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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十三章 王無き世界
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『生』という名の呪い


「さあ、これに乗って王都まで行くよ」


 そう言われて、案内されたのは街のはずれに止められた一台の乗り物だった。

 それは自動車と言われれば自動車なのだが、グランパニア領で見るそれとはあまりにも異なっていた。

 黒光りする車体は、グランパニア領の寸胴な乗り物などではなく、頭が低く全長が長い。とても近代的な無駄の無いフォルムをしている。


「すげえ……」


 グランパニアの旧世代的なフォルムを知っているアランは、驚きで言葉も出なくなっていた。

 それに流石は四天王の一角と言うべきか、運転手がちゃんと付き添っており、扉を開けて誘導してくれる。

 アカネは相変わらず、人前では黙ったままフードで顔を隠しているので驚いているのかいないのかはわからない。

 二人は誘導されるがまま、後部座席へと腰を下ろす。フワフワと柔らかい座席は、グランパニアの宿の椅子よりも座り心地がいい。


「技術は比べものにならねえな……」


 技術発展ではどう考えてもグランパニアの数年以上先を行く。そう考えて漏らした言葉だったのだが、助手席に腰を下ろしたグレイからは意外な言葉が帰って来た。


「俺はそうは思わない。君が思う違いは、どこを目指しているかの違いだと思うよ」


 これだけの物を造っておいて、それは謙遜なのではないかと思っていると、グレイは更に言葉を続ける。


「俺たちは力を必要としないから、利便性や外見を重要視して発展している。そこを発展させなければ、周りから遅れを取るからね」


 助手席に遮られてグレイの表情は一切覗うことができない。


「けれど、彼らが求めているのは、戦争に勝つための力。そういう面では、彼らの方が俺たちよりも勝っていると思うんだよ。それが、眼に見えないだけでね」


 本当にそうなのだろうか。しかし、あの暴君と肩を並べる彼が言うのだからそうなのだろう。


「だから怖いんだよね。もしあいつが戦争を仕掛けて来たら、今の俺たちに勝ち目はないんじゃないかって」


 それは本心なのだろうか、それとも暴君を知るアランだからこそ、そんな言葉を選んだのだろうか。それはグレイの表情を見られないアランにはわからない。

 話をしている内に車は動き始める。グランパニアの物と比べものにならない程振動は少なく、速度も速い。これを戦いに応用することも、そこまで難しくないのではと思えてしまう。


「こういう技術を戦争に転用する気はないよ。それをしたら、俺たちの国はその時点で負けだと思っているからね」


 相変わらず人の心を察するのが上手いが、それも気にならなくなってきた。

 それは彼なりの信念であり、人が快適に過ごすための発展を、人を傷つける物に変えたくはないと言う切実な思いなのだ。


「まあ、だからこそ、君の力を借りたい訳だけど」


「俺の力?」


 突然告げられる彼の目的に、掌に汗が滲む。下手に表情を隠しても無駄なことはわかっているので、素直な気持ちを表情に乗せる。


「そんなに警戒しないでほしい。君を戦いに駆り出すとか、そういう話じゃないから。君の力ってのは情報だよ。まあ、その辺はレガリアに着いてからで」


 そう言って今ここでの言及は避けてくれと暗に告げる。いくら鈍感なアランでも、それくらいは察することができるので、口を噤んで外の景色に視線を落とす。

 緑が広がる草原の間に、一見無秩序に敷かれた黒のコンクリート。その上を黒光りする金属塊が駆け抜けていく。

 過ぎてゆく景色はまるで風のように、視界を撫でながら過ぎ去っていく。

 並走する鳥を目で追いながら、視界を横切っていく街並みを、いつしか数えることも忘れて傍観する。

 やがて陽は地平線に沈み、空は透き通った柑橘色に染まっていく。最後に空に色を感じたのはいつだったか……。

 何かを問われたような気がした。返事はしたが、何を聞かれたのかも、何を返したのかもあまり覚えてはない。

 無意識の時間は思考を奪い、時間の流れを忘却の彼方に葬り去る。

 これは呪いだ。『死』を感じなければ、『生』を感じられない呪いなのだ。

 『死』を奪われた瞬間、それと共に『生』をも奪われた。鏡合わせの二つの存在は、その片方なしには存在し合えない。

 生温い水の底に沈められ、真綿で首を絞められているような、これまで『生』を司っていた痛みや苦しみを全て奪われたような感覚。

 穏やかな日々は、生きたまま人を殺す。脳髄は生きる為の思考という栄養素を奪われて干乾び、悲鳴を上げながら朽ち果てていく。

 そんな腐り果てた思考で不意に考える。これから自分はそういう世界で生きようとしているのだと。

 戦いを奪われた自分に、一体何が出来るのだろうか。『死』を奪われた自分は、一体何の為に生きていけばいいのだろうか。

 だが、時間は待ってはくれない。流れていく景色と共に時間を置いてきたように、結局答えが出ないまま、気付けば三人を乗せた車は王都レガリアに到着した。

 三人は車を降りると、眼前には巨大な王城が鎮座していた。それすらも、驚きを覚えることも、記憶に刻もうとすらしなかった。


「迷っているんだね。平和な世界に、君の居場所がないことに」


 ようやく脳髄に刺激を与えたのは、グレイのそんな言葉だった。これまで思考を拒絶し、飢えた脳髄が貪るようにその言葉に喰いついた。


「そんな顔をしているか?」


 もう彼が人の心を読むことに驚きはしない。それよりも、今の自分がどんな表情を浮かべているかの方が気になった。


「ええ。この三日ずっと。君は死んだような虚ろな眼をしながら、流れる景色をただ呆然と眺めていたよ。でも、その光景の一つでも思い出せるかい?」


 何も思い出せない。かろうじて頭を過るのは、青と緑というただの色だけだった。


「いや、何も……。ってか、三日も経ってたんだな」


「そうだよ。まあ、グランパニア領から逃げ出してきた人がよくなる症状なんだけど。一種の病気みたいなもんだよ。戦争依存症とでも言っておこうか」


 グレイは腕を組み呆れたように溜め息を吐きながら、アランに背中を向けて歩き出す。

 アランはただ呆然とその背中を追って歩いていく。


「まあ、仕方無い事ではあるんだけどね。戦うことが生きる意味って教わって、その敷かれたレールの上に生きてきた。その生きる意味を奪われれば、誰だって無気力になる」


 彼の言葉を何度も何度も反芻する。飢えた思考は、ようやく与えられた刺激に我慢が追いつかない。


「特に、王という立場で、その前線を歩いてきた君だからこそ」


 思考が蘇り、不意に恐怖が胸の底から込み上げてくる。掌が震え、暑くもないのに額に汗が滲み始める。


「俺は、こんなんで……」


 不意に震えていた掌に温もりを感じる。とても小さく頼りない掌が、自分の掌を必死に包み込むように添えられていた。

 その掌の主に視線を巡らせる。その少女は、言葉を口にすることはなく、ただジッとアランの瞳を覗き込むようにこちらを見ているだけだった。


「アカネ……」


 大人気なく泣き出しそうな震えた声音で彼女の名を呼ぶ。彼女は何も答えない。けれどその眼が、言葉以上に語っているのだ。

 『大丈夫。頑張れ』と。


「そんなに心配しなくても大丈夫だ。君にはちゃんと、生きる意味があるからね。本当にいい拾い物をしたものだよ、君は」


 突然意味を奪われて、突然知らない世界に放り出されて、訳がわからなくなり忘れてしまっていた。自分には、生きる意味がちゃんとあるということを。

 彼女の為に生きると決めた。自分が生きる為に、彼女に生きろと言って置きながら、その自分勝手さに心底呆れる。

 アランは添えられた手を握り返す。その温もりを、身体に深く刻み込むように。


「そうだよな。俺はお前の為に、お前は俺の為にって、そう約束したんだもんな」


 不意に目頭が熱を帯び始める。ここで泣いてはいけない。男として、彼女を支える親代わりとして、彼女の前で弱みを見せる訳にはいかない。

 もう片方の掌で、フードの上から彼女の頭を撫でる。フードのせいで、アカネの視界からアランの姿が奪われる。


「大丈夫だ。俺が絶対に、お前を護ってやる」


 それは誓い。彼女への。何より、自分への。

 自分はこれからも生きていく。その理由が一度は失われたとしても、それで全てが終わった訳ではない。もう一度立ち上がれるだけの理由は、既に与えらえているのだから。

 そんな暖かな雰囲気に包まれた三人の空気を断ち切るように、三人の間に怒声が駆け抜ける。


「何やってんですかっ、グレイ!!」


 それは大人っぽい少しハスキーな女声で、驚いた三人は素っ頓狂な表情でその声の主へと視線を移した。

 そこには赤縁の眼鏡を掛けた、ショートボブの桃髪の女性が、怒っていると言わんばかりに腰に手をやり、胸を張りながら階段の上に立っていた。


「うげっ……」


 その怒声に反応したのは、もちろん名前を呼ばれた本人であり……。


「勝手に王座を空けて、ふらふらとどっかに放浪して。これで一体何度目だと思っているのですか?大体あなたは王としての自覚が無さすぎます。貴方がいなくなることで、こちらがどれだけ心配することになるのか……」


 凄い勢いで捲し立てる女性をなだめるように、グレイが言葉を挟む。


「まあまあ。落ち着いてスピカ。お客さんもいるから、今は抑えて」


 そう言われて、スピカの視線がようやくアランたちを捉える。彼女の頬はほんのりと赤く染まり、咳払いでそれを誤魔化す。

 どうやら本当に、他の二人が視界に入っていいなかったらしい。


「こ、これはお見苦しい姿をお見せしてしまい、誠に申し訳ございません」


 慌ててこちらに頭を下げるスピカ。その後ろには黒服を着た屈強な男たちが何人か控えている。

 先程グレイの名を呼び捨てにしたことや、黒服たちを引きつれていることからも、彼女がかなりの身分の人間であることがわかる。


「いや、別に気にしてねえよ。そんなの気にするような身分の高い人間でもないし」


 アランは頭を振りながら、スピカに気にしていないことを告げる。

 こちらの言葉を聞き終えるや否や、再び鋭い視線を取り戻したスピカが、グレイに向かって問い掛ける。


「それで、そちらの方々はどなたなのですか?勝手に連れてこられては、こちらも準備のしようがありません」


 黒服にそのまま待つように伝えたスピカが、ヒールを鳴らしながら階段を下りてくる。


「彼は元エスタレム国王のアラン・エスタレムだ」


 その言葉を聞いたスピカのヒールの音が突然消え失せる。鋭く細められていた眼は、驚いたように大きく見開かれ、彼女の視界はアランの姿をしっかりと捉えていた。


「な、なな、何やってんですか?この人がどういう人かわかっているんですか?国際指名手配犯ですよ」


 先程の礼儀正しい麗人はどこにいったのだろうか。彼女は慌てふためくように肩を震わせながら、こちらを指差していた。


「ああ、もちろんわかっているよ。わかっていて連れてきたんだ」


「指名手配犯を、レガリア王都の、しかも王城にいれるつもりですか?グランパニアの者に知られたら、それを理由に戦争を吹っ掛けられても、文句は言えないんですよ」


 グレイの破天荒さというか無神経さに、怒りを通り越して呆れたような声音でスピカは告げる。

 本人を目の前にして何とも酷い扱いだと思いながらも、こう言われるのも自分の責任でしかないので、何も言い返す気にはなれなかった。


「まあ、確かにそうだろうな。こちら側に、グランパニアのスパイがいればの話だが」


「そんな呑気な……」


 肩をがっくりと落とし、目の前の状況に頭を痛めているように、こめかみを指で抑える。


「とにかく、そういう事情ならば一刻も早く城内へ入って下さい。外なんて、誰が聞いているかわかったもんじゃないんですから」


 スピカはアランに視線を会わせることもなく踵を返してグレイに背中を向けると、再びヒールを鳴らしながら階段を昇りきり、黒服を連れて城内へと姿を消す。

 怒られた当の本人は、まるで他人事のようにあっけらかんとしたまま、こちらへと笑い掛けてくる。


「お騒がせしたね。まあ、彼女はあんなのだけど、悪い子じゃないんだ。許してやってくれ」


 そんなことは彼に言われなくても十分理解できる。むしろ、こんな王に遣えて色々と苦労しているんだろうなと同情していたくらいだ。


「さあ、俺たちも中に入ろうか。覚えていないかもしれないけど、約束通り色々な話をしなくちゃならないからね」


 そう言ってスピカの後を追うように、軽やかに階段を昇っていく。その後ろ姿を眺めながら、未だに彼がこの国の頂点に立つ男だというのが信じられないと、心の中で嘆息を吐いた。



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