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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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それぞれの思い


「アカ、ツキ……」


 呻くような声音でアカツキの名を呼ぶのは、血液で赤く染めた額を抑えながら、遺跡の物陰から現れたレオナだった。


「レオナさん!!」


 未だ覚束ない足取りでフラフラとよろめきながら、アカツキの元へと歩み寄るが、その手前で支える物を失ったかのように力無く倒れかける。

 アカツキも既にボロボロになった自分の身体を奮い立たせて、何とかレオナの身体を受け止めた。


「済まない……。身体が言うことを聞かないんだ……」


 力無く、喉から漏れ出すような声で申し訳なさそうに告げるレオナ。


「大丈夫ですよ。とにかく、生きていてくれてよかった」


 アカツキは安堵の吐息を漏らしながら、レオナに肩を貸して立ち上がらせる。立ち上がった彼女は何かを探すように辺りを見回し始める。


「アランはどうした?」


 当然、レオナの目が覚めれば尋ねられることは覚悟していた。けれど、いざ本当にそれを聞かれるとどう答えていいのかわからず、アカツキが言い淀んでいると、アカネで抱き抱えられるアランをレオナが先に見つけてしまった。


「アラン……………?」


 疑問符が浮かんだその言葉に、アカツキは何も言葉にすることができなかった。まだ受け入れられない、それでも受け入れるしかない事実がそこに転がっているのだ。

 レオナはアカツキの肩を離れて、動かない脚を無理矢理に引きずりながらアランの元へと向かう。まるで操り人形のように、誰かに動かされるように近づいていく。

 その足取りは、彼に近づけば近づくほど速くなり、最後は倒れ込むようにしてアランの元へと辿り着いた。


「アカネ……、アランは……?」


 未だにアランを抱きしめたまま、小さく震えていたアカネにレオナは尋ねる。どうやらアカネも命に別状はないようで安心はしたものの、心の方は気掛かりで仕方がない。

 レオナの問い掛けに、アカネは何も言葉にしようとはしない。ただ、アランを抱きしめたまま、その場に震えて佇むだけだった。

 そんな姿を見せられれば、レオナも飲み込むしかないのだ、その事実を。

 けれど、人の死はそう簡単に受け入れられるものでは無い。特に、平和で満たされた、人の死とは縁遠いこの世界にいる人々ならばなおさらだろう。

 人の死に馴れてしまったアカツキでさえも、大切な人の死はいつまでたっても馴れないのだ。ならば、人の死に馴れていない彼らからすれば、それはなおのことであろう。

 レオナが絶望したかのように、ストンと膝から崩れ落ちて地面に腰を下ろす。それでも、大人として自分が泣く訳にはいかないと踏みとどまったのだろう。レオナは、アランを抱き抱えるアカネの身体に腕を回し、力強く抱きしめた。

 その瞬間、アカネの中で塞き止めていた何かが、決壊して溢れ出したかのように大声を上げて泣き始める。まるで、無邪気な赤子のように、ただその声と涙が枯れるまで……。


「アラン、見ているか……。お前の生きた証は確かにここにある。お前は、ちゃんと残せたんだ。後悔したことも、絶望したことも確かにあったかもしれない。それでも、それで全てが償われたとは思えないかもしれないけれど、お前が救ったモノは確かにここにある」


 アカツキは空を見上げながら、木々を吹き抜けていく風に乗せて呟く。


「だから、安心して逝け。お前の意志は俺たちが受け継ぐから」


 誰かの手による人の死は決して許されることではない。けれど、彼の死は意味のあるものだったと思えるし、幸せな死であったと思える。

 あちら側の世界では、何の意味もなく、ただ無残で残酷に殺されてしまう人が大勢いる。そんな世界で生まれた彼が、意味を成して死ぬことができた。それは、幸せな人生と言って過言ではないのだろう。

 だから、アカツキは涙を流すことはなかった。大切な人の死に涙を流せないなど非情だと言われるかもしない。けれどアカツキは胸に拳を当てて祈りを捧げるように、ただ空を見上げていた。




 人の死を眼にするのは何年振りだっただろうか。

 あちら側の世界にいた頃はいつも死と隣り合わせで、いくつもの死を目の当たりにしてきたような気がする。

 いつの間にか死に馴れて、それが当たり前のようにそこにあった。

 けれど、本当はそうじゃなかった。自分は恐らく、本当の死というものを理解していなかったのだ。本当に大切な人を、目の前で失ったことなどなかったから。

 確かに人の死は悲しいものだ。けれど、自分の身近な人の死でなければ、その場限りの悲しみでしかないのだ。

 世界で死者のいない日など一日もない。けれど、毎日誰かの死を悔やむ人などこの世にはいない。

 今まで隣にいて当たり前だった人が、目の前で消えていく感覚を自分は知らなかったのだ。

 両親は本当にいなくたってしまったのかどうかもわからない。実際に死を目の当たりにした訳ではない。だから、それは想像でしかなく、現実味を帯びていない。

 それに、あの頃はまだ目の前の現実を受け入れられるほど大人ではなかった。

 今は、現実を受け入れるくらいのことはできるようになった。けれど、現実を受け入れられるからこそ、目の前の大切な人の死を受け入れられなくなってしまったのかもしれない。

 今まで当たり前だった存在が、突然隣から消えてしまう。まるで、先の見えないほど濃い霧の中に突然放り込まれたように、辺りを掻き分けてその存在を探すけれど、影すらも見当たらない。

 いっそのこと、自分もその霧の中に溶けて消えてしまいたい。


「もういいよ……」


 探すことにも、生きることにも、もう疲れてしまった。

 霧の中に身を預けるように背中から大の字に倒れ混むと、次は暗い海の中に溺れていく。

 そのまま水の底へと沈んで、誰にも気づかれないまま消えていく。そうすれば、きっとこれ以上自分は悲しまなくて済む。

 自分勝手な自分にはお似合いの消え方だ。

 悔やまれるのは、自分が消えることで哀しませてしまう人を作ってしまったこと。

 それも、自分勝手な妄想かもしれない。本当に彼らが哀しんでくれる保証なんてどこにもない。

 結局、自分が死ぬことで哀しんでくれる誰かがいて欲しいという、ただの自分勝手な欲求なのだ。

 自分は誰かの中に残ることができる生き方をできたのだろうか。自分がアランの死で感じたことを、自分が死んだら誰かが感じてくれるのだろうか。


「私には、何もないな……」


 自分には何もない。アランのように残せるものなんて何も……。


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」


「えっ?」


 暗い海の底。辺りは何も見えない深淵の闇。けれど、確実に聞こえた誰かの声。


「お前がどれだけこっちに来たいって言ったって、俺が通してやんねえよ」


 いつもと同じふざけた口調。ふざけているのに暖かみのあるその声は胸の奥をざわつかせ、不意に瞼に熱を灯す。


「私も、アランも同じだけ生きた。今の私たちは、あの日、あの場所で産み落とされたんだよ。だったら、アランが死んでいいなら、私だって十分生きたはずじゃない」


 自分の言葉が屁理屈でしかないと、自分が一番理解してしまう。それでも、屁理屈だろうと連れて行って欲しい。彼と共にいられるのならば、怒られたって構わないから。


「何を偉そうなこと言ってんだよ。俺の半分くらいしか生きてないくせして。大体、さっきは快く送り出してくれたじゃねえか」


「そっちこそ、自分が先に逝ったくせに、偉そうなこと言わないでよ。さっきは、最後くらいアランを安心させてあげようって……」


 その姿は見えない。けれど、頭の上に優しく掌を置かれたように、後頭部に柔らかな熱が込み上げてくる。


「じゃあ、安心させたままでいさせてくれ。俺はずっとお前のことを見ているから」


「そんなのずるい……」


「いつまでも俺と一緒って訳にはいかないって、本当はわかってたんだろ。ちょうど、親離れをしなきゃならない時期だったんだよ。ただ、それだけだ」


「こんな時だけ父親ぶらないでよ。いつもいつも、アランは自分勝手なんだ。そうやって、都合の良い時だけ……」


「そうだな。俺は死んでもまだ自分勝手な男だ。俺は死んだって俺のままだ。だから、俺は俺のまま、お前のここに生き続ける」


 今度は胸の辺りに柔らかな熱を感じる。わかっている。これは自分が自分に魅せている幻だ。この熱も、所詮幻でしかないのだ。それでも、その優しい熱に身を任せて……。


「だから、泣くな。哀しいときは、いつでも俺が傍にいる。今まで通り、俺は自分勝手にお前のことを見守っている。だから、前を向いて歩んでいけ。今度は、お前が思うままに、お前の道を……」


「いやだ……」


 こうやって歯向かっている間は、ずっとアランがここにいてくれるような気がした。だから、受け入れたくなかった。どれだけアランの言葉が優しかったとしても、その言葉を受け入れることができなかった。


「じゃあ、アカツキのことはどうするつもりだ?」


「それは……」


「あいつだって、もう大切な友達なんだろ。きっと、あいつはお前のことを待ってるぞ」


「……、アカツキは優しいから……」


「本当にそう思ってんのか?そうじゃないって、お前だって本当はわかってんだろ。あいつは優しいから待っているんじゃない。お前のことを大切に思っているから待っているんだって」


「違う、そんなことない。アカツキは……」


「人の気持ちを勝手に決めつけるな。じゃあ、本人からそう聞いたのか?違うだろ。人の気持ちをお前の都合の良いように書き換えるな」


 鋭い言葉の棘が胸に突き刺さるように痛みを刻んでいく。その痛みは、自分が自分の心に嘘を吐いているから。だからこそ、胸の奥底が痛むのだ。


「怒らないでよ。私は、ただアランと一緒にいたいだけで……」


「だったら、ちゃんとアカツキの気持ちを聞いてこい。ちゃんと戻って、あいつの気持ちを聞いてこい」


「それで、もしダメだったら?」


「その時は、ここに戻ってくればいい。その時は、大人しく受け入れてやるから」


「本当に?」


「本当だ」


 小さな子供が親に甘えるように、アカネは姿の見えないアランに尋ねる。


「約束だよ?」


「約束だ」


 何度も何度も確認するように、二人の繋がりを確かめるように尋ね返す。


「絶対だからね」


「ああ、わかってる」


 最後は呆れたような声音でアランが返事をする。

 アカネが外の世界に心を許した瞬間、暗黒に包まれたアカネの視界の先が、まるで天が割れるように輝き始め、アカネの身体は優しい熱に包まれていく。

 アランは約束してくれた。必ず、この胸の中で見守っていてくれると。

 それは、自分が生み出したただの幻なのかもしれない。けれど、例えそうだったとしても、自分の記憶の中に残るのは、間違いなく彼なのだ。

 自分の記憶に根強く刻み付けられた彼はアラン以外の他の誰でもありはしないのだ。

 だから幻でも構わない。彼のたった一部分でも、子の胸の中に残っているのなら。

 視界は真っ白に包まれ、アカネはゆっくりと瞼を閉じていく。


「またね……」


 光と共にアランの気配が遠ざかっていくのを感じて、アカネは小さくそう呟いた。


「ああ、いつまでも待ってるから、ゆっくり遠回りして来いよ」


 その言葉も、自分が生み出した幻聴かもしれない。けれど、その言葉の中には彼が生きているような気がしてならなかった。自分では、そんな言葉を思いつくはずなんてなかったから。




 瞼を閉じていたアカネの視界がゆっくりと開けていく。その先に広がるのは、先程の暗闇などではなく、緑と青が拡がる現実世界。

 そして、ただジッとこちらを見つめている一人の少年。ボロボロになりながらも、自分のことなど気にも止めないように、こちらを気遣うような視線を送り続けている。


「アカツキ、私がいなくなったら哀しい?」


 これは誘導尋問と同じだ。今の自分にこんなことを聞かれたら「哀しい」と答えるしかない。


「ああ、哀しいよ」


 アカツキならそう答えるに決まっている。だって彼は優しいから。それを解っていて聞いている。だから、恐さなど微塵も感じないのだ。

 そう、自分は彼に甘えているのだ。


「どうして?」


 でも、ここから先はわからない。アカツキが何と答えるのか。

 だからだろうか。その答えを聞くのが怖い。さっきの質問はあんなに簡単に聞けたのに、今は声が震えている。

 アカツキが無言でこちらを眺めている。答えに困るように、ただ唇を噛みしめて。

 こんなことなら聞かなければよかった、そう思いながら、アカツキの答えを遮ろうとしたその時……。


「どうしてって……。アカネは、俺の大切な存在だからだよ」


 そう言われた瞬間、浮き上がっていた心がストンと地面に落ちるように、暴れていた胸の鼓動が鳴りを潜めた。

 甘えているだけだとわかっている。アカツキがそんな気持ちで言った訳じゃないとわかっている。

 けれど、自分勝手な自分はどこまでも自分勝手に解釈して、自分勝手に受け入れる。


「なんだ……。じゃあ、あっちには行けないね」


 彼女の瞼から落ちたその涙と共に、彼女の悲哀は少しだけ癒された。


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