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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十四章 交わり合う過去
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動き出した悪意


 自分が伝えたかったことのどれだけを伝えられたのだろうか。自分の過去を誰かに話すのは久しぶりで、既に記憶に靄が掛かっている部分だって少なくはない。

 名前だって何となく伏せて、牢獄で出会った女の子とか怖い軍人さんなどとぼやかせながら話した。

 そこに何の意味があったのかと聞かれると、わからずに口ごもってしまうだろう。けれど、アリスやエリアル、向こう側の人間の名前を口にしたくはなかったのだ。


「クロガネも大変だったんだな」


 クロガネが話している間、アカツキはただ黙ってその言葉に耳を傾けていた。

 陽は少しずつ地平線に向かって沈んでいき、冬の冷たい風が肌をなで熱を奪っていっても、アカツキは何も文句を言わなかった。


「そんなことないよ。あの世界にいたら、当たり前のことだよ」


 たしかにそうなのかもしれない。今が何もなくて平和過ぎるから、クロガネが語ったことを大変だったと思えてしまうのかもしれない。一年前の自分なら、そんなことは当たり前だと切り捨ててしまっているのかもしれない。

 そう考えると、自分もいつの間にかこちら側に染まり始めているのだろう。それも、別に悪いことではないのだけれど。


「アカツキみたいに自分の敵に立ち向かっていった訳じゃない。ただ逃げて、逃げて、逃げて。気がついたら、ここにいただけなんだよ」


 地平線に沈む太陽が、寒空を蜜柑色に染めていく。寒さなんて忘れてしまいそうなほど、暖かな色に。


「別に戦う必要なんてない。それで誰かを失うくらいなら、クロガネみたいに逃げたっていいんだよ」


 こんなの押し問答だ。どちらも間違っているし、どちらも正しい。答えなんて、あるはずがない。だから……。


「だから、間違いなんてどこにもないんだよ。ただそこに、自分が求めた結果があるか、それともないのか、それだけなんだと思う」


 不意に立ち上がったクロガネが地平線の彼方を眺めながら言葉を紡ぐ。


「私だって間違ってなければ正しくもない。でもそれはアカツキだって同じだよ。私は間違った過程を進んだけれど、その結果は正しかった。アカツキは正しい過程を進んだけれど、その結果は間違っていた」


 何となく、クロガネが言いたいことはわかる。お互い何もかもが間違っていた訳でもないし、何もかもが正しかった訳でもない。


「結局、正しい過程があるからって正しい結果がついてくる訳じゃないし、その逆も同じ。だからね、正しさなんて、本当はないんだと思う」


 正しさばかりを求めていた。自分が間違っていたから、そう自分を責め続けていた。けれど、そうじゃない。これはただの結果であって、そこに正誤なんてそもそもありはしない。


「アカツキの言う正しいっていうのは、自分の思い通りにいくってことでしょ。でも、そんなに上手くいかないよ。それにそれは、正しさなんかじゃない」


 そう、世界からしたら、今アカツキが置かれているこの状況こそ正しいのかもしれない。誰かの正しさは誰かの間違いであり、ならば彼女の言う通り正しさなどありはしない。


「だからさ、気にせずに生きていこうよ。正しくなくたっていい。間違たっていい。それでも、自分が思う通りに生きていこうよ」


 クロガネと同じ映え渡った蜜柑色の地平線の彼方を眺めながら、彼女の言葉を噛み締めて。


「クロガネはすごいな……」


 漏れたのは、そんな感嘆の言葉だった。


「へっ?」


 突然誉められたことに動揺したクロガネが、少し間の抜けた声を漏らす。


「今日、クロガネのことを聞けてよかったよ」


「そ、そうでしょ……。わ、私だってたまには良いこと言うんだから」


 この夕暮れの中でも隠しきれないほどクロガネの頬が染まっていく。隠しきれない照れ隠しに、モジモジと指をいじりながら、アカツキから視線を外す。


「ありがとう。クロガネのことを教えてくれて。お陰で、背中を押された気がするよ」


 そんなつもりで聞いた訳ではなかった。ただ、彼女のことをもう少し知りたいと思った。彼女にもう少し踏み込んでみたいと思えた。

 アリスを失って、もう自分の掌には何も残っていないと思っていたけれど、また新しい何かが指先に這い上がろうとうと、向こうから手を伸ばしてきているようだった。


「それなら……、よかったよ……」


 どこか不機嫌そうに、けれど嬉しそうな彼女の横顔は、夕焼けの色に染められてとても綺麗に映えていた。思わず、心臓が高鳴りそうなほど。

 そんな彼女を見る自らの違和感に気付いて、アカツキは思わずクロガネから視線を外す。

 そんなアカツキの行動を、照れ隠しでアカツキから視線を外していたクロガネは知らない。

 二人はただじっと、地平線の彼方に沈む夕焼けを、空が桔梗色に染まるまで眺め続けていた。






「くそっ……」


 クロガネがアカツキを迎えに行っている間、アランを襲撃した矢文に記されていた文章は。


『お前の過去は許されてなどいない。俺の大切なものを奪ったお前の大切なものを奪う。お前の罪を、その身に刻み込め』


 最初はクロガネのことだと思っていた。しかし、あの矢文が届いた後、急いで二人の元へと辿り着いたとき、二人は地平線の彼方を眺めて話し合っていた。

 だから、あの二人のことではない。ならば、考えられる場所は一つ……。

 悪戯かもしれない。本当は何も起こらないのかもしれない。けれど、自らの脳が警鐘を鳴らしているのだ。これはそんな甘いものではないと。

 だが、この文章に嘘偽りがないとすれば、これは自業自得であり自らの責任。彼らを巻き込むわけにはいかない。

 だから、二人には言わずに飛び出した。自分の責任は自分で負うべきだ。それが大人の義務なのだ。

 アランはまずブルネリアへと向かった。

 ブルネリアの馬小屋に息を切らして入ってきたアランに、馬小屋の主だけでなく、馬たちも思わずそちらに視線を向けた。


「はあ……、はあ……、頼む……、馬を貸してくれ」


「なんだい、あんた?いきなり入ってきて……」


 何が何だかわからない主は素っ頓狂な声でアランに尋ねる。それはそうだ、ここは馬小屋であって馬貸し小屋ではないのだ。


「頼む。金はちゃんと払う。だから、この小屋で一番脚の速いやつを……」


 主が口ごもる。どう考えてもただの冷やかしではない。尋常ではないほど額に汗が滲んでおり、呼吸をするのがやっとなほど息を切らしている。

 けれど、ここは馬貸し小屋ではない。例え金を払ったからといって……。


「何の為にだい?」


 けれど目の前の男の姿を見て、助けになってやりたいと思う自分がいた。だがそれだけはどうしても聞かなければならない。

 大切なものを貸す相手を知る義務が主にはある。


「大切な者を、護るため」


 まだ呼吸が整っていないまま、それでもはっきりとアランは主にそう告げた。

 これが悪戯だったら、この主に金を払って何度も地べたに額を擦り付ければいい。それで済むなら安いものだ。

 だが、もし自分の想像が正しければそんなことでは済まない事態に発展する。

 それだけは、避けなければならない。

 そして自分の直感が告げている。これは悪戯などではないと。

 アランの真剣さが伝わったのか、馬小屋の主は一頭の馬の元へと歩み寄る。

 ブルル、と鼻を鳴らす馬の頭を優しく撫で柵を開ける。その馬を柵から出し、手綱を引いてアランの元へと連れていく。


「こいつがうちの中で一番優秀な馬だ。傷つけたりしたら、承知しねえからな」


 そう言ってアランに向けて手綱を差し出す。

 アランはそれを、少しだけ躊躇いながらゆっくりと受け取った。自分の我が儘を聞き入れてくれた主に、少しだけ引け目を感じながら。


「ありがとう……」


 しかし、手綱を受け取ったアランの表情にはもう迷いはなかった。

 そして目指すはベルツェラ。この大陸で、自分に大切なものなど数える程しかない。アカネでなければ、あとはたった一つだ。


「頼むから間に合ってくれよ」


 まだ、太陽が地平線から顔を覗かせた空を臨み、アランはベルツェラへと駆ける。






「帰ろっか」


 太陽は地平線に沈み、空は星々が今か今かと待ち呆けていたように一斉に顔を覗かせる。ようやく自分たちの時間が訪れたことが嬉しいのか、自らを煌々と輝かせている。


「そうだな。すっかり寒くなってきたし」


 冬の夜は肌身に染みる。冷たい風が肌を刺し、指先は感覚を奪われていく。アカネの顔を見ると、頬が少しだけ赤く染まっていた。

 アカツキはクロガネが持ってきてくれた、自分が羽織っていた上着をクロガネの肩に掛ける。


「な、何してるんだよ。それじゃ、アカツキが寒いだろ」


 中途半端な照れ隠しのせいで、クロガネの男っぽさと女っぽさが入り交じっている。頬はさらに紅潮し、その頬の色を星々が逃さず照らしている。


「俺は大丈夫だよ。資質の力のお陰で、寒さは何とでもなるんだ」


 じゃあ、クロガネが出てきた意味は何だったのか、なんて空気を壊すようなことは流石に言わない。

 クロガネは黙ってその上着を受け取り、アカツキの温もりが残った上着に身を包む。


「あったかい……」


 アカツキの温もりを噛み締めながら、ボソッと呟くクロガネ。


「なんか言った?」


「な、何でもない……」


 クロガネは慌てて否定する。アカツキは少し不思議そうに首を傾げたものの、それ以上問い詰めることはなかった。


「アラン、待ちくたびれてるだろうな」


 何とか話を変えたくて、思わず頭に浮かんだアランの名前を出した。そういえば、アカツキを迎えに行ってくると言ってそのままだ。


「すごい話し込んじゃったからな」


 アカツキにあったら直ぐに戻るつもりだったのに、いったいあれから何時間経ってしまったのだろうか。アランもきっとお腹を空かせて待っているだろう。


「だね」


 そう考えると、まるで大きな子供を持ったみたいで、思わず小さな笑みが零れる。

 今日の話の中身にはどちらも触れない。今日聞いたことは、お互いの胸の内にひっそりと忍ばせておこうと思っている。

 どちらの話も蒸し返すようなものではないから。それでも、どちらも話したことを後悔などしていない。

 お互いを知ることができたことへの暖かさと、曝け出してしまったことへのむず痒さが混同して、言葉に表し辛い感情を抱きながら、二人は星々が照らす夜道を肩を並べて歩く。


「今日のご飯、何にしよっか?」


 言葉を交わしていないと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうで、クロガネは必死に話題を見つけてはアカツキに話しかける。


「そうだな……。アランを待たせちゃったし、アランの好きなものでいいんじゃないか」


 アカツキは案外平然としていて、舞いあがっている自分が無性に恥ずかしくなってくる。


「そ、そうだね。そうしよっか」


 どうして自分はこんなにも感情の昂りが抑えられないのだろう。胸の鼓動が高鳴り、よくわからない感情で埋め尽くされていく。星の下、男の子と二人きりという状況も、それを助長させているような気がする。

 それにしても、どうしてアカツキは平然としていられるのだろう。もしかして自分の考え過ぎなのだろうか。それとも、意外とこういう状況に馴れているのだろうか。


「どうかしたか?」


 突然黙ったクロガネの顔を不思議そうに覗き込むアカツキ。

 さっきからどうしてこいつは……。


「何でもないってば。ちょっと黙っただけじゃない」


 こんなことで慌てふためいている自分が憎らしい。別にいつもと何も変わらない。もう一年も一緒にいるのだから、今更何も変わりはしないのだ。

 だと言うのに、どうして今日はこんなにイライラするのだ。昔とは違う、自分が思ったことを言葉にできない腹立たしさに、クロガネは口を噤んでしまう。

 そうこうしている内に、自分たちの家が見えてくる。


「あれ?家の明りが付いてない」


 こんなに辺りが暗くなっているというのに灯りは付いておらず、まるで人気がない。アランは家から出ていないはずなのに何かがおかしい。


「どういうことだ?」


 アカツキも目の前の状況を不審に思い、眼を凝らす。そして、自分たちの家に起こった異変に気付く。


「おいっ、あれ見ろ」


 アカツキに促されて向けた視線の先に、故意に割られた窓ガラスが映り込む。


「アラン……」


 クロガネはそこにいるはずの男の名を口にすると、慌てて家の中へと飛び込む。だが、そこはもぬけの殻になっていた。ここには、誰もいない。

 二人で慌てて部屋中を探し回るが、誰かがいる様子など微塵もなかった。

 しかし、争った形跡もない。異質なのは割られた窓ガラスだけ。


「アランが自ら出ていったってこと……?」


 何がなんだかわからない。部屋は一切荒らされていないが、どう考えても普通の事態ではない。アランが襲われたと考えても何も不思議はない。


「それか、異変に気付いたアランが飛び出していったか……」


 どれだけ考えたところで、残された状況証拠だけでは何もわからない。

 しかし、宛てもなく彼を探しに行ったとしても……。


「彼がどこにいったのか知りたいかい?」


 そんなクロガネの鼓膜を歪に震わせたのは、聞き覚えのない軽薄な声音。

 だが、アカツキには様々な負の感情が突として湧き上がり、振り返ることすらも躊躇われる声音。


「どうしてお前がここに……」


 そこに立っていたのは、ガーランド大陸で出会った、思い出したくもないあの男……。


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