最高の贈り物
「そこまでだ!!」
凛として佇む青年を見た男は、レイを壁に投げ捨てるようにして解放した。
「何で、こんなところに警備兵さんがいらっしゃるんですかねえ?」
大柄な男は喧嘩腰に、警備兵の青年に向き直る。俺と相対した時と同じように、拳を鳴らしながら威嚇して歩み寄る。
「どうして、と聞かれれば確かにここにいる理由などない。たまたまここを通り掛かっただけだ」
どうしてそんな嘘を吐く必要があるのだろうか。青年は、自分と共に妹を探してくれると言っていたはずなのだが。
いや、だからこそなのかもしれない。こんなことになっていても、彼は自分を建てようとしてくれているのかもしれない。彼は自分とは関係ないと、探しに来たのはあくまでも君の兄だと、アカネに向けてそう告げるように。
「あんたには関係ないだろ。ただのガキ同士のちょっとした諍いに、わざわざ警備兵が顔突っ込んでんじゃねえよ」
大柄な少年は青年に向けて眼を飛ばしながら、ゆっくりと近づいていく。体格差で言えば、間違いなく不良の方が大きい。だというのに、青年から漂ってくるのは一切の揺るぎの無い余裕だけだった。
「警備兵の一人や二人、別に怖くもねえんだよ」
大柄な少年は拳を握りしめ、それを青年向けて思いっきり突き出した。
レイは『危ない』と叫ぼうとしたが、ボロボロになったレイは声を出すことも憚られた。だが、そんな叫びなど青年は必要とせず、それはレイの杞憂に終わっていった。
大柄な男の拳は、まるで巨大な壁に阻まれるかのように、青年の掌に抑えられて全く動かなくなる。自らの掌よりも大きいのではないかと言うくらいの拳を、青年は易々と受け止めて見せたのだ。
「なっ……」
驚きのあまり、大柄な男は言葉を失う。そんな余裕の無くなった男に向けて、余裕の笑みを浮かべた青年はこう告げたのだ。
「関係ならある。そこにいる彼は、私の友人だ。警備兵としてではなく、彼の友人として、私は彼を助けに来た」
「だから」と言葉を続けようとする青年の表情に、一瞬怒りに満ちた鋭さが宿る。
「悪いが、見逃す訳にはいかないのだよ」
そう言って掌に力を入れた青年は、拳を握り力任せに男を投げ飛ばした。間違いなく体重は男の方が重いはずなのに、そんな体格差を微塵も感じさせない青年に、レイは驚きと尊敬の眼差しを送っていた。
「この野郎、調子に乗るんじゃねえぞ」
投げ飛ばされた大柄な男はどうやら退くつもりはないらしい。あれだけの力量の差を見せつけられながら、それでも退こうとしないのは、余程度胸があるのか、それとも力量の差を理解できない大馬鹿なのか。
馬鹿の一つ覚えと言わんばかりに、大柄な男は青年に向けて殴りかかる。先程と同じように拳を止めるのかと思いきや、今度は自分の身体を拳の軌道から反らし、ぽっかりと空いた男の懐に、凄まじい速度の正拳突きを繰り出した。
「うっ……」
嗚咽にも似た音のような声が男から漏れる。そのまま男は、腹部を抑えながら力無く地面に膝を付いた。あの様子だと当分は動くことができないだろう。
「さて、君たちもその女の子を離して、早々に立ち去って頂けると助かるのですが?」
腰にぶら下げられた鞘には一切手を触れることなく、アカネを抑える残り二人の不良に忠告する。
だが、不良たちはそう簡単に諦める気はないらしい。多少痛い目を見ることくらい訳ない程に、アカネには多額の賞金が掛けられているのだろうか。だとしたら、この街にアカネを留めるのは不味いのかもしれない。
もう、自分が戦うことなど微塵も考えていなかった。レイはこれから先どうするか、そんなことを考えられる程に、目の前の青年の実力を信じ切ることができた。
「こっちだって、そう簡単に引き下がれねえんだよ。俺たちの生活が懸かってるんだからな」
線が細く長身の男が遂に刃物をチラつかせる。そんな不良の姿を見ていると、同じようなことをしていた自分に無性に腹が立っていた。
だが、青年は刃物の切っ先から放たれる鋭い輝きなど目にも入っていないように、悠然と立ち尽くし、ゆっくりと残りの不良たちへと近づいていく。
「そんなもので、私を脅せるとでも思ったのですが?あまり軍人を舐めないで頂きたい」
怒りが滲んだ表情で不良たちに近づいた青年は、腰にぶら下がっていた細剣を一瞬で引き抜き、刃物の刃身を切り上げた。刃物はくるくると宙を舞い、不良の背後の床に突き刺さった。
「この国で、他人に刃物を向けることは禁止されているはずですが?今の行動は、君たちを軍の牢獄にぶち込む十分な理由になることを、君は理解していますか?」
青年の声音に凄みが増す。流石の不良も戦意を削がれ、脚はガタガタと小刻みに震えていた。どうやらこの国には規則があるらしい。彼の様に、警備兵が治安を護っているのだから、そう言った決まりがあっても何らおかしくは無いのだ。
「もう一度だけ問おう?今すぐその少女を解放し、この場から立ち去る気はありませんか?」
その声音と鋭い眼差しを受けて、流石の不良たちも慌てて踵を返すと、地面に突き刺さった刃物には目もくれずに走って逃げ去っていった。腹部を抑えていた大柄な男の姿もいつの間にか無くなっていた。
不良たちから解放されたアカネは、自分の身の安全を確認するよりも先にレイの元へと駆け寄った。
「おにいちゃんっ!!」
泣きそうなほど震えた声で兄を呼び、アカネは地面に横たわるレイの頭を抱き寄せる。
「全然、カッコつかなかったな……。あの人みたいに、カッコよくお前を護りたかったんだけど」
そんなことは無理だとわかっていても、見栄を張りたいお年頃なのだ。
そんなレイの言葉にアカネはブンブンと首を横に振り、瞳を涙の海に溺れさせる。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……。わたしがおにいちゃんの言うことを聞かなかったから……」
十分に反省しているようだし、これ以上彼女を責める気にはなれない。そもそもこんなボロボロの姿では、彼女に説教する気など起きはしない。
「もういいよ……。無事でよかった……」
そう言いながら、優しくアカネの頭を撫でてやる。瞼を閉じるアカネの瞳から、涙の粒が彼女の頬を転がるように数滴落ちる。そんな熱を帯びた水滴が、レイの頬を優しく撫でていく。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……」
何度も何度も謝罪の言葉を口にしながら、その度に涙の雨を降らせる。今更になって、恐怖心が込み上げてきたのか、アカネは謝罪の言葉を紡ぎながら、小さく震えていた。アカネにとって、兄であるレイが傷付くことが、一番耐えられないことだった。最早、たった独りになってしまった家族なのだから……。
「だから、もういいってば。いつまでも泣いてたら、俺だって哀しくなるだろ」
泣き止んで欲しいと言う願いを込めて、レイはアカネの瞼をそっと撫でて涙を拭い去る。
「いつも、アカネは俺に笑っていて欲しいって言うだろ。それは俺だって同じなんだ。だから、笑っていてくれ。そしたら、今日のことは全部許してやるから」
レイが優しげな表情を浮かべながらそう告げると、アカネは必死に自らの腕でもう一度目許を拭い、真っ赤に充血した目を見開くと、まるで蕾がパッと花開くような笑顔を咲かせた。それはとても不恰好で、ぎこちない笑顔だったけれど、間違いなくレイの為に向けられた笑顔だった。
だからだろうか、その笑顔はアカネのモノとは思えない程に綺麗にレイの瞳に映し出されていた。
「それで、なんで俺にあれだけ頼み込んで一人で出かけたかったか、ちゃんと理由を説明してくれるか?」
アカネが泣き止み、レイの痛みも少しずつ薄れ、ようやく自分で立ち上がれるようになった頃、レイはアカネに今回の事の顛末を尋ねた。
アカネはその問い掛けに対して、少しだけ固まったままでこちらを眺めながら、ようやく何かを答えてくれるのかと思えば、懐から先程握りしめていた黄土色の布袋を取り出した。
どうやら、アカネは言葉を発するつもりはないらしく、その布袋をレイに向けて差し出す。
「これを、俺に……?」
レイは少し困惑しながらそう尋ねると、アカネは小さく頷いた。レイは未だに事情を理解できないままその布袋を受け取ると、少しだけずっしりとした重みが掌に圧し掛かる。
「開けても、良いのか?」
恐る恐るアカネの様子を覗うように尋ねると、アカネは再び小さく頷く。レイは布袋の紐の結び目を解くと、袋の中に入っていたのは白く小さな金属の粒を繋ぎ合わせた首飾りだった。
「お前、これ……?」
レイが不意に渡されたプレゼントに困惑しながらアカネの表情を覗くと、ようやくアカネが口を開こうとする。
「おにいちゃん、おたんじょうび、おめでとう」
そう言われて、自分が誕生日だったことをようやく思い出す。この一年近く、あまりにも忙しく時が流れていったため、自分の誕生日など記憶の奥底に追いやられてしまっていた。
「これの為に、一人で出掛けたのか?」
アカネはそんな問い掛けに、申し訳なさそうにもじもじとしながら、少しだけ潤んだ瞳で上目遣いをしながらこう言った。
「おにいちゃんを、おどろかせたくって……。おにいちゃん、自分のたんじょうび、忘れてるみたいだったし……」
こんなことを言われて怒れる訳がない。めちゃくちゃ甘いのは十分に理解している。今だけはシスコンと卑下されても仕方ないと思う。
我慢できなくなった俺はそんなアカネを抱き寄せ、離さないように強く抱きしめた。
「ああ、もう……。全部俺が悪かったよ。お前の気持ちも考えないで、勝手に後を追っかけたりして……。ありがとな……、本当にありがとな……」
ようやくアカネが泣き止んだというのに、今度はレイが泣き出してしまいそうになっていた。でも、この涙は流しても良い気がしていた。嬉しい涙なんて、そうそう流せるものじゃない。
「おにいちゃん、痛いよ……」
いつかと同じように、言葉とは裏腹に、全く嫌そうではない声音でそんなことを言う。そう言われても、今日は弱める気にはなれなかった。彼女の熱をしっかりと感じていたかった。
レイの気持ちの昂ぶりが収まり、ようやく落ち着きを取り戻した頃、レイは最後に一言だけアカネに忠告した。
「アカネ、一つだけわかっておいて欲しいことがある」
突然真面目な表情で投げかけられたその言葉に、アカネは緊張感を増すように小さく息を呑む。
「さっきも言ったけど、俺はアカネのことを信じていない訳じゃない。ただ、心配なだけなんだ。実際、今日みたいなことが、いつ起きたっておかしく無い。ここは、そういう世界なんだ。だから、頼むから、これからは一人で出掛けたいなんて言わないでくれ」
アカネの両肩に手を置いて、アカネを凝視するように瞳を覗き込む。自らの気持ちを余すことなく伝える為に、彼女に誠意を伝える為に……。
アカネは少しだけ心苦しそうに表情を歪めると、小さく頷いた。
「でも……」
そんな彼女の表情が見ていられなくて、レイは飛び切りに明るく振る舞う。
「今日はすごく嬉しかった。本当に嬉しかった。だから、今度は一人じゃなくて、二人で一緒に買い物しに行こうな」
「うんっ!!」
レイがそう告げると、靄の掛かっていたアカネの表情が一気に晴れ、太陽の様にまぶしい笑顔が顔を覗かせる。レイは、優しげな笑みを浮かべながら、アカネの頭に掌を乗せて、何度言っても物足りない程の感謝の言葉を述べる。
「本当に、ありがとな」
そんな二人の手首には、いつの日か二人で一緒に買いに行った、二人の髪色と同じ二色の腕飾りが掛けられていた。
「それじゃ、私はこれでお暇させてもらうよ」
すっかり蚊帳の外に追いやられていた警備兵の青年が、二人の様子を見計らって別れを告げようとしていた。二人きりの世界のはずだったのに、それを誰かに見られていたことを理解して、レイは一気に表情を赤らめた。
青年が踵を返し、この場から立ち去ろうとした後姿をレイは慌てて呼び止める。
「あの……、今日は本当にありがとうございました」
レイは深々と青年に向かって頭を下げる。そんなレイの様子を見て、アカネも戸惑いながら、レイの隣に並んで頭を下げていた。
「別に、私は公務を行ったまでだよ。この国の安全を護ることが私の仕事だ。私が行ったのは、その範疇に過ぎない」
顔だけをこちらに向けて、本当に何も気にしていない様子の笑みを二人に向ける。
「それでも、ありがとうございました」
レイはもう一度頭を下げると、青年は手を挙げてそれに答える。
「ああ、ならばその謝礼はありがたく受け取っておこう。では……」
そう言って再び二人に背を向ける青年に、レイは最後の質問を投げかけた。
「よかったら、名前を……、名前だけでも、教えてくれませんか」
その必死さが伝わったのか、最初から教えてくれるつもりだったのか、青年はもう一度だけ振り返り、その名を告げた。
「エリアル・ヴァルドレア。この国のしがない警備兵さ」
その言葉を最後に路地の中に溶け込むようにして、エリアルの姿は消えていった。