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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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自己嫌悪に沈む

 目の前の光景を理解できず受け入れられないまま、アカネはレイが自分の視界から消えるまでの間、ただ呆然と立ち尽くしながらその姿を眺めていた。

 脳が考えることを拒絶するように、四肢を動かすことも、言葉を口にすることもできなかった。

 自分の目の前に拡がる光景が現実なのかそれとも夢なのか、それすらも曖昧で、あまりにも大きな衝撃に身体中の神経が現実から切り離されたように、風も温度も何もかもが感じられなくなっていた。

 ただ一点を見つめたまま、客席から舞台の上でも見ているかのように、流れゆく光景を眺めていた。

 アカネが生気を抜かれ立ち尽くしている間も、視界の端に映る城壁の向こう側は空を赤く染めながら、黒い煙を吐き出していた。

 どれだけの時間そうしていたのだろうか。自分でも、一体どれだけの時間がそうしていたのかわからなかった。

 一瞬のようにも、永劫のようにも感じられた。

 けれど今は時間などどうでもよかった。

 時間だけではない。いま世界が終わると言われても、アカネはそれを受け入れられただろう。もう、自分がどうなろうと、他人がどうなろうとどうでもよかった。

 そんな虚無に落ちたアカネを揺り起こしたのは、ロンドザナの破壊された城壁から現れた、見慣れた黒の制服に身を包んだ数人の男たちだった。

 飛び出してきた男たちはこちらを見て一瞬脚を止めると、こちらを指差して怒声のような叫び声を上げる。


「あそこにいるのは奴の妹だ。人質として使えるかもしれん。多少力付くでも構わん。生け捕りにしろ!!」


 そんな怒声を浴びせられたとき、自分ではそのまま捕まってしまってもいいと思っていた。いや、受け入れたのではなく、何も考える気がなかっただけなのかもしれない。

 けれど、これまでずっと逃げながら生きてきたからだろうか。誰かから追いかけられていると認識した瞬間、本能が勝手に脚を動かした。


「待てっ!!」


 アカネは突如踵を返し、誰もいない街道をひた走る。

 あれだけ大切だった兄を追いかけることもできなかった脚が、逃げるときは自分の意思にすら反して動き出す。

 それがあまりにも無様で滑稽で、自然と嘲笑が漏れだした。

 自分は結局、自分が一番大切なのだ。誰かを護りたいなどと口では言っておきながら、自分が傷つくのが怖くて、力を手に入れるまで動こうともしなかった。

 ようやく力を、それも努力ではなく人に与えられた力を手に入れたかと思えば、大切な兄に拒絶され、自分の心が傷つくのが怖くて、何も言い返すこともできないまま、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

 いや、いきなりなどではない。今までだって、兄に拒絶されてもおかしくはないことは何度もあった。

 それでも、いつでも優しい兄に甘えて、自分勝手に生きてきたのは他でもない自分自身だ。

 結局自分可愛さで大切な者を何度も傷つける。それを理解してもなお、自分の身を護るためにこうやって逃げている。

 なるべくしてこうなったのだ。そして、この状況を創り出したのは紛れもなく自分自身だった。

 それなのに、ロンドザナの騎士団が現れるその瞬間まで、何が起きたかわからないなどと被害者面をしていたのだ。

 本当にどれだけ自分を可愛がれば気が済むのだ。呆れて言葉も出ない。

 自分の自分勝手に気づかなかったのは、周りにいてくれたのがみんな大人だったから。

 レイもアリスもそんな自分勝手な自分を包み込んで、優しくしてくれるだけの余裕がある大人だったから。彼らの精神年齢は、自分の遥か上をいっていた。

 そして、そんな大きなレイの掌ですら押さえきれないほど、アカネの自分可愛さが肥大化してしまっただけのことだ。

 何が謝りたいだ。何がありがとうと言いたいだ。

 その背中に言う時間はいくらでもあったはずだ。けれど、拒絶されたことがショックで、結局何一つ言葉にしていないではないか。

 アリスの時だってそうだ。アリスを護りたいと言いながら、アリスを護ることなど忘れて、自分の愉悦に身を任せ溺れていた。

 本当に救いようがない。アリスにもレイにも、結局何一つ返せていないのだから。

 これまでの人生の、何と愚かなことか……。

 アカネはひたすらに逃げ続けた。王の資質の力もあってか、脚力も体力も常人と比べれば遥かに高くなっている。

 まさか、アカネのような幼い少女が大人たちから自力で逃げられるなどと誰も思いはせず、そのお陰で馬が出てくることもなく、アカネは難なく大人たちを振り切った。

 後ろから誰かが追ってくる気配もなくなり、アカネは近くにあった雑木林の中に身を隠しそこで腰を下ろした。

 何も考えたくはなかった。考えれば考えるほど、自分の情けなさを自覚してしまうのが嫌で、アカネは思考を閉ざした。

 それすらも、自分可愛さが織り成す行動であるとも気づかずに……。


「これから、どうしよう……」


 護りたいと思っていたアリスは奪われてしまった。護りたいと思っていたレイには拒絶されてしまった。

 なら、自分には一体何が残っていると言うのか。

 そんなもの、考えるまでもなかった。

 そこに残っていたのは、自分が何よりも大切な自分自身だった。

 何を失っても、何を奪われても、それだけは自らの掌で握りしめていた。

 大切なものは全て失われた。ならば、自分の一番大切なものも、自ら奪ってしまえばいいではないか。

 アカネは近くに落ちていた鋭い木の枝を手に取り、それを両手で握りしめると、先端を自らに向けて振り上げていく。ゆっくりと、ゆっくりと……。

 振り上げるその手はいつの間にか小刻みに震え、額に汗が滲み始める。

 この先端を自らの腹部に突き刺せば全てが終わる。赤い鮮血が飛び散り、引き裂かれた腹からは臓物を垂れ流し、熱は失われ、やがて命の灯火が消えてなくなる。

 たったそれだけのこと。それで全てが許される訳ではないけれど、これ以上罪を重ねることはない。

 強く握りしめられた皮膚と木皮が擦れて軋む音が鼓膜を震わせる。

 この腕を降り下ろせば、こんな罪の意識から逃れることができるのだ。

 だから早く、この腕を……。


「ああああああああ!!」


 アカネは叫び声をあげながら思いきり腕を降り下ろした。

 木の枝と腕が空を切る音が耳をつんざき、一寸先は真っ赤に染まった景色が拡がっている。




 はずだった……。

 だが、そうはならなかった。

 アカネの腕は、木の枝の先端が腹部へと突き刺さるその寸前で、無意識に動きを止めてしまった。

腕は小刻みに震え、どれだけ動かそうとしても言うことを聞こうとしない。


「どうして……、なんで……!?」


 そんな疑問符を口にしながらも、本当はそんな理由などわかっていた。どうしようもなく、わかってしまっていた。

 結局どれだけ言い訳をしようが、自分を罪の意識に追い込もうが、自分で自分を殺すことなんてできないのだ。

 それができるのなら、最初からアリスやレイに迷惑を掛けてなどいない。

 人はそう簡単に変わることはできない。自分自身が一番大切なものは、大切だと思うアカネの根っこは、何も変わっていない。

 その思いは大樹の根のように強く自分の心に張り巡らされて、自分の力で抜き去ることなど容易にできはしないのだ。


「たった、これだけのことなのに……」


 ただ、自分の腹を木の枝で切り裂けばいい。

 それは何よりも簡単で、何よりも困難な行為だった。


「ねえ、答えてよ……」


 自分を一度は立ち直らせた存在に呼び掛ける。

 恐らく、この世界には存在しないであろう、あの偉丈夫に。

 口にしたのは一度だけ。それでも、心の中では何度も呼び掛けた。

 何度も、何度も、何度も、何度も……。


「なんで、答えてくれないのよっ!!」


 アカネは手に携えていた木の枝を、地面に向けて乱雑に投げ捨てた。

 木の枝は地面に深く突き刺さり、けれど答えは何も返ってはこない。

 自分がまた誰かに頼ろうとしていることなど気にも掛けず、アカネは拳を握りしめて何度も地面を叩きつける。


「答えてよ……、答えてよ……、答えなさいよっ!!」


 やがて地面に叩きつけられた皮膚は裂け、握りしめていた爪が皮膚に食い込み、拳に込み上げる酷い熱が痛みに変わり始めたところで、アカネの狂気はようやく収まる。

 嗚咽と悲鳴が入り交じった凄惨な叫び声をあげながら、アカネはただひたすら泣いた。

 超常の力を手にいれてなお、無知で無能で無力な自分があまりにも情けなく腹立たしかった。

 力など何も関係なかった。そんなもの必要なかった。

 今自分に必要なのは、自分の身を切るだけの覚悟だ。自分を捨てられるだけの、意思の強さだ。

 けれどそんなものが、アカネの中にあるはずがなかった。


「何で……、何で、答えてくれないのよ……」


 絞り出すようなその声音は誰に届くでもなく、ただ雑木林のなかを反響しながら、青く澄んだ空へと消えていく。その問い掛けには誰も答えることなどなく……。




 それから始まったのは再び逃亡の日々。どうやら、アカネとレイの情報は、グランパニア傘下の国に瞬く間に広がり、二人は指名手配犯となっていた。

 自分たちは国の王ではない。戦争をした訳でもなければ、ただの人殺しの犯罪者だ。

 あれだけ他人に興味の無い国々が、誰かを犯罪者に祭り上げる時は一致団結する。人は同じ目的よりも、同じ敵を持った時の方がより固く結ばれる。

 指名手配犯となったアカネは、街に入る度に追われることとなった。

 最初はそれでも、容易にはバレないだろうと何度か目に入った国に訪れたが、すぐに国の憲兵や衛兵に追われることとなった。

 力を使えば簡単に追い払うこともできたのだろうが、力を使うたびに真っ赤な海に沈む自分の姿が脳裏を過り、それすらもできなかった。

 誰かに助けを乞うことも戦うこともできずに、ただ逃げるだけの日々。

 やがて、国に脚を踏み入れることもなくなり、食料は道端に生えた草木や、自らが狩った動物の肉を食べるようになっていた。

 こんな状況になっても、生きることに必死な自分に気付いたとき、アカネは自らを本当に愚かなのだと呪った。

 生きることを諦めてさっさと餓死してしまえばいいものを、それでも飢えを感じると道端の草木をむしり飢えを忍んでいた。

 無意識の内にそこまでして生にしがみつく自分を受け入れることができず、自分の中に二つの人格があるのではないかと思い込むようになっていた。

 本当は自分は死にたいのだ。けれど、もう一つの人格がそれを邪魔しているのだと、そう思い込むようになっていた。

 だから仕方ないと、自らに言い訳をするように。

 それでも、そんな生活は長くは続かなかった。食べられるのは草木ばかりで、たまに食べられる獣肉で何とか数日を過ごすような毎日。

 寝床は冷たく湿った土の上で、いつ夜の獣や野盗に襲われるかもわからない緊張感の中で熟睡などできるはずもなく、疲れが癒えぬまま次の日を迎える。

 毎日自分がどこにいるのかもわからないまま、ただ流されるままに歩き続け、飢えで動けなくなるか、夜が訪れればその日の旅は終わる。

 そんな毎日が長く続くはずもなく、アカネはとうとう誰もいない街道のど真ん中で倒れてしまった。

 動く力もなく、余力で寝返りを打ち仰向けに寝転がると、珍しく空が灰色に染まっていた。

 この世界の曇天は珍しい。自分の故郷を出たあの雨の日から、数えられるほどしか見ていない。

 まるでその曇天が自分を迎えに来たような気がして、アカネはようやく死期を悟る。

 これだけ無駄にあがいてきたが、ようやく死ぬことができるのだ。

 もう一つの人格がどれだけ死に縋り付いたところで、もう身体を動かすことは出来ない。

 ようやく終わることができる。ようやく死ぬことができる。ようやく誰にも迷惑を掛けないで済む。

 瞼の裏側が焼かれるように熱くなるのを感じる。

 もう、枯れてしまったと思っていた涙が、今更になって頬を伝って流れ落ちる。


「これでやっと……」


 久しぶりに言葉を口にした気がした。言葉を失ってしまったのかと思うくらい、長い間声帯を動かしていなかったのだ。

 熱に冒された瞼を冷ますように、頬を伝う涙を洗い流すように、空から冷たい雨が降り出し始める。

 この雨が、自分の罪を全て洗い流してくれるだろうか。この罪が無くなれば、自分には何が残るのだろうか。

 そんなことを考えながら、薄れゆく意識の中で降り注ぐ雨粒を数えていた。

 雨の冷たさがアカネの身体に残るなけなしの熱を奪い、脚先や指先の感覚が失われていくのを感じる。

 こうやって少しずつ感覚を失いながら、消えていくのだろう。

 罪に塗れた自分には、お似合いな死に方だ。

 ゆっくりと瞼を閉じ、冷たく暗い世界へとその身を落としていく。自らを終焉へと導くように……。


「何で、こんなところで寝ていやがんだ?」


 だが、死神がアカネを迎え入れることを拒むように、誰かの声が鼓膜を震わせる。

 その声はまるで自分が口にしたのかと思う程、虚ろで消えてしまいそうな、自分の写し鏡のような声音だった。

 けれど、それが自分の声ではないと確信できたのは、その声が男の声だったから……。


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