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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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繋がれる汚れた掌

「そんなところで寝てたら、風邪引くぞ」


 雨の音に混ざって流されていきそうな生気のない声で、男はアカネに話し掛ける。


「寝ているように、見えますか?」


アカネは虚ろな瞳を男に向ける様子もなく、雨を降らす曇天に焦点を当てたまま呟いた。


「どう見ても寝てんだろ。それとも、死人が声出すのか?」


 たしかに、この状況では、死んでいるのではなく寝ているだけだ。例えこれから、死ぬのだとしても。

 呆然とする頭の中で、そんなどうでもいいことに納得しながら、久しぶりに誰かと会話ができたことに安堵を覚えていた。


「私のことは放っておいてください。どうせ、もう死ぬんですから」


 少しずつ命が削られるように体温が落ちていくのを感じる。身体が冷たくなるほどに、自分が死んでいくのだということを実感できる。


「死ぬねえ?それって、楽しいの?」


 男が何を言いたいのか、全く理解ができなかった。だから、アカネは彼の言葉に口を開こうとはしなかった。


「お前の人生、まだまだこれからだろ?どうせまだ長いんだから、楽しいことして生きていこうぜ」


「だから、私は死ぬんだって……」


 だが、彼のあまりにも悠長な言葉に、思わず口を挟んでしまった。その瞬間、身体の中に小さな火が灯ったように、ポッと体温が戻っていく。


「なんだよ、まだ元気じゃねえか」


 男が小さく笑う声が聞こえる。同じ死んだような声音のはずなのに、彼はまだ笑うことができるのか。それとも、自らを偽るのが余程上手いのか。

 二人の間に沈黙が流れ、雨が地面を打つ音だけが、二人の鼓膜を震わせる。

 長い沈黙だった。言葉を探しているのか、それとも話をする気がないのか。けれど、いつまで経っても男はアカネの元を離れようとはしなかった。


「なんで、死のうとしてるんだ?」


 男が沈黙に耐えきれなくなったように、雨に掻き消されそうな声音で問いかける。


「あなたには、関係ありません」


 答える気はなかった。知らない人に話せるほど、軽い話ではない。それに、私の話を聞いたこの男が、新たな罪の意識に苛まれることだってあるかもしないのだ。

 自分が何のために死のうとしているのか、それを考えればこそ、話すべきではなかった。


「いいじゃねえか、冥土の土産って奴だ。どうせ死ぬなら、最後に置き土産のひとつでもしてってくれよ」


 その声音とは裏腹によくしゃべる男だと、アカネは内心でそんなことを思っていた。

 この男も自分と同じ、死のうとしていた人間なのだとどこかで思っていた。まだ、顔すら見ていないけれど、それでも自分と同じ生気のない声で話していたから。


「あなたはどうしてこんな日に、傘も差さずにこんなところにいるんですか?」


 なら、この男はどうしてこんなところにいるのかと、何もかもがどうでもよくなったはずなのに、ついつい興味をもってしまう。


「質問に質問で返すんじゃねえよ。教育がなってねえな」


 ふざけたようにそんなことを言う男に向かって、アカネは皮肉混じりに言い返す。


「親は二人ともいないので」


 そんなアカネの返事に、言葉を失う男。アカネはしてやったりと、生気のない顔に小さな笑みが浮かぶ。だがその笑みに男は気付かない。


「なんか、悪かったな……」


 こんな見ず知らずの少女にも申し訳なさそうに謝罪してくれるのだから、悪い人では無いのだろう。

そんな男に漬け込むように、アカネは更に言葉を重ねる。


「ちなみに、唯一の家族だった兄に、数日前に縁を切られたところです」


 知らず知らずの内に、アカネがこうなっている理由を掘り返していたことに気がついた男は、次の言葉を探すように黙ったままだ。


「悪いと思うなら、あなたがここにいる理由を教えて下さい」


 何故だろう。あれだけ死にたいと、もう全てがどうでもいいと、そう思っていたはずなのに、見ず知らずの男との会話を楽しんでいる自分がいる。


「聞いて楽しいもんじゃねえぞ」


 それを言うならこちらも同じだと思いながら、アカネが男からの答えを待っていると、高いところにあった気配が自分の元に近づいてくる。どうやらこんな雨の中、地面に腰を下ろしたようだ。


「自分が一番なんだと、そう思っていた」


 これまでの声音とはどこか違う、けれど未だに生気のない声音で男は語り始める。


「だから、壁にぶち当たったとき、どうすることもできなかった」


アカネは耳を澄まして、雨の中に消えていきそうな男の声を拾い上げる。


「結局俺は、力任せに我が儘を通していただけ。仲間たちはみんなそれを知っていた。それでも、そんな俺に付き合ってくれていたんだ」


 沈黙が訪れ、雨の音だけが鼓膜を震わせる。アカネは男が話終えるまで、言葉を口にする気はなかった。


「なのに俺は、自分がみんなを護っているんだと、自分は何でもできるんだと勘違いしていた。自分は無知で無能で無力で、何もできやしないのに」


 雨の音に紛れて、断続的に鼻を啜る音が聞こえてくる。


「そのせいで、俺は仲間を全て失った」


 その言葉が、どうしてかスッと胸の中に落ちてきた。それが不謹慎なことだとわかっていながらも。


「誰も護れなかった。考える暇すら与えられなかった」


 これまでの軽薄な言葉とは一線を画す、後悔が滲む声音。それは、この男が始めてアカネに見せた感情だった。


「どうして俺よりも弱いお前たちが俺を護ろうとしたんだ。お前たちがいなけりゃ、俺は……」


 これまでの軽薄な仮面は音を発てて崩れ落ち、彼の心の声が胸の奥から溢れ出すように口から漏れ出していた。

 その言葉は最早アカネには向けられておらず、恐らくこの世にはいない、彼の仲間たちへと……。


「生き残るべきは、俺じゃなかった。俺みたいな奴を認めてくれていた、あいつらが生き残るべきだったんだ。なのに……」


「じゃあ、どうして生きているんですか?」


 ともすれば、それはとても残酷な問い掛けだったのかもしれない。けれど、アカネはただ純粋にそれを知りたかった。思わず口を挟んでしまうほどに……。


「ここに来るまで、死にたいと何度も思った。俺には罪しかないし、その罰を受けなきゃならねえって。だけど、その度に頭の中で叫び出すんだ、俺の仲間たちが……」


 男は苦しそうに頭を抑えながら、喉の奥から絞り出すような掠れた声で告げる。


「仲間たちが命を懸けて救ったこの命を、俺が簡単に捨てるわけにはいかねえんだ」


 それは自分が生きるための理由を他人に求めているだけではないのだろうか。そうすることで、自分勝手に生きている訳ではないと、自分に言い聞かせているだけなのではないだろうか。


「仲間が死んで始めて知った。俺がこれまで、他人から奪ってきたものを……。振り返って、俺の背中に続いていたのは、先が見えないほどに続く死体の山だった。仲間を失ったとき、俺の掌の中には何も残っちゃいなかった」


 男は雨に濡れる自分の掌を眺めながら、ゆっくりとその掌を閉じていく。掌に溜まった水が、手首を伝って地面へと零れ落ちる。


「おれは謝っても許されないことをやり続けてきた。自分が行った罪の重さも知らずに、ただ自分勝手に生きてきたんだ」


 この男も自分と何も変わらないのではないだろうか。罪の重さに耐えきれず、死に場所を探してここに辿り着いた。口では死ぬ気はないと言っているが、それも本心なのかわからない。


「私も同じです。多くの命を奪ってしまった。そして、大切に思っていた人たちすらも、全て自分の掌から溢れ落ちていった」


 自分の過去など話すつもりはなかった。けれど、この男が自分と同じなのだと気付いた瞬間、妙な親近感がアカネの舌を滑らせた。


「もう耐えられないんです。これ以上誰かを傷つけることが。……、いえ、違いますね。自分のせいで誰かが傷ついて、その罪の重さに気づくことが、耐えられないだけなんです。結局、私はどこまでも自分勝手だから……」


 それに気付いてしまったから。自分が誰かの為に生きたことなど一度もないということに。


「だから、ここで死ぬのか?」


 そう、自分はここに死にに来た。そしてようやく、本懐を遂げられようとしている。


「はい。もうこれ以上、誰かを、自分を傷つけないために……」


 だが、自分のことを知りもしないその男は、アカネの決意を容易に打ち砕く。


「だったら、おれはお前の死を許す訳にはいかねえよ」


「何を……?あなたには、関係ないことじゃないですか。私が死のうが生きようが」


 アカネは初めて身体を必死で起こし、その男と視線を交えた。

 そこにあったのは、もう何日も整えていないだろう髪と髭をびしょびしょに濡らして、どろどろの地面を気にすることもなく腰を下ろす男の姿だった。

 けれど、その瞳の奥には誰かを気遣う優しさが垣間見えた。まるで昔の兄のように……。


「関係なくなんてねえよ。俺は決めたんだ。もうこれ以上、俺の目の前で誰かを死なせねえって。これまでの罪が許される訳じゃねえし、許してもらおうとも思わねえ。だけど、これからの罪はいくらだってやり直せるんだ」


「これからの罪……?」


 その意味がわからなくて、アカネは山彦のように男の言葉を繰り返す。


「そう。まだ犯していない罪。もしここで、お前を見捨てたら、おれはまた罪を犯すことになる。だけど、おまえはまだ死んじゃいねえ。この罪は、まだいくらでもやり直せるんだよ」


 そんなのは他人の勝手な言い分だ。そんなことで、自分の生き死にが決められていいはずがない。


「そんなの、あなたの勝手じゃないですか」


「ああ、そうだ。俺の勝手だ。俺の自分勝手はそう簡単に直らねえし、それはお前だって同じだろ?本当はまだ死にたくねえって思ってんだろ?汚らしく、不細工に、地面にしがみついてでも生きていたいって、本当はそう思ってるんだろ」


「違うっ!!私は、私は……」


 もう死にたい、そう思っているはずなのに、いざ他人にそれを突きつけられると、その言葉が鍵のかかった引き出しのように喉元で塞き止められて出てこない。


「生きる理由が欲しいなら、俺の生きる意味になってくれ。こんな俺を助けてくれた仲間たちのために、俺は今度こそ誰かのために、いや、お前を護るためにこの命を捧げたい」


 自分は誰かに護ってもらえるほど大層な人間ではない。自分を護ろうとして、崩れていった人たちを知っているから。


「でも、私と一緒にいたら不幸になる。もう誰も、私のせいで不幸になってほしくない。私のせいで不幸になる誰かを見たくない……」


 それが自分の為なのか、それとも他人の為なのか、今のアカネにはもうわからなかった。けれど、自分といれば誰かが不幸になる。それだけが事実としてアカネの心に突き刺さっていた。


「心配すんな。俺はお前に会う前から不幸だし、お前を不幸から護れるくらい力だってある。今さら俺の不幸をお前のせいになんかしねえよ」


 男は優しい瞳で言葉を紡ぐ。その優しさに甘えそうになる自分が嫌で、アカネはその言葉を必死に拒絶する。


「そんなの屁理屈です。今が不幸だからって、これ以上不幸にならない理由はどこにもない」


 男は胸の前で腕を組み、考えるように一呼吸おいてからもう一度口を開く。


「不幸になるのがそんなに怖いか?不幸なんて、考え方次第だろうが。不幸と思うから不幸になる。おれは仲間たちを失った。ああ、めちゃくちゃ不幸だと思う。だけど、そのお陰でお前に会えた」


「何を……?」


 男が言いたいことがわからない。まだ男の言葉が続くとわかっていながらも、思わず口を挟んでしまう。


「仲間が俺を生かしてくれたことを不幸だとは思いたくない。お前とこうやって出会えたことを不幸だとは思いたくない。不幸だと思わなければ、不幸は不幸じゃなくなる」


「そんなの……」


 屁理屈だ……、とそう言いたかった。けれど、言えなかった。男の真っ直ぐな視線を浴びて、その言葉がただの屁理屈だなんて言えなかったのだ。


「だから、これからは俺だけを見てろ。そうすれば、お前は生きていけるし、これ以上誰かを不幸にすることなんてない。俺は不幸を、不幸だと思わねえからな」


「どうして、こんな、名前も知らない私なんかを……?」


 もう枯れてしまったと思っていた。これ以上、この身体には何も残っていないと。あとは絞りカスになったこの身体が、地面に還っていくのを待つだけだと。

 なのに、涙が止まらなかった。まだ、自分を思ってくれている人間がいるのだと。それが、再び同じことを繰り返すことになるかもしれないなど、このときのアカネは考えようともしなかった。

 けれどそれでよかったのかもしれない。そうやって、人は誰かに依存して生きていく。独りで生きていける人間なんていないのだから。

 例え最後は誰かを不幸にしてしまうのだとしても、それまでの楽しい時間が無くなる訳ではないのだから。それを受け入れられる人間ならば、その身を委ねても構わないのだろう。


「勘違いするな。俺もお前も、何も変わらねえ自分勝手だ。俺は俺で、お前を護るっていう、生きるための大義名分が出来る。ただ、それだけだ」


「なんですか……?結局、それが目的なんじゃないですか」


 これが照れ隠しなのか、はたまた本心なのかは男自身にもわからなかった。けれど、その言葉で目の前の少女が笑みを見せてくれたのなら、その言葉は無駄ではなかったのだ。


「ああ、おれは自分勝手だからな。でも、その自分勝手が、少しでも誰かのためになるのなら、自分勝手も悪くねえ。だからお前の自分勝手を、少しは俺のために役立ててくれねえか?」


「ふふ……、本当に自分勝手ですね……」


「だろ」


 男の表情にもようやく生気が戻っていく。アカネと出会った頃の男の表情は、もうどこにもなかった。その表情には笑みすら浮かべられていた。


「俺はそんな俺が、案外気に入ってるんだ。仲間たちが護ってくれた、そんな俺だからな」


「私にも、そんな仲間ができますか?今じゃなくていい。いつか、こんな自分勝手な私を、好きだと言ってくれる仲間が」


 こんなことを見ず知らずの男に尋ねたところで、根拠のある答えなんて返って来る訳がない。それでも、きっと誰かに肯定して欲しかったのだろう。


「世界は広いんだ。そんな奇特な奴が一人や二人いても、おかしくはないだろ?」


「酷い言い方ですね。でも……、ありがとうございます」


 男がアカネに向けて手を差し伸べる。アカネは一瞬迷うように動きを止めたが、全てを振り切るようにその手を取った。


「俺の名はアラン・エルセイム。絶対にお前を助けてやるからな」


 その言葉に笑みを浮かべたアカネは、安堵の心地と共に、暗闇の中に溶けるように意識を失った。


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