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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十三章 王無き世界
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旅立ちは、海原へと


「いやぁ、いい出港日和になったね」


 水平線にギラギラと照りつき、陽炎を生み出す太陽を見上げながら、グレイは眩しそうに手で庇を作る。

 そもそも、こちらは季節もなければほとんど雨も降らないので、こういう日にならない方が珍しい。


「それにしても、すげえな……。こんなもんが海の上に浮いてんのかよ」


 グレイの言葉などまるで耳に入っていないように、アランは目の前の巨大な船に目を奪われて、感嘆の声を上げる。


「普通は見たことないだろうね。ここにしかない技術だし」


 先日グレイからも聞いていたが、この世界で大陸間を移動できる手段を持っているのは、このレガリアだけだ。

 だからグランパニアには、船という存在を知る者など一人もいない。

 もちろん、船を軍事技術に転用することは容易だが、グレイがそれを容認するはずもなく、造船技術はレガリアの、しかもほんの一部だけが知る隠された技術だったりする。


「おう、グレイの旦那!話は聞いてるぜ」


 アランが船に見蕩れて呆然としていると、船の方から一人の恰幅のいい男が、大きな腹を揺らしながら歩いてくる。


「やあ船長。いつも我が儘を聞いてもらって悪いね」


「おう、気にすんな。旦那がいなきゃ俺たちは何もできやしねえんだから」


 親しげに挨拶をするグレイに、船長も国王を相手に話しているとは思えない言葉遣いで挨拶を返す。

 この親しみ易さも、彼がこの平和な国を創りあげた大きな要因なのだろうと思う。

 国を納める王と、国を動かす民の距離が近いからこそ、お互いの考えが伝わりやすく、多くの言葉を現実に落とした国が創りあげられていく。


「それで、向こう側に連れてくのはこの二人か?」


 船長の視線がこちらに向けられる。太い眉と、噴き出したように盛り上がった口髭が、彼の表情を厳つく象っている。

 視線を向けられた瞬間、小さな悲鳴を上げてアランの後ろに隠れたアカネを横目に、アランも少しだけ引きつった表情を隠しながら船長に挨拶する。


「ああ、よろしく頼む」


 そんな緊張が隠しきれないアランに対して、大柄な笑い声と共に肩をボンボン叩いて挨拶を返してくる。


「色々大変だったらしいが、心機一転、人生をやり直すのも悪くねえ」


 グレイがどこまで話しているのかは知らないが、それでも自分達に気を遣ってくれているのだろう。


「まあ、俺は何も知らねえがな。がはは……」


 どうやらそんなこともなかったらしい。さっきの感動はどうすれば……。

 それでもこんな適当さが今はありがたい。これでも、未知の世界へと足を踏み入れることに、少なからず緊張しているのだ。


「船に乗っている間はしっかり船員として働いてくれよ。タダで客を乗せてやるほど、こっちもお人好しじゃあないんでな」


 そう言ってもう一度肩を叩くと、アランに背を向けて船の方へと去っていく。


「面白い人だろ。独特の空気感というか、自分のペースに人を巻き込むというか……」


 そんな船長の大きなことは背中を微笑ましそうに眺めながら、グレイはアランに肩を並べる。


「何て言うか……、勢いで何でも押し切りそうだな」


「それも商売では大事なことだよ。彼の勢いに助けられたことだって少なくないさ」


 船長の背中を眺めていると、通りすがりの船員たちの肩をアランと同じように強く叩いて、下手をすれば態勢を崩す人もいるほどだった。

 しかし、誰一人としてそれに文句を言うことはなく、船長と向かい合う船員たちは、皆船長に笑顔を向けていた。


「彼は本当に慕われている。商売だけじゃない。国として、王として、彼から学ばなければならないことはたくさんあるんだ」


 王だから一番偉く、そして国民の誰よりも物事を知っている訳ではない。

 王だって間違えることもあるし、王だって学ぶこともある。アランはそれを、いつしか見失っていたのかもしれない。

 それでも、今はしっかりと理解できている。これから先、同じ過ちを繰り返さないように。


「そういえば、一つだけ思ったことがあるんだ」


 海を臨みながら、アランはグレイに向けて語り掛ける。


「なんだい?」


 グレイの問い返す声は優しく、まるでこれからアランが何を口にしようとしているのか、分かっているようで……。


「平和って何なのかって、俺がレガリアに入ったときに、あんた聞いたよな」


「ああ」


 こんなことを堂々と口にするのは恥ずかしい。


「まあ、俺なりに色々と考えてみたんだけどよ」


 だから照れ隠しに頬を掻きながら、グレイから視線を外して言葉を口にした。


「平和ってのは、探し求められる環境なんじゃねえのか」


 そんなアランの言葉に驚いた様子も、がっかりした様子も見せることなく、淡々とけれど優しい声音で問い返す。


「へえ、その心は?」


 こういうことを言うのは、自分の心の中を覗かれているみたいで少し恥ずかしいけれど、それでも答えなければならない気がする。


「人は何が平和なのか、それを探し求めるからこそ生き続けていける」


 自分は争いの世界で必死に生きる意味を探していた。


「その答えが見つかっちまったら、人は考えることを止めるだろ」


 正確に言えば、生きる意味など考える必要はなかったのだ。争うことが、自らの生きる意味だったから。


「考えることを止めた人間なんて、死んでいるのと何も変わらねえ。死んでいることを、平和だとは誰も思わないだろ」


 だからあの日、アランは脱け殻のように、魂が抜けてしまった。まるで、死者であるかのように。


「自分が生きる意味を探し求めることを止めたから、あのときの俺は死んでいたんだ」


 それはきっと誰しもがそうで、答えを探し求めることこそ、人が生きる意味なのだと。


「答えがないからこそ、人は生きていける。人間の本質は無い物ねだりなんだよ、きっと……」


 それが、アランが出した答え。アランが見つけた平和の意味。そして、人が生きる意味。


「確かに争いがないことは平和なんだと思う。だけど、それが全てじゃない」


 争いがなくとも、平和を感じられない者はいる。それは欠けているのだ。人間の本質が。だからこそ……。


「常に何かを探し求められる環境こそ、平和ってことなんじゃないのか」


「君は良いことを言う」


 初めてグレイに誉められた気がして、思わず口許が緩んでしまう。


「だろ」


 けれど、喜んでいいのだ。だって、この世界に四人しかいない、最強と謳われる王に、認めてもらったのだから。


「ああ、君の意見は参考にさせてもらうよ」


 積み荷が終わり、船員たちが少しずつ船の中へと消えていく。


「さあ、そろそろ出港の時間だ」


 雰囲気を一転させるように、グレイが掌を合わせてパンッと音を立てながらアランに向き直る。

 ついに出発の時が来てしまった。もう後戻りなどできない。

 そう思うと、アランは無意識のうちに喉を鳴らしてしまっていた。

 その緊張が背後に隠れていたアカネに伝わったのか、アランの衣服をギュッと握りしめている。

 彼女を不安にさせてはいけない。彼女を守ることが、これからの自分の生きる意味なのだから。

 アランは緊張で強張る頬を無理矢理に緩めて、優しい笑みを浮かべながら、アカネの頭を撫でた。


「じゃあ、行くか」


 その笑みで安心してくれたのか、アカネはコクッと頷くと、アランの衣服から手を離して、アランの隣へと歩み出る。


「なあ、最後に一個だけ聞いていいか?」


 本当は聞く必要なんてなかったのだと思う。

 これから自分は、この大陸と関わりを持つことはないだろう。だから、この大陸のことを心配する必要なんて無かったのだ。

 でもなぜか、聞いてみたくなった。彼の思いを。いや、彼らの思いを。


「あんたがキラを倒して、この世界の全てを、レガリアみたいな平和な世界にすることはできないのか?」


 自分がいなくなったとしても、帰ってこられなかったとしても、この世界がアランの故郷だ。未来を心配するのは、当たり前のことなのだ。


「俺は、余程のことがない限り、キラとことを構えるつもりはないよ」


 その声は少し暗くて、それでも確かな信念が宿っていた。


「どうして?」


「『醒者』になるって言うのはね、神に認められることはもちろんだけど、それだけじゃないんだ」


 数日前に聞いた話。『醒者』とは神の真名を知り、神に等しい力を与えられし者。


「『聖霊(スピル)』に愛されなければ、醒者にはなり得ない」


 魔法の根元、聖霊。


「聖霊がいなければ、この世界は成り立たない。聖霊はこの世界そのもの。聖霊に愛されることは、世界に愛されることと同じなんだよ」


「あのキラが、世界に愛されている……」


 にわかに信じられない話だ。この世界を、恐怖と混沌に陥れている張本人を、この世界が愛しているなど。


「キラにも、この世界に愛されるだけの信念があって、こんな状況になっているんだと思う。それは、俺だって例外じゃない」


 グレイはわかるのだ。この数日共に過ごしただけでも、計り知れない凄さを感じたのだから。


「だから、俺は余程のことが起こるまで、キラと争うつもりはない。それに、キラと俺が戦うことになれば、どれだけの被害がでるか、それがわからないほど、俺は馬鹿じゃない」


 そんなことが起これば、この世界を巻き込む大災禍になることは想像に難くない。


「俺は、誰かの犠牲で成り立つ平和なんて、求めちゃいないんだ」


 彼もまた探し求めている。自らが思い描く平和を。平和の意味なんて、一人一人違うのだから。


「そっか……。なら、仕方ねえな」


「そう、仕方ないんだ」


 これはそう簡単に収まる話ではない。それができるのなら、この男なら既に動いているだろう。


「でも、いつか……」


 それでも、この男は世界に愛されている。それだけの信念を持っている。


「争いがなく、皆が何かを探し求めながら生きられる、そんな世界を創ってみたい」


 そんな彼の信念に、少しでも自分の影が見えたことが、自らの胸を震わせるほど嬉しかった。感じたことのない身震いが、アランを襲った。


「いつか、君たちが帰ってこられる世界を創れるように頑張るよ」


 それは吹けば容易に崩れてしまうような、とても歪で不安定な理想論だけれど、それでも彼ならば成し遂げられるのではないかと思わせてくれる。


「ああ、俺たちの故郷を頼んだ」


 いつか、腕は痩せ細り、身体は衰え、耳は遠くなり、視界はぼやけてしまったとしても、故郷の土を踏めるのなら、それ以上に嬉しいことはないだろう。

 どれだけ辛く苦しい人生を強いてきた世界だったとしても、自分を生み、育ててくれたのはこの故郷だ。

 だから、もしその願いが叶うなら、死ぬ前に一度だけでも……。


「じゃあ、行ってくる」


 桟橋を渡り、梯子を昇り、アランとアカネは船に乗り込む。その脚はもう、故郷の地を離れているのだ。

 突然に得も言われぬ寂しさが襲い掛かる。もう、別れの時なのだと……。

 アカネがどう思っているのか、それはアランには知るよしもない。

 それはただ、自分の寂しさを紛らわせたかっただけなのかもしれない。

 それでも、二人の掌は優しく、けれど固く結ばれていた。

 眼下に映る優しげな笑みを浮かべるグレイも、厄介者を見るような視線で、しかしどこか憎めない表情を浮かべるスピカも、これでもう会えることはないのだろう。

 これは、旅立ち。アランとアカネが再び立ったスタートライン。だから、笑顔で別れよう。


「出港!!」


 船長の大きな一声と共に、船は帆を張り、風を受け、遂にレガリアの港を離れた。

 二人の新たな旅立ちはここから始まった。






「なんだよこれ……、めちゃくちゃ寒いじゃねえか」


 二人の視界は真っ白に塗り固められ、まるで自分たちだけが異世界へと連れて来られたような感覚に陥っていた。

 どれだけ見渡しても辺りは白く、目印になるものも何もない。

 ようやく何かを見つけたかと思えば、それは白く染まったただの木々や岩で、それを見つける度に絶望感が心を支配していく。


「ね、ねえ、アラン、寒いよ……」


 隣を歩くアカネの歩幅が少しずつ小さくなり、気付けば自分よりも少し離れた所を歩いている。


「頑張れ、アカネ。絶対に、もうすぐ何かが見つかるはずだ」


 そんな保障などどこにもない。けれど、今は励ますことしかできない。

 彼女の掌を握り引き寄せるけれど、その掌は人の掌と思えない程熱を失い、その冷たさが彼女の命が削られていることを如実に訴えかけてくる。

 降り積もった雪に脚は奪われ、たった一歩が信じられない程重い。


「なんなんだ……、こっちの世界は……」


 あちら側の世界では体験したこともない状況に、文句の一つも漏らしたくなる。

 だが、それを口にしたところで、状況は何一つ変わらない。むしろ、余分な体力が奪われていくだけだ。

 先の見えない視界と、覚束ない足取りで精一杯になっているアランの右腕が突然重くなる。

 バタッ。


「おい、何やってんだ……。寝るな、目を覚ませ」


 その重みはアカネのもの。アカネは遂に体力の限界を迎え、睡魔に身を任せ、雪の布団に倒れ込んだ。


「くそっ……。何なんだよ。たった一人の女の子も護れねえのかよ……」


 アカネを雪から抱き上げて、アランは再び歩み出す。まだ、諦める訳にはいかないのだ。

 だが、限界が近いのは何もアカネだけではなかった。アランもまた、馴れない環境に身体が悲鳴を上げていたのだ。


「これくらい、なんてこと……」


 自分で自分を鼓舞しなければ、今にも意識が消えてしまいそうだった。

 意識は朦朧として、もう自分が前に進んでいるのか、右に進んでいるのか、左に進んでいるのかもわからなくなり始める。

 脚を雪に奪われ、雪の中に倒れ込む。それでも、朦朧とする意識の中でも必死にアカネを護ろう、背中から倒れた。


「もう、ここで……」


 もう立ち上がる気力すら起きない。死んでも後悔はない。けれど、彼女を巻き込んでしまったことだけが……。


「えっ……」


 もう考える頭も残っていないアランの鼓膜を、突然踏み締める音が震わせる。

 思考は曖昧で、自分が何を言っているかもわからないけれど。視界は曖昧で、そこに誰がいるのかもわからないけれど。


「た、の、む……。この、子、だけ、でも、たすけ……」


 その言葉を最後まで告げることもできずに、アランは意識を失った。


「大丈夫だ。お前もその子も、私が必ず助けてやる」


 雪で白く染まるその景色の中でも、金色に輝く髪を揺らす女性は、何の迷いもなく彼の願いを受け入れた。



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