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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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心の強さに惹かれて

 それから二週間の時を、アカネは奴隷商人たちの牢獄の中で過ごした。助けが来ることなど一縷の希望も持てず、次々に人が入れ替わっていく牢獄の中で、恐怖と添い寝するように眠りにつく毎日だった。

 それでも、アリスがいてくれたお陰で、なんとかその恐怖を抑えながら生きていくことができた。

 アカネは感情の抑制が苦手なため、何か枷がなければ簡単に感情の渦に飲み込まれてしまう。そういう意味では、彼女が同じ牢獄に入れられたことは、不幸中の幸いだったといえる。

 そして今日もまた一人の生け贄が、愉悦の嬌声と心を引き裂くような悲鳴の不協和音を奏でながら、皆の恐怖の視線を受けてのた打ち回っていた。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんが一緒にいるから」


 アリスは今にも壊れてしまいそうな少女を力強く抱き締め、彼女から視覚と聴覚を閉ざした。自分だって耳を塞ぎたいだろうに、それでもアリスは他人を思って行動する。

 そんなアリスを見ていると、自分も何かしなければならないような気がして、同じ牢獄で怯える少女の元へと歩み寄った。

 自分はアリスのように優しい言葉を掛けてやれるほどの余裕なんてない。それでも、自分ができることといえば……。

 アカネはそっと怯える少女の掌を握りしめた。言葉を掛けることはできなくとも、誰かと繋がっていることで、恐怖を分け合えることができるはずだと、そう信じて。

 自分の掌で包まれた少女の掌の震えが、少しずつ和らいでいく。

 お互いの熱に恐怖を撹拌しながら分け合い、それを確かめるように掌に意識を寄せる。

 そしていつの間にか、少し痛みを覚えるくらいに少女は強く握り返してくれていた。

 その痛みが、今のアカネには何よりの救いだった。少女の救いになるつもりだったのに、これではどちらが救われているのかわからない。

 悲鳴と嬌声の嵐が過ぎ去り、ようやく静寂が訪れる。奴隷商人の男たちは失神して動けなくなった少女を牢獄へと投げ込み、満たされたような愉悦の表情を浮かべながらこの場を後にする。

 彼らがいなくなったのを合図にするかのように、辺りからすすり泣く声が響き渡る。

 彼らの機嫌を損ねないために我慢していたものが、視界からの消滅により崩壊する。

 アカネが手を握っていた少女もまた、その泣き声が伝染したように涙を流し始める。その間も、まるでアカネをこの場に繋ぎとめるように、アカネの掌を強く握りしめていた。

 アカネは少女が泣き止むまで、黙ったまま隣に座り続けた。少女が自分を求めてくれていることが、本当は嬉しかったのだとも気付かずに。


「おねえちゃん、ありがと」


 ようやく泣き止んだ少女から告げられたのは、そんな感謝の言葉だった。ここに来てから、アリス以外の誰かと言葉を交わしたのは初めてだった気がする。

 アカネは短く「うん」とだけ答えると、少女の元を離れた。その足で向かうのはアリスの元。といっても、小さな牢獄の一室の中だけれど。


「ありがとう。私一人じゃ、みんなの面倒見切れないから」


 全ての責任を自分で負おうとする彼女は、意外と傲慢なところがあるのだと思う。


「別に、アリスにかんしゃされる覚えはないよ。私は、私のやりたいことをやっただけ」


「うん、そうだけど……。それでも、ありがとう」


 そんな傲慢さに彼女は気付いていないし、それが彼女の良さでもあるのだと思う。

 それでも、そうやってどうしても責任を負おうとする彼女に少し腹が立って、アカネは彼女の両頬をつねる。


「痛い、痛い。どうしたの……?」


「何でもかんでも、自分でできると思わないで。少しは、弱みだって見せていいんだよ。そうじゃないと、心を開いてくれてないみたいで……」


 アカネの言葉は言葉尻になるほど、弱く聞き取り辛くなっていった。


「えっ?なんて……?」


「うるさいっ」


 プチンと音が鳴りそうな勢いで、アカネはアリスの頬を思いっきり引っ張ってから離す。

 アリスの頬は化粧したように赤く染まり、両手で頬を擦りながら、上目遣いでアカネを眺める。


「何するのよ。私、何か怒るようなことした?」


 どうして自分がそんな理不尽な目に合っているのか、まだよく理解できていないアリスは、答えを求めるように困惑した表情でアカネに尋ねる。

 当のアカネは「ふんっ」とアリスから視線をそらして仏頂面だ。

 自分には心を開いて欲しいけれど、そんなことを堂々と口にできないもどかしさに溺れながら、アカネはどうすればいいのかわからずに、そんな煮え切らない態度を取ってしまう。

 それでも、アカネが本当に怒っているのではないのだと気付いたアリスは、アカネに寄り添うように腰を下ろす。


「何よ?」


 先程の仏頂面からまだ逃れられないまま、そんなぶっきらぼうな言葉を投げ掛ける。それでもアリスは、気にした様子も見せずに、


「なんでもないよ」


 と優しい堅琴のような声音で答えてくれる。

 いつの間にか、こうやってアリスと共に過ごす時間が当たり前になっていた。アリスは、こんな地獄のような場所にあって、それでも輝ける天使のような存在だった。

 彼女に抱いていた憐れみや怒りなんてものは、彼女の笑みで容易に洗い流されていった。

 だからアカネも、自分でも気づかない間に彼女に救いを求めてしまうのだ。


「ねえ、お兄さんの話聞いてもいい?」


 不意にアリスから尋ねられたのは、自分が一番大切に思っている兄の話。

 そして、アリスと思いを共有できる楽しい物語。


「しょうがないな……」


 言葉とは裏腹に、笑みが零れるのを我慢したような歪んだ表情を浮かべながら、アカネはレイとの冒険を語り始める。

 故郷で暮らしていた頃の話。

 故郷を逃げ出さねばならなくなった時の話。

 故郷を逃げ出して、右も左もわからずに必死だった頃の話。

 ようやく見つけた腰を下ろせる国の話。

 けれど、それは甘い誘惑でこの世界の恐ろしさを身に染みて知った話。

 アリスはその間、何も言わずに黙ってアカネの話を聞いてくれた。

 時には楽しそうに、時には悲しそうに、表情をコロコロと変えながら、退屈する様子など微塵も見せずにアカネの話に耳を傾けてくれた。

 そうやって表情豊かに話を聞いてくれるとアカネの気分もよくなり、自分が思っていた以上に舌が回った。

 それでも最後はどうしても、悲しい表情を浮かべずにはいられなかった。


「だから、私はおにいちゃん助けにいかなきゃならないの。今度は、私が助ける番だから」


 本当はこんなところで牢獄に閉じ込められている時間などないのだ。一刻もはやく抜け出して、あの醜悪な騎士からレイを救い出さなければならない。


「アカネって強いんだね」


 不意に掛けられたアリスからの言葉に、思わず素っ頓狂な声音を漏らしてしまう。


「へっ?」


 それをあんたが言うの?とは口にはできずに、その答えに至った理由を無言で促す。


「それだけの目に遭っていても、そうやって誰かを救いたいって思えるとこ、やっぱりアカネは強いんだと思う」


 正直、兄を救いたいなんて大それた事が口にできるのは、アリスの前向きさに犯されたからだと思う。

 アリスが兄ともう一度出会いたいなんて口にしなければ、アカネがどれだけ兄の事を思っていたとしてもそれを口にすることはできなかっただろう。


「別にアリスと変わらないよ。アリスだってお兄さんと会いたいって言っていたじゃない」


 アリスはどこかしおらしく顔を俯かせる。


「そうだけど、私は兄の事を救えるなんて思ってないから。ただなんとなく、兄ともう一度会いたいって、そう思っているだけだから……」


 どうやら彼女が引っ掛かっていたのは自らの曖昧さだったようだ。アリスは自分が強くない事を自覚している。だから、誰かを救うなんて答えを導き出す事ができない。


「別に、私も何か自信があってそう言っているわけじゃないよ。ただ、そうなれば良いなって、思っているだけ。だから、アリスと私にちがいなんてないよ」


 少し安心したように嘆息を吐きながら、アリスはアカネに視線を向ける。


「私は、いつも誰かに護られてばかりだから……。今だって、信じていれば救われるなんて言っているけれど、自分で何か行動を起こしている訳じゃないし、ただ誰かが助け出してくれるんじゃないかって、漠然とそんな風に思っているだけだもの」


 意図せずに彼女が心の内を吐露してくれているような気がして、不謹慎だとは分っていても、思わず笑みがこぼれそうになる。

 我慢することにプルプルと震えるアカネに気がついて、アリスは不思議そうな表情を浮かべながらこちらを眺める。

 その視線に気付いたアカネは慌てて自分を落ち着かせると、仕切り直すように咳払いをする。


「ゴホンッ……。私だって、力なんて何もない。でも、力がなくたって救えるものはあるはずだよ。だって、私はアリスに救われたから。アリスのやさしい言葉が、私だけじゃない、ここにいるみんなの救いになっているんだ」


 力なんて、兄に敵うはずがない。自分が力でどうにかできる事なんて、兄からすれば赤子の手をひねるようなものだろう。自分の無力さくらい、自分が一番よく理解している。そもそも力があるなら、こんな所に捕まっていない。


「私がみんなの救いに……?」


 不思議そうに小首を傾げながら、アリスはアカネに問いかける。ここまで自覚がないと、それはそれで多少腹が立つ。


「そうだよ。アリスからしたら当たり前の事なのかもしれないけど、みんなからしたらアリスの存在はそれだけでも救いなんだよ。だけど、それはアリスが一人で背負うものじゃない」


 解るよね?と一呼吸置いて、アリスが首肯するのを確かめてからアカネは次の言葉を紡ぐ。


「アリスがここにいるみんなの面倒を見られるなんて思い上がらないこと。あなたにそんな力無いんだから」


 今回は少し嫌みたらしく、陰湿な声音を織り交ぜながらアリスに諭すように告げる。さすがのアリスもこれには困惑顔を浮かべずにはいられないといった様子だった。


「だから、私を少しはたよってよ。今日みたいに私がやったことにアリスがあやまるってことは、本当は自分がやる仕事だったとか思ってるんでしょ?」


 どうやら図星を突かれたようで、少し居心地が悪そうに表情を歪めながら、アリスは諦めたように首肯する。

 アリスのそんな表情を見ることができたことに、アカネは少しだけ気分を良くしながら、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「それが思い上がりだって言ってるの。あの子にお礼を言われる義理はあっても、あなたにあやまられるすじ合いはないんだから。私はあなたのためにやったんじゃない。あの子のために,私がやりたくてやったの。だから、かんちがいしないでよね」


 何だか自分が言っていることが恥ずかしくて、最後はアリスから視線を外してそっぽを向いてしまう。

そんなアカネの横顔に、アリスから堅琴のような優しい声音が投げかけられる。


「ありがと」


 その声は震えていて、今は振り向いてはいけないような気がした。

 だから、少しだけ間を置いてから、アリスと視線を交わらせることなく尋ねる。


「それは、さっきのこと?」


 本当は解っていることを尋ねる自分に、自分でも面倒くさい性格をしていると、自らに野次を飛ばしたくなる。


「ううん。さっきのことは、もうどうでも良くなっちゃった。今のは、私のことを思ってくれているアカネへの感謝よ」


 そうやって言葉にしてくれることで、得も言われぬ感情が胸の奥から込み上げてくる。今のだらけきった表情をアリスに見せるわけにはいかない。

 こんな牢獄にいるにも関わらず、こんな気持ちになれる自分の頭が一番お花畑ではないかと、アリスに出会った頃の自分に喝を入れたくなる。

 アカネがそっぽを向いていると、視線とは逆の肩に体重と共に暖かな体温が伝わってくる。


「アカネは優しいんだね」


 そんな風に耳元で囁かれた彼女の声に、アカネの鼓動が胸を突き破るように跳ね上がる。

 何かとても悪いことをしているようなそんな錯覚に陥るが、アリスから身を預けられている今、この場から動くわけにもいかない。


「そ……、そんなことないよ」


 牢獄にあって、この場所に漂うこの甘い空気は一体何なのか。しかも相手は同姓だ。今自分の中を埋め尽くしているこの思いが一体何なのか、それは当の本人であるアカネにも解らなかった。というよりも、解ろうとする前に、そこから意識を逸らしていた。

 赤く染まりきった頬から熱が冷めるまで,アカネは寄りかかるアリスを、ただ黙ったまま受け入れ続けた。


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