妹を護るために
「聞いたかい?最近この国の子供が何人か失踪しているらしいのよ。軍も動いているみたいなんだけど、犯人の足取りは全く掴めていないらしいわ。恐いわよねえ……」
レイとアカネがとある場所に向かっている途中、何度か耳にした子供の失踪事件。その話をしているのも一人や二人ではないため、恐らく噂ではなく本当に起こっている事件なのだろう。
そんな話を聞くと、子供二人で歩いている自分達も、いつその事件に巻き込まれてもおかしくはない為、無意識のうちに人通りの多い道を選択するようになっていた。
そんな事件の噂が耳を通りすぎていく度に、右の掌に小さな震えを感じる。離れないように、ぎゅっと握り締められた掌に。
「大丈夫だ。アカネには俺が付いてる。俺が絶対に、お前を護ってやるから」
不安そうに握りしめられた掌をそっと握り直してから、レイはアカネの気を落ち着かせるように、アカネにだけ聞こえるような声で言葉を掛ける。すると、アカネの不安そうな表情が少し和らいだ。
あんなことがあってから、アカネは更に神経質になり、レイもこれまで以上に周囲に気を配るようになっていた。そのせいで、そんな噂が余計に耳につく。
「噂では奴隷商人と繋がっていて、誰かがこの国の子供を奴隷商人に売りさばいている、何て話も聞くわ」
「あら、私が聞いた噂は、この国の誰かが地下に子供を閉じ込めているって話だったわよ」
「うちは軍が見つけられないのは、犯人が軍の関係者だからじゃないかって聞いたわ。この国の軍がこんなにも見つけられないのは珍しいけど、犯人が軍の内部にいるってんなら、それも頷けるわよね」
噂が噂を呼び、何が真実なのか不明瞭になっていく。だが、一つだけ確かな事実は、この国の子供たちが行方不明になっているということ。
レイとアカネは人通りの多い大通りを歩きながら、ようやく目的の場所に着いた。
そこはこの国で一番大きな建物『ロンドナザ城』。二人が辿り着いたのは、城の前に鎮座する、巨大な城門。
「あの……」
近づいてみると思った以上に大きな城門に少し尻込みをしてしまったが、何とか勇気を振り絞って、レイは城門を警備していた衛兵に声を掛けた。
「なんだい?何か困った事でもあったのかい?」
巌のような顔つきの衛兵だったが、わざわざこちらの視線に合わせるように身をかがめ、優しげな笑みを浮かべながらこちらに尋ねてきた。
「あ、あの……、このお城にエリアル・ヴァルドレアさんはいらっしゃいますか?」
緊張のあまり、滑舌が悪くなってしまっていたのが仇になったのだろうか、その質問を聞いた衛兵の表情が芳しくない。一先ず、はっきりと伝えなければと思ったレイは、もう一度ゆっくりとその名を告げる。
「エリアル・ヴァルドレアさんはいらっしゃいますか?」
すると、衛兵は慌ててかぶりを振ると、困ったような表情を浮かべながらこちらに告げる。
「ああ……、いや、別に聞こえてなかった訳じゃないんだが……。坊主、その名をどこで聞いた?」
どうやら、こちらの言葉が通じていなかった訳ではなく、その名を聞いての反応だったようだ。もしかして名前を間違ってしまったのだろうか。
「えっと……、先日街で助けてもらって、そのお礼を言おうと……」
何がその衛兵にその表情をさせるのかがわからず、レイも緊張のあまり言葉が頭から出てこない。
「ううん……」と唸りながら、衛兵は頭を掻いて何やら困惑顔を浮かべる。何か不味いことを言ったのだろうか。
「あのな坊主、確かにそのお方はこの城にいるが、子供が面会を求めて、はいそうですか、って会えるようなお人じゃないんだ」
どうしてだろう?目の前の衛兵はエリアルより余程年輩のはずなのに、エリアルのことを敬うような言葉遣いで彼のことを話す。レイは彼のことを若手警備兵くらいに思っていたのだが、どうやらその考えは改めなければいけないのだろうか?
すると城門の先に人影を感じて、視界を遮る衛兵の肩口から覗き込むと、そこにはいつか見た年不相応な凛々しさと、年相応な奔放さを併せ持つ軍服姿の青年が、後ろで小さく結われた青髪を揺らしながらフラフラと歩いていた。
「ヴァルドレアさん!!」
レイはその姿を見つけた瞬間、慌ててその名を口にした。不意に名を呼ばれたエリアルは、不思議そうな表情でこちらに振り向きレイの姿を視認すると、気さくな笑みを浮かべて手を挙げながらこちらへと歩み寄る。
「やあ、いつかの少年じゃないか」
市民と軍人を分け隔てる境界であるにも関わらず、エリアルは何も気にすることがないように、その境界をスルッと通り抜ける。
「お、お久しぶりです」
レイが頭を下げると、「そんな堅くならずに」と肩を叩いて顔を上げさせる。レイが驚いたのは、彼が辿り着いた途端に頭を下げたのはレイだけでなく、レイをこの場に留めていた衛兵までもが、深々と頭を下げたのだ。
「君たちもいつも言っているだろう。僕はそういう堅苦しいのが苦手だって……」
そう告げるエリアルに、衛兵は小さく目許を歪ませて、困惑した表情を浮かべる。
「いえ、そういう訳にはいきません。騎士団長様」
その衛兵の言葉を耳にして、レイは思わず目を見開いてエリアルを凝視した。その眼に焼き付けられているのは、自分とそこまで大きく年の違わない青年の姿だ。そんな彼が、一国の騎士団長など……。
「うっ……。しまったな……。せっかく僕の地位を知らない友達が作れると思ったんだけど……」
エリアルは言葉通りに、しまったというような苦い顔を浮かべながら、恥ずかしさを取り繕うように頭を掻き始める。
「年齢も君たちの方が上なんだし、むしろ敬わなきゃならないのは、僕の方だと思うんだけど……。こういうのって、年功序列だと思うし」
「いえ、年齢など所詮は無駄に生きた時間に過ぎませぬ。その年齢で騎士団長に任命されたあなた様こそ、敬うに相応しい」
「これまでの人生を自分で無駄って言わなくても……」
どうもエリアルがここを動くまで、彼は頭を上げる気はないらしい。そんな衛兵の姿に困り果てた様子のエリアルは、思案顔を浮かべるとレイを手招きした。
レイはその手に導かれるように足を踏み出し城門を越えようとした途端、これまで頭を上げなかった衛兵が勢いよく表情を上げた。
「いけません!!城に関係無い者を、そう易々と城内に入れる訳には」
見開いて向けられた視線にレイが怯えていると、レイを導き入れた張本人が衛兵をなだめるように、優しい声音で告げる。
「それについては心配いらないよ。彼は僕の友達だし、彼女はその妹だ。それに、この国で一番地位の高い騎士が付き添うんだよ。それこそ、他の誰が一緒に城内に入るよりも、よほど安全だと思わないかい?」
その言葉を聞いて、衛兵の見開かれていた瞼がゆっくりと元の姿に戻り、後に残されたのは先程の威厳を失った困り顔だけだった。
「それに、もし彼らが何かしたとして、僕が遅れを取ると思う?」
「いえ、確かに杞憂でありました。申し訳ありません」
衛兵は瞼を閉じて、再び頭を深々と下げる。「だから……」と言いながら、止めさせようとするエリアルを意にも介さず。
それにしても、よくよく考えたら背筋が凍るような会話をされていたことに後々気付いたレイは、身震いと共に、ここでは絶対に余計なことはしないでおこうと決意を固めた。
「それで、どうしてこの城にわざわざ来たんだい?」
応接間のような場所に、手伝うことはないかという女中たちを振り切って、二人だけを連れて入ってきたエリアルは、二人を椅子に座らせて理由を尋ねた。
「まずは、先日のお礼をと思いまして……」
先程彼が騎士団長であると知ってしまい、無意識の内に言葉が堅苦しくなる。それを聞いたエリアルがあからさまに嫌な顔をしたので、レイは思わず口に手を当ててもう一度仕切り直す。
「この前のお礼をしたくって……」
向こうの様子を伺うように少しだけ上目遣いでそう告げると、エリアルの表情が和らぎ優しい顔つきになる。
「この前も言ったけど、あれは公務であって、僕は自分に与えられた仕事をこなしたまでだ。それで君たちが、何か負い目を感じる必要なんて無いんだ」
「それでも……」とこの前と同じ光景を、まるでデジャブのように繰り広げようとしたレイの言葉を遮るように、エリアルは言葉を続けた。
「だから、この話はここでお仕舞い。まずはってことは、他に何かあってここに来たんだろ?僕はそっちが聞きたいな」
相変わらず、一国の騎士団長とは思えない気さくさでこちらに接してくれる。彼になら何を頼んでも受け入れてくれるような、そんな気軽さすら感じる。
「すごく頼みにくいことなんです……、だけど……」
突如として告げられた目の前の青年の地位と、彼が求める友人像が未だに一致せずに、レイはどぎまぎしながら言葉を紡いでいく。
「何でもいいよ。君は僕の友人なんだから、気にしないで言ってくれ。まあ、僕にできる範囲でって、条件にはなるんだけど」
エリアルの方から尋ねてきてくれると、こちらも少しだけ気が楽になる。こういう気の遣えるところが、若年で騎士団長たる所以なのだろうか。
「そ、その……、俺に稽古を就けてくれませんか」
レイは膝に手を付いて深々と頭を下げながら、そんなことを頼み込んだ。正直レイにしても、これについてはダメ元のお願いだったため、直ぐにエリアルの顔を見ることができない。
今回に関しては、エリアルも直ぐに頭を上げてとは言わずに、少しの沈黙を保った後にこう告げた。
「その心は?」
優しく告げられたその言葉は、しかし明確な意志が宿っていた。そう簡単に、この頼みを受け入れる訳にはいかないという。
「俺とアカネは、遠い国から旅をしてここまで来ました。親もいなくて、俺がアカネを護るしかありません。でも、俺はまだ戦い方を知らない。この前だって、ヴァルドレアさんが来てくれなかったら……」
その先は想像もしたくなかった。アカネがいない未来なんて、生きている意味すらないと思えるから。だから、エリアルには感謝してもしきれない。
そんな恩義のある人に、迷惑を掛けるのは心苦しいが、こんなことを頼めるのは彼しかいない。ただ、その地位の高さを聞いてから、彼に物事を頼むことがどれだけ敷居が高いのか、ずっと考えていた。
レイは説明している間も、ずっと頭を上げることが出来なかった。だから、エリアルがその間にどんな表情をしていたのか、レイには計り知れない。けれど、次に彼の口をついて出たのは、とても優しげな声音だった。
「じゃあ、そのヴァルドレアさんっていう呼び方を止めてくれたら、稽古を就けてあげてもいいよ」
「えっ?」
レイはその言葉に呆気にとられた声を漏らしながら思わず顔を上げる。そこにあったのは、優しげな微笑みを浮かべるエリアルの姿があった。
まさか本当にこの頼みを受け入れてくれるとは思っていなかったので、驚きのあまり数秒間言葉を失っていたレイは、エリアルが名を呼んでくれるのを待っているのに気がついて、慌ててその名を呼ぶ。
「エリアルさん……」
恐る恐る敬称をつけながら呼んだ下の名は、しかしエリアルには受け入れられず、首を左右に振られてしまった。
ならば、残された呼び方は一つしかない。けれど、本当にこんな呼び方が許されるのだろうか。相手は騎士団長なのだ。それでも、これを乗り越えれば稽古を就けてもらえるのだ。ならば、呼ぶしかない。
「エリ、アル……」
覚束ない様子で呼ばれたその名に、エリアルはようやく首を縦に振る。どうして呼び名などにそんなにこだわるのか、ただの浮浪者のレイにはさっぱりわからなかったが、きっと騎士団長なりの苦労みたいなものがあるのだろう。
「じゃあ、もう一度。次はすんなりと」
「えぇ……」
何が楽しいのか、人差し指を立てながら楽しそうにそんなことを言うエリアル。ここは城の中で、誰が聞いているかもわからないのに、そう易々と騎士団長を呼び捨てていいものなのだろうか。
渋い顔をしながらも、覚悟を決めたレイは、少しだけぶっきらぼうに彼の名を呼んだ。
「エリアル」
またも満足そうに首を何度も縦に振るエリアル。
「いやぁ、こういう地位になると、気安くそうやって呼んでくれる人も少なくてね。友達が出来たみたいで嬉しいんだよ」
どうやら自分が調子に乗っているという自覚はあるようで、嬉しそうに自らの青髪を掻きながらそんなことを言う。
レイは精神的疲労で溜め息を吐きながら、脱力するように身体中の緊張を解くと、少しだけ恨めしそうな視線をエリアルに向ける。
「本当にいいんですか?そんな呼び方して」
まあ、本人にというよりも、城内の目は大丈夫かと言う意味で尋ねたのだが、またしても彼には受け入れられなかったようで、エリアルには首を横に振られてしまう。
「敬語も止めてくれると、稽古のやる気が変わってくるんだけどな」
最早こちらを弄って楽しんでいるようにしか見えなかった。いや、事実そうなのだろう。
そろそろ疲れてきたレイは吹っ切れたように、深い溜め息を吐きながら、吐き捨てるようにこう告げた。
「わかったよ、もう。タメ口で話せばいいんだろ。その代わり、これはお前がやらせてるってちゃんと城の皆には言っといてくれよ。これが問題で牢獄に閉じ込められでもしたら、一生恨んでやるからな」
もう気など一切遣うことなく、恨めしい視線を向けながら言ってやった。『お前』などと言ってしまったが、もうここまでくればヤケクソだ。こんなことを続けていても、いたちごっこにしかならない。ならば、さっさと踏ん切りをつけてやった方が幾分かマシだ。
「そんなことを気にしていたのかい?もし捕まっても、僕が一言言えば直ぐに出られるから心配しなくてもいいのに」
「だから、捕まるのが嫌なんだって……」
だんだん目の前の彼の人間性を疑い出してきていたレイだが、恐らく悪い人間では無いのだろう。それはこれまで接しただけでも、十分に伝わってきた。
「そういえば、僕の名前ばっかりで君の名を聞いていなかったね」
そう言われて、確かにこれまで名乗ったことが無いことに気がつく。これだけ相手の名を呼んだと言うのに……。
「おれの名前はレイ・クロスフォードだ。で、こっちがおれの妹のアカネ」
相変わらずその地位には似合わない、一切気取ることの無いその笑みを浮かべながら、エリアルは二人に手を差し出す。
「レイ、アカネ。これからも友達としてよろしく頼むよ」
いっそ、その気さくさが少し怖く感じるほどだった。