過去との邂逅
「うっ……」
アランと仮面の男が会話をしていると、不意にレオナが目を覚まし、身体中の痛みに奥歯を噛みしめ、唸り声を上げる。
「レオナっ!!」
アランはその声を耳にして思わずその名を叫ぶが、少なくともレオナが生きていることに安堵を覚える。
今まで意識を失っていたレオナには目の前にアランがいる状況が理解できない。それでも、今が危険な状況なのを察するのは容易だ。
「アラン、その男は危険だ。お前と同じような……」
「そんなことは知っている。お前は喋らなくていい。直ぐに助けてやるから、黙ってそこで待っていろ」
その忠告は既に街で聞いた。余計なことを口にして、目の前の男の逆鱗にでも触れたら目も当てられない。それならいっそ黙っていてくれた方がいい。
「なかなか冷たい物言いをするんだな。この女はお前のせいで、こうなっているというのに」
「俺のせい……。お前のせいの間違いだろ」
挑発してはいけないと理解していながらも、いつもの癖で思わず言い返してしまう。自分が大人になり切れていない証拠だ。
「どうやら、まだ自分の罪を理解していないようだな」
そう言って仮面の男が右の手の人差し指を立てると、レオナの肩が突然発火する。
「いやああああああ」
肩を炎に炙られて、感覚が麻痺する程の痛みにレオナが悲鳴を上げる。
その悲鳴を耳にして、アランはハッとして自分の言葉を訂正する。
「待て、そうだ俺の責任だ。それを理解していなかったのは謝る。だから、レオナをこれ以上……」
アランの必死さが伝わったのか、仮面の男がパチンと指を鳴らすとレオナの肩の炎が消えていく。
炎が消えてもレオナの息は荒く速く柱から下ろしてやりたいが、恐らく何を言っても目の前の男がレオナを離すことはないだろう。
「俺も嗜虐的な趣味はない。だから、誰に対してもこんなことをしている訳ではない」
突然男が自分語りを始める。焦りたい気持ちは山々だが、ここで焦ってこれ以上彼女を傷つける訳にもいかない。
「お前が犯してきた罪が、お前が逃げ出した罪が、一体何なのかを理解させるために、この場を用意した」
「だろうな……。ここに来るまで、それは十分に味わった。俺が過去にどんな過ちを犯したのかを」
まざまざと見せつけられた。自分の過去に後悔し、嫌悪し、憎悪した。だから、もういいではないか。これ以上誰も傷つけないでくれ。
「ようやく理解したとそう言いたいのか?」
「ああ、そうだ。だから、これ以上あいつを傷つけることは止めてくれ。もう必要ないんだ」
その言葉を合図にするかのように、再び彼女の肩が発火する。彼女の悲痛な悲鳴が、再びアランの耳を焼く。
「止めろ。あいつは関係ないだろ」
自分の罪を理解したのは本当だ。これ以上誰も傷つけないというのなら、ここで殺されても構わないとすら思っている。
だというのに、どうしてこれ以上レオナを傷つける必要があるのだ。
「こんなものでわかったつもりになっているのか?本当にぬるま湯に浸かりきって、脳みそがふやけているらしいな」
この男はまだこれ以上求めるというのか。これ以上何を理解しろと言うのだ。もう、これ以上何も失いたくはないというのに。
「お前はまだ、一番の苦しみを知らない。目の前で、大切な者が奪われる瞬間をお前はまだ知らない」
「何を言って……」
自らの脳が目の前の男の言葉を理解しようとしない。理解してしまえば、それが現実になりそうで……。
「今からこの女をお前の目の前で殺す。これが、俺の復讐だ」
そう言って、レオナに向けて手を翳すと魔法陣が組みあがっていく。
「せめて、痛みを感じないように殺してやろう。恨むなら、罪に塗れたその男を恨め」
「やめろおおおおおおおおおおお」
咄嗟にアランの掌から、一閃の雷が走った。男は魔法陣を途中で放棄し跳躍する。雷は男が座っていた壁を容赦なく破壊した。
アランはそのまま、もう一度掌から雷を放つと、レオナが貼り付けられた柱を根元から破壊した。アランはレオナの元へと飛び乗り、柱が倒れ切る前にレオナを柱から救出する。
大きな釘のようなものを引き抜いた時には、血飛沫が上がり、レオナが悲鳴を上げたがそんなことを気にしている余裕はない。
土煙を上げながら柱が完全に倒れ切る、その前にアランはレオナを抱えて地面へと飛び移った。
「大丈夫か……!?」
胸の中のレオナに呼びかけるが、釘を引き抜いた時の痛みのせいか、どうやら意識を失っているようだった。それでも、息があることに安堵する。
「ほお、お前にもまだ戦う気力があったのか。精神までふやけて戦い方などとうの昔に忘れているかと思っていたが」
そう言いながら男は薄ら笑いを浮かべる。レオナを助け出したくらいで、優劣は変わらないと告げているようだった。
「誰かを護るための強さは、こっちでも必要だからな」
「誰かを護るためか……。どの口でそんな言葉を吐いているのか」
そう、この力はもう奪うためのものでは無い。誰かを護るために、これ以上何も失わない為にこの手に残しておいた力だ。
「お前が言いたいこともわかる。だが、これ以上誰も奪わせはしない」
「俺の言いたいことがわかるだと……。お前に何がわかるというのだ。俺の苦しみの一端でも、お前などにわかられたくはない」
そう言うと彼の背後に魔法陣が組み上げられていく。どうやら向こうは既に臨戦態勢のようだ。
このままレオナを抱えて戦う訳にはいかない。しかし、相手がそんな時間を与えてくれるとは到底思えない。
「その女諸共、焼け死ぬがいい」
男の魔法陣から蛇を模った炎が放たれる。蛇からは炎塵がバチバチと弾ける音を発てて飛び散り、レオナ諸共アランを喰おうと大口を開きながら牙を剥く。
「俺たちを護れ」
アランが手を下から上に振り上げると、眼前の地面に魔法陣が現れ、雷の壁が這い上がるようにアランの視界を覆った。
雷の壁に突如衝撃が走る。炎の蛇が噛み付いているのだろう。
「今のうちに……」
アランは敵の視界から外れたことを確認すると、レオナを壁に隠して臨戦態勢を取る。
雷の壁と炎の蛇は同時に弾け飛び、再びアランの視界に仮面の男が映し出される。
「まあいい。お前の目の前で大切な者を奪うのが目的だが、お前が戦う気があるというのなら、まずはお前を動けなくなるまで痛めつけてやろう。そして、抵抗もできなくなったお前の目の前で、お前の大切な者を奪ってやる」
そう言ってこちらに手を翳すと、再び血のように赤い魔法陣が組み上げられていく。
「何もできなかったあの頃とは違う。今の俺には力がある」
魔法陣は徐々に大きさを増していく。アランもただ黙ってそれを見ている訳ではない。仮面の男の攻撃に対処できるように、自らの魔法陣を組み上げていく。
「あの頃に力があれば、俺の世界が壊れることはなかった」
この魔法陣の大きさが、彼の自分に対する憎悪を物語っている。込められた魔力が周囲に風を生み出し芝生を巻き上げる。
「そうだ。だから力がなかった俺にも責任がある。これは俺の罪であり、お前を殺すことこそ俺の贖罪」
魔法陣は更に色濃く刻まれ、彼の精神力の強さを如実に表す。
「どんだけ強い魔法を使うつもりだ……。下手すれば、この辺り全体が消し飛ぶぞ」
アランは自分から仕掛けられないでいた。先手を取り、先に魔法を放てば相手の魔法陣が大きくなるのを未然に防ぐことはできる。
だが、アランはそれをしなかった。何故なら、自分から戦いを挑む気はなかったから。こちらが先に攻撃してしまえば、それはこちらにも戦いの意志があるということになる
けれど、アランには戦いに意志は一切ない。降りかかる火の粉を振り払うことはできても、相手よりも先に魔法を放つことは、自分の意志が許さなかった。
「それでも構わない。お前を殺せるならば、どんな犠牲も厭わない」
「そうやって殺した先には何も残らない。復讐なんて無意味だ」
アランのその言葉に仮面の男の表情が激変する。怒りで青筋を浮かばせ、眉間に皺が寄り、歯を食い縛ってアランを睨む。
「どの口がそんな言葉をほざく。貴様にそんな言葉を使う権利があると思っているのか。結局貴様は何もわかっていないんだ」
魔法陣がいっそうに輝きを増し、集合した精霊が放たれるのを今か今かと待ち惚けているようだった。
「教えてやる。お前たちのような無能な愚王どもが何を生み出したのか。その身に刻んで死んで行け」
アランが組み上げた魔法陣も決して仮面の男には遅れを取っていない。だが、そこに込められた負の感情は明らかに向こうの方が上だ。
「暗黒の灼熱を持って、全てを灰燼に帰せ。獄炎の猛獣、モロク!!」
深紅の魔法陣からは、怒りに満ちた眼光を滾らせ、渦を巻くようにねじれた角をこちらに向け、大きく開いた口からは血に飢えた巨大な牙を覗かせる獄炎の猛獣が放たれる。
「雷を司りし、可能性の獣。その一角に全てを託し、我が道を切り開け。雷帝の一角獣、ユニコーン!!」
アランの露草色の魔法陣が一気に色味を増して光輝き、そこからまるで一振りの剣のような鋭さを帯びた一角を携えた蒼き雷の獣が放たれる。
絶望の猛獣と、希望の一角獣が衝突し、周囲の壁や柱を無造作に薙ぎ払っていく。
猛獣の周囲の芝生は跡形もなく焼却し、地面ですらも黒く焼け焦げている。一体あの獣はどれだけの熱を帯びているのだろうか。
「精霊よ、俺に力を貸してくれ」
魔法とは、精霊が寄り集まって形を成したもの。数年前に、四天王に坐する男からそう告げられた。魔法の根元を知ることで、昔よりも魔法のイメージをし易く、そして扱い易くなった。
アランは明確なイメージを魔法陣に込める。魔法陣は、云わば精霊への指示。
「この生温い世界で不抜けていたかと思えば、まだこれだけの力を……」
相手にとってもこれは予想外の展開だったのだろう。アカツキとの特訓の日々に心底感謝しなければならない。
それと共に、受け入れがたい事実も突きつけられる。結局、自分たちは争いから逃げ出すことなどできないのだ。この六芒星の印は、争いに縛られた呪いなのだ。
均衡を保っていた二人の魔力が、それぞれの圧力に耐えかねて暴走し、精霊が形を保つことができなくなり、衝撃波となってお互いの魔法が霧散する。
「「くっ……」」
二人は衝撃波に攫われ、お互いが距離を取るように吹き飛ばされる。
遺跡は先程までとはまるで別の場所のように壁や柱を失い、最早遺跡と呼べるかも怪しくなっている。
レオナは何とか無事なようで、アランは安堵の溜め息を小さく漏らしながら、仮面の男を視界に収める。
「これだけの力があって何故、お前はあの世界から逃げ出した?」
相手が話をしようと言うのならそれに乗るしかない。アランには、自分から戦うという選択肢はないのだから。
「お前の言う俺の『罪』に気付いたからだ。これ以上誰も傷つけたくない、誰も失いたくない。それはお前だって例外じゃない。俺はお前を殺す気は微塵もない」
アランの言葉を聞いた仮面の男は一瞬俯き視線を落とすと、徐々に肩を震わせ冷たい笑みを漏らし始める。
「なんだそれは……。ならどうして、お前はその罪に気付いた時に自ら命を絶たなかった。そうすれば、俺がお前を恨むことも、お前が罪の意識を感じることもなかっただろうに」
全てを失ったとき何度も死のうと思った。全てを失い絶望に打ちひしがれ、命を断とうと何度も考えた。
けれど、様々な枷が刃を握る掌を繋ぎとめてしまった。それも今は後悔していない。生きてきてよかったとそう思える。『罪』の意識を捨てたことはないけれど、それでもそれに押し潰されない強さを手に入れた。
「仲間との約束があったから、護るべき者ができたから」
「護るべき者……?それは、あいつのことを言っているのか?」
まただ……。アカネの話になると彼は不自然な程の反応を示す。もしかして彼は……。
「お前はアカネの何を知っている?お前はアカネの何だ?」
『アカネ』という言葉に男の肩が激しく震える。怒りを孕んだ鋭い眼差しがアランを射る。
「お前が軽々しくその名を口にするな。お前がいなければ、あいつはお前に護られる必要も無かったんだ」
「俺は一体お前たちに何をした?教えてくれ。知らなければ、謝りようだってないだろ」
怒りを押し殺すように歯をギリギリと噛みしめ、ようやくの思いで彼は口を開いた。
「そこまで言うなら押してやるよ、俺とあいつがお前に一体何をされたのか。お前は……」
男がその先を言葉にしようとした瞬間、その場所に二つの足音が迷い込んだ。
その足音にアランは慌てて振り返り、その足音の主に視線をやる。そこには、いつもの見慣れた二人が立っていた。
そして、その内の一人の少女の口から、思わぬ言葉が紡がれた。
「おにいちゃん……!?」