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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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疑いきれぬ親しさ

 飛び出しはしたものの、どこにも行く宛のないアカネは、仕方なくいつもの中庭に足を運んでいた。何をする訳でもなく、いつもと同じ中庭の端に腰を下ろしながら、吹き抜けから見える青い空をジッと眺めていた。そこには、まるで自らの心の様に雲一つない虚空の青空が広がっていた。


「そんなに意地張らなくたっていいのに……」


 兄の言葉が本心でないことくらい幼いアカネにもわかっていた。ついつい張ってしまった意地を仕舞う棚を見つけることができないまま、放り投げてしまっただけなのだ。

 それを幼いアカネが察することができる辺り、まだまだレイも子供なのだと言える。


「私は別に、おにいちゃんと一緒にいられれば、それでいいんだけどな……」


 何かしていないと落ち着かなくて、中庭を埋め尽くす芝を指で掻き回すように弄りながら、アカネはひとりごちた。この芝生のように、何の軋轢もなく天を照らす太陽に向かって伸びることができたらどれだけ楽に生きられるだろうか。


「私たちには、どうしてこんなに苦しいことが多いんだろ……」


 アカネも少しずつ大人への階段を昇っている。兄と故郷を出てから、少しでも兄の負担を減らすために、一日でも早く大人になろうと努めていた。

 まだ齢五つであるが、のうのうと日々を自堕落に過ごす自分よりも一回りも年を重ねた子供よりも、余程大人である自信があった。それくらいに、自分と兄は大変な日々を乗り越えてきたのだ。

 そんな二人にようやく訪れた安寧の日々。だとアカネは思っていた。決まった寝床で寝ることができ、自分たちで仕事を探す必要も無い。誰かに襲われる心配をする必要も無く、これまでには考えることもできない程の安らぎを手に入れたと思っていた。

 けれど、生活がどれだけ安定していようとも、兄の表情は日を追うごとに暗くなるばかりだった。自分が望んで稽古を受けているはずなのに、兄の表情に浮かび上がってくるのは、嫌悪や嫉妬や焦燥といった負の感情ばかりだ。

 そんな兄の姿をこれ以上見ていたくはなかった。彼にその表情をさせているのが自分だとわかっていたから余計にそれが耐えがたかった。


「あんな顔されるくらいだったら、これまでみたいに、大変だけど旅を続けていた方がよっぽどいいと思うんだけどな……」


 そうやって、どこか少しだけ考えがずれているのはご愛嬌だ。

 そんなことを考えながら虚空を見つめたり、手持無沙汰になって芝生を弄ったりしていると、突然隣に人の気配を感じて思わず勢いよく顔を上げた。

 そこにいたのは自分が望んでいた少年ではなく、ここに居るはずのない青髪の青年だった。


「珍しいね、独りでこんなところにいるなんて?」


 アカネはあからさまにがっかりしたように、肩を落として視線を逸らしてしまう。別にエリアルが何か悪い事をした訳ではないが、兄が真っ先に迎えに来てくれることを期待していたアカネにとって、彼よりも先に青年が来たことは、あまり嬉しい事ではなかった。


「さすがにその反応をされると、僕も心が痛むんだけど……」


 幼いからこそ直感的にわかってしまう。彼は、本当は自分の反応なんて毛ほども気にしていないということに。

 アカネはエリアルのことがあまり好きではなかった。彼はいつも、まるで舞台の外から自らが演じる劇でも眺めるように、客観的で冷めた視線を全ての者に向けていた。本当は感情なんてものを持ち合わせていないのではないかと思うくらいに。

 だというのに、兄に対しては友達のように接してくれと、心の底を推し量りにくいことを言い始めた。

 だからアカネはレイとエリアルが稽古をしている間は、エリアルに向けた視線を外すことは無かった。エリアルが何処かで本性を現すのではないかと。そうなれば、兄を負の感情から救い出す、いいきっかけになると思っていた。

 けれど、どれだけエリアルを観察していても、そんな素振りは一度も見せなかった。


「どうしてここにいるんですか?」


 まだ感情を隠すのが下手なアカネは、ぶっきらぼうな口調でエリアルに尋ねる。これまで二人で話したことなどなかったから、余計に自分がどういう風に会話をしていいのか戸惑っているのだ。


「どうしてって言われると、そうだね……、まあ君たちのこともあったから、皆より少しだけ早く帰って来たって感じかな」


 やはりわからない……。それが本当なのだとすれば、結局エリアルはレイのことを思ってくれているのだろうか。


「ねえ、アカネちゃん。なかなか二人で話す機会もないし、ちょっと城の外にでも出てお話してみないかい?」


 予想だにしないエリアルの提案に、思わず彼の表情を覗ってしまう。けれど、そこにあるのはいつもの貼り付けたような、感情を覗うことのできない笑みだ。

 兄はそういうところが鈍いと思う。自分からすれば、この笑みはどう考えたって人工的に造られたような違和感を隠しきれない笑みだというのに、兄は一つも不信感を抱こうとはしない。

 それでも、これは相手の本性を引き出すいい機会かもしれない。アカネはそう思ってエリアルからの申し出を了承する。


「わかりました。おにいちゃんのことで、ちょっと相談したいこともありますし」


 立ち上がるアカネの姿を見ながらエリアルは告げる。


「ああ、僕の浅い人生経験で答えらえることなら、相談に乗ることもやぶさかではないよ」


 だから、そんな言葉を残したエリアルがどんな表情をしていたのか、蒼い芝生に視線を落としていたアカネにはわからなかった。




 エリアルの背中を覚束ない足取りで追いながら、喧騒がひしめく街中を歩いていく。彼が騎士団長と知り、彼の横を歩く自分の姿が、街の住民にはどのように映るのだろうか。

 そう考えると、自然とエリアルの影に隠れるように、彼の背中の後ろを歩いてしまう。


「そんなに怯えることはないよ。僕のことなんて、知らない人ばかりだから」


 それが謙遜なのか、はたまた本当に住民たちが自分のことを知らないと思っている天然なのか。どうにもエリアルの表情は、どこか空虚で読みにくい。その空虚さが、アカネの中で生まれている猜疑心の理由なのだが。


「別に、おびえている訳じゃないです」


 アカネは相変わらずぶっきらぼうにそう答える。自分が相手を読みきれていないのに、相手からは自分が読まれているような気がして、何となく腹立たしい気持ちが胸の中を撫でるようにざわつかせる。

 そもそも、青年よりも一回りも二回りも幼い自分が、相手の気持ちや心を読もうなんて考えが間違っているのだとも気付かずに。


「何か食べたいものでもあるかい?お近づきの印に、僕に何か奢らせておくれよ」


 露店が立ち並ぶ通りを指差すエリアルに、アカネは立ち並ぶ露店から好きなものを選んでいいという提案に少しだけ心を踊らせた。

 何しろ、兄と過ごしていた時間は、節約に節約を重ねていたため、高価なものは買えなかったし、城に入ってからは、確かに出されるものは美味しかったが、出されるものを食べるだけで、自分の好みを選んだりすることはできなかった。

 これくらいのことで簡単に心が躍り、少しでもエリアルに隙を与えてしまう辺りが、自分の幼さだということに、アカネは全く気がつかないまま、小走りに露店の元へと向かった。

 ちょうどお昼時ということもあり、露店からは美味しそうな香りが至るところから漂っていた。風に乗って鼻孔を撫でる香ばしい香りに、あっちを見たりこっちを見たり、忙しく視線が泳いでいく。

 そんな無邪気なアカネの後ろ姿を、エリアルは微笑みを浮かべながら眺めていた。

 そんなエリアルの姿を見て、こそこそと噂を呟く民衆の声など耳に入ることなく、アカネ視界は目の前に並ぶ料理の海に溺れていた。

 数十分におよぶ格闘の末、ようやく決めた露店を前に、アカネはワクワクしながら出てくる料理を待っていた。

 いつの間にか、エリアルへの猜疑心は目の前の料理への好奇心に埋もれていた。


「おお、騎士団長様、こんなところに来られるとは珍しい。この子は……?」


 訝しげな視線をアカネに向けながら問いただす店主に、エリアルは頭を掻きながら苦笑を漏らして答える。


「割りと普段からこの辺りにも顔を出しているとは思うんですけどね……。まあ、妹みたいなものです」


「ほお、こんな可愛らしい妹さんをお持ちとは羨ましい。君も、こんな立派なお兄さんがいて鼻高々だろう?」


 そう訪ねてくる店主に「おにいちゃんはこの人じゃないし」と思いながらも、料理が出てくるのが楽しみで、アカネは店主に向けて何の反応も示すことはなかった。


「ほら、たんとお食べ」


 そう言って差し出された料理を目の前にして、アカネの表情は花開くようにパッと明るくなり、「いただきます」という元気な声と共に、皿の中に顔を埋めるような勢いで食べ始めた。


「騎士団長様は、何かお食べになりますか?」


 嬉しそうに自らが作った料理を食べるアカネを眺めて笑みを浮かべていた店主が、手持ち無沙汰にしていたエリアルへと言葉を投げ掛ける。


「そうですね。では、それを……」


 そう言って店に並んでいたメニューの一つを指差すと、店主が「はいよ」と景気よく返事をして、再び料理に戻った。

 そんな中、アカネはひたすら待ち望んだ料理に集中して、皿から掻き込むようにがっついていた。


「騎士団長様から、お金なんて取れませんよ」


 ようやく食事を終えて、勘定を払おうとしたエリアルを店主は止めようとする。そんな様子が、アカネにはエリアルがとても慕われているように見えていた。


「はぁ……。騎士団長といっても、私事で街に降りてくれば、僕もただの住民のひとり。気を遣われると、こちらもいい気はしないんですよ」


 お金を払わなくていいと言われているのだから、そこは喜んで受けるべきじゃないのかと思いつつも、特に口出しをしないまま二人のやり取りを眺めるアカネ。


「そう言われてしまうと、何とも……。だったらこんだけになります」


 少し渋い顔をしながら価格の書かれた羊皮紙を差し出す店主に、エリアルは満足そうに書かれただけの金額を払う。


「それでは、行きましょうか」


 そう言って、エリアルはアカネの手を引いて歩き出す。エリアルの様子を見ていたアカネは、なんとなくエリアルの横に並んで歩くことにした。

 この青年は区別や差別されることを嫌うのだ。自分の騎士団長という肩書きを振りかざすことなどなく、むしろ、そんなものなどいらないくらいに思っているではないだろうか。

 そう考えると、やはり自分の考え過ぎで、この青年は純粋な親切心から、自分とレイを受け入れてくれていたのではないかと思い始め、疑っていた自分が馬鹿らしく感じる。


「もう少し歩きましょうか」


 お腹もいっぱいで少し慣らしたいと思ったし、特に断る理由もなかったので、アカネは無言のままその提案に頷いた。アカネの猜疑心とは裏腹に、街の中は相も変わらず喧騒に包まれていた。




 二人は喧騒の中を他愛の無い話をしながら歩いていく。いつもと何も変わらない、確かに表情は読み難いけれど、それでもどこか優し気のある笑みを浮かべるエリアルに、いつの間にか気を許すように彼と言葉を交わしていた。

 街の喧騒も相まって、どこか落ち着いた雰囲気に包まれたまま、二人は大通りを進んでいく。最近はすっかり街を歩かなくなったので、久しぶりに見る景色に懐かしさを覚えながら、アカネはエリアルとの会話を楽しんでいた。

 そんな楽しい時間はいつの間にか過ぎていき、気付けば太陽が朱色の光を放ちながら、街並みを照らし出していた。


「そろそろ帰らないと、おにいちゃんが心配するから」


 あんな喧嘩をしたけれど、レイはきっと心配してくれている。アカネにはそれがなんとなくわかっていた。


「そうですね。では最後に一つだけ寄りたい場所があるのですが、よろしいですか」


 これだけ歩いたにも関わらずまだ行きたい場所があるというのだろうか、と疑問に思いはしたものの、一か所くらいなら別に構わないと思い、それを快く了承した。


「こっちですよ」


 そう誘導するエリアルの背中を追っていく。

 だんだんと雰囲気が暗くなっているのは、沈んでいく太陽のせいだろうか。それにしても、どこか見覚えのあるような、記憶の棚を引っ張り出せば思い出せるような景色な気がしていた。

 しかし、そんな記憶の欠片を引っ張り出すよりも早く、事態は一変した。

 目の前に、見るからに怪しい男が、刃物をチラつかせながら立っているではないか。

 それでも、自分の前に立っているのはこの国最強の騎士。何も心配することはない。あの日のように目の前の男を……。


「えっ」


 そんな思考を巡らせている最中、不意に左腕を強く引かれ、アカネはその力になされるがまま、怪しい男の前へと躍り出た。

 今自分がどうなっていたのか、自分で自分が理解できなかった。

 唯一理解できたのは、自分の腕は下卑た笑みを浮かべながら佇む男に、痛みを感じるほど強く握り絞められていたということだけだった。


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