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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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逃げ出した罪と罰


 それから三日後、アランはようやくベルツェラに到着する。


「こんなことなら、もっと近くに家を建てときゃよかった」


 馬を駆り、遠目から覗くベルツェラには既に黒い煙が立ち、空がほんのり赤く染まっていた。


「くそっ、間に合ってくれよ……」


 ベルツェラの地が目に入ってから辿り着くまでのその時間すら惜しい。一刻も早く、レオナの無事を、そして民の無事を確認したい。これ以上自分のせいで誰かが傷付くのは耐えられない。

 だが、アランを乗せた馬はベルツェラへ入る直前で突如立ち止まる。悲鳴にも似た鳴き声を上げながら前脚を高く上げ、アランを自らの背中から振り下ろす。


「いてっ」


 振り落とされたアランは臀部から地面に落ちて尻餅をつく。どうやらこれ以上、馬が前に進んでくれることは無さそうだ。


「お前、賢いんだな」


 振り落とされたことは何も咎めず、アランは労うようにして馬の頭を撫でながら褒める。

 アランにも、ビリビリと肌を刺激する威圧的なオーラを感じる。野生を残した動物なら、今のアラン以上にそれを察しているだろう。


「ここまでありがとうな。もう帰っていいぜ」


 そう言って馬の頭を撫でてやると、その言葉を理解したのか、馬は踵を返して元来た方向へと踏み出した。

 これでいい。それが例え動物だったとしても、これ以上誰も巻き込みたくはない。

 馬が帰って行ったのを確認したアランは、すぐさま炎と悲鳴の嵐が巻き起こるベルツェラへと脚を踏み入れる。

 どうやらここでの戦闘は既に終わっているようで、焼け落ちた家屋や傷付いた人々がそこかしこに横たわっている。


「誰も死んでねえだろうな……」


 一人ずつの安否を確認していられるほどの余裕はない。今ここで戦いが起こっている訳ではないのなら、ここは素通りするしかない。

 泣き叫ぶ小さな子供、傷付き助け合う夫婦、焼け落ちた家屋を呆然と眺める青年。それらは過去に自分が見てきた光景。だが、その時の自分は逆の立場だった。


「俺の罪って……、そういうことか」


 そう、自分は傷つける側の人間だった。自分の欲望の為に多くを犠牲にし、そうやって自分が命を奪った者たちのことなど一度も顧みず生きてきた。

 自分が初めて奪われる側になった時に、初めて自分が犯してきた罪に気付いた。そしてガーランド大陸から、これまでの自分の罪から逃げ出し、これ以上は罪を犯さないと誓った。

 けれど、それで許される訳ではない。いくら自分が改心したからと言って、それまで犠牲になってきた者たちが救われる訳でも、報われる訳でもない。

 自らが犯した罪は、彼らの身や心に傷を残して消えぬまま一生残り続けるのだ。

 だが、その罰を受けるのは自分でなければならないはずだ。関係のない者たちを巻き込んでいいはずがない。

 いや、これもまた自らの罰なのだろうか。繋がりを持った者たちが傷つけられ、アランの心に痛みを、傷を与えることこそ、アランへの罰なのだろうか。


「全部、俺が悪いのか……」


 歩みを進める程に足取りが重くなる。傷付いた者たちは皆、なぜ自分たちが襲われたのかも理解できないまま傷つけられた。

 そしてその原因である自分が、傷付く彼らを眼に焼き付けながらも素通りするしかないのだ。そうしなければ、レオナの身が危ういのだ。

 本当は皆の前で土下座をしてでも謝りたい。地面に額を擦りつけて、これは自分のせいだと告白したい。いっそのこと、罵詈雑言を投げかけられた方がどれだけ気持ちが楽だろうか。

 しかし、それは許されない。傷付く彼らを振り切って、アランは最奥の邸宅を目指す。


「レオナっ!!」


 アランは蹴破るように彼女の屋敷の扉を開ける。外の空気もかなり危険な臭いが漂っていたが、ここは比べ物にならない。

 血液の鼻孔を刺すような異臭が立ち込めており、赤い斑点が辺り一面に散りばめられている。

 アランは思わず息を飲み、ゆっくりと辺りを見回しながら先に進む。

 こんな景色を見せられてしまえば、いくらここにレオナの死体が無かったとしても、その覚悟をせざるを得ない。

 独りだろうと口数の多いアランの口が一切開かれない。このどす黒い空気に圧し付けられたように、唇が動こうとすらしない。

 自分の足音がやけに大きく感じ、それ以外の音が一切しないことに今更ながら気がつく。

 この屋敷は普段相当賑やかなはずだ。

 レオナに雇われた明るく礼儀の正しい兵士や給士たち。アランたちとの戦いで改心し、無礼ながらも賑やかな荒くれたち。そして、横柄で猛々しく、しかしどこかか弱いところを持つ領主。

 その誰もがこの場に見当たらず、生活感の欠片もない。あるのは、床や壁に飛び散った鮮血の痕。

 そして鮮血を道標に辿り着いた、とびきり危ない臭いのする部屋へと辿り着く。

 まるで悪魔が口を開けて待っているかのように鎮座する大きな扉。その先にあるのは、アランがよく知る領主の間。

 唾液が喉を通る音を鮮明に捉えながら、アランは扉の取手にゆっくりと自らの手を掛ける。

 そして覚悟を決め一気に扉を解き放った。


「きゃっ……」


 その瞬間飛び込んできたのは、女性の儚げな悲鳴と銀閃の風。扉を開けたアランの目前で剣の切っ先が止まる。


「アラン殿!!」


 驚いたように目を丸くし、慌てて剣を収めるベルツェラの兵士。どうやら、少なからず生きている者たちも残っているようだ。

 しかし、目の前の兵士も無傷という訳ではない。額からは一線の血流があり、横腹辺りにもじわりと赤く染まる部分がある。

 そして、彼の背中越しに部屋の中を確認して絶望する。

 そこには、紛うことなき死体がいくつか並んでいた。どれだけ久しぶりに見ようと、死者と生者には言葉にはできない違いがあるのだ。多くの死者を目にしてきたアランにははっきりとわかる。


「どういうことか説明してくれ……」


 その声は自然と重く苦しい音になる。誰かを失う辛さを、久しぶりに噛み締めて……。


「はい……。見ての通り悲惨な状況です。給士の女性は皆軽い怪我で済んでいますが、戦った者たちは重症、最悪は死者も出ています」


 それは見ればわかる。形式的に遠回りな質問をしたが、知りたいのはそんなことではない。


「そしてレオナ様ですが、屋敷の裏の奥にある遺跡に連れていかれました。あなたを待つと言葉を残して……」


 やはり狙いはレオナだった。そして彼らを巻き込んだのは全て自分の責任だ。自分の罪から逃げて許されたと思い込んでいた自分自身だ。


「正直、どういうことか説明してほしいのはこちらの方です。なぜ、レオナ様が連れ去られ、あなたの名前が出てくるのですか!?」


「くっ……」


 言い訳のしようもない。本当は今ここで土下座をしてでも謝らなければならないのだろう。今ここで斬り殺されても、自分には何も言うことができない。

 それでも……。


「今は説明してる時間がない。説明と謝罪なら後でいくらでもする。その結果、お前たちが俺を恨むというのなら、殺してもらっても構わない」


 これは本音だ。これが自分の過去の罪に対する罰だというのなら、素直に受け入れなければならない。


「だけど今はレオナを助けに行かせてくれ。頼むっ……」


 アランは深々と頭を下げる。どうやら彼は謝罪を求めていた訳ではなく、慌てて頭を振る。


「すみません。こちらも気が動転していて……。敵はアラン殿のような妖術の類いを使います。たぶん、以前一緒におられたアカツキ殿と同じ火を操る妖術かと」


 予想はしていたが、やはり相手は資質持ちのようだ。そうでなければ、この数を相手にできるはずがない。

 相性の悪い地のエレメント持ちでなかっただけまだいい方だ。

 相手が資質持ちだったとしても、最近はアカツキとの修練のお陰でかなり身体が現役の頃に近づいた気がしている。ある程度の資質持ちなら、恐がる必要はない。


「わかった。それがわかっただけでも助かる。お前たちはできるだけ皆を連れて街の外に避難してくれ。街の方もかなりヤバい状況になってるからな」


「わかりました。街の方は我々がなんとか……。レオナ様をよろしくお願いします」


 アランは言葉を口にすることなく力強く首肯すると、急いで踵を返して屋敷の外へと走り出した。もう誰一人失わない為に。




 遺跡に脚を踏み入れるのは久しぶりだった。こちらに来て数ヵ月間彼女の世話になっていたときに、興味本位で何度か脚を踏み入れたことはある。

 元々は昔のベルツェラの領主が建てた城だったらしいが、それもかなり昔の話で、今は原型をほとんど留めていない。

 赤褐色のレンガの壁や柱が点々と残っているだけで、今はそれが城だったとわかるものは誰もいないだろう。


「はぁ……、はぁ……」


 アランは息を切らしてこの場に走り込んできた。


「レオナ……」


 この遺跡で最も高い柱に張り付けられたレオナの姿を見つけて、アランの背筋に悪寒が走る。

 レオナの首は力なくぐったりと項垂れ、少なくとも意識はなさそうだ。どうしても、最悪の結果を考えてしまう。すでに彼女はこの世にいないという、最悪の結果を……。

 彼女の掌には大きな釘のような突き刺されており、柱は赤く染まっていた。

 早く彼女を助けなければと、アランが一歩を踏み出そうとしたその時、アランとレオナの間に割って入るように、壁の上に一人の青年が姿を現した。

 突然の侵入者にアランは踏みとどまる。目の前の青年がこの事件の全ての現況だというのは想像に難くない。

 目元を白い仮面で覆い、彼の素顔を拝むことはできない。けれど、彼から発する凄まじい殺気と魔力が、アランの脳裏に警鐘を鳴らすのだ。


「久しぶりだな、エルセイム国王よ」


 『エルセイム』それはガーランド大陸でアランが治めていた国の名前。アランが捨てた罪の証。

 その者はアランのことを知っている。今のアランが逃げ出して棄ててきた過去のアランを。


「お前は誰だ!?」


 自分は彼のことを知る必要がある。彼も過去の自分が人生を狂わせた一人なら、今この時、この状況を引き起こした張本人だったとしても、アランが償わなければならない罪の一つなのだから。


「そうだろうな……。お前は自分が地獄に落とした相手のことなど何も知らない。そいつの名も、そいつの顔も、そいつの気持ちも」


 そう、過去の自分は何も知らない。だから、今の自分は知る必要があるのだ。それを知り償う責任が。


「そして、ようやく奪われる側になったと思えば、今までのものを全て投げ捨てて、争いのない世界に逃げ込んだ。お前のその自己愛には虫酸が走る」


 彼の言葉は何一つ間違っていない。全くもってその通りだ。だから、アランは言葉を噛み締め、ただ黙ったまま佇んでいる。


「俺と同じように、お前のせいで地獄に落ちた人間が何人いると思っている?それで、その内の一人を救った気になって、全てが許されたとでも思っているのか?」


「その内の一人……?」


 彼はいったい何を言っているんだ。これまでは全ての言葉をすんなりと飲み込めるほど、合点のいくものばかりだった。だが今の言葉だけは喉元で、飲み込むのを拒否するように立ち止まった。


「そう、お前はあいつがどうしてああなったかも知らずに、その手元に置いて、自分の贖罪の生け贄にした」


 その言葉に少しずつ怖気が走り始める。彼の言葉の意味を理解できた訳ではない。けれど、彼の言葉には鋭利な刃物のような鋭さを感じる。それが心臓を突き刺すように、痛みを伴いながらアランに襲い掛かる。


「あいつも、お前が人生を狂わせた一人だというのに」


「あいつって誰だ?お前は何を知っている?」


 本当はもう、わかってしまっている。それでも、認めたくないと拒む自分がいるのだ。まるで脳がその言葉を受け入れるのを拒否するかのように、彼の言葉を飲み込めないでいる。

 どうして今まで一度も考えなかったのだろうか。彼女が、自分の罪が生み出した犠牲者の一人であるということに。

 いや、きっと考えないようにしていたのだ。そうである可能性を捨て去っていたのだ。彼女がそうであると、知らないことをいいことに。


「お前と共にいるあの女は、お前に故郷を奪われて全てを失った。お前に人生を壊された一人なんだよ」


 これは相手のまやかしかもしれない。こちらを動揺させるための嘘偽りなのかもしれない。

 そんな風に自分に言い聞かせても、その暗示は嵐に吹かれるように一瞬で消え去っていく。

 理由など聞かれても言葉にはできない。けれどわかってしまうのだ。彼が言っている言葉が、決して嘘偽りなどではないのだと。


「お前は、あいつの故郷を滅ぼし、自分の贖罪の為に傍に置いた。お前の自己愛が、あいつの人生の全てを狂わせたんだ。だというのに、お前は何も知らない振りをして、あいつに家族ごっこを強要し、あいつを縛り付けている」


 彼の言うことは何も間違っていない。自分は彼女にどうやって謝ればいい。何をすれば、彼女への贖罪になる。自分はいったい、今まで何を……。


「お前がどれだけの悪党で、どれだけの偽善者かわかるか?お前にどれだけ自覚が無かったとしても、お前がやっていることは、卑劣で非常で非道な許されない行為だ。だから俺が、あいつに変わって罰してやる」


 そう、自分はただの悪党だ、偽善者だ。罰せられても、何一つ文句など言えない。


「俺たちの痛みを、俺たちの怒りを、俺たちの苦しみを知り、お前が奪った全ての者に頭を垂れながら死んで行け……」


 これは自らが犯した罪、そして自らが背負わなければならない罰。


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