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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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幕間二:悪魔との契約

「せっかく体のいい言葉を並べて繋ぎ止めておこうと思ったのに、どうして君は全て台無しにしようとするんだい」


「はっ……?」


 エリアルの言っている意味がわからない。それに、そこに貼り付けられている表情は、彼を彼であるか疑うほどに歪められていた。まるで溢れ出しそうな何かを、無理やり抑え込むように。


「でもまあ、今の君の表情を見ていたら、そんなのどうでもよくなったよ」


「何を言って……?」


 先程から脳が濁流するかのように掻き回されて言葉が続かない。これは何かの冗談なのだろうか。目の前の男は、エリアルの皮を被った化け物なのではないのだろうか。


「いやぁ、実に楽しかったですよ、君が僕の元に来てくれてから。でも、それがもう終わってしまうなんて、僕はとても寂しい」


 それだけを切り取って聞けば、別れを惜しんでくれているようにも聞こえる。だが、彼の浮かべるその表情が、その言葉を脳内で次々と歪めていく。


「もう、君の中の僕への信用が膨れ上がっていくのを見られないなんて……」


 目の前の男は何を言っている。これは何の冗談だ。


「どういう意味だ……?」


「どういう意味?そのままの意味だよ」


 わからない。彼の心の中が闇夜の海を覗くように、水面の先すら眼にすることができない。

 彼が口にした言葉をどれだけ並べても、自分が知っている彼へと結び付いてくれない。

 いっそのこと、これが偽者だとしたら、全てが丸く収まるだろう。けれどその顔は、その声音は、その仕草は、紛れもなく自分がよく知る『エリアル・ヴァルドレア』その人だった。


「僕のことを信じていただろ?僕のことを師匠だって、本気で慕っていただろ?」


 そんな言葉を口にしながら、エリアルはゆっくりとレイの元へと近づいていく。

 思考が嵐のように荒れ狂い、微動だにしないレイの耳許にその顔を近づけ、そして凍るように冷たい声音で彼はこう告げた。


「君の妹を攫ったのは僕だ。もう、奴隷商人に売っちゃったよ」


 その言葉が鼓膜を震わせ、脊椎を通って脳が理解するまで、どれだけの時間が掛かったのだろうか。

 その意味を脳が理解したとき、レイの身体中の神経が悲鳴を上げて、時が止まったかのように身体が凍結する。

 視界は光を奪われ、耳は音を失い、心から熱が消えていく。

 まるで世界から独りだけ隔離された自分が奈落の底に落ちていくように、全ての感覚は遮断され暗闇の中に消えていった。


「君の妹は気付いていたって言うのに」


「あっ……」


 そんな時間の凍結もやがては融解し、ようやく熱を感じたのは喉の奥の奥。


「君はこれっぽっちも気付きはしない」


「あああ……」


 声にもならない空気の漏れる音が、喉を震わせ熱を帯びる。


「本当に、君は惨めで滑稽だったよ」


「あああああ……」


 やがて喉の熱は身体中に拡がって、全ての凍り付いた神経を溶かしていく。

 今度は耐えられないほどの熱が身体中を襲い、焼け付くような痛みをかなぐり捨てて、レイは喉が焼けただれるほどの絶望の咆哮をあげた。


「楽しいほどにね」


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 喉が生気を失うように痩せ細り声が枯れ、喉に刃を突き刺して掻き回すような痛みに襲われる。だが、もう自らの小さな身体では収まりきらない怒りを吐き散らすには、そうする他なかった。


「そう、そうだよ。その絶望する表情が見たかったんだ。信じていた者に裏切られ、絶望するその表情を……」


 恍惚とした笑みを浮かべ、頬に爪が食い込むほどに押し付ける。痛みがなければ、この興奮を抑えられないというように。


「エ゛リ゛ア゛ル゛う゛う゛う゛!!」


 瞼から涙が止めどなく溢れ落ち、身体の震えのせいで歯がガタガタと打ち合う。身体中の神経が熱で焼き切れたように、痛みすら感じなくなる。


「あはははは……。良い、実に良い。君は本当に、最高のおもちゃだ。ここで壊してしまうのが勿体なくて仕方がない」


 額に手を当て仰け反るように頭を後ろにやり、可笑しくて仕方ないというように声高らかに笑う。


「こんなに興奮したのは初めてだ。これだから辞められない」


 エリアルは笑いが止まらないといったように、レイを視界に収めることなく、ただひたすらに笑い続ける。


「殺してやる……。絶対に殺してやるっ!!」


 涙でぼやける視界の中のエリアルを捉えて、レイは腰にぶら下げていた木刀を引き抜いて、エリアルへと襲い掛かった。

 自分がどれだけの力を込めてその木刀を振り抜いたのか、神経が麻痺した自分にはそれすら理解できない。

 だが、人を殺してもおかしくない勢いで降り下ろされた木刀はエリアルに届くことはなく、彼がレイに手を突き出した瞬間、レイは凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされた。


「かはっ……」


 腹の底の底から内蔵を吐き出すような嗚咽が込み上げる。

 一体自分の身に何が起こったというのだ。さっきまで目と鼻の先にあったエリアルとの距離は、今では木刀を伸ばしても到底届かないほど開いていた。


「痛いだろ?それは身体かい、それとも心かい?心も身体もボロボロに傷め付けられて、絶望に溺れて死んでいく。そんな惨めな姿を、僕にもっと見せておくれ」


「この……、クソ野郎が……」


 涙と嗚咽が止まらない。意識をしなければ、身体が勝手に呼吸を止めてしまいそうになる。

 それでも、自分は前に進まなければならない。この哀しみを、この憎しみを、この怒りを、その木刀に乗せて。


「はああああああ」


 開けられたなら詰めればいい。ただそれだけのことだ。この木刀が、目の前の男を捉えるまで、足を止めなければいいだけだ。何度でも、何度でも……。

 レイが立ち上がり、腹の奥底から無理やりに咆哮をあげ、エリアルに向かって接近する。


「何度も言っただろ?感情的になったところで、剣はそれに答えてはくれない」


 エリアルが再び掌を胸の前にかざす。それ以外のことは何もしなかった。ましてやそこに、剣など一振りも携えてはいなかった。

 突如レイは足首を激しい痛みに襲われ、バランスを崩して身体を引きずりながら地面に伏せる。

 そして、うつ伏せになったレイの頭を、エリアルが踏み潰す。


「がっ」


 頭を踏み潰された痛みは、背筋を走り全身を痺れをもたらす。その痛み深く深く刻み込むように、その足をグリグリと捻り回す。


「冷静になって敵の攻撃をしっかり見ろって、何度も教えただろ。心配しなくても、君に教えたことは全部本当のことだよ。じゃないと、君も信用してくれないだろ?」


 エリアルは愉悦に溺れたような、甲高い声音で話し掛けてくる。


「まあ、冷静になったところで、君が僕に勝てる道理なんて、欠片も無いんだけどね」


 そう言うと、心底楽しそうに、まるで無邪気な子供のように笑った。

 レイの耳に彼の言葉など聞こえてはいない。その脚の束縛から逃れようと、必死に抵抗を続ける。


「剣術なんて戦い方を選んでいる時点で、君は僕に叶うはずがないんだよ。だって僕が使えるのは『魔法』なんだから」


「は?」


 彼のその言葉で、突然レイの抵抗が止まる。

 その存在を知らないわけではない。この世には、そんなものを使える者もいると、耳にしたことはある。

 確かに、突然押し飛ばされたり、剣も無いのに足首が斬られたりと、常識では考えられないことが起こっている。

 だが、そんなのあんまりではないか。

 相手は権力も力も何もかもを手にしている。そんな男に弄ばれて、妹は奪われ、使い古された玩具のように棄てられ……。

 自分が一体何をしたというのだ。

 これまで必死に生きてきた。どれだけ辛い日々が続いても、足掻いて、抗って、しがみついて。そして妹の為に生きてきた。

 だというのに、その結果がこれだ。こんなのあまりにも無慈悲すぎる。神も仏もありはしない。

 これが人生だと言うのなら、最初からなかった方がマシだ。こんな人生ならば、産まれて来なければよかった。


「悔しいかい?苦しいかい?もっと抗って、抗って、抗って、抗って……。その上で絶望してくれないと、せっかくの楽しみが台無しじゃないか」


 どうしてこんな奴に力があって、自分には何も無いのだ。

 どうしてこんな奴が人の上に立てるのだ。

 こんな男を選んだ神がいるのならば、目の前のこの男共々殺してやりたい。

 こんな人生ならば、神も仏も必要ない。

 こんな男を選ぶ人間たちがいるならば、目の前の男共々、この世界をぶち壊してやりたい。


『その言葉に嘘偽りはないか?』


「えっ?」


 見知らぬ声が鼓膜を震わせる。それは突然で、こんな状況で誰かの言葉がそんなにはっきり聴こえることにも違和感があり……。


『貴様のその言葉が本心であると言うのなら、この世界に抗う為の力を貴様に授けよう』


「抗う為の力?」


 いつの間にか、後頭部を押さえ付ける重みも痛みも消えている。視界に拡がるのは、無の世界のように拡がる無限の闇。


『貴様が求めるのならば、目の前の男を殺すための力を授けよう』


 自らが息を飲む音が、まるで耳元で鳴っているかのように大きく聞こえる。


『貴様が我が願いを受け入れるのであれば、我が力を与え、最後には貴様の願いを一つ叶えよう』


「願い?」


 普通なら馬鹿げた話だと切り捨ててしまうような話だ。

 だが、それをすんなりと飲み込ませる雰囲気と、そしてそんな馬鹿げた話にすがり付きたい自分がそこにはいた。


『全ての『資質持ち』を殺せ。それこそ、我が唯一無二の願い』


「資質持ち?」


『『王の資質』という名の異界の力を操りし者』


 エリアルは自分の力を魔法だと言っていた。ならば、あの男もまた資質持ちだということだろうか。


「王の資質って、あんな奴に王になる資格があるって、そう考える奴がいるってことか」


『そうだ。貴様を傷つけたあの力こそ、奴らが選びし王なる器の力』


 王たる力が人を傷つけるものであっていいはずがない。

 目の前の男に王になる器など在りはしない。

 そんなものを与える者も、そんな奴らに選ばれし者も、全ていなくなればいい。自分や、自分の大切な人を傷つける者など、この世から消えてなくなればいい。


「資質持ちを、全員殺せばいいんだな?」


 今にも暴れ出しそうな怒りと憎しみの込められた、冷たく重圧の掛かる声音で問いただす。


『我が願いは、ただそれだけだ』


 自分に力があれば、そもそも妹をこんなことに巻き込むことはなかった。自分に力がなかったことが、この悲劇を引き起こした根元なのだ。

 力が欲しい。大切な者を護るための力が……。


「願いを叶えるって言ったよな?それは、何だっていいんだな?」


 声の主は全てが終わった時に願いを一つ叶えてやると言った。魔法という荒唐無稽の力があるのならば、最悪の場合、妹を生き返らせることも……。


『構わない』


「人を生き返らせることもできるんだな」


『可能だ』


 声の主は一切の迷いを見せずに、レイの問い掛けに肯定を示す。

 ここまで明確に肯定をされれば、もう疑う余地はどこにもない。


「そうか、わかった」


 妹を救うことができるというのならば、迷う必要などどこにもない。自分はその為に、これまで生きてきたのだから。これからも、それは変わりはしない。


「だったら、俺がこの世界を正してやる」


 この世界は間違っている。世界が自分たちを憎み、排斥するというのなら、自分はそれに全力で抗うまでだ。それが、世界の敵になることだったとしても……。


『貴様はこれより、月が六度満ちるまでの間に『資質持ち』の死を眼にする必要がある』


 不意に、声の主が新たな条件を提示する。


『貴様が直接手を下しても、貴様が資質持ちを死に導いても構わん。ただ、六度月が満ちるごとに一度、資質持ちの死を眼にすればよい』


「眼にしなければ?」


『貴様の命は無へと還り、その身体は我が器となる。さすれば、資質持ちは無論、貴様の大切な者の命まで奪うことになるだろう』


 自分が条件を満たさなければ、妹を生き返すどころか、殺してしまう可能性もある。その事実に、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。

 だが、自分がここで力を手に入れなければ、その結末は変わらない。

 だとしたら……。


「それでも構わない。俺の覚悟は変わらない」


『ならば、我と血の契約を……。悪魔の契りを……』


 レイの目の前に、人ならざる者の手が現れる。ゴツゴツと隆起した、血液のように赤黒く染まった掌が、レイの元へと宙を這うように伸びてくる。

 その手の鋭く尖った爪が、レイの手首を撫でるように擦る。

 すると赤い一線が引かれ、そこから溢れ出した一筋の赤い雫が手首を伝って、人ならざる者の掌へと滴り落ちる。

 レイの血雫は、人ならざる者の掌の上で波紋のように広がり、そこに見たこともない文字がいくつも浮かび上がる。


『我が名はべリアル。貴様はこれより、神を喰らう者『神喰い(ゴッドイーター)』となる』


 『神喰い』。それが自分に与えられた力。『資質持ち』を根絶やしにする者。


「悪魔だろうと何だろうと構わない……」


 これは世界への宣戦布告。目には目を、歯には歯を、(人ならざる者)には悪魔(人ならざる者)を……。


「俺が、間違った王の器を全て排除してやる」


 妹への愛故に孤独を選んだ兄の、修羅の道が幕を開けた。


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