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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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下卑た視線

「おにいちゃん、そっち」


「ああ、わかってるよ」


 アカネが黒い毛並みを追いかけて、その先にレイが回り込む。黒い毛並みはしっぽを左右に揺らしながら、必死にアカネから逃亡するが、その先にいるレイには全く気が付いていない。

 突如として現れたら自分よりも大きい物体に、その黒い毛並みはそれを思いっきり逆立てて急ブレーキを掛けるが、銀髪を携える少年に抱きか抱えられてしまい逃げ場を失った。


「よしよし。ほら、暴れるな」


 ニャーッ、と威嚇するようにその綺麗な漆黒の毛並みを携えた猫はレイの腕の中で暴れる。エメラルドグリーンの双眸は、離せと訴えかけるように鋭さを増している。


「お前、俺のことがそんなに嫌いなのか」


 レイは呆れたような顔をしながら黒い猫の顔を覗き込む。そんなレイに向かってグルル……、と喉を鳴らしながら威嚇する猫の頭を背後から優しくアカネが撫でると、猫はあっという間に大人しくなる。


「おにいちゃんの顔がこわいんじゃないの?大人しいよ、この子」


 そう言いながらアカネが猫の頭を優しく撫で続けていると、いつの間にか黒い猫は気持ち良さそうに瞼を閉じて、先程とは打って変わって気持ち良さそうに喉を鳴らしていた。


「なんか納得いかないけど、大人しくしていてくれるなら、それに越したことはないか……」


 レイはため息混じりの苦笑を漏らしながら、楽しそうに猫の頭を撫でるアカネを眺めていた。

 アカネはなかなか元気を取り戻してはくれなかった。それは当然だ。大好きだった自らの両親と決別して、心を痛めない子供などいるはずもない。アカネがいなければ自分だって叫び散らしていたと思う。

 それでも、アカネがいたから自分は強くあり続けることができた。自分が弱音を吐き出していたら、誰がアカネの弱音を受け止めてあげることができるだろうと考えれば、自分を強く持ち続けることができた。

 彼女は故郷を飛び出すとき『笑っていてほしい』と、そう言った。だからレイはいつも、どんなときでも笑顔で居続けた。少しでも彼女の支えになれるように。

 夜な夜な赤子のように泣き出すアカネを、一人で何処かへ隠れては泣いていたアカネを、自分の顔を見た途端何かが崩れるように泣き出すアカネを、レイはただ笑顔で受け入れて抱き締めた。

 そんな努力の甲斐もあって、アカネは少しずつ元気を取り戻していった。アカネも幼いなりに、レイが自分のために頑張ってくれているのだと気付くことができたのだろう。元気になってからも、レイが居ないところで静かに涙を流すことは少なくなかった。

 けれど、そうやって二人で支え合いながら何とか楽しくやっていた。お互いにお互いがいれば、何でも出来そうだと思えるくらいに。

 二人はあの夜を経た次の日には、故郷の側を離れて隣国へと移動した。

 今はお金があるから宿屋で夜を凌げばいい。だが、それもお金がある間だけの話だ。お金がなければ、子供など直ぐにでも追い出される。それがグランパニア領の国々の実情だ。他人に気を遣っている余裕がある者など、この周辺の国にはいなかった。

 だから、レイはレガリア領に逃げ出そうと考えていた。そうすれば、子供でもちゃんとした仕事を貰えるだろうし、働いてさえ居れば妹一人を養うことくらいできるはずだ。それくらいの覚悟は、幼いレイにだってあった。

 そんな訳で二人は今レガリアを目指して東に進路を取りながら少しずつ進んでいた。子供の脚な上に、お金を消費するだけという訳にもいかないので、仕事を貰うことができる国では、宿に泊まって働きながら生活をしていた。お陰ですっかり時間が経っているにも関わらず、まだグランパニア領を抜けることが出来ないままでいた。

 けれど、レイの中には急いでも仕方がないという思いがあった。働くことが出来れば子供二人だけならお金に困ることはあまりないし、夜を国の外で過ごすことになれば、奴隷商人に見つかって捕まってしまうことだってあるだろう。

 だから、ゆっくりでもいいから確実にレガリア領へと向かうことにしていた。二人一緒なら、そんなゆっくりした時間もあっという間に過ぎていったから。


「じゃあ、依頼人のところに行こっか」


 そんな訳で、現在二人は既に故郷から大きく離れた国『ロンドナザ』に腰を下ろしていた。かれこれ一ヶ月近くこの国で過ごしている。砂漠も離れ、二人からすれば寒いくらいに過ごしやすい土地だった。

 仕事も案外簡単に貰え、グランパニア領の中でも比較的温厚な国だったため二人はこの国を気に入り、思ったよりも長くこの国に滞在していた。ちなみに今受けている仕事は、逃げ出した飼い猫の捕獲だ。


「お前も本当は逃げ出したいのかもしれないけど、これも仕事だから我慢してくれよ」


 そういいながらレイが黒猫の頭を撫でてやると、グルル……、と機嫌悪そうに喉を鳴らす。アカネと同じ事をやっているはずなのにどうして……、と思わずにいられないレイは深い苦笑を漏らしていた。


「あははは……、おにいちゃんきらわれちゃったねぇ」


 そんな風に鈴の音を鳴らすような楽しそうな声音の笑みを浮かべながらアカネが黒猫の頭を撫でてやると、黒猫も急に大人しくなるもんだから、アカネは更に楽しそうな笑みを浮かべる。

 そんなアカネの顔を見ていれば、黒猫に嫌われることなんて気にもならないと思えた。世界の誰に嫌われようとも、アカネにさえ好かれていればそれでいいと思えた。


「俺は別にこいつに嫌われたって、アカネに嫌われなかったらそれでいいんだよ」


 そう思ったら、いつの間にか口にしていた。まあ、二人の間に隠し事は無しって約束もしていたし、これくらいのことを口にしたって恥ずかしくも何ともない。などと、レイが自分に言い訳をしていると、アカネがレイを覗き込んで少し意地の悪い笑みを浮かべていた。


「ねえ、知ってるおにいちゃん。家族は『けっこん』できないんだよ」


 何を勘違いしたのか、突然そんなことを言われたレイは恥ずかしがるよりも、思わず呆然として言葉を失ってしまった。


「いつの間にかおにいちゃんをゆうわくしちゃうなんて、私、つみつくりな女」


 レイが言葉を失っていると、頬を染めながらそんなことを言い始めるアカネに、流石のレイもアカネに対してため息を吐かざるを得なかった。


「何馬鹿なこと言ってんだよ……。っていうか、どこでそんな言葉覚えてきたんだ」


 どうやらアカネワールドはまだ続いているようで、相変わらず赤く染めた頬に手を当てながら告げる。


「何言ってるの、おにいちゃん。女は男の知らないうちにせいちょうするんだよ」


 どうやらアカネは何かの病気に犯されたらしい。どう考えても様子がおかしい。まあ、一年近くも色んな土地を歩き回っていれば、変な言葉をそこら辺で覚えてきても何らおかしくはないのだが。


「退化してないといいけどな……」


 レイが苦笑混じりにそんなことを言うと、アカネは可愛らしく首を傾げながら、唇に人差し指を当てて「たいか?」と疑問符を浮かべていた。

 どうやら根本的には何も成長していないようで、レイは少し安心して胸を撫で下ろす。まあ、よくよく考えればそれもそれでどうなのだ、という話にはなるのだが……。


「何でもないよ。ほら、早く飼い主のところに行くぞ」


 レイが先に向かって歩き出すと、未だに首を左右に傾げながら何やら考え込んでいるアカネが、慌ててレイの背中を追って走り始める。


「あっ……、ちょっと待ってよ、おにいちゃん!!」


 どうやらまだしばらくは、あの日のようにアカネの背中を見ることはないらしい。





「あらぁ、チェルシー帰って来たのぉ。よしよし……」


 どうやらあの黒猫の名前はチェルシーというらしい。飼い主であるかなり恰幅のいい女性が、二人が連れてきた黒猫を潰れるんじゃないかと思うくらいに強く抱きしめていた。必死に逃げ出そうとする黒猫の姿を見ていると、連れてきた身ながら黒猫に同情してしまう。

 それにしても、とても豪勢な衣服に身を包んでいる。恐らくこの国の貴族なのだろう。この家だって、故郷では見たことのないような大きさと、きらびやかさを放っていた。軍事国家と成り果てていた故郷では、貴族のような存在はほとんどいなかったので、二人にとっては目新しく映っていた。


「貴方たちもよくやってくれたわ。それにしても、女の子の方は可愛いわねぇ。ねぇ、私の子供にならない?悪いようにはしないわよぉ」


 下卑た依頼主の視線が突然アカネの方に向けられたため、レイはそれを遮るようにアカネの前に立ちはだかる。突如として向けられた下卑た視線にアカネは恐怖で唇を噛み締めながら震えている。


「申し訳ないけど、俺の妹は誰にも渡す気はないですよ。仕事はちゃんとやったんですから、報酬だけもらって帰ります」


 レイは依頼主を睨みながらはっきりと断りを入れる。アカネはまだ幼いから、直接的な悪意や恐怖に馴れてはいない。レイが護ってやらなければ、負の感情に圧し込められていとも容易く崩落してしまう。

 レイと依頼主が睨み合い無言の戦いを続ける中、ようやく依頼主が折れたのか、下卑た笑み表情の裏に引っ込める。

 そして、そのまま二人の元にゆっくりと歩み寄ると、意外なことに、肥えて指輪が外れなくなった掌をレイの頭に乗せると少し手荒に撫でた。今噛みつくと報酬が貰えない可能性もあるので、今は為されるがままに受け入れる。


「貴方の覚悟に免じて、その女の子は諦めてあげるわ」


 そう言って頭から掌を離すと、懐から重たそうな中身が入った布袋を取り出して、それをレイに差し出す。


「じゃあ、今回の報酬ね。女の子の方は、私の元に来てくれさえすれば、いつでもこれくらいのお金をあげるからねぇ」


 一瞬だけ下卑た笑みが表に顔を出したが、それ以上のことは何もしなかった。依頼主はそれだけを言うと、踵を返して二人の元からゆっくりと離れていき、数歩歩いたところで立ち止まる。


「それにしても貴方、それだけ重度のシスコンだと、将来が楽しみねぇ」


 最後にこれまでで一番の下卑た笑みを、依頼主は初めてレイに向けて浮かべた。そして、ゆっくりした重い足取りで二人の元から離れていった。そんな依頼主の後ろ姿に、レイは呟くような小さな声で吐き捨てた。


「そんなんじゃねえよ……」


 そう、そんなものではない。レイはただ、妹の幸せを願っているだけ。自分と共に逃げだす出す覚悟をしてくれた妹を幸せにする義務が自分にはあると思うから。妹が本当に自分から誰かの元へ行きたいと言うのなら、喜んで送り出すつもりだ。

 依頼主の姿が見えなくなり、アカネはそれでもレイの背後で小刻みに震えていた。そんなアカネがとても儚げに感じて、レイは優しくアカネを抱きしめた。


「大丈夫か?」


 レイの胸の中でゆっくりとアカネの震えが収まっていく。アカネはいつの間にか、何かにすがり付くように、レイの衣服をぎゅっと握りしめていた。


「よく頑張ったな」


 アカネにだけ聴こえるような小さな声で囁きながら、優しく頭を撫でてやる。

 二人が故郷を離れたあの日から、アカネは恐怖や悪意に敏感になった。酷いときは、それを感じた途端に錯乱状態に陥ることもある。それだけ、あの日の記憶はアカネの中に深い傷跡を残していったのだ。

 アカネが恐怖に充てられたとき、レイはいつもこうしている。こうすれば、アカネは落ち着きを取り戻してくれる。

 今日はよく耐えてくれた方だと思う。久しぶりの直接的な悪意に、震えるだけで留めたのだから。


「もう、心配しなくていいから……。俺がずっと一緒にいてやるから」


 普段ならこんな恥ずかしい言葉が口から出てくることはない。けれどアカネのためを思えば、これくらいのことは別に苦でもない。

 やがて俯いていたアカネの顔がゆっくりとレイの方を見る。アカネと視線を交えたレイは、アカネに向かって優しく笑みを投げ掛ける。アカネもそれに応えるように、まだ違和感の残る不器用な笑みでレイに応える。


「じゃあ、宿に戻ろっか」


 笑みを浮かべたままアカネにそう告げると、アカネは黙って一度だけ首を縦に降った。


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