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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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少しだけ解けた鎖

「それにしても、アカツキっていつかは向こう側に戻っちゃうの?」


 三人で机を囲いながら、朝の身体を暖めるために、湯気の上るスープを自らの吐息で冷ましながら、喉に流し込む。

 そんな家族団欒な雰囲気の中で突然クロガネはアカツキにそんなことを尋ねた。

 不意に投げ掛けられた問い掛けに、少し噎せ返したアカツキは、呼吸を調えながらクロガネと視線を交える。


「えらく急な話だな……」


 急に視線を交わらされたクロガネは、なんだか少し恥ずかしさが込み上げてきて、微妙に視線を外す。


「いや、その、何となく思っただけ……。別に答えたくないならいいよ」


 少しだけクロガネの表情が膨らんでいるように見える。何か怒っているのだろうか。

 クロガネも、どうして自分がそんなことを聞いたのだろうと、自分でもわからなくなり、感情をどこに持っていけばいいのかわからなくなる。

 まあ、おそらくその理由は今朝の二人の様子を見ていたからなのだろうが……。

 アカツキが強くなろうとするのは、恐らく彼がこちら側の世界に居続ける気が無いからなのだろう。こちら側ならば、戦わなければならないこともほとんどないだろうし、アランだっているのだから。

 それでも、彼がもう一度魔法を使おうとするのは、彼が向こう側へと戻ろうとしているからだということは、考えなくてもわかってしまう。


「まあ、いずれは向こう側に戻ると思う。二人とは離れ離れになるけど、向こうに置いてきたものだって忘れられないし、放っておく訳にはいかない……」


 アカツキは誰かの顔を思い浮かべるように、遠い目をしながら窓の外を仰ぎ見る。

 一年も一緒にいたせいで、いつの間にかアカツキがいる光景が当たり前になっていた。そんな時に、消えてしまった当たり前のものを夢に見てしまったから、心細くなってしまったのだろう。

 そして、アカツキの答えはいずれの別れ。いつかは、この光景が当たり前では無くなってしまう。


「でも、向こう側に行く方法がわからないんじゃ戻りようが無いんだけどな」


 照れたように頭を掻きながらアカツキはそう応える。その答えを聞いた瞬間自分でもわかるくらいに表情が明るくなってしまい、思わずアカツキから視線を外す。

 別に嬉しくないんだから……、と心の中に言い聞かせながら、一度咳払いをすると、再びアカツキに向き直る。


「まあ、頑張って向こうへ行く方法を見つけるんだね。冬の間はどうせ動けないと思うけどさ」


 澄ました顔でそう言いながら、平静を装うために再びスープを口に注ぐ。


「あちっ……」


 平静を装うつもりが、冷ますことなくスープを口の中に注ぎ込んでしまったため、口の中でスープの熱が暴れまわる。


「何を慌ててんだよ、クロガネ」


 隣に座っていたアランが何やら楽しそうにニヤニヤとした笑みを浮かべながら肩を叩いてくるので、パシッと自らの手で制する。


「別に慌ててなんてないよ。ちょっと熱かったことを忘れてただけだろ……」


 恥ずかしさで頬を真っ赤にしながらクロガネがアランに食って掛かる。そんなクロガネをアランは軽くあしらいながら楽しそうに笑みを浮かべる。

 そんな二人をアカツキも穏やかな笑みを浮かべながら眺めていると、次第に彼らが懐かしい顔に見えてくる。台所が備え付けられた小さな母家は木造でだだっ広い部屋へと移り変わり、二人だったはずの住民はやがて五人へと変わっていく。

 今と同じように、皆で笑い合いながら過ごした光景。今は無くなってしまった、もう取り戻すことのできない光景に、アカツキは無意識の内にその光景を繋ぎ止めようと手を伸ばす。


「アカツキ!?」


 不意に自らの名前を呼ばれて、その光景が自らの掌をすり抜けるかのように消えていく。目の前にいたのは、不思議そうな表情を浮かべる二人だった。


「どうしたの?急に涙なんか流して……」


 クロガネが心配そうな表情を浮かべながら、アカツキの顔を覗き込む。出会った頃なら、こんなクロガネの行為は考えられなかっただろう。

 アカツキはそう言われて、ようやく自分の目元に熱を感じる。自分でも気づかない内に、瞳から熱を持った涙が零れていた。


「いや、何でもない。焦ってたクロガネが面白くって、笑い泣きしてただけだよ」


 目元の涙を拭いながら、そんな苦し紛れの言い訳をする。表情からそんな訳ないことはバレバレだと指摘しようとしたクロガネよりも一歩早く、アランが会話に介入する。


「だよな。バレバレの癖に必死に隠そうとして、面白いったらありゃしねえ」


 そう言いながら声を上げて笑い始める。そんなアランにクロガネが喰いつかない訳もなく、案の定アランへと牙を向ける。

 アランがそんなクロガネをそよ風が吹くようにかわしていると、アカツキが急に席を立ち上がり、外への扉へと向かって歩き出す。


「ご馳走さま。ちょっと外を歩いてくる」


 突然のアカツキの行動にクロガネも無意識に立ち上がる。


「ちょっと……」


 しかし、アカツキが立ち止まることはなく、視界から二人の姿を裁ち切るように後ろ手で扉を閉めた。




 あまりにも不自然すぎたかもしれない。こんなに急に家を飛び出してしまえば、心配してくれと無言で言っているようなものだった。けれど、あれ以上彼らの顔を見ていることは、今のアカツキにはできなかった。


「忘れることができたら、どんなに楽なんだろうな……」


 今のアカツキには様々な迷いがあった。ここで一年もの時間を過ごすことで、すっかりクロガネやアランとの絆が深まってしまい、別れることを躊躇うようになってしまった。

 こんなことならば、ここで長い時間を共にするべきではなかった、と思うのだが、けれど今の時間を後悔したいとは、これっぽっちも思わないのだ。

 先程の涙のせいで熱くなった目許を、冷たい冬の風が撫でていく。まだアカツキにとって二度目の冬は、アカツキの慣れない身体からゆっくりと熱を奪っていく。


「やっぱり冬は寒いな……。この寒さを味わうと一年経ったんだって実感できる」


 寒さのせいなのか、どこか寂しさを感じて独り言を漏らしてしまう。アカツキは身体を腕で覆い小さく震えながらも、一年という短くも長い時を過ごしてきた二人との思い出に心の中は暖かくなっていた。

 もうすぐこの緑は、一面の雪に覆われて白く染まる。そうすれば、この寒さは更に脅威を増し、こんな姿では外に出られなくなるだろう。冬の間はレオナに会いに行くこともできなくなる。

 すっかりレオナとも仲良くなったアカツキは、冬の間は会えなくなることに一抹の寂しさを覚える。それと同時に、こちら側の世界に深く関わりすぎたのではないだろうかという不安が心の中を過る。この繋がりが、足枷となってしまうのではないかという不安が……。


「まあ、そんなことを考えるのは、冬が過ぎてからだな……」


 その言葉と共に、アカツキは冬の冷たい空気をお腹いっぱいに吸い込む。喉を通って身体中を冷やしていくその冷たい空気にアカツキは思わず身震いしてしまう。


「やっぱり寒いんじゃない……。冬にそんな格好で飛び出していって、風邪ひいても知らないんだからね」


 突然掛けられた声に、思わず肩を震わせながらゆっくりと後ろを振り返る。そこにいたのは、少しだけ息を切らしながら、片手にアカツキの上着を携えたクロガネだった。

 そう言うクロガネも、外に出る時には必ず首に巻いていた黒い布を巻くこともなく、先程の格好に一枚上に羽織っただけの軽装でここまで走ってきたらしい。


「俺の身体はそんなに柔じゃねえよ。それにしても、いつもの変装は良かったのか?」


 アカツキの前では、すっかり女の姿を隠さなくなったクロガネだが、それでも外に出る時に、自分の姿を隠すことは忘れない。けれど、そんなクロガネも今は顔を見れば、女の子だとすぐにわかるような格好で飛び出してきている。

 そんなことも忘れて飛び出して来たのか、クロガネは慌てて襟元で口許を隠すと、少し頬を染めながら、持ってきた上着をアカツキへと差し出す。


「べ、べつに、忘れるほど急いで出てきた訳じゃないんだから。どうせ、まだ近くにいるだろうと思って、それなら別に他の誰かに会うこともないし……」


 だんだんと尻すぼみになっていくクロガネの姿を見ながら、アカツキは思わず吹き出す。もう、昔のクロガネを見ることはできないらしいという少しの寂しさと、いつの間にかこんなにも心を曝け出してくれるようになったという大きな嬉しさが同時に込み上げてくる。


「急に出ていって悪かったよ。ちょっと、昔のことを思い出したんだ」


 アカツキは優しげで、しかし哀しげな笑みを浮かべながらクロガネの瞳を真っ直ぐに見返す。そんな大人っぽい表情に、クロガネは少し心を跳ねさせた後、ゆっくりと息を呑み込むことで、自分の心を落ち着かせ、アカツキへと言葉を投げかける。


「ねえ、アカツキ……。昔のこと、少しは聞いてもいいかな?」


 思いもよらなかったクロガネからの一歩に、アカツキは少し驚いて言葉を失う。けれど、これは大きな前進であり、クロガネからアカツキの過去に踏み込んできたのは初めてだった。

 クロガネがその一歩を踏み出した訳をアカツキは知らない。けれど、クロガネのその一歩が、アカツキにとっても大きな一歩になるような気がした。彼女に話すことで、アカツキを苦しめている過去の亡霊を、少しは取り除けるかもしれない。

 この問題に、他者を巻き込むのは間違っているかもしれない。しかも、今自分と最も親しくしている女の子になど……。けれど、彼女から踏み込んできてくれたのなら、それに寄り添ってもいいのではないだろうか。


「いいかな……?アリス……」


 アカツキは小さく俯いて胸の辺りをギュッと抑えると、クロガネには聞こえないような小さな声で、ここにはいない彼女に向かって呟く。


「えっ?なんか言った」


 アカツキが呟いた言葉を聞き取れなかったクロガネは、不思議そうな表情を浮かべながら、俯いたアカツキの顔を覗き込もうとする。けれどその時には、アカツキの表情には笑顔が貼り付けられていた。


「いいよ、少し二人で話をしよっか」




 勢いよく閉められた扉がクロガネの視界からアカツキを奪っていく。その視界にはアカツキはもういない。彼が何を思っていたのか、それを知ることは叶わない。けれど、彼がどうしようもなく悩んでいることだけは、はっきりと理解することができる。

 だからアランは、少しだけ彼女の背中を押してやる。


「追いかけてやらなくていいのか?」


 きっと彼女は反発する。どれだけ絆が深まっても、彼女はそう簡単に素直にはなれない。長く付き合ってきた自分ですら素直になってくれることは少ないのだから。


「べ、別に、アカツキが勝手に出ていっただけだし……」


 ほら、やっぱり。そう言いながらも、拳を強く握りしめながら、そわそわするクロガネの背中をもう一度だけ押してみる。


「ほら、あれだ……。あいつ、部屋着のまま出ていっただろ。外はもう冬の風が吹き始めてるんだ。あのままの格好でいたら、いくらあいつでの風邪引いちまう」


 アランがそういうと、クロガネはわざとらしく溜め息を吐きながら立ち上がり、そそくさとアカツキの上着を自らの腕に掛ける。


「なら仕方ないか……。まったく、世話が焼けるんだから」


 そう言いながらも、クロガネの表情は追いかける理由ができたことに少しだけ嬉しそうに紅潮し、すぐさま扉を開いて外に出ようとする。


「それじゃ、行って来る」


「ああ、行って来い」


 アランは扉が閉まり、クロガネの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。いつの間にか、彼女もアカツキに心を開いてくれた。自分やレオナ以外の人間に心を開くことの無かったクロガネだったが、それ以外の人間にも心を開くことができるようになった。

 これはいい傾向だ。いずれ、自分がいなくなったとしても、今の彼女なら、もう外の世界に独りで旅立つことができる。


「寂しいねえ……」


 誰もいない部屋の中で口にしたその言葉は、空虚な部屋の壁に反響して、自らに語りかけるように返って来る。しかし、その言葉とは裏腹に、アランの表情はとても穏やかなものだった。

 そんな穏やかな時間を独りで過ごしていたアランの元に、突然襲い掛かる一閃。

 甲高い音を辺りに響かせながら、窓ガラスが粉々に砕け散り、アランは思わず腕で顔を覆って、外からの襲撃者に身構えた。

 だが、窓ガラスを割って表れたのは生き物などではなく、ただの矢だった。その先に巻きつけられた白い紙を、アランは外を警戒しながら、恐る恐る矢から取り外す。

 そしてゆっくりとその白い紙を開いたアランは、言葉を失い、その手を小刻みに震わせる。


「なんだ……、これは……?」


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