暗躍する過去の亡霊
「どうしてお前がここに……?」
アカツキはその男を知っている。その羨ましいほど整った顔立ちを全て無駄にするほどに、適当に伸び荒れた髪や髭、そして人を見下すような冷たい表情。
アカツキの封印した過去を掻き乱し、彼の心に大きな傷を残した男『オルタナ』。素性も何も知れない彼は、何故かアカツキのことを知っている。それも、かなり深くまで……。
「理由か……?どうしてだろうね?」
その挑発的な笑みは、思い出したくもない過去の記憶を呼び覚ます。感情は沸き立ち、今にも叫びだしそうになるのをグッと堪えて、アカツキは冷たく突き放すように口を開いた。
「いや、お前がここにいる理由なんてどうでもいい。アランがどこにいるのか知っているのか?」
今は私情を挟んでいる余裕はない。一刻も早くアランの元に辿り着かなければ。
「なんだい、面白くないなぁ……。も少し激情してくれるかと思ったんだけど、宛てが外れたかな?」
オルタナは面白くなさそうに小さな嘆息を漏らしながらアカツキを値踏みするように見る。しかし、その表情はすぐにいつもの薄ら笑いへと戻っていく。
「まあいいや。少しは成長したってことで。だけど、ただで情報が貰えると思っているならそれは考えが甘いよ、アカツキくん」
相変わらず彼の言葉には先の丸まった刺で刺すような、じわじわとした痛みがある。けれど、今は自分の痛みに負けている場合ではない。
「どうすれば教えてくれる?」
アカツキもただ情報を教えて貰えるとは思っていない。交換条件によっては諦めるのもやむ無しだが……。
「違う違う。そうじゃない。相手に交換条件を求めていては相手の思う壺だ。まずは自分が出し得る条件を呈示しないと」
オルタナの薄ら笑いは止まらない。こんなところで、こんな奴と話している暇はないんだ。怒りが焦りがアカツキの精神を激しく揺さぶる。
「だったら……」
アカツキが怒りに任せて一歩前へと踏み出そうとしたその時、クロガネがアカツキの前へと躍り出た。
「あなた、人間じゃない」
「えっ?」
「ん?」
アカツキとオルタナ二人は互いに異なる反応を示す。だが、どちらも彼女の言葉の異図を理解できずにいることは同じだ。
「へえ……。その心は?」
先程の薄ら笑いを裏に隠し、面白そうに笑みを浮かべながらクロガネに尋ねる。
「僕は人間が大嫌いだ。だから、人間から自分を護るために、なんとなく臭いで人間がわかるようになった」
一人称が『僕』に戻っているのはオルタナがいるからだろう。
「だけど、あなたからは人間の臭いがしない。僕の知るどの臭いとも違う。いや、一度だけ似たような臭いをどこかで……」
濃い霧の掛かった記憶から探しだすように、クロガネがアゴに手をあてて考える素振りを始める。しかし、クロガネの答えを待つよりも早く、オルタナが声をあげて笑いだした。
「あはは……。臭いだけで、僕が人間じゃないと断言しちゃうんだ。なかなか面白いね、君」
何がそんなに面白いのだろう。それでも彼はただ笑い続ける。
「断言できるよ。あなたは人間じゃない」
クロガネはジッとオルタナに視線を向ける。まるでその視線に応えるように、オルタナの表情は今までの笑みが嘘だったかのように真顔へと移り変わり、クロガネと視線を交わらせる。
それはアカツキも始めて見るオルタナの表情だった。彼の真面目な表情をアカツキは見たこともなかったのだ。
素直にそれを引き出した隣の少女をすごいと感じた。彼は決して自分の素顔を誰にもさらさないような男だと思っていた。まあ、一度しか会っていないが……。
それでも、一度会っただけでそう思える程、彼が表に出している表情は軽薄で、言葉もまたそれに引けを取らない程だった。
「まあ、僕が何者であるかなんて、今はどうでもいいけど、君のことは気に入ったよ。アカツキ君、君の周りには、本当に面白い子が集まるね」
誰のことを言っているのだろう。オルタナは自分でも気づいていないことを知っているような気がしてならない。自らの心と、そして過去を見透かされているようで……。
「君と同じくよくわからない者に憑かれている少年に、不死鳥に選ばれた少女。でも、この女の子は……、まあそういった意味では凡庸だね」
「どういう意味?」
オルタナの言葉に反応したのは、アカツキではなくクロガネだった。それにしても、クロガネを一発で女の子だと見破ってしまう辺り、やはり洞察力は大したものだ。
「そのままの意味さ。その意味を君たちが理解できるかどうかは別として」
どうにも会話が明後日の方向に向いてきている。このままでは、本当に聞きたいことから離れてしまいそうだ。今は、一刻の猶予も許されないというのに。
「今はそんなことはどうでもいい。それよりも……」
「そうだね。まあ、今回はその女の子に免じて教えてあげることにしよう」
「えっ?」
アカツキが話を進めようと切り出した言葉を遮って、オルタナは今回の交渉を承諾してくれた。もっと多くを要求されると思っていたので、思わず拍子抜けな声を上げてしまった。最早、交渉と呼べるかも怪しいものだったが。
「部屋の机の下に一枚の紙が落ちているよ。それを、読んでみるといい」
そう言われてクロガネが慌てて家の中に戻って机の下を探ると、確かに一枚の紙片が落ちていた。
「その紙には何て書かれてる?」
「お前の過去は許されてなどいない。俺の大切なものを奪ったお前の、大切なものを奪う。お前の罪を、その身に刻み込め」
クロガネはそこに書かれている言葉を淡々と読み上げていく。そこに書かれているのは、紛れもない復讐宣言。だが、アランの過去をアカツキは知らない。
「どういうことだ……?」
「後ろの女の子は、なんとなくわかるんじゃないのかい?アカツキ君ほど、驚いてはいないみたいだし」
気付けばオルタナの表情が再び皮肉めいた笑みへと変わっている。そんなオルタナの言葉に誘われるように見たクロガネの表情は、驚いているというよりも、何かに恐怖し怯えているように見えた。
「はっきりとしたことは知らないし、聞いてもない。でも、アランは沢山の人を殺したって言ってた」
紙片を持つクロガネの手が震えている。彼女の過去を聞いたからこそ、今彼女が抱いている感情の一片くらいなら理解ができる。
「つまり、ガーランド大陸の亡霊がこっちに迷い込んできたんだよ。自らの復讐を果たすためにね」
ニヤリと口角を吊り上げるオルタナ。だが、今は彼のそんな仕草に怒りを覚えている余裕はない。
「どうして、今更……」
そう、クロガネとアランはそういう怨恨から逃げ出す為に、こちらの世界に逃げ込んだ。もちろんそれだけが理由ではないだろうが、それも大きな一つであることは想像に難くない。
「今更?何を寝ぼけたことを言っているんだい」
ハンッ、と見下すように鼻を鳴らして、オルタナはクロガネに言い放つ。
「人間の憎悪や怨恨を時間が解決してくれるとでも思っているのかい?そんな訳ないだろ。罪も怒りも妬みも全て、消えて無くなるなんてことはないのさ。その胸に絡み付いて、縛り上げて、一生痛みを刻み続ける」
そんなことは自分が一番わかっているはずだった。それらを時間が解決してくれるなら、自分が過去に苦しんで、アカツキにその一端を吐き出すなんてことをするはずがない。
それでもそんな言葉が漏れたのは、こちら側の世界に埋もれて、心も身体もぬるま湯に浸かり過ぎてふやけているからに他ならない。
「君たちは本当に面倒だ。復讐なんてしても、何も変わらないというのに、それでもそうしないと、その心が堪えられないって言うんだから」
相変わらずどこか達観したように彼はそんなことを言う。いや、事実達観しているのだろう。
クロガネの言葉通りなら、彼は人ならざる存在。人間よりも上位の存在であったとしても、何ら不思議はない。『王の資質』なんてものが存在するのだから、そんな存在があっても、今更驚きはしない。
「君にだって覚えはあるだろ、アカツキ君?」
殺伐とした空気の中、それでも一人だけ笑みを崩さないオルタナ。もう、その笑みに怒りなど湧きはしない。
「そうだな。俺もそういう心がないなんて口が裂けても言えない。だけど、それだけじゃない。人はそれを乗り越えて、もっと強くなれるんだ」
そう、自分はもう復讐心だけに囚われている訳ではない。それが全て消えたかと言われれば、確かに断言することは出来ない。けれど、もうそれだけではない。
新たな大切な者たちができ、新たな希望が生まれた。人はそうやって強くなれるのだと、自ら実感することができた。
そして今、その大切な者が危険に曝されているのだ。
「だから、人間でもないお前が、何でもわかったように語るな」
アカツキは退魔の刀を出現させて、その切っ先をオルタナに突き立てる。
この前のようにただ言い負かされるだけの自分ではない。確かに目の前の男は何でも知っていて、そして自分よりも自分を知っているのかもしれない。でも、それが全てを知っていることと同意ではない。
「少しは成長したみたいだね。初めからずっと君を見ていた僕としては嬉しいよ」
「初めからずっと……?」
わざわざ『初めからずっと』、と口にしたオルタナにアカツキは違和感を覚える。どういう意味の初めからずっとなんだ。確かに彼は、まだ旅立つ前の自分が行った非道を知っていた。
彼にとってどこからが初めてで、そしてずっととはどこまでを指しているのだろうか。
「じゃあ、君たちが行ってしまう前に、一つだけ答え合わせをしておこうかな」
「答え合わせ?」
彼が何を意図しているのかがわからない。それでも時間は過ぎていく。
オルタナの言葉の意図をアカツキが汲む前に、オルタナは自らの顔の前で掌を右から左へスライドさせると、そこには全く別の顔が現れた。
「お、お前は……」
目の前で何が起こっているのかわからないクロガネはただ呆然と立ち尽くしている。当然だ。そこにあったのは、ガーランド大陸で出会った者の一人だったのだから。
「私のことをちゃんと覚えてくれていたのね。嬉しいわ」
故郷であるルブールを出て、アルバーンでヨイヤミと出会い、初めて『王の資質』の力で戦った。命からがら、何とか勝利を収めた初めての戦争。その時倒したはずの相手が、今目の前にいた。
「そんなはず……。だってお前は……」
現実が思考を追い越していく。頭の中が滅茶苦茶になり、脳が思考することを拒否する。
「王の資質を消して、倒したはずなのに?それとも、ガーランド大陸にいたはずなのに?それとも男なのか女なのか?どっちにしろ、面白くない質問だわ」
そう言って、女になったオルタナは指先から炎を出して見せた。そして、男オルタナと同じように、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「あなたたちが消したのはただの入れ墨よ。だって、私にはそんなもの必要ないもの。それに、あれは出来レース、八百長、まあ何だっていいけど、ただ勝たせてあげただけ。ヨイヤミ君の方は、気付いていたみたいだけど」
確かにヨイヤミは何か違和感を覚えたようなことを言っていた気がする。そんな昔の話の一端をはっきりなど覚えていないけれど。
「それと、男か女かなんて人間の尺度で私を測らないでね」
そう言いながらもう一度、掌で顔を隠すとそこにはいつもの男のオルタナの顔があった。
「僕らに性別なんてものは存在しない。考えるだけ無駄な話だよ」
「本当にお前は何なんだ?どうして俺のことを気に掛ける。旅立ちの時から、いや、旅立ちの前からずっと見てきたって言うのか?」
目の前の存在がわからない。それ以上に、目の前の存在がどうして自分のことを気に掛けるのか、それが一番わからない。
「だからそう言っているじゃないか。僕は一言も嘘は吐いていないし、ありのままを君に伝えている。だから、少しは僕の言うことを信用してくれていいよ」
そう言いながら、これまでで最も大きく口角を吊り上げた。お前のことは何でも知っている、だがお前は俺のことを何も知らないと言わんばかりに。
「じゃあ、答え合わせはひとまず終わり。そんな時間もないだろう?」
確かにそんな時間はない。だが、目の前の存在に聞きたいことがありすぎる。
しかし、自分の心に整理がつくよりも先に、オルタナが言葉を紡ぐ。
「さて、ここで問題です。そこに書いてある大切なものとはなんでしょうか?」
オルタナはクロガネの持つ紙片を指差しながら、まるで遊んでいるかのように尋ねる。
アランの大切なものと言われて真っ先に思い浮かぶのは、その紙を持っているクロガネだ。けれど、彼女は無事であるにも関わらず、アランはここにいない。ならば、一体……。
「レオナさん……」
思考を巡らせるアカツキの隣で、クロガネは震えた声でその名を告げた。
「さあ、どうだろうね?僕は答えなんて知らないからね。後は自分たちで答え合わせをするといい。じゃあ、僕はここらでお暇させてもらうよ」
そう言うとオルタナの足許から突然炎が湧き上がり、身を包むようにしてせり上がっていく。
「じゃあね、アカツキ君。きっと、君も面白いものに出会えるよ」
「待てっ」
アカツキが手を伸ばすよりも早く、その炎はオルタナを包み込む。そして、アカツキが炎に触れた時にはオルタナの姿はそこになく、炎は空気に紛れるように消えていった。
アカツキの掌に熱と痛みを刻み込んで。