炎の壁の内側で
「どうしても退けないんだな?」
最後の確認と言わんばかりにアランがレイに尋ねる。レイはアカネの兄であり、自分が償わなければならない相手だ。戦わなくて済むならそれで終わる話なのだ。
「ああ、俺にも俺の信念と使命がある」
だが、そんな簡単に終わるのならばこんなことにはなっていない。
そう告げたレイの掌が普通の人間のそれではないことに気がついたアランは、顔をしかめてレイに尋ねる。
「悪魔と契約したって言ったな……。どういう意味だ?」
「そのままの意味だ」
まるでそれが当たり前のことであるかのようにレイは告げる。だが、そこにあるのは尋常ではない異形の姿。彼の言葉を理解できないアランは、歪んだ表情が和らぐことはない。
「俺は悪魔と契約した。お前たち偽りの王の力を全て根絶やしにするため、俺は『神喰い(ゴッドイーター)』となった。ただそれだけだ」
「神喰い……?」
聞きなれない言葉にアランの表情はさらに歪みを増す。それは後ろにいたアカツキも同じだった。
「俺はお前たちとは相容れない存在。これから死ぬお前が知るのは、それだけで十分だ」
そう言いながら、砲弾のような大きさの炎の球を掌からアランに向けて放つ。
アランはそれを拳で薙ぎ払うように掻き消し、まだ話は終わっていないというように言葉を続ける。
「つまり、『王の資質』とは別の力ってことか?」
「そんなこと、お前には関係ないし、知る必要がない。それを知ってお前はどうするつもりだ?結局何も変わらないんだろ?」
再びレイが炎の球を放つも、同じように逆の手で掻き消される。
「だったら、教えるだけ時間の無駄だ」
そう言って両手を前にかざすと、これまでの倍の大きさの炎球がアランに襲いかかる。
だが、アランはまるで焦る様子もなく掌を差し出すと、そこから一線の雷を放ち、レイの炎球を突き破ってレイの頬を掠めて赤い線を残し、遺跡の一部を破壊した。
「悪いが死ぬわけにはいかない。俺にはこれからも守らなきゃならない奴がいるんでな」
そう言ってそっと瞼を閉じる。その相手が誰かなんて、今さら口にしなくたってわかる。
「それでも、俺はもう誰の命も奪わないって決めてんだ。だから、お前を殺す気はない」
「立派な信念だな。その言葉を昔のお前にも聞かせてやりたいくらいだ」
頬の傷など気にもならないというように、レイはアランに向けてゆっくりと踏み出す。
「だが、そんな心配をする必要はない」
そう言ってレイが異形の手を天にかざすと、アランまでも取り囲むような巨大な魔法陣が展開される。
「アランっ!!」
それに真っ先に反応したのはアカツキだった。だが、アランはすでに一歩踏み出していたアカツキを手で制する。
「これは俺の戦いだ。だから、アカネのこと、頼んだぞ」
アカツキは踏み出した脚の勢いを殺して、その場に立ち止まる。地面に足が食い込むほどに強く踏みしめた脚を、アカツキは必死に抑え込む。
これは男同士の約束だ。彼の戦いに横槍を入れるのは無粋だし、アカネを置いていくことはできない。
アカツキの葛藤が終わりを告げるよりも早く、レイの魔法陣の縁から炎の壁がせり上がり始め、二人を視界から奪い始める。
そこでようやく、アカネが状況を飲み込んだのか悲鳴にも似た叫び声を上げる。
「アラン!!おにいちゃん!!」
一番辛いのは彼女だろう。一番大切にしてもらった人と、一番大切に思っていた人が殺し合いを演じようというのだ。そんなもの見たくはない。
そんな悲痛の叫びを和らげるように、アランは一瞬だけこちらに視線をやり、笑顔を浮かべて炎の壁の向こうへと消えていった。
「お前がこれ以上誰かを殺すことはない。何故なら、今ここで俺がお前を殺すからだ」
炎の壁は天高くせり上がり、その頂上がどこなのかもわからないほどだ。
「最初は殺されてもいいと思ってたけどな……。殺されても仕方ないことをしたって自覚はある 」
その言葉に嘘偽りはない。それでも、やはりここで自分に課した使命を棄てるわけにはいかないと思った。
彼女の声を聞いて、死ぬよりも大事な償いがあるとそう思えた。
「だけど、お前の妹に生きろって言われたんだ。なら、俺の償いはそこにある」
「そんなの、お前の都合のいいように解釈しているだけだろうが。お前の生きる理由にアカネを使うな」
レイの怒りの言葉がアランの胸へと向けて突き抜ける。だが、その言葉でアランの心が揺れることはない。
「そうかもな……。俺は自分勝手な人間だから、結局アカネを利用しているだけなのかもしれない。だけど、それでいいって約束したんだ。お互い自分勝手なままの自分でいようって」
「黙れっ!!」
異形となったレイの掌は固く握られ、怒りを抑え込むように小刻みに震えている。
「お前がアカネに知ったような口を聞くな。お前が壊さなければ俺たちは……」
そこでレイは言葉を切ると、何かを悟ったように表情の色を消す。震えていた掌は止まり、その視線をアランへと向けた。
「どれだけ言葉を交わそうが何も変わらない。……なら、もう終わりにしよう」
そう言って地面を蹴って自らの背後にある炎の壁に向かって跳ぶと、その身体を炎の中に溶かすように姿を消した。
アランは慌てて辺りを見回すが、レイの姿はどこにもない。
予想外のレイの動きにアランは動揺を隠せない様子で周囲に注意を配る。どこに視線を移してもレイの姿は見つからない。
そんな辺りを必死に探すアランの背後から、突如炎が湧き上がるように人の形を作り、そこからレイが飛び出す。
炎の剣を携えたレイはアランの背中に向けて一直線に接近する。
「ぐっ!!」
なんとか寸でのところでレイの出現に気付いたアランは、雷の槍でレイの炎剣を薙ぎ払う。
攻撃に失敗したレイは、またも炎の壁に飛び込み姿を消す。
先程と同じ様に背後から現れては消え、アランの精神力が着実に削られていく。
「正々堂々戦う気はねえってか……」
レイの戦い方に思わず小言が漏れるアラン。だが、それを真に受けるレイではない。
再び炎の壁に消えたレイを探していると、とある場所から炎が湧き上がる。それに気付いたアランはそこに焦点を合わせて、雷槍を構えてレイが訪れるのを待つ。
だが、そこから現れたのはレイを模った炎であり、レイ自身ではなかった。
「邪魔だっ!!」
偽りのレイをアランが雷槍で薙ぎ払うと、炎は跡形もなく消えるが、それと同時に肩に痛みが走った。
「ぐっ……」
レイの炎剣がアランの肩に突き刺さる。焼けるような痛みに、思わず肩を抑えながら膝を付く。炎の壁からの熱も相まって体温は鰻登りだ。
「すぐに殺しはしない」
そう言いながら剣を引き抜いたレイに向けて、アランは逆の手に携えた雷槍を薙ぎ払った。
だがその攻撃は易々と跳躍によって避けられ、そのまま地面に手を付いたレイの足許には魔法陣が展開する。そこから炎の柱がアランに向けて、凄まじい勢いで次々とせり上がり、アランに襲い掛かる。
脚を踏ん張り受け身を取るようにその火柱から逃れたアランに向けて、先程の偽りのレイが襲い掛かる。
「次から次へと、大層なこった」
アランはそのレイに向けて雷槍を一突きすると、すぐさま次の気配に備える。
炎の壁から次々とレイを模った炎の塊たちが現れ、アランに襲い掛かる。
アランは雷槍をこれ以上なく振り回し、次々に襲い掛かる炎たちをねじ伏せていく。
その全てを薙ぎ払った頃、レイが炎の壁からゆらりとアランの視線の先に姿を現す。
「こちらにいた割には、随分と戦えるんだな。てっきり平和に溺れて、人の殴り方も忘れたかと思っていたが……」
「護らなきゃならない者があるからな」
「まだほざくかっ」
「何度だって言ってやる。俺には大切な奴がいる。護らなければならない奴がいる。だから……」
そう言ってアランが天に掌を翳すと、アランの頭上に魔法陣が展開する。
「精霊たちよ、俺に力を貸してくれ」
空気の流れが一変する。炎だけに包まれていたこの空間に、それとは異質な何かがアランの元に寄り集まっていく。
「猛き雷の精霊、トルトニス」
アランの背後に、二本の大ナタを持った鎧を身に着けた化け物の姿をした雷が現れた。
アランの雷と同じ、露草色の化け物。身体はアランよりも一回り大きく、骸骨のような頭から生える二本の角。
「何だ、それは?」
そしてその化け物を模った雷は、アランの動きと全く同じ動きを取ってみせた。
「こいつは俺の剣だ。何者をも蹴散らす雷の精霊」
レイの表情が小さく歪む。自分が占めていたこの空間の空気が一変したことで、その魔法がどれだけの魔力を誇るのかを測ることは難しい事ではない。
アランがレイに向けて腕を突き出すと、化け物の大ナタがレイに向けて突き立てられる。
「悪いがやられてばっかりいる訳にはいかねえんだ。アイツを、不安にさせちまうからな」
アイツが誰なのか、そんなもの名前を口にされなくたってわかる。
「お前に、アイツを護る資格なんてないんだよ」
怒りに任せて炎剣を両手に携えたレイが、アランに向けて特攻を仕掛ける。
これまでで最も堂々とした攻撃に、アランも真正面から受けて立つ。レイの炎剣と、化け物の大ナタがぶつかる。だが、その攻撃力は誰が見ても明らかだった。
レイの重心がたったの一撃で大きくぶれ、転がるようにしてアランから距離を取る。そんなレイに向けてアランは跳躍して接近し、レイに向けてその腕を振り下ろした。
レイは転がるようにその攻撃を避け、その攻撃の跡に更に表情が歪む。
化け物が大ナタを振り下ろした場所から炎の壁まで、一直線の溝ができている。避けなければ、真っ二つになっていてもおかしくない。
「殺す気はないんじゃなかったのか」
思わずそんな言葉を漏らしてしまい、自分が如何に焦っているのかに気付く。これでは自分の負けを認め、手加減をしろと言っているようなものだ。
「俺の大切な者を傷つけるって言うなら、苦汁を呑むしかないだろ。それしか解決策がないってんなら、俺はアイツの為に自分の信念を折る」
「またアイツの為か!?ふざけるな。お前はただアイツに依存して、何をしてもアイツを理由にすればいいと思っているだけだろ」
それに対してアランは否定しない。自分にも、自覚が無い訳ではないのだ。だが、それが悪いと誰が決めた。誰かのせいにして、誰かの為に生きることが悪い事だと誰が決めた。
誰でもない、お互いがそれを認め合っているのなら、それも一つの生き方ではないのか。
「神喰いとは何だ?お前は、どうして『神喰い』になった?」
レイの拳が固く結ばれる。何と葛藤しているのか、それをアランが理解するとなどできるはずもない。アカネを知っていたとしても、その兄である彼のことは何も知らないのだから。
「神喰いは、お前たち『偽りの王』から、民を救い出すための力だ」
「偽りの王?」
その言葉にアランの表情にも動揺が走る。偽りの王とは一体どういうことなのか。少なくとも、その言葉から良い印象を受けることはない。
「そうだ。お前たち資質持ちは、王の資質を与えられ、その力でこれまで何をしてきた?」
そう言われて、過去の自分が彼を地獄に突き落としたという事実が頭を過る。
「民を巻き込み、他国と戦争をし、自国の民の命も敵国の民の命も関係なく奪っていく」
それは間違えだと、どの口が言えるというのだろう。彼が言っていることは決して間違ってはいない。これまでの歴史が物語っている。資質持ちたちがこれまでに犯してきた罪を。
「お前だけじゃない。資質持ち全員がそうだ。その結果が、グランパニア領のような戦争が絶えない世界を創り上げた」
罪は罪を呼び、更なる災厄が巻き起こる。それは次々に膨らみ、留まることなく人々を飲み込んでいく。
「何が王の資質だ。王に必要なのは人の命を奪う力か?」
何も言い返すことができない。彼が言ったことの全てが、自分が犯してきた罪そのものだった。
「だったら、そんな王はいらない。そんな偽りの王の力は、俺が根絶やしにしてやる。化け物でも構わない。この世界の皆を救えるというのなら」
それが彼の信念。彼もまた誰かの為に戦っている。自分よりも、もっと大きなものを抱えて。
そんな相手に、自分が何を言えるというのか。彼の言葉のどこに、自分が介入する隙があるというのか。
「一つだけ、聞いていいか……?」
反論も弁解も見つからなかったアランは、問掛けと言う選択肢を選んだ。
「アカネもその資質持ちってのは、どうせ知ってんだろ?だったらお前は、アカネも殺すのか?」