願いと誓い
「アカネもその資質持ちってのは、どうせ知ってんだろ?だったらお前は、アカネも殺すのか?」
それだけが頭の片隅にへばりついて離れなかった。彼の言う通り、自分は殺されても仕方無い人間だ。あの世界の民たちが資質持ちを恨んでいても仕方ないと思えることを、自分を含めた資質持ちたちはやってきた。
彼女に責任はないはずだ。それでも、彼女はその資質に選ばれたのだ。ならば資質持ちを滅ぼすというレイは一体、この決着をどうつけるつもりなのか。
「ああ、殺すさ……」
その言葉はとても冷たく、一切の迷いのない凶器のような言葉だった。まるで何かに憑りつかれたような、彼の意識とは別の場所から吐き出された言葉のような感覚を覚えるほどだった。
だがその言葉は間違いなく彼の口から吐き出され、音となってアランの鼓膜を震わせた。
「正気か……?」
ふ……、と鼻を鳴らすと乾いた笑い声を漏らす。
「ああ、正気だ。俺はアイツを殺す。妹だろうと、あの力を持つ者を根絶やしにすることが、俺が悪魔と交わした契約であり、俺の使命だ」
膝を付いていたレイはゆっくりと立ち上がり、アランと自らの視線を交わらせる。
「それは、アイツだって例外じゃない」
「実の妹を、お前が大切にしていた妹を殺すってのか?」
今までのレイの様子を見ていれば、レイがまだアカネのことを思っていることは想像に難くない。だと言うのに、彼から紡がれた言葉はその気持ちに相反するものだった。
「ああ、あのアカネは殺す」
「あの……、アカネ……?」
「そうだ。資質持ちを根絶やしにすれば、悪魔は俺の願いを何でも叶えてくれると約束した。誰かを生き返らせることも容易いと……」
自分が王の資質を授かった時、自分はそんな契約を交わした覚えはない。だとすれば、本当に王の資質とは違う別の何かだと言うのか。
「お前はそんな絵空事を本当に信じているのか?」
「こんな馬鹿げた力があるんだ。人の命が蘇る力があることを信じない方がどうかしている」
確かにそうだ。自分が今手にしている力は人智を越えた奇跡の力。その力が人を蘇らせることができないなど誰が決めたのだ。
「じゃあ、お前は……」
「そう、俺は今のアカネを殺し、生き返らせる。あの頃の、俺と共に時間を過ごしたアカネを」
レイが言うことが本当なのだとすれば、これは人間だけの話ではなくなっているのかもしれない。
自分たちに力を与えたのは神だと、四天王の一人であるグレイは告げた。
そして、王の資質を持つ者を根絶やしにすると告げた者が自分は悪魔と契約し『神喰い』と名乗った。神を喰らう者、つまり『王の資質』の本質である神を知る者。
そしてそれは神への宣戦布告であり、悪魔という者が本当に存在するのならば、自分たちが計り知れないところで、何かが動き始めている可能性は大いに考えらえる。
だが、そんなこと今はどうでもいいと思えてしまった。
そんな世界の存亡を掛けた巨大な陰謀などよりも、許せないことが目の前にある。
決してそうではないと、論理立てて語ることはできないけれど、唯の感情論に過ぎないけれど、それでも断言できることが今ここにある。
「そんなこと、絶対にさせない。お前に、アカネは絶対に殺させない」
哀しみと、それを覆い尽くすほどの怒りが込み上げてくる。本当は、今考えなければならないことは他にあるのかもしれない。だが、そんなことが一寸も気にならない程に怒りが込み上げる。
「お前は本当にそれでいいのか?もし本当に死んだ人間を生き返らせることができたとして、お前が思うように創り変えたアカネを、お前は本当のアカネだと言えるのか?」
そんなの絶対に間違っている。理由などない、理屈もない、論理もない。けれど絶対に間違っている。
「他でもない、お前が一番感じるはずだ。それがアカネじゃないって。お前はそんな未来を望むつもりなのか」
そう、自分の思うように創り変えてしまった人間が、本物だと誰が言えるだろうか。そんなものはただの偽物でしかなく、それを一番に感じるのは近くにいる自分自身に他ならない。
「お前に何がわかるって言うんだ」
けれど、そんな彼の意志は変わらない。当たり前だ。彼は最初から……。
「そんなことわかってんだよ。アカネがアカネじゃなくなることくらい、俺が一番わかってんだよ」
ずっと考えてきた。自分がやろうとしていることが一体どういうことなのかを。間違っていると思ったことも何度もある。自分がこの力に手を染めたことも、あの日飛び出したアカネを止められなかったことも。
「それでも、そうだったとしても、俺はこの世界の渦に巻き込まれない場所で、アカネと二人でもう一度同じ時間を紡ぎたいんだ」
けれど、何度間違っていると思っても、この願いだけは消えてくれなかった。
「お前が壊したあの頃に戻りたいんだ」
だから、考えることを諦めた。そんなものは、実際に手に入れてから考えればいいと。
「それを……、お前が止める権利なんか、ある訳ないだろうが」
人の願いはそう簡単に変わることはない。変えることができるのなら、それは最初から願いなどではないのだ。もがいて、あがいて、苦しんだ先に手に入れられるモノだからこそ、それは願いと呼べるのだ。
「ああ……、俺にその権利はない。だから、俺はお前の願いを打ち壊すためには戦わない」
彼の人生を壊したのは自分だ。ならば彼の言う通り、それを止める権利はないのだろう。けれど、自分にも護りたいものがある。結果的に行きつく先が同じだったとしても、自分は彼の為ではなく、彼女の為に戦おう。
「だから、俺の誓いの為に戦う。あいつを、今ここにいるアカネを護るために戦う」
アランが仁王立ちをするように構えると、その背後に構える雷の精霊が大ナタを左右に広げて、咆哮を上げた。
炎の壁で囲まれた空間は大きく揺れ動き、魔力の波がまるで津波のようにレイに襲い掛かる。
「ぐっ……。俺は間違えてなどいない。なのにどうして……」
自分は間違ってなどいない。間違っているのは、目の前に立ち塞がる男の方だ。そのはずなのに、目の前の男と自分の力の差をまざまざと見せつけられる。
これまでも、何人もの資質持ちを葬ってきた。生きる為に、使命を果たす為に。
だというのに、目の前の男は優に自分の力を越えていく。刃を交じるまでもなくわかってしまう。目の前の男が自分よりも強いと言うことが。
「俺は、お前に勝てない……」
目の前の男は自分が地獄の中を、反吐を吐きながら必死で生き抜いている間、自分の大切な者を奪って、自堕落に過ごしていたはずだ。
それなのに、どうして自分の力は目の前の男に及ばないのだ。
「戦う意味の違いだろ」
「戦いに意味など存在しない。勝った奴が正義で、負けた奴が悪なだけだ。そんなものに意味を欲して何が変わるというんだ」
結果だけ見れば確かにそうかもしれない。結局戦いは勝ち負けでしかなく、それ以上のものは事実としては残らない。
けれど、事実だけが全てではない。その戦いに臨む思いや、自分を支えてくれる何かは間違いなく存在する。
「変わるさ。俺は護るために戦っている。壊すだけのお前とは、背負っている重さが違うんだ」
レイが奥歯を噛みしめて視線を地面に落とす。そして次の瞬間、何の前触れもなくレイはアランへと突撃した。
予想だにしなかった鍔迫り合いに、アランが押し負けて脚が後ろに一歩下がる。
「いきなりどうした……」
「護るために強くなったさ。そのために力を付けた。お前が言うように、昔はそうだと信じていた」
レイは強くなろうとした。幼い頃、大切な妹を護るために自分の中の感情を押し殺して、強くなろうとした。
「でも、俺は何も護れなかった。その上、お前が言う壊す為に戦う奴に、全てを奪われた」
護るために強くなろうとして、それでも何も護れずに全てを失った。
「それは、俺のことか……?」
なんとか体勢を立て直しながら、アランは力でレイを押し返す。レイは瞳孔を開き、その心の内に秘めた怒りを露わにする。
「ああ、お前もその内の一人だ。だが、お前だけじゃない。資質持ちって奴らは、壊す為だけにその力を振り回して、俺から大切なものを奪っていった」
その怒りは自分だけに向けたものではない。彼の中で積りに積もった思いが、雪崩のように崩れ落ちているのだ。
「何が護るためだ。偉そうに説教垂れやがって。だったら、俺の大切なものを全部返せよ。奪うだけ奪っておいて、今更説教垂れてんじゃねえよ」
剣でもなく、魔法でもなく、彼の拳がアランの頬を捉えた。別に避けられなかった訳ではない。むしろ今までの攻撃の中で、最も正々堂々と撃ち込んできた攻撃だった。
それでも、これだけは避けてはならないと条件反射で避けようとした身体を、釘を打つように地面に留めた。
レイの頬を一筋の涙が零れ落ちていく。それはほんの一瞬のことで、ともすれば見逃してしまいそうな光景だった。
けれど、その涙を見逃すことなんてアランにはできなかった。彼が、これまでどれだけ苦しい思いをしてきたのか、そしてそれを強いてしまったのは自分なのだと、その涙が全てを物語っていた。
けれど、だからこそ、これ以上彼を間違った道に進ませる訳にはいかない。妹の命を、自らの手で奪わせてはならない。
「お前の言う通り、俺にはお前に説教垂れる資格なんてありはしない。でも、お前を止める義務ならある。一人の大人として、子供が間違った道に踏み外さないようにするのは義務だ」
「正しいか、間違っているかなんて関係ない。俺は、俺の願いと使命の為に、お前を殺す」
レイの手の中に再び炎の剣が現れ、彼を取り囲むように彼を模った炎が何体も現れる。
「俺は大切な者を護るためにお前を止める」
雷の精霊共々、アランが臨戦態勢に入る。
炎の化身と、レイ自身から繰り出される攻撃の応酬がアランに襲い掛かる。身体の至る所に斬傷と火傷の痕を残しながら、アランは地面に膝を付くことなく次々と炎の化身の数を減らしていく。
雷と炎の嵐が止めどなく巻き起こり、二人の男の意地と意地がぶつかり合う。
どちらも退けない願いと誓いをその手に抱えながら、互いのものを打ち砕くように自らに与えられた力でぶつかり合う。
だが、そんな魔力の撃ち合いも長くは続かない。やがて、お互いの魔力も枯れ、アランの雷の精霊は最早片腕を残すだけ、そしてレイの炎の化身は遂に最後の一人。
「お前たちは、いつもいつもそうやって……」
炎の化身が地面を蹴り、アランに向かって策もなく特攻する。向かってくる炎の化身に向けて、アランは残された片腕に握られた大ナタを横薙ぎに振り払った。
身体を真っ二つに斬り裂かれた炎の化身は名残惜しそうに、風に吹かれる火の如く儚く消えていった。
そして、それを合図にするかのように、レイは地面に膝を付き、周囲を覆っていた炎の壁は崩れ落ちるように、天井からゆっくりと消え去っていった。
「アランっ!!」
真っ先に飛び込んできたのは大切に思っている少女の声。護り切ると決めた少女の声。
そして、ボロボロになりながらも立っているアランの先に、崩れ落ちるように地面に膝を付いた兄の姿を眼にした少女は、戸惑いの隠せない声音で彼を呼ぶ。
「おにいちゃん……」
レイは決して顔を上げようとはしない。今の自分に、妹と合わせる顔など持ち合わせていないからだ。それでも、妹の声を聴いて気持ちの揺らぎを覚えてしまう自分が確かにいる。
「お前では、俺には勝てない」
厳しく現実を突きつけるように、アランは残された大ナタの切っ先をレイに向けながら告げた。
「アカネは俺が護る。今のお前に、アカネを渡すことはできない」
「どうして……、俺は……」
レイの心は最早折れる寸前だった。木の幹に木皮だけが繋がり、宙ぶらりんにぶら下がっている小枝のような心。
自分は結局、力に淘汰されるだけの人生を送るしかないのだろう。そんな風に自らの人生を悲観していたレイの耳に、心の奥底から何かが湧き上がるような異音がなだれ込む。その異音を確かめるように、レイは一瞬でその先に視線を向ける。
「アランっ!!」
少年の叫び声が鼓膜を震わせると同時に、目の前が真っ赤に染まる。何が起きたのか、その一瞬で理解することは不可能だった。
だが、一つだけわかったことがあった。この瞬間を逃せば、自分はこの先一生後悔するだろうことだけは。
真っ赤に染まり靄が掛かった視界の先に、まるで希望の光を見つけたかのように、レイは手を伸ばした。
伸ばした手の先には生暖かい熱が刻まれ、どこか心がざわつく安堵が自らの心を満たしていた。