしてあげたって言うのに」


「あれ、そうだった?」


 アカツキは無邪気な笑みを浮かべながら、立ち上がって部屋へと戻っていく。もう、気兼ねなく彼女を弄れる程、二人の仲は深くなっていた。


「あっ、ちゃんとあれ(・・)、忘れずに用意しとけよ」


 アカツキは扉を閉める寸前にそれだけを言い残すと、後ろ手で扉を閉めてその姿をアカネの視界から隠した。


「わかってるわよ……」


 口を尖らせてそう漏らしながら、しかしどこか嬉しそうにアカツキが消えていった扉をジッと見つめるのだった。




「本当に準備は大丈夫か?」


「だから、むしろこっちが聞いてるんだけど?」


「服は持ったか?お金は持ったか?飲み物は持ったか?」


「あんたはお母さんか!?」


「下着は持った?」


「何を聞いてんのよっ!!」


「いてっ」


 少し調子に乗りすぎたアカツキの頭にアカネの平手打ちが命中する。それでも、アカツキは叩かれた後頭部を擦りながら楽しそうな笑みを崩さなかった。

 こうやって女の子とふざけているとリルを思い出す。あまり女の子を意識せずに気兼ねなく話せる相手。アリスはどこか大人の雰囲気を持った女の子だったから、こういうことはできなかった。


「ほら、ふざけてないで行くよ」


「はーい」


 少し頬を膨らませながら先を行くアカネの後を追ってアカツキも歩き出す。

 不意にアカネが立ち止まって、こちらを振り返る。しかし、その視線はアカツキに向けられたものでは無かった。アカツキの後ろに一軒だけ寂しく、しかし毅然と鎮座する二人の、いや三人の住まい。

 アカネとアランが、そしてアカツキが暮らした思い出深い家。

 アカネの視線に釣られて、アカツキも振り返ってその家を視界に収める。そして、ゆっくりと、深々と頭を下げた。


「「今まで、お世話になりました」」


 どれだけの時間頭を下げていたのかわからなくなりそうな程、長く、そして深々と頭を下げた。

 そして、まるで合図でもしたかのように、二人が揃って頭を上げてお互いに視線を交わす。アカネの瞳は少し濡れていて、唇が小刻みに震えていた。


「行こっか」


「ああ」


 けれどアカツキは何も言わずに、彼女の後ろを歩幅を合わせながら歩いていくのだった。





「もう行くのか?」


 すっかり元の姿を取り戻したベルツェラの領主の屋敷。その客間に案内されながらも座らずに待っていた二人の前にレオナが現れた。

 立っていたのは長居する気はなかったからだ。長居すれば、懐かしさに後ろ髪をひかれて出られなくなってしまうから。湿っぽい別れは誰も望んでなどいないのだ。


「はい。もう、随分とこちらに長居してしまいましたから。手に入れるつもりのなかったものをたくさん拾ってしまいましたから」


 もっと早くあちら側に帰るつもりだった。なのに、あれから既に三年の月日が流れてしまった。

 向こう側がどうなっているのか、あれから情報を一つも得ていない。だが、何人もの大切な人をあちらにも残してきている。だから、帰らない訳にはいかないのだ。


「寂しいな」


「大丈夫です。このレツォーネ大陸とガーランド大陸がもう一度繋がれるように、俺が何とかしてみせます」


 不意にアカツキがアカネの方を振り向きながら微笑む。


「そして、必ずアカネを連れて帰ってきます。レオナさんと、アランに会いに……」


 そうして瞼を閉じて、皆の心に深く刻まれた一人の青年を思い浮かべる。


「寂しく何てないですよ。だって、たった少し家を空けるだけですから。だから……」


 ようやく口を開いたアカネが感極まって瞼に涙が溜まっていく。

 そして、手を広げたレオナに向かって勢いよく抱きついた。

 子供のように無邪気に涙を流すアカネを、レオナは優しく抱いて頭を撫でながら、自らも瞳に涙を浮かべていた。

 自分の瞼にも熱を感じたアカツキはこっそりとその場を離れて、二人が抱き合っている光景から目を逸らした。


「それじゃあ、行ってきます」


 長居はしないと決めていた。だから、アカネが落ち着いたのを見計らって、アカツキは別れを切り出した。また泣かれてしまっては止められる自信が無かったから。


「ああ、気を付けてな」


「レオナさんも、お元気で」


 アカネが頭を下げて、この場を離れようとすると、レオナは思い出したように言葉を口にした。


「アランにも会っていくんだろ?」


「はい。もちろん」


「そうか。あいつのことだから寂しがるだろうな」


 レオナのその言葉に、首を振って否定を示したのはアカネだった。


「でも、アランはきっと我慢して笑顔で『清々するよ』とか言って送り出してくれますよ。素直じゃないですから」


「まあ、そうだろうな。それがあいつのいいところでもある」


 三人が同時に吹き出して笑い始める。アランの話題で笑えるようになったのは時間のお陰だろう。何事も時間が解決してくれるとは言わないが、時には任せることも大事なのだと思う。


「それじゃあ、本当にこれでお別れです。アランのことよろしくお願いします」


「ああ、任せておけ」


 そう言ってアカツキとアカネはレオナに深々と頭を下げて、彼女の元から旅立った。




 レオナに別れを告げた二人は、屋敷の裏手にある大きな広場に向かった。

 そこは元々、ベルツェラの領主の先祖が建てた城跡であり、二人がアランを失った場所。

 あの後、ベルツェラの復興の際に遺跡は取り壊され、今は広間の真ん中に大きな墓標が建てられている。


「アランには勿体ない墓だよな……」


 すっかり緑の芝で囲まれたその広場の中心に居座る大きなアランの墓標を眼にしながら、アカツキは思わず呟いてしまう。


「レオナさんの愛だよね……」


 その墓の大きさにはレオナの私情が多分に含まれているような気がするが、正直それは周知の事実過ぎて、誰一人としてそれを言及することはなかった。今も、大量の色鮮やかな花が供えられている。


「まあ、アランは花なんて喜びそうもないし、むしろレオナさんの嫌がらせだったりするのかもしれないけどな」


「アカツキは女心がわかってないなあ」


 アカツキの隣でアカネが深い溜め息を吐きながらそんな言葉を漏らす。


「女はね、自分勝手に尽くしたいものなんだよ。例えそれが、全然ズレた方向に向かっていたとしても」


「アカネ、それ微妙にレオナさんのこと馬鹿にしてるだろ」


「違うよ。それだけ尽くせることを褒めてるんだよ」


「そうは聞こえないけど……」


 アカツキが渋い表情を浮かべながらそう漏らすと、後ろから勢いよくお尻を叩かれて『一言多い』とたしなめられる。

 そんな風にじゃれ合いながら、二人は肩を並べてアランの墓標に向かい合った。


「元気にしてるか?あれから二年経って、俺たちも少しは成長しただろ」


 アランから返事が帰って来ることはない。けれど、きっと彼は笑っているだろう。『どこがだ?』などと冗談めかしながら。


「俺たち、ガーランド大陸に帰ることにするよ。アランと一緒に行けないのは残念だけど、アランに笑われないように、しっかり役目を果たしてくるよ」


「そう言えば、お別れする前にアカネから贈り物があるってさ」


 そう言ってアカツキがアカネの背中を押すと、アカネは背負っていた布袋からヒョウタンのような容器と盃のような大きな器を取りだす。


「ごめんね。思い返してみれば私、アランの大好きなもの何も知らなかった。アランはいつも私のことばかり考えていてくれてたんだって改めて気づいたよ。自分の好きなことも何もしないで」


 少し寂しそうに視線を落としながら、何かを我慢するようにアカネは笑う。


「だからね、自分勝手な贈り物かもしれないけど、私が作ったスープ持ってきたんだ。アランがいつもおいしいって言ってくれたから。お世辞だったかもしれないけど、アランが喜びそうなものがこれくらいしか見つからなくて」


 そう言いながら、ヒョウタンのような容器から、トクトクと盃にスープを注いでいく。


「こんな物しかあげられなくてごめんね。でも、一生懸命作ったから。アランの事を思って、精一杯作ったから。よかったら食べてね。それでいつもみたいに……」


 涙が込み上げてくる。そんな言葉を聞けるはずがないとわかっていながら、それでも言葉にしてしまった。そんなことを言葉にすれば、自分が傷付くことなどわかっていたのに。


「ダメだね、これじゃ……。全然成長できてないよね。こんな、泣き虫のままの私じゃ……」


 そっと、アカツキがアカネの肩を抱き寄せる。

 別に深い意味は無い。けれど、アカネがとても儚く、今にも消えてしまいそうに見えたから、彼女の熱を感じずにはいられなかった。


「アラン……。今俺がここにいるのは、お前のお陰だ。あの時死んでいなくて、あのまま生きていて本当に良かったと思ってるよ」


 アカツキは決して涙は見せない。どれだけ心の奥底から熱が込み上げてこようとも、どれだけ瞼が熱くなろうとも。


「だから、お前の意志は俺が継ぐ。俺がアカネを見守るから。だから、もしそこにいるなら待っててくれよ」


 アカツキの顔に思わず笑みが零れる。自分が言っていることがおかしいことだと理解していながらも、何故だか言葉が止まらない。


「どうせ、お前のことだから、ぐうたらそこで寝てるんだろ。だったら、もう数年くらいそこで寝ててくれよ。そしたら、俺たちが起こしに来るから。だからそれまでは、俺とアカネの帰りをそこで待っててくれ」


 ギュッと、今までより一層力強くアカネを抱き寄せる。抱き寄せたアカネの身体は小刻みに震えており、しかし、その熱はしっかりと伝わってくる。


「アランに笑われないように、胸を張ってここに帰って来られるように、向こう側の世界で精一杯生きてくる」


 わずかに鼻をすすりながら、それでも真っ直ぐ前を向いて。


「三年ぶりの向こうはどうなってるだろうな。みんな、俺のこと覚えていてくれてるかな。俺が実は生きてるって知ったら、みんな驚くかな?」


 言葉を紡いでいなければ、ここにいる理由が無くなってしまう。それを恐れているかのように、無意味な言葉をただ並べてしまう。


「ヨイヤミはまだ怒ってるかな?リルは元気にしててくれてるかな?親父は俺のこと心配しててくれたりするのかな?」


 それでも、別れは嫌でも訪れる。それを最も理解しているのは、他でもない自分自身。だから区切りをつけるように小さく左右に首を振り、もう一度アランの墓標に向き直る。


「じゃあ、俺たちは行くよ」


 湿っぽい別れは、アランには似合わない。だから、無理矢理にでも、その表情に笑みを貼り付けて、気持ちよく別れよう。


「元気でな、アラン」


 『グスッ』と一度だけ鼻をすすり、瞼の涙を袖で拭ったアカネも、アカツキに続くように笑みを浮かべた。


「じゃあね。私たち行ってくるね。私が、アランがいなくても一人で歩けるんだってとこ、しっかり見ていてよ。だって、大人の私を見るのがアランの夢だったんでしょ」


 ニッと不恰好な笑みを浮かべながら、瞼の下を真っ赤に腫らせて。


「だから、私も頑張る。アランが安心できるような、ううん、アランが死んだことを後悔するくらい、立派な大人の女になってやる。だから、待っててね」


 二人はただジッと、アランの墓標を見つめる。あの日からすっかり伸びた二人の髪が、春を乗せてやってくる少し暖かい風に吹かれて靡いている。

 二人の脳裏をアランと過ごした記憶が過っていく。何一つ無駄な時間などなかった。その全てが二人にとって大切な時間だった。もう二度と戻ってはこないけれど、二人の記憶にはアランが今も生き続けている。

 二人はゆっくりとアランの墓標から視線を逸らし、お互いに向き合うと、頷き合いアランのb表に背中を向けた。

 そして新たな旅に向けて、その一歩を踏み出すのだった。




 雪は溶け、顔を覗かせた大地から新たな命が芽吹き始める。

 春は別れと出会いの季節。アカツキが二人と出会い、新たな一歩を踏み出した春。アカネがアランを失い、踏みとどまってしまった春。そして、レオナとアランに別れを告げ、二人が新たな旅へと踏み出した春。

 他人(ひと)との別れは必然で、それと同時に他人との出会いもまた必然なのだ。

 ただ、その別れや出会いを後悔にしてはならない。必然であるならば、それは悔やまれるものではなく、喜ばれるものでなければならない。誰しも通る道が、苦難の道であってはならないのだ。

 だからこそ二人は、これからの出会いに後悔が無いように旅をする。この世界を、他人との全ての出会いが喜ばれるものとなるように。

 もちろん、それは理想論に違いない。けれど、理想論へと向かい死力を尽くすことが、答えの無いこの世界での、生きる道なのだと信じて……。


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