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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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止められなかった後悔

 なんて大袈裟な言い方をしたけれど、私にはアカツキほど劇的な歴史がある訳じゃない。本当に、ただの平凡な家庭に生まれて、平凡に暮らしていただけだった。優しい両親がいて、大好きな兄がいた。私が覚えているの何て、それくらいのものだ。ただ少し、運が悪かった。それだけなんだ……。


「じゃあ、行ってくる」


 あの日、幼いアカネは自らの父が軍服に身を包んで、家から出ていく姿をただジッと見つめていることしかできなかった。これから父がどんなところに行くのか、何をしに行くのか、そんなもの齢四つのアカネには到底理解できていなかっただろう。

 けれど、五つ上の兄はそれを理解していた。だから、アカネの兄はあの日、アカネが聞いたことの無いような声音で叫んだのだろう。


「行くなよ。俺は知ってるんだ。今回の戦争は絶対に勝てっこないって。街の皆だってそう言ってる。金を持ってるやつらは既に他の国に亡命してるって」


 アカネには兄が並べ連ねた言葉の一つも理解ができていなかった。ただ、兄の聞いたことの無いような声音に、これから怖いことが起こるということだけを感じ取っていた。


「戦争に行かなくたって、俺たちと一緒に他のどこかへ逃げればいいじゃないか。探し回ったら、俺たちでも受け入れてくれる国があるかもしれないだろ」


 自分が兄と同じ年だったとしたら同じことが言えていただろうか。恐らく無理だろう。元々アカネが暮らしていた国は何度も戦争を行い、劣勢を続けながらも、何とか生き残ってきた国だった。

 この国の王が好戦的で所構わず他の国に戦争を仕掛けていた訳ではない。砂漠の土地で、他の者たちから嫌煙されがちだった土地に国を建てたのだが、そこから『油田』が採掘されたのだ。

 最初はもちろんその事実は隠蔽されていた。そんな事実が諸外国に漏れれば、この国が襲われることは明白だったからだ。その土地を売り、他の場所に国を建てるという案もあったのだが、その頃にはすっかり国民も増え、そう簡単に移住ができるような状態ではなくなっていた。

 だが、どれだけ隠蔽しようとしても、いずれ何処かから情報は漏れてしまう。今となっては、誰が情報を漏らしたのかなど、どうでもよくなってしまった。ただ、この国『オルベリア』は、自らの国を護るために、多少有名な軍事国家になるしか道は残されていなかった。

 そんな国で九年間も育ったからこそ、アカネの兄は容姿よりも大人びた思考を持っていたのだろう。


「止めなさい、レイ」


 そんな、父を止めようとしたアカネの兄『レイ』を止めたのは、父ではなく母だった。レイを止める母の瞳には、自分の気持ちを必死に抑え込もうとする戸惑いの色が揺らめいていた。


「あなたもわかっているでしょう。私たちが、この国を出たところで野垂れ死ぬか、奴隷商人や野盗に見つかるのが関の山よ。それなら、少しでも希望が残っているのなら、戦って私たちを護ろうっていうお父さんの気持ちがどうしてわからないの?」


 そう言う母の表情はとても苦しそうで、今にも泣き出しそうに小刻みに震えていた。きっと母も兄のように無理矢理にでも父を止めたかったのだろう。それでも、大人として我慢をするしかなかったのだと思う。


「わかるかよ。俺は軍人なんかじゃないから、そんな気持ちわからねえよ」


 遂に兄の涙腺は崩壊し、みるみる内に兄の瞳が潤んでいく。どれだけ思考が大人だったとしても、心はまだ子供なのだ。我が儘を言って、我が儘が通らなければ涙を流す。そんな、ただの無邪気な子供なのだ。

 そんなレイの姿を見て、扉へと掛けていた手を下ろした父は、ゆっくりとレイの元へと歩いていく。そして、少しの間黙ってレイの目の前で佇んだ後、そっと腰を屈めて、視線をレイに合わせる。

 固くゴツゴツとした掌が、優しく包み込むようにレイの頭へと添えられる。


「大丈夫、父さんは必ず帰って来るから。だから信じて、待っていなさい」


 レイは溢れ出す涙をグッと堪えて、父の視線を真っ直ぐに受け止める。今は涙を流す時ではないと、自らを戒めるように拳を力強く握っているのが、離れた所にいるアカネですら気づくことができた。

 レイはジッと父と視線を交わした後、思いついたようにコクリと首を縦に振った。そんなレイの姿を見た父は、少しだけ皺の拠った口許を緩めて優しい笑みを浮かべる。


「じゃあ、母さんとアカネをよろしく頼む。男はお前だけしかいないからな……」


 そう言って父はレイの頭から、その大きな手を離すと、レイに背を向け外の世界へと出ていってしまった。そんな父の姿をレイは瞬きもせずに、ただジッと見据えていた。その男同士の約束を心に刻み付けるように、力強く拳を握りしめたまま。

 扉が奪っていく父の後姿を、アカネはただ黙って見ていることしかできなかった。




 それから二週間が過ぎたが、やはり父は帰って来なかった。一度戦いに出れば、戦争が終わるまで軍人の安否はわからない。だから残された家族は、ただ自国の勝利を信じて待つしかないのだ。


「おとうさん、今日もかえってこないね……」


 父が今どんなことをしているのか、そんなことを知る由もないアカネは、無邪気にそんなことを口にする。二週間もの間、父が帰って来なかったことなど恐らく一度もなかった。だから、父がいない時間がアカネにはとても長く感じていた。

 この国は自国から戦争を仕掛けることなどほとんどない。この国は攻め込んできた相手を向かい討つことが多いため、戦場は近隣になることがほとんどだ。そんな理由から、軍隊が外で長期滞在することはほとんどありはしない。


「そうね。そろそろ帰って来ないかしらね。寂しくなっちゃうわ……」


 母は無理矢理に笑みを浮かべながら、まるで喉に詰まったものを吐き出せずにいるかのように辛そうな声音で告げる。

 きっと母も既に何かしらの覚悟を決めているのだろう。だが、子供たちの前で、それを悟られるわけにはいかないと必死にその表情を偽っている。

 けれど、まだ幼いアカネにはそれがただ気持ち悪く感じた。微笑んでいる母の、そこにあるはずの表情がそこに無いことに、異常なまでの違和感を覚えてしまう。

 けれど、それがどういった意味合いなのか、アカネにはそれがどうしてもわからなかった。

 隣にいるはずのレイはただ黙って、窓縁に身を預けながら外の様子を眺めていたのだが、なぜか恐くて横を振り向くことができなかった。

 きっと、何か怖いことが起こっている。そう感じたのはさらに一週間ほど経った頃。国中がざわめき始め、毎日のようにどこかで暴動が起き始めていた。

 この頃には多くの者が、自国の敗北を悟っていたり始めていた。そして、これから自らに押し寄せる未来に絶望し、自暴自棄になった者たちが暴動を起こすようになっていたのだ。


「ねえ、どうしておうちをでちゃダメなの?」


 あまりにも凄惨になった国の有り様に、母から家を出るなというように命じられていた。夜になると、毎日のように漆黒の空を照らすように、どこかから火の手が上がる。次は自分ではないだろうか、気が気ではなかった者も少なくは無かっただろう。


「お父さんが帰ってくるまでは、大人しくしていてね」


 そうやって微笑む母の表情には、疲労と困惑が混ざりあったようなものが、巣穴から顔を覗かせる獣のように笑みの裏に潜んでいた。

 そんな母親の表情に、幼いアカネは違和感を覚えずにはいられず「なんで、そんな怖い顔してるの?」と聞きたかったけれど、何故かそれを聞いてはいけない気がして、口を噤んで頷くだけに留まった。


「帰ってくるまでって、いつ帰ってくるんだよ?」


 口を噤んだアカネとは裏腹に、窓縁に身を預けながら外を眺めていたレイは、まるで吐き捨てるようにそんなことを言った。その声音は、これまでのレイからは考えられないくらい、悪寒と恐怖を孕んだものだった。


「お父さんはちゃんと帰ってくるわよ。そうやって約束したじゃない」


 母親の表情が少しずつ歪んでいく。先程顔を除かせていた負の感情が、少しずつその全身を巣穴から乗り出そうとしていた。


「現実的に考えて、この国はとっくに戦争に負けてるんだろ。後は、敵国がこの国に踏み込むのをわかっていながら、ただぼうっとその日を待っているだけなんだろ?ただ、その現実を受けいれられなくて、現実逃避しているだけなんだろ」


 レイの怒気が尻上がりに強くなっていく。それは、これから蹂躙されるとわかりながらも、何もせずにその日を待ち続ける大人たちに向けた怒りだった。

 母の表情から笑みが消え失せていく。その表情を見ていると、心の奥底に鋭い針を突き刺されたような痛みがアカネを襲った。その痛みから逃げるように、アカネは母から目を逸らす。


「そんなわけないでしょ。この国は必ず勝つ。これまでだってそうだったじゃない。父さんは絶対に帰ってくるのよ」


 母のいつもの優しい笑みは、追い込まれたような薄ら笑いに喰い尽くされていた。母は頭を抱えながら、痙攣したように真っ赤に充血した目を見開き、口を震わせていた。その表情は狂気そのものだった。


「そうやってありもしない可能性に逃げて、勝手な幻想に身をやつしているから、護れるはずの現実を手放すんだろうが」


 レイのその言葉は、最早悲鳴にすら聞こえるような激情と憎悪を孕んでいた。アカネは恐怖を抑えられなくて、耳を塞いで、瞼を閉じて現実から自らを隔絶する。


「あんたみたいな子供に何がわかるって言うのよ。子供の癖にそうやってわかったような口聞いて、現実を見ていないのはどっちよ」


 アカネは震えていた。母も自分が親という立場であることを見失い、子供に向けてただ憎悪を吐き散らしているだけだった。いつもの優しい母は、もうどこにもいなかった。


「もう……、止めてよ……」


 小さく紡ぎ出されたその言葉は、そのぶつかり合う狂気に埋もれて誰にも届かない。二人は自らの激情に任せて、暴言のような言葉を吐き散らす。そんな二人の姿を見るのが怖くて仕方なくて、アカネはまるで二人の激情に犯されるようにして叫んだ。


「止めてってば!!」


 突如として二人の会話を妨げるようにして叫ばれたアカネの声に、二人は思わず開いたままの口を止め、アカネへと視線を移す。二人の目には、必死に手で耳を塞いで、瞼を閉じて震えるアカネが映し出されていた。

 閉じられたアカネの瞼からは涙が漏れ出しており、目元に溜まりきった滴が頬を伝って、床を濡らしていく。

 二人はそんなアカネの姿を目にして、ようやく口を結ぶように唇を閉じ、吐き散らしていた言葉の続きを飲み込む。母は自分の行為を後悔するように、奥歯を噛みしめて震えていた。

 それでもレイはゆっくりと母親へと視線を戻す。それに吊られるようにして、母親もレイと視線を交わらせる。二人の視線が交差したのを確認して、レイはゆっくりと、今度は大人しい声音で母親に向けて告げた。

 レイはあまりにも大人になりすぎた。その容姿からは考えられないほど、現実を理解し、自分が今どうするべきなのかをわかっている。けれど、頭がどれだけ成長しても、心がそれに付いてきてくれるとは限らない。


「父さんは死んだんだ。母さんだって、本当はわかってるんだろ?」


 そう言い放ったレイの瞳からは涙が流れていた。先程までの剣幕がまるで幻だったかのように、その表情は寂寥の想いで包み込まれており、怒りの感情はどこを探しても見当たらなかった。

 そんなレイの表情に驚くように、既に目を真っ赤に晴らして泣いていたアカネが、ジッとその表情を眺めていると、不意に何かに気が付いたように急いで目元を腕で拭い去る。まるで、自分が泣いていたことに気が付いていなかったように。

 そんなレイの無意識の涙を見た母は、先程と同じような怒気と狂気を孕んだ剣幕で叫び散らすことはできない。それでも、レイの言葉を受け入れる訳にはいかなかった。


「わからないわよ……。そんなこと……」


 聞き耳を立てていなければ聞こえないような掠れた声が、それでも二人の鼓膜を撫でるように震わせる。それはまるで、必死に願っているようにも聞こえた。

 母のそんな言葉を聞いたレイは、言うことはもう何もないというように、踵を返して母に背を向けて歩き出す。静かな部屋に、扉の軋む音だけが響き渡り、扉はゆっくりとレイの姿を奪っていく。

 そんなレイの後ろ姿を、母は唇を噛みしめ、拳を握りしめながら眺めていた。そして、レイの姿が消えたのと同時に、アカネにも聞こえない声でソッと言葉を漏らした。


「わかってるわよ……。そんなこと……」


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