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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十二章 繋がれる汚れた掌
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あの日の夢は遠く

 目の前に差し出された掌をゆっくりと握り返す。前を行くのは、小さい頃は大きいと思っていた、小さな背中。


「ほら、早くこっちだ」


 幼げな笑顔を浮かべたまま掌を引かれて走っていく。目の前の少年は風に自らの白銀の髪をなびかせながら颯爽と駆けていく。


「待ってよ、おにいちゃん」


 自分の歩幅は彼よりも小さく、彼についていくことに必死になる。ふとそのことに気が付いた彼は、こちらを一瞥すると何も言わずに走る速度を少し落としてくれる。

 一体どこを目指しているのだろうか。レンガで作られた家々がまるで青い空の海を泳ぐように背後へと流れていき、自分たちは街並みを背中に、それでもひたすらに走っていく。

 疲れなど知らない兄は、息を切らすことなく駆けていくが、どうやら自分はそうはいかないらしい。息が少しずつ粗くなり、景色が流れる速度が遅くなっていく。


「大丈夫か、アカネ?もう少しでいつもの場所に着くから、あとちょっと頑張ろうな」


 疲れなど吹き飛ばしてくれる優しい笑顔が自分に向けられる。兄が浮かべるその笑顔に自然と脚が再び活気を取り戻す。


「うん!!」


 いつもの場所に行くために、どうして今日は走っているのだろうか。こんなに必死になって走っている理由をどうにも思い出せない。

 けれど、目の前を走る兄のあの笑顔を眺めていたら、走らなければならない理由などどうでもいいように感じられる。

 そしてようやくたどり着いたのは、少し離れた所に位置する隣国だった。よく見ると、自分の手を握りしめている掌と逆の掌には、大事そうに握られた数枚の紙幣がある。

 兄は隣国に辿り着いてもその足を止めることはなく、周囲の人々隙間を縫うようにして、街並みの奥へと進み、ようやく立ち止まったのはとある露店の前。

 まだ自分の身長よりも露店のカウンターの方が高い自分には、それが何の露店なのか、必死に背伸びをしてみてもわからない。

 ギリギリカウンターの高さくらいある目の前の兄は、必死に踵をあげて背伸びをしながら、指を指して何かを二つ選ぶ。

 そして、握りしめ過ぎてすっかりクチャクチャに皺寄った紙幣をカウンターに差し出すと、購入した物を入れた袋を受け取り、少し離れた所にあるベンチへと自分を誘導していく。

 ようやく腰を落ち着けられることに安堵しながら、座ると足がすっかり浮いてしまうベンチに腰を掛ける。すると、兄が袋からとあるものを取り出し、こちらへと差し出してくれる。


「これ、アカネに上げる。黒鉄(クロガネ)って金属でできた腕飾りなんだって、格好良いだろ」


 兄が少しはしゃいだような表情を浮かべながら、こちらに差し出してきたのは、小さく丸く加工した黒光りする金属を、一本の糸で繋いだ腕飾りだった。

 正直それがどんなものなのか、こんな頃の自分には一つも理解できていなかった。けれど、大好きな兄が何かを自分に贈ってくれたということが、これ以上なく嬉しかった。


「うん。すごく、カッコいいね。どう、おにいちゃん?」


 早速腕飾りを腕に巻き、兄に見せつけるように腕を差し出す。自分が気に入ったことに兄も満足してくれているらしく、嬉しそうな笑みを浮かべる。


「すげえ似合ってるぞ」


 そして兄は袋から何やらもう一つ取り出す。それは全く同じ形をした腕飾り。唯一違うのは、金属の色が白色だったこと。


「ほら、おそろいだ。アカネの奴が黒鉄っていう黒い金属で、俺のやつが白鉄(シロガネ)って言う金属でできた白いやつ。全く同じなのに色だけ違うって、なんだか俺たちみたいだろ」


 多分このときは金属の成分が何だとか、そんなことは一切考えていなかったのだろう。自分たちに似た物であれば何でもよかったのだと思う。それでも、そんな兄の優しさが途方もなく嬉しかったことだけは覚えている。


「じゃあ、私はクロガネだね」


 黒鉄の腕飾りをジッと見つめながらそんなことを呟いた。別にそこに深い意味など何もなかった。ただ、子供ながらに新しく覚えた物に影響されていただけなのだと思う。


「ああ、それじゃあ俺はシロガネだ」


 そう言って兄は白鉄の腕飾りを巻いた腕を黒鉄の腕飾りを巻かれた腕にコツンとぶつける。

 そんな他愛のない兄弟の関係が妙に愛おしくて、何の躊躇いもなく素直な気持ちを口にする。


「おにいちゃん、大好き……」




 ゆっくりと瞼を開いていく。その視線の先にあるのは広大に広がる草原でも、街並みに埋もれる露店でもない。いつもの木組みの天井だ。


「久しぶりに見たな、あの夢……」


 目頭が熱く、目じりの先に何かが流れていった痕を感じる。もう取り戻すことはできない、懐かしき幼き頃の記憶。

 大切な兄からもらうことができた最後の贈り物の記憶。兄との繋がりを留めておきたくて、こんな物の名を借りて自らの名を偽った哀しき記憶。

 冷たい冬の空気の海を泳ぐように、朝焼けの日差しが衣服から露出した肌を撫でていく。まだ雪は降ってこないが、それでも冬に入りたての寒さは、いつまで経っても慣れるものではない。

 布団を剥いだせいで、せっかく暖まっていた身体から一気に熱が逃げ出していくのを感じ、まるでそれを抑えるかのように腕で身体を覆いながら、身を震わせる。


「寒いな……」


 寒さのせいで覚えた寂しさを紛らわせるために、ついつい独り言が漏れてしまう。

 そんな寂しさに温もりを求めるように、日差しの方へと視線を向けると、窓の外の景色が広がっていく。

 まだ緑を残した平原は、それでも寒さで降りてきた霜のせいで、所々に白さを残していく。緑と白のコントラストは、まるで幾何にも広がる花畑のようで。

 そんな花畑の中で、こんな朝早くから激しく動き回る二人の影。


「また、やってる……」


 思わず笑みを溢しながら、クロガネはそんな二人の姿を静かに部屋の中から見下ろす。

 それにしても、最近はすっかり自分よりも先に起きてしまうようになった同居人。起こす手間が省ける嬉しさと、それがなくなってしまった寂しさが混ざり合う。

 起こしているときはあんなに面倒だと思っていたのに、いざそれが無くなってしまったら寂しくて仕方がないのだ。人間は本当に、こんな些細なことですら傲慢である。

 それにしても、二人の姿を何も知らない人間が見たら、血相を変えて逃げ出すか、卒倒して倒れてしまうか、もしくは勇気を持って止めにはいるかのどれかだろう。

 恐らく、一番後者を出来る者など一握りもいないだろうが。

 何故なら片方は見るからに危なそうな刀を振り回しており、もう片方は腕を前に伸ばすと、青色の光線を吐き出すのだ。

 こんなものを見れば、ここはどこの異次元だと思うに決まっている。こちら側の世界には存在しないはずの力なのだから。

 そしてまた、片方の男が走りながら手を前に翳すと、山吹色の文字列が何処からともなく表れ、そこから青色の光線が放たれる。

 その光線は一直線にもう片方の男に向けて突き進み、見ているこちらも思わず声を出してしまいそうになる。

 だが、見ているこちらよりも余程落ち着いた様子で、刀を持った少年はその光線を切り裂くように、刀をその光線に向けて振り抜いた。

 青色の光線は刀に触れた瞬間に、まるでガラスが割れるかのように、一瞬で飛散した。

 刀を持っていない男が次々と放つ青色の光線を切り裂いていた少年が、遂に掌を前に翳し、相手と同じように深紅の文字列が掌の前に浮かび上がり始めたその瞬間、文字列は弾け飛び、少年は体勢を崩して額を抑え始める。

 思わずその窓枠を飛び越えて近寄りたい衝動に駆られるが、そこは掛け布団をギュッと握りしめて我慢する。

 彼がああなってしまうのはいつものことなのだ。もう何度も同じような気持ちに駆られている。けれど何度見ても、彼が気にしていないような笑みを見せながら、視線をはずした瞬間に奥歯を噛み締める姿を見ていると、こちらまで悔しい気持ちになってしまう。


「別に、何も起きないんだから、そんなに気にすることないのに……」


 本人の前では言えないけれど、つい愚痴のようにそんな言葉が漏れ出てしまう。

 あの戦いから二つの季節が過ぎ去った。けれど、その間に何かが起こることもなく、アカツキが現れる前と同じように、平凡な生活が続いていた。

 だからクロガネは、これ以上もう何も起きずに、この穏やかな生活に、このぬるま湯に浸かったままで生きていけるのではないかと思っている。

 それなのに、あんなに辛そうな表情をしながら、わざわざ修行をしているアカツキを見ていると、どうしてそんな無駄なことを、と思わずにはいられないのだ。

 人生は一度しかないのだから、そんな辛いことに時間を使う必要はないだろうと思えて仕方がない。けれどそれは、平和な世界で暮らしてきたからそこの考え方なのかもしれない。


「朝ごはんでも作るか……」


 外の二人がもう一度、向かい合いながら構えを取り始める。どうやら彼らの修行は今しばらく続くらしい。

 クロガネは握りしめていた掛け布団を剥いで、自らの部屋を後にする。




「やっぱり、まだ駄目みたいだな……」


 アカツキが額を抑えながら、駆け寄ってくるアランに向けて告げる。アランは心配そうな表情をしながらも、アカツキの近くに立ち尽くすだけで、触れようとはしない。


「今日はもう止めとくか?無茶して出せるようになるもんでもないだろ。まあ、そんなことになったこともねえからわかんねえけど……」


 アランはどうすればいいのか戸惑うかのように、頬をポリポリと掻きながら、座り込むアカツキを見下ろす。


「まあ、アランの言うとおりだな。無茶してどうにかなるもんじゃないだろうな。もしかしたら一生このまま、魔法が使えないのかもしれないな」


 アカツキは少しだけ困ったように眉根を寄せながら苦笑する。

 もうこの修行だって、百回に届こうとしている程の数をこなしている。お陰でアランの動きは格段に良くなっていたし、魔力も比べ物にならないほど上がっていた。

 まあ、本人が曰く『現役の頃に比べればまだまだ』らしいのだが、それでもアカツキが出会った頃と比べると、人が変わったように強くなっていた。


「魔法が使えなくても、別に生きていけると思うぜ。この世の人間は、ほとんど魔法が使えないんだから。それに、ここには俺がいる。これでも、意外と頼りになるんだぜ」


 今の魔法が使えないアカツキを見ていると、見ている方が辛くなってくる。過去の亡霊に憑かれたまま、まるで逃がさないと謂わんばかりに、アカツキの心を蝕み続けている。

 それならばもういっそのこと魔法を使わなければと、辛そうな表情を見ている側は言いたくなる。


「ふっ、知ってるよ……」


 それでも彼は自分で気付いているのかもわからないけれど、哀しげな笑みを浮かべながら立ち上がるのだ。


「それでも、そうはいかないんだ。俺はいずれガーランド大陸に戻らなきゃならない。それに、目の前の人間だけでも護れるように強くなれって言ったのはアランだろ」


 そう……、アカツキを立ち上がらせたのはアラン自身なのだ。だからこそ、彼が力を取り戻そうとするのを、無理矢理止めることは憚られる。

 アランは強く拳を握りしめながらも、アカツキの笑みに応えるように、自らも優しげな笑みを浮かべる。


「じゃあもう少しだけやっとくか?」


 アカツキがやるというのならば、自分はそれを受け止めて、付き合うまでだ。それが、彼の命を掬い上げた自分が負うべき責任だと思うから。


「ああ、頼む」


 アランはアカツキに背を向けて、元の場所へと向けて歩き出す。

 アランの視線から外れたアカツキは、ギュッと奥歯を噛み締めた。自分の不甲斐なさを、必死に噛み潰すように。

 魔法を使おうとする度に、あの日の光景が脳裏を走り、精神力を揺るがせる。もしかすると本当に、自分は一生魔法が使えないのかもしれない。


「君の、呪いなのかな……」


 アカツキはアランにも聞こえないような小さな声でそう呟く。自らの腕の中で消えていった女の子。自分の力不足のせいで、戦いに巻き込んで、護ることもできなかった大切な女の子。

 あの日の約束が果たされることはもう無いのだろう。自らが創り上げた国の森の中で、二人きりで交わした約束は……。

 それでも戦わなければならないのだ。同じ過ちを繰り返さないために。もう何度目の決意かわからないけれど、これ以上目の前で大切な者を失わないために……。

 アランが元の場所へと辿り着き、再びアカツキを視界に捕らえる。既にアカツキの奥歯は緩んでいる。


「じゃあ、始めようか」


 二人は再びぶつかり合う。見つけられるかどうかもわからない落とし物を必死に探しながら、二人の宛のない旅が再び始まる。




「はあ、はあ……、もう勘弁してくれ。これ以上やったら精神崩壊起こしちまう。これ以上は俺の身体がもたねえ」


 それからもう少し時間が経ったところで、アランが根を上げ始めた。アカツキに比べて魔力の使用量は格段に多いので、二人の様子に差が出るのは当たり前だ。


「そうだな。久しぶりにこんなに長くやったからな。アランもだいぶ成果が出てきてるよ」


 そんなアカツキの言葉に苦笑しながらアランが告げる。


「なんでお前みたいな子供が上から目線なんだよ。人生の先輩舐めんなよ」


 二人がそんなやり取りをしていると、彼らの家の扉が開けられる。


「二人とも、朝ごはんできたよ。そろそろ終わりにして、皆でご飯食べよう」


 誰一人として血が繋がっている訳ではない。けれど、彼らには家族よりも家族らしい繋がりがある。


「ありがとう、クロガネ」


「本当に、どこの母親だよ、まったく……。よし、じゃあ切り上げて朝飯にすっか」


 冬の寒空の下、暖かい気持ちに包まれながら、二人はクロガネの元へと歩み寄り、扉の向こう側へと姿を消していく。


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