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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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救いのない不条理な世界


 アカネとアカツキは先を急いだ。馬貸小屋でもないところで無理矢理馬を借り、三日三晩ほぼ休まずにベルツェラを目指した。

 ベルツェラに到着した時、既に街からは黒い煙が佇んでおり、炎や悲鳴は鳴りを潜め、絶望に打ちひしがれた静かな時間が流れていた。

 アカネはその光景を見て、不意に心に針を突き立てたような痛みに襲われた。どこかで見た光景と重なってしまったから。それでも脚を止めている訳にはいかない。

 そんな静寂を打ち破るような轟音が、屋敷の方から轟いた。二人はすぐにアランはそこにいると確信し、全速力でその場に向かった。

 アカネのこちら側に来たばかりの頃の記憶に刻まれた、過去のベルツェラを収めていた者が建てた城の遺跡。二人はそこを目指して走り抜けた。

 そして、ようやくその場に脚を踏み入れたアカネはアランと相対する男を見て、思わずその脚を止める。

 快晴の空に浮かぶ雲のように透き通った白き髪、目許は仮面で隠しており、幼かった頃の面影はほとんど残っていないが、首から掛けているのは見覚えのある白銀の首飾り。


「おにいちゃん……!?」


 反射的なものだった。意識して言葉にした訳ではない。気付いた時には、口からその言葉が漏れていた。


「はっ……。私、今何て……!?」


 自分でも、自分が何を言ったのか信じられない。

 けれど、確かにそう感じたのだ。はっきりと目の前の男を視界に収めている今ですら、それは変わらない。

 仮面で目許が隠れていたって、数年前と姿形が変わっていたって、彼のことを見間違うはずがない。誰よりも大好きだった、唯一の肉親を……。


「俺はお前の兄などではない。我が名は『シロガネ』。王の資質を根絶やしにするための存在。悪魔と契約せし者」


「「悪魔と契約……?」」


 アカツキとアランはお互いに同じような反応を示した。だが、アカネだけが全く違う反応を示した。


「ううん。間違ってなんかない。おにいちゃんなんでしょ。『シロガネ』って名前だって、私と考えることが同じだもの」


 そう、彼女は自らのことを『クロガネ』と名乗っていた。それは、兄との唯一の繋がりを捨てられなくて名付けた名前。常に自分の腕に巻かれている黒鉄の腕飾り。それは、きっと兄も同じなのだろう。


「私も過去の自分を、弱い自分を、女である自分を捨てたくて、髪を切って、男の子みたいな格好をして、『クロガネ』って名乗って生きてきた」


 あの日諦めてしまった大好きな人が目の前にいる。だというのに、気持ちが全く昂らない。それどころか、目の前の兄の姿に恐怖すらしてしまう。

 感じてしまうのだ、兄が何か善くない者になろうとしていることを。いや、拒絶されたあの日から、彼の歯車が掛け違えて始めたことに気付いていたのだ。


「どうしてここにいるの?あの日、私から離れていったのはおにいちゃんなのに……」


「お前に会うために、俺はここに来た訳ではない。俺はその男を殺す為にここに来た」


 もう兄であることは否定しない。どれだけ否定しようとも、兄妹を騙すことなどできないと悟ったのだろう。


「アランを……?どうして?アランは私を救ってくれたんだよ。そんな人を、どうしておにいちゃんは殺さなくちゃいけないの?」


 なぜこんなにも心がざわつくのだろうか。久しぶりに兄に合えたのだ。もう一生会えないと思っていた兄に合えたのだ。なのに、喜びの気持ちなど微塵も感じることができない。湧き上がってくるのは、背筋を舐め回すような恐怖と怖気。


「お前がその理由を知る必要はない。お前はただ、この争いの無い世界で大人しく生きていれば、それでいいんだ」


 本当はなんとなくわかっていた。家に落ちていた手紙の文字を見た時に勘付いてしまったのだ。


「おかしいよ。おにいちゃん、言ってることが矛盾してる」


 だから、兄がいたことにそこまで動揺しなかったし、無意識に兄のことを考えていたせいで、思わず『おにいちゃん』と口にしてしまったのだろう。


「今、私のその平和な世界を奪おうとしているのはおにいちゃんじゃない。いったい、何を考えてるのよ」


 怒りをぶつけてしまった。久しぶりの再会だというのに。

 昔だったらきっと、泣いて抱きつきたいと思っていたはずだ。今は元気に生きていると、笑って話したいと思っていたはずだ。

 なのに、今湧き上がってくるのは、それとは正反対の感情ばかり。

 仮面の男、いや、アカネの兄『レイ』はゆっくりと白い仮面を外す。そして紛れもない、アカネの兄の顔を曝す。


「久しぶりだな、アカネ」


 兄もすっかり変わっていた。当たり前だ。あれからいったいどれだけの時間が流れたというのだ。

 もうあの頃の二人はどこにもいない。決別したあの日から、渡ることができない深い谷間が二人を分かつように、お互いの居場所に踏み込めなくなってしまった。


「どうしてあの日、おにいちゃんは私を拒絶したの?ねえ、どうして」


 あの日からどうしても聞きたかったこと。本当は、こんな問い詰めるような聞き方なんてしたくない。けれど、どうやって聞けばいいのかわからない。自分の感情がどこに向かって流れているのか、自分でもわからない。


「言ったはずだ。お前の顔などもう二度と見たくないと。それ以上でも、それ以下でもない」


 レイはあの日と同じことを口にする。だけどそれなら……。


「でもおにいちゃん、私を見た時に何も驚かなかった。私がここにいるって知っていて、それでもここに来たんだよね。私を見たくないって言っておきながらどうして?」


 どうして負の感情ばかりが込み上げてくるのだろう。もう、後戻りができない場所まで踏み込んで仕舞っているのだろうか。自ら深みへと脚を踏み入れているような気がしてならない。


「この男を殺す為。そう言ったはずだ。そもそも、お前をこの場所に呼んだ覚えはない。俺がここへ呼んだのは、その男だけだ」


 確かにそうだ。自分は呼ばれてなどいない。あの手紙を見つけて、勝手にここへ踏み込んできたのだ。


「そうだ。どうして俺がここにいるってわかった?俺はお前たちには一言も……」


「手紙を、置いていっただろ」


 不意に割り込んだアランの言葉にアカツキが答える。口を開いたアカツキはとても落ち着き払っていて、如何に彼が戦場に馴れているかを暗に告げる。

 それにしても、慌てていたせいで手紙を放りっぱなししてしまったのは完全に自分の落ち度だと、アランは心の中で頭を抱えていた。これでは、まるで探してくれと言っているようなものではないか。


「私たちがここにいるかどうかなんてどうでもいいの。どうして、おにいちゃんはそんなにアランにこだわるの?」


 アカネの言葉の起伏が激しく感情的で、アカツキも彼女のこんな姿を見るのは初めてなような気がした。相手が家族だからこそ、彼女の裏に隠れた部分が顔を覗かせているのだろうか。


「お前が、それを知る必要はない。俺とこいつの問題だ」


「そんなの嘘よっ!!」


 アカネが叫んだ。その叫び声に、アカツキだけでなくアランすらも驚愕に目を見開いた。ただ、彼女の兄だけがそれでも冷静に彼女を眺め続けていた。


「私がおにいちゃんの嘘を見破れないとでも思っているの?おにいちゃん、自分が嘘つけないこと未だにわかっていないんだ。あの時だって……」


 感情が自分でも抑えられない程の高波を引き起こし、無意識の内に涙が瞼に溜まる。


「それに、私の知らないところでおにいちゃんとアランが会っている訳がないんだ。だから、絶対に私だって関係しているに決まってる」


 産まれてから、兄に拒絶されるまではずっと兄の傍にいた。そして兄に拒絶されてからはずっとアランの傍にいた。どちらかがどちらかと接触すれば、必ず自分が関わってくるはずなのだ。

 けれど二人が接触したところを見たことなど一度もない。ならば、二人だけの問題のはずがないのだ。

 嫌々ながらも、レイから答えが帰って来るのだと思っていた。だが、アカネの問い掛けに答えたのはいつもの勢いもふざけた声音も消え失せたアランだった。


「俺が、お前の世界を壊した……らしいんだ」


「お前っ!!」


 気落ちした重苦しい声音でアランが告げた言葉をレイは慌てて咎める。


「今、何て……?」


 アランはいったい何を言っているのだろう。アランが言う自分の世界とは、いったい何を指し示しているのだろう。


「俺もはっきりとはわからない。お前と出会うまでに、俺はいくつもの罪を犯してきた。だから……」


 それ以上、言葉にすることができなかった。それは自分が彼女の世界を奪ったことを認めてしまうことになるから。そして、それはこの数年間を壊すのに十分な理由だったから。


「どういうこと……、おにいちゃん……?」


 アランと向き合っていたアカネは、呆然とした表情のままレイへと視線を移す。

 初めてレイの表情が歪む。悔しそうで苦しそうな表情は、見ているこちらが痛ましくなるほどだった。


「まあいい……。そこまで知りたいと言うのなら全てを話そう」


 レイは一度視線を落とし、再び視線を戻したときには先程までの平坦な表情に戻っていた。


「アカネ、覚えているか?」


 兄に真っ直ぐな視線を向けられて、アカネは心の奥底から湧き上がってくる言葉に出来ない感情に拳をギュッと握りしめる。


「俺たちの故郷が赤く染まったあの日のことを。俺たちが、家を飛び出したあの日のことを」


 今でも鮮明に思い出せる。十年前のあの日、自分と兄は故郷を飛び出した。

 ただ兄の笑った顔が見たくて、何も知らなかった自分は母親の元を飛び出した。まさかあれが母親の顔を見る最後になるなんて、あの時は微塵も思ってはいなかった。


「覚えているに決まってるでしょ。あんなひどい光景を忘れる訳ないじゃない。なのに、おにいちゃんは今、それと同じことをしようとしているんだよ」


 街の光景が誰の仕業かなど考えなくてもわかる。どうして、あんな辛い思いをしたはずなのに、レイはこんなことができるのだろうか。自分たちと同じ犠牲者を増やして、何の意味があるのだろうか。


「だからだよ」


 一層冷たい声でレイが告げた。その冷たさに、アカネの背筋に怖気が走ったほどだ。


「俺たちの故郷を赤く染めた奴に。俺は同じ景色を見せてやりたかった」


 レイの声が氷柱のように、冷たさと鋭さを増していく。


「復讐何て意味がないなんて、そんな戯言は口にするなよ。俺は自分の憎悪や怨嗟をぶつけたくて復讐をしているんじゃない」


 こちらに言葉を口にすることを許さないとでもいうように、その鋭い声音で高圧的にここにいる者を圧し留める。


「そいつに罪を突きつける為。そいつに罰を与える為。他の誰でもない、俺たちの故郷を焼いたそいつに、自分が何をしたのかを知らしめる為だ」


 レイの言葉を聞いていれば、自ずとその先の言葉が言われなくてもわかってしまう。


「俺たちの故郷を焼いたのは『アラン・エスタレム』その男だ」


 何故か、その言葉はまるで水を飲むように、すんなりと飲み込むことができた。たぶん、既に理解していて、覚悟ができていたのだろう。これだけ前置きをされれば、嫌でもわかってしまうから。

 それでも、そんな事実を突きつけられて、平静を保てるほどアカネは大人になり切れてはいない。

 表情を曇らせ、その表情を隠すように視線を落として俯く。


「アラン……。『ボルタナ』って国に聞き覚えはない?」


 その名を聞いたアランが驚いたように目を見開く。


「あ、ああ……。知っている」


 その先を言葉にしようとしたアランが、思わず口を噤んで立ち止まってしまう。その先はそんな簡単に言葉にしていいものでは無いのだ。


「どうして?」


 これ以上待っても答えが帰って来ないと察したのだろう。アカネが小さな声でアランに尋ねる。その声は小さかったけれど、答えざるを得ないような重みを孕んでいた。


「それは……」


 それでも、まだその事実を言葉に出来ない。これは彼女への裏切りだ。知らなかったでは済まされない。言葉にしなければ、有耶無耶のまま過ぎていくことだってある。


「答えて」


 けれど、彼女はそれを許さない。

 それに、ここで逃げるのは間違っている。自分の罪に向き合うとそう決めた時点で、もう後戻りなどできないのだ。


「その国は、俺が戦争で滅ぼした国の名前。その国の『油田』を得る為に、俺たちは戦争を仕掛け、そして焼き払った」


 言い訳をすれば、戦争は罪ではない。この時はまだ自分は国王として一つの国を支えていた。

 国として、繁栄を望み戦争をすることは決して罪などではなく、敗者が勝者から搾取されるのは当たり前のことだった。

 だから、これも当たり前のことだった。けれど、例えそれが正論だったとしても、アカネの前では口が裂けても、仕方がないだろうとは言えない。

 アカネは無言のまま顔を上げずに立ちすくんでいる。拳がふるふると震えており、自らに潜む何かと必死に戦っているのだろう。

 もし彼女に、罪を償って死んでくれと言われれば喜んで首を切ろう。

 だって彼女は、これまで自分に生きる意味を与えてくれていたのだから。彼女から見放されることは、自分の生きる意味を失い死ぬことと同義だから。


「わかっただろ、アカネ。どうしてこの街がこうなったのか。どうしてこいつが死ななければいけないのか」


 信じたくはなかったけれど、アランがそう言うのなら信じるしかない。それを知って自分はどんな決断を下すのだろう。これは、そんな簡単に許せるような話ではない。


「もういいだろ。後は俺の好きなようにやる。お前はこの場から消え失せろ」


 もう誰も、何も信じられない。救いなどどこにもない不条理な世界。ここには、私への救いはどこにもないのだろうか。

 アカネの心は足元から沼地に沈んでいくように、闇の中へと飲まれていく。



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