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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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独りで踏み出して

「本当にそうかな?」


 暗闇の底に落ち、全ての視界を遮って、もうこれ以上なにも見たくないと自らの殻の中に閉じ籠ろうとしたとき、不意にそんな声が鼓膜を震わせた。

 アカネはゆっくりと瞼を開きながらその声の主を確認する。

 そこに立っていたのは幼い頃の自分。まだ、何の汚れも知らないまっさらな自分。兄のことが大好きで、家族のことが大好きで、何も知らずに走り回っていた、あの頃の自分。


「どういうこと……?」


 自分で自分に問い掛けているようで、とても違和感の拭えない感覚ではあったが、実際にそうなのだから仕方がない。

 これは過去との対話。自分を、世界を見つめ直すための時間の狭間。


「本当にあなたの言うみたいに、不条理で何の救いもない世界なの?」


 幼い自分が問い掛ける。何も知らない純粋無垢な自分が。


「だってそうじゃない。大好きだったおにいちゃんには拒絶されて、私をここまで育ててくれたアランは、私の故郷を壊した張本人だったんだよ」


 これで、これから先誰を信じればいいと言うのだ。誰も信じられない。誰も信じたくない。そう思ってしまう自分が一番醜い。


「本当にそうなの?」


「何がっ!?」


思わず声を荒げて問い返してしまう。焦りが心臓の鼓動を加速させ、自分の余裕を奪っていく。


「自分で言ったじゃない。おにいちゃんは嘘を吐いているって。本当はあなた自身が一番わかってるんでしょ。おにいちゃんはあなたのことを拒絶なんかしてないって」


 アカネの肩が大きく震える。

 目の前の少女が、幼い頃の自分が言うように、本当はわかっているのだ。兄が本心で拒絶している訳ではないということに。

 兄は嘘を吐くのが下手だった。兄はとても素直で嘘が吐けるような性格をしていない。

 嘘を吐こうとすれば、容易に顔に出てしまうし、手や喉などの仕草を見ていれば兄が緊張しているかどうかなんて直ぐにわかってしまう。


「そうだよ。本当はわかってる。でも、その気持ちが嘘だったとしても、おにいちゃんが私に会いたくないと思っているのは本当なんだ」


 これは怒りなのだろうか、悲しみなのだろうか。正体のわからない負の感情が、気持ちを昂らせて言葉を鋭く研ぎ澄ましていく。


「だったら、拒絶していることが嘘だったとしても同じじゃない」


 思わず涙がこぼれ落ちる。幼い頃の自分に対して、何を感情的になっているのだろう。いや、自分だからこそ、嘘を吐いても仕方ないから全てを吐き出せるのかもしれない。


「でも、おにいちゃんが私のことを嫌いになんてなってなくて、それでも私と会いたくないっていうなら、きっとそれは私のことを思ってのことなんじゃないかな?」


 幼い頃の私は、私以上に大人で、こんな感情的になっている私の前でも落ち着いた声音で語り掛けてくる。


「そんなこと、本当はずっと前に気付いてた……。でも、それなら結局、私はずっとおにいちゃんの重荷になっていたってことじゃない」


 そうだ、話している相手が自分だと言うのなら、彼女の言葉もまた、自分自身の言葉なのだ。

 だったら、目の前の少女が語る言葉は全て自分の心の中に仕舞い込んでいたもの。気づかない振りをして、心の奥底に閉じ込めたもの。


「私はそれが嫌だった。おにいちゃんの重荷になりたくなくて、いつも護ってくれるって言いながら、どこか辛そうにしているおにいちゃんを見ていたくなくて、私はあの日飛び出したんだ」


「そうだね」


「なのに、結局今もおにいちゃんの重荷になっているなんて思いたくなくて、だから私は……」


 それなら拒絶されている方がマシだと、自分の心に嘘を吐いた。一番大切だった兄に拒絶されたのなら、死んだ方がマシなのだと。


「じゃあ、一度話を変えよっか」


 いつの間にか、声から少し幼さが抜けたことに気づいて、アカネは俯いていた顔を上げる。

 そこに立っていたのは十年前の自分。死を覚悟して、アランと出会い、こちらの世界に来たばかりの頃の自分。


「アランのことは好き?」


 真っ直ぐな言葉を投げ掛けられて、アカネは思わずどもってしまう。けれど、話をしているのは自分自身なのだ。答えを求めている相手は、結局自分と同じだけその答えを知っている。


「好き……だった」


 迷いが頭の中をぐるぐると渦巻いている。自分の気持ちが自分でもわからなくなってしまった。


「それは、アランが私の故郷を襲ったから?」


 あの頃の自分も、この世界の全てに疑心暗鬼になり、全てを呪って死のうとしていた。あれからもう十年も経って、あの頃の気持ちは思い出せなくなっている。

 あの頃の達観した自分なら、今の気持ちに名前を付けることができるのだろうか。


「…………。だって、壊れ掛けた自分を護ってくれた相手が、実は自分を壊した張本人だって言われたんだよ。そんなの……」


「でも、アランは最初に言っていたはずだよ。自分は今まで、色んな人を殺してきたって。自分の掌は罪に塗れているって」


 あの頃の自分はやはり優しくはない。言葉に刺が隠れているし、あの頃の自分は自分の感情を殺して人に優しくする余裕などなかっただろうから。


「それでもあなたは、ううん、私はその手を取った。結局死ぬのが怖かっただけなのかもしれない。でも、その手を取った時点で、私はアランの罪を受け入れようと思ったんじゃないの?」


 あの頃の自分の言うとおりだった。アランが誰を殺して、誰の人生を奪ったいようと、それでもこの人と一緒に歩いて行きたいと、そう思ってあの日あの手を取ったはずだった。


「なのに、それが実は自分だったってわかったら許せないとでも言うつもり?」


 自分の言葉なのに、グサグサと心に穴を空けるように突き刺さってくる。いや、たぶん違う。心の中に閉じ込めていた言葉や思いが、穴を空けて外へ出ようとしているのだ。


「そんなの自分勝手だよ。私と何も変わってないじゃない。これまで、あなたは何をしてきたの?」


「違う。あの頃の私とは、あなたとは違う。私は変わったんだ。同じ過ちを二度と繰り返さないために」


「じゃあ、今あなたがしようとしていることは、私とは違うって言える?これが、自分勝手な選択じゃないって、あなたは言えるの?」


「そんなのわかんないよ!!」


 アカネは悲鳴を上げるように、もう一人に向かって悲痛な叫びを吐き散らす。


「じゃあ、あなたは答えがわかるって言うの?どうすれば正しいのかがわかるって言うの?ねえ、答えてよ」


 こんなのはただの我が儘で、あの頃に捨てたはずの自分と何も変わらない。そうだとわかっていても、溢れ出す感情は自分でも抑えきれない。


「また、そうやって誰かに頼ろうとするの?」


 再び目の前の少女の、いや、自分の姿が変わっていた。髪を短く切り揃え、口許をマフラーで隠した少年のような姿に。

 そこにいたのは、クロガネとして生きてきた自分。女を捨て、これまでの名前を捨てた自分。


「そうやって誰かに頼るのを止める為に、君は僕を創り出したんじゃないの?」


 声音だけは優しく、けれど逃げ場など与えない隙のない言葉が投げ掛けられる。


「故郷も捨てて、名前も捨てて、女も捨てて。だけど結局、自分自身は捨てられていない。昔と何も変わっていない。本当にそれでいいの?」


「いいわけないじゃない……」


 もう叫ぶことすらできない。絞り出すように、まるで何かに懺悔するように、か細い声で呟くように。

 そんなこと、本当は自分が一番わかっている。だってそれを語り掛けているのは自分自身なのだから。だからこそ、それに気付かない振りをしていた自分自身が憎い。


「私は、ずっと後悔してる。あの日、おにいちゃんを追い掛けられなかったことを。アリスを助けられなかったことを。なのに、自分の性根は全然変わってないことを」


 男の振りをしようとしたのだって、結局自分からの逃げだった。自分が変わったという確かな証拠が欲しくて、だけど見た目だけで中身は何も変わっていなくて。


「だったら変わろうよ。今、ここからでも遅くないんじゃないかな?」


「えっ?」


 突然掛けられたのは救いの言葉。これまでの言葉はどこか、これまでの自分のものだという自覚があったため、すんなりと受け入れていた。だがこの時だけは、アカネの思考が止まり、クロガネである彼女の姿を思わずジッと見つめてしまった。


「確かにアランは、悪い事をしてきた時期もあるのかもしれない。でも、だったら私たちと時間を共にしてきたアランは偽物だったと思う?」


 アカネは勢いよく首を横に振る。そんなことを思ったことなど一度もない。

 自分と出会うまでのアランも本当のアランなのかもしれない。けれど、この十年間を過ごしてきたアランも、紛れもなく本当のアランなのだ。


「本当は、もう答えは出ているんでしょ。だったら、自分の心に素直になって。貴方が信じるものを……、ううん、あなたが信じてきたアランを信じようよ」


 ああ、これは自分の心の声なのだ。本当は最初からわかっていた。これまでのアランに、嘘偽りなどないことを。それまでのアランがどんな人間だったかなんて知らない。それでも、今ここにいるアランは間違いなく、ここまで私を育ててくれたアランなのだから。


「ありがとう……。私また、間違えるところだったよ」


 自分自身に懺悔をするなんて、客観的に見ればおかしな話だ。けれど、今はなんだか晴れ晴れとした気持だった。迷いの靄が掛かっていた心に光が差したような。


「でも、僕とはもうお別れだよ」


「どうして?」


 突然クロガネから別れを告げられる。そもそもクロガネは自分自身だというのに。


「君は僕がいたら、また僕の後ろに隠れちゃうでしょ。だから、僕はここでもうお別れ。これからは、君自身の、アカネという一人の女の子の人生を生きて」


「私の、人生……?」


 これは自分自身の言葉のはずなのに、自分が何を言っているのか判然としない。いや、それを理解してしまうことが怖くて、理解することを拒んでいるだけなのかもしれない。


「そう、君自身の人生。もう、今の君に僕は必要ないんだよ。だって君にはもう信じられる仲間がいるんだから。自分を偽る必要なんてないんだから」


 アランやアカツキ、たった二人だったとしても、この二人は掛け替えのない仲間。自分を本当に思ってくれる人が人生で二人もいれば、きっとそれで十分なのだ。


「私に、出来るかな……」


 もう十年近くも、クロガネというもう一人の自分に頼ってきた。二人で歩んできた道を、突然一人で放り出されるようなものだ。


「自信が無くたっていいんだよ。誰だって最初は自信が無くて当たり前なんだから。だから、これから自信を付けていけばいい。独りで自分の道を歩くための」


 本当にこれは自分の心の声なのだろうか。本当は、自分はこんなにも成長していたのだろうか。ならば、成長した自らの心の声に応えなければならない。


「もう大丈夫かい?」


「うん」


「独りで歩けるかい?」


「うん」


「仲間を信じれるかい?」


「うん」


「後は、よろしく頼んだよ。アカネ」


 アカネの視界は真っ白な光に包まれていく。その光に溶けていくように、クロガネの姿をしたもう一人の自分はゆっくりと消えていった。最後に優しい笑みを残しながら。




 アカネはゆっくりとアランの前に躍り出る。俯いたままのアカネの表情を、レイはうかがい知ることができない。


「何のつもりだ、アカネ?」


 アカネは歯を食い縛って覚悟を決める。だってこれは、兄との対立を意味するのだから。それでも、大切な者を、信じる者を失う訳にはいかないから。


「確かに、アランは私たちの故郷を奪ったかもしれない。それでも、アランは変わったんだ。自分の罪を受け入れて、もう罪を犯さないと決めたんだ」


「だから何だ!?そいつが心を入れ替えようが、俺たちの故郷はもう戻ってこない。こいつが犯した罪は、一生消えないんだ」


「そうだったとしても、やっぱり私はアランを信じたい。お願い、おにいちゃん、アランを許してあげて」


 きっと、兄になら届くはずだ。兄はまだ、自分のことを見捨てていないと信じている。きっと、自分が希えば、兄は身を引いてくれる。


「もう、遅いんだ……」


「えっ?」


 レイの言葉を理解できないアカネは、小さく呟かれたどの言葉に疑問符を投げかける。


「お前が退かなかったとしても、俺はそいつを殺さなければならない。だから、悪いがお前諸共、俺の手で消えてもらう」


 レイの視線が凶器のように鋭く尖る。そこに込められたのは明確な殺意。これまで自分に向けられたどの感情よりも、冷たく心に突き刺さる。

 その恐怖に怯え、アカネが動けないままでいると、暖かな掌がそっと肩の上に乗せられる。


「ありがとな、アカネ。俺はお前が信じてくれるだけで十分だ。他の奴らに何を言われようが、お前がいてくれればそれでいい」


 アランがアカネの前に立ち塞がり、レイの視界からアカネを奪う。


「兄妹で殺し合うなんて、そんなことはさせられねえからな。お前の相手は俺がしてやる。俺とお前の戦いに、アカネを巻き込むな」


 アランの瞳にも再び火が付く。アカネのお陰で、アランの迷いにも光が差していく。


「端からそのつもりだ。そんな雑魚を相手にするつもりなどない」


 どちらも退くことのできない戦いの火蓋が切られようとしていた。


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