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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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思い知らされる無力

 牢獄の中で得た一握りの幸せは、指の隙間を伝って少しずつ掌からこぼれ落ちていく。

 自分達の牢獄からも、一人、また一人と少女たちが連れ出されていく。こちらに向ける悲痛の眼差しを受け止めることのできなかったアカネは、拒絶するように瞼を閉じてその光景を暗黒に落とした。

 助けられるはずがない。自分は無知で無力で無能なただの女の子だ。逆らったところで、被害者が増えるだけではないか。なのに、救いを求めるような眼をこちらに向けて、どうしろと言うのか。

 そんな日々を過ごす中で、アカネはあることを願うようになった。

 アリスよりも先に、自分が連れ出されますようにと……。

 アリスがここから連れ出される姿を、アカネは想像しないようにしていた。想像すれば、それが現実になってしまいそうで恐かった。

 彼女が連れ出される姿を見るくらいなら、先に自分が連れ出された方が幾分かマシだ。それが、アリスのことなど考えていない、自己中心的な考えだったとしても。

 この牢獄の人数も残り三人。奇跡的にもアカネとアリス、そしてアリスを一番慕っていた少女が残されていた。

 そして今まさに、その少女が牢獄から連れ出されようとしていた。


「嫌だ、嫌だよ。おねえちゃん、助けてよ」


 少女の悲痛な叫びが耳に爪を立てるような痛みを刻んでいく。アカネは現実から逃避しようと、いつものように瞼を閉じ、耳を塞いで、意識を暗黒の底へと沈めていく。

 早く終われと願うしかない。自分のせいでもないのに、どうしてこんな罪悪感に襲われなければならないのだ。頼むから、大人しく連れ出されてくれ。

 暗黒に落とした意識の底から、いくつもの手が伸びて身体中を掴んで離さない。どれだけ振りほどいても、その手は減るどころか増えるばかりだ。

 そして暗闇の中で目を見開き、手が伸びる足元へと視線を落とすと、そこにはこれまでに連れ去られた少女たちが瞳を漆黒に染めてこちらを眺めていた。

 大量の腕に掴まれていた脚が暗黒の奈落に引き込まれ、沈見始めていた。このままこの暗黒に身を落としてしまえば楽になれるのだろうか。現実と乖離した世界に心を鎮めることができれば、この罪悪感とも、この恐怖とも共存する必要が無くなるのだろうか。

 そんなことを考えていたアカネの意識の外で、何かが動くのを感じた。

 それが何だったのか本当はわかっていたけれど、それでもこの眼にするまで認めることができなかったアカネは恐る恐る瞼を開き、その光景を自分自身に認めさせる。

 動いたのはアリスだった。連れ出される少女の手を、アリスが掴んでいた。

 たぶん無意識に身体が動いてしまったのだろう。少女の手を掴んだ本人ですら、その顔に浮かんでいたのは、困惑と焦燥の色だった。


「何のつもりだ?」


 威圧するように吐き捨てられた低く鋭い声音に、アリスの肩が大きく震える。それでも、掴んでしまった腕を離すつもりはないらしい。

 アリスは口を開こうとはしない。固く引き結ばれた唇のまま、無言で奴隷商人に訴えかけるように睨み付ける。

 このまま放っておけば、アリスが酷い目に遭ってしまう。そう思ったアカネは、自分の意識を飛び越えて、アリスの腕を掴んでいた。

 自分でもいつの間にここにいるのだと、自分で自分の行動を信じることができなかった。

 薄らと頭の中に残っていたのは、自分の腕を掴むアカネを困惑した表情で見つめるアリスの姿だった。

 アカネはアリスの腕を引いて、自らの元へと引き寄せる。

 アリスと少女を繋いでいた手は引き剥がされ、少女が牢獄の外へと連れ出される。

 再び、悲鳴が耳に爪を立てる。それでも、今度は逃げることなくその光景を受け入れる。


「アカネ、どうして……?」


 アリスはまるで宙を浮くような覚束ない声音で、アカネに向けて尋ねる。しかし、その答えを持っていないアカネはただ、黙って目の前の光景に視線を落とすことしかできない。

 どうして、なんてわからなかった。気がついたときには、アリスと少女を引き剥がしていた。そこに自らの意思があったのかもわからない。


「賢明な判断だ。俺たちも売り物を無闇に傷つけたくはないからな。せっかくの商品価値が落ちちまう」


 奴隷商人はアカネに向けて下卑た笑みを浮かべながら語り掛ける。


「それに、その女を傷つける訳にはいかないからな」


 その言葉に、アカネの眉が寄せられる。目の前の男の言葉が何を意味するのか、理解ができなかった。いや、理解していてなお、その答えから自分を遠ざけようとしていたのかもしれない。


「その女は、既に買い手が決まっている。交渉相手は国王だ。どれだけの金がふんだくれるか、今から楽しみで仕方がねえよ」


 アリスの買い手が決まっている。その言葉が、アカネの耳を右から左へと通り抜けて消えていった。

 ただ信じることができなかっただけなのだ。それを認めることができなくて、アカネはその言葉を脳が咀嚼する前に外へと吐き出した。

 それでも、自分の掌を握るアリスの掌の震えが、その言葉の意味をアカネの脳裏に刻んでいく。

 いつかは訪れるとわかっていた。覚悟をする時間だって、それなりにあったはずだ。けれど、その事実を受け入れられずに拒絶する自分がそこにいた。その事実から目を逸らして、逃げていた自分がそこにいた。


「じゃあ、その女は出荷されるまで、お前が大事に護っていてくれよ。まあ、お前に出来ることなんて何も無いけどな」


 男は高笑いを残しながら、泣き喚く少女を懐に担いで牢獄を後にする。

 男が視界から消えてもなお、アカネは顔を俯けたまま、無言でアリスの掌を握りしめていた。

 二人を繋ぐ掌は小さく震えつづけ、それがどちらの震えなのかは、誰にもわからなかった。

 どちらも言葉を発することができないまま、時間が流れていく。ただこうやって、誰かの温もりを感じていられることで、崩壊してしまいそうな感情の渦を、寸でのところで支えていた。

 それでも、その無言の時を嫌ったアリスが、縫い付けられたように重い唇をゆっくりと開いていく。


「アカネ……、わたし……」


 無言を嫌いはしたものの、アリスは上手く言葉を紡ぐことができなかった。何を言えばいいのか、何を言えば彼女の救いになるのか、何を言えば…………自らの救いになるのか。


「大丈夫、私が必ず……、助けるから」


 アリスが言葉の壁に立ち止まっていると、不意にアカネの口から紡がれる。

 かつて彼女が嫌い、アリスを拒絶した言葉を……。




 それからの三日間は一瞬の内に過ぎていった。

 同じ牢獄で暮らすアリスとはほとんど言葉を交わすことは無かった。今は、その時間すら惜しいと思えた。

 いや、本当はアリスの顔を正面から見ることができなかった。どんな顔で彼女と接すればいいのか、自分で自分がわからなくなり、彼女と接することを避けてしまっていたのだ。

 アカネはただひたすらに、ここからアリスを助け出す方法を模索していた。

 見張りがいない間に、岩壁や地面を掘ろうと頑張った。爪が剥がれそうになり、指はボロボロで血の色が消えない程にこびりついていた。

 牢獄の鉄格子から何とか抜け出せないかと、掌の握力が無くなるまで格子の隙間を開けようとした。手は肉刺とあざだらけになり、自分でも目にするのが気持ち悪いと思えた。

 幼いアカネに出来ることなどそんなものだった。無知で無力で無能な自分には、結局誰も護れやしない。

 自分が一番嫌っていたはずなのに、本当に大切な時に、そんな責任の無い言葉しか言うことができなかった自分に心底腹が立っていた。


「ごめんね……。ごめんね、アリス」


 自分を追い込み、そして自分には何もすることができないと悟った瞬間、アカネの口から、まるで救いを求めるような悲痛で絶望に満ちた声音が漏れた。

 もう残された時間などないのだろう。これ以上自分に出来ることはない。あとは黙って、彼女が連れ去られるのを見守ることしかできない。


「どうして、アカネが謝るの?」


 アカネの悲痛な叫びに、アリスはいつもの堅琴のような優しい声音で尋ねる。


「だって、私は何にもしてあげられない……。無責任な言葉を言ってあげることしかできない……」


 アカネはアリスを見ることができなかった。俯いたまま、熱に冒される瞼を深く閉じ、涙で地面を濡らしていた。


「そんなの、私だってずっと同じことをしてきた。みんなに『大丈夫』って言っておきながら、結局連れ去られるのを見ていることしかできなかった」


 アリスはまるで懺悔でもするように、胸の前で両の手を絡める。


「今更自分だけ救われるなんて、そんな夢、見られる訳がないもの」


 そう、アカネだけがその責務を負う必要はないのだ。なのに、アリスは必死で逃げ道を探す彼女を、ボロボロに傷ついていく彼女を、止めることができなかった。

 自分とは違い、その言葉に責任を負いながら、行動する彼女のことを……。


「だから、アカネがそんな顔しないで。どうせなら、笑って送り出して」


 それが、アカネを救える唯一の言葉だった。

 もう責任を感じなくていい。自分という呪縛から逃れてもいい。

 捕まった時からこうなる運命だと決まっていた。そんな前も後ろも見えない暗闇の中で、アカネという名の光を見つけることができた。本当は、それだけで十分だった。

 なのに、いつの間にかその光に寄り添って、全ての体重を預けていた。自分で歩くことを忘れていた。

これ以上彼女に重荷を背負わせる訳にはいかないのだ。


「だって、どこかの王様が私のことを買ってくれるんだよ。もしかしたら、前よりもっといい暮らしができるかもしれない」


 そんなこと、欠片も思うことができなかった。


「見たこともない豪勢なご飯とか、豪勢な服なんかも着れるかも」


 こんな軽薄な言葉にどれだけの意味があるのか。


「それに、王様ってことはお城に住めるかもしれないんだよ」


 彼女に笑って欲しい。ただそれだけなのに。出てくる言葉はどれも軽々と宙へ浮かんで霧散する。


「ほら……、未来はこんなに、明るいんだよ……」


 見繕っていた仮面が、バリバリと音を発てながら剥がれていく。言葉は小刻みに震え、これまであれだけ回っていた舌が、核心を吐こうとした途端に、凍ったように動かなくなる。


「だから……、笑って、送り出して……」


 これまで何があっても涙を流さなかったアリスの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

 不謹慎にも、アカネは彼女を美しいと思ってしまった。まるで天使だと、そう形容しても遜色がない程に美しいと、そう思ってしまった。

 これまで合わせることができなかった二人の視線がようやく交わる。

 アリスの泣き顔に見蕩れて、アカネはまるで眼球を釘づけにされたように、アリスから視線を外すことができなかった。


「ね……」


 念を押すように小首を傾げながら、アリスは笑みを浮かべてアカネに告げる。

 こんな表情をされてしまっては、何も言うことはできない。言葉など全てが軽薄で、何の意味もなさず、自分の思いの欠片も伝えることができないと。

 だからアカネは一瞬だけ視界を閉ざし自らの心に蓋をすると、ゆっくりと瞼を開く。

 そして、今自分ができる最大限の笑みを彼女に向けた。

 それに応えるように、アリスももう一度笑みを作り直し、感謝の言葉を紡ぐ。


「ありがと」


 そんな二人の間に、全てに終わりを告げるように、牢獄が開く音が割って入った。


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