水の壁を突き破れ
右腕に雷を纏ったアランが、凄まじい勢いでレビィへと接近する。繰り出した右ストレートはレビィの頬を掠めるが間一髪で避けられる。
アランはそのままの勢いでレビィから距離を取る。地面に手を付きながら、ブレーキを掛け、ドリフトするかのようにレビィの方へと向き直る。
すると、既にレビィも臨戦態勢を取っており、彼女の掌の上には水の球体が浮かび上がっていた。
「雷とは相性悪いからね。あんたが勘を取り戻す前に、さっさと終わらせてやるよ」
その水の球体が周囲に文字列を纏いながら渦を巻くように大きく膨らんでいき、人の身長の二倍近い直径まで膨れ上がると、そこから蛇のように水がうねりを上げながら放出される。
「喰っちまいな!!」
水の大蛇が球体から何体も生み出される。幾多の方向から襲い掛かる水の大蛇はまるで大口を開けているかのように先端に空洞が空いている。
蒼い雷を纏ったままのアランは、襲い掛かる水の大蛇を殴り飛ばした。それで一匹は飛散するが、他の大蛇が消えることはない。そして、消えた所から再び新たな水の大蛇が産み落とされる。
「クソっ。面倒くせえ技使いやがって……」
アランは左手に意識を集中させると、バチッと言う刺激音と共に、右腕同様に左腕にも雷を纏う。両腕に雷を纏ったアランは、再び水の大蛇へと殴打を加えていく。
だが、レビィの攻撃が止むことはない。次々に産み落とされる水の大蛇に、アランの体力が削り取られていく。横目で覗いたレビィの表情には、余裕の笑みさえ浮かんでいた。
それでも確実に大蛇の中心である水の球体は小さくなっている。このまま、大蛇を倒し続ければ、確実にあの球体は失われる。
アランがその希望を胸に水の大蛇を倒し続けていると、レビィの唇が微かに動く。
「そろそろ潮時だね。最後は華々しく散りな」
水の大蛇の数が減っていき最後の一体にとどめを刺したアランに向かって、まだ残っていた水の球体が一体の大蛇になって襲い掛かる。これまでとは比べものにならないくらいに大きい大蛇が、地を這うようにアランへと駆け抜ける。
いくら何でも殴ってどうこうなる大きさではない。あの大きな口に呑み込まれれば、唯で済むはずがない。
「いつから使ってねえかもわからねえような魔法を使うのは、ちょっと恐いんだけどな……」
アランは独り言のようにそう呟くと、アランの両腕に纏わりついていた蒼い雷が弾け飛ぶ。
アランが腕を自らの前に翳すと、そこに山吹色の魔法陣が形成される。
水の大蛇は凄まじい勢いで地面を這い、その大口を開けてアランを呑み込もうとする。最早その口がアランを覆いつくし、後は下顎を閉じるだけになった瞬間、アランはニヒルな笑みを浮かべた。
「突き刺せ!!」
山吹色の魔法陣から。大蛇の喉元に向かってアランの蒼い雷が一本の槍のように走り抜けた。大蛇は下顎を閉じることなく動きが止まり、そのまま全身を飛散させた。走り抜けた雷は、岩肌の一部を大きく崩し、雪崩のように岩塊が転がり落ちる。
「へえ……、やるじゃないかい。いくら相性が良いって言ったって、今のは結構な魔力で放った魔法だったんだけどね」
アランも久しぶりに激しい魔力を込めた魔法を放ったため、一瞬脳がグラついた。慣れないことをするものでは無い。身体は覚えていてくれたようだが、使っていない脳は追い付いてきてはくれないらしい。
「あんまり舐めんじゃねえぞ。俺だって、十年のブランクがあるとはいえ、素人じゃねえんだ。相性の良いエレメントに、そう易々と殺られたりはしねえよ」
相手に弱みを見せる訳にはいかない。ここはできる限り平静を装い、相手の次の出方を覗う。アランが構えを取りながら、レビィの様子を覗っていると、レビィが天井に向けて手を差し出す。
すると彼女の背後にいくつかの瑠璃色の魔法陣が形成され、そこからシャボン玉のような泡がいくつも放出される。
それらは地面に落ちることなく宙を漂い、アランとレビィの間を埋め尽くす。
「何がしてえんだ?」
相手の攻撃の意図がわからない。大体、こんな泡が攻撃になるのかすら疑問だ。
だが正体のわからない攻撃に容易に手を出す訳にもいかないアランは、小さな雷の球体をシャボン玉に向けて放つ。
雷がシャボン玉を貫いた瞬間、シャボン玉は火を噴きながら爆発した。一つの爆発が次々と誘爆し、凄まじい轟音を発てて全てのシャボン玉が爆発していく。
「な……、嘘だろ……。なんで水属性のお前が爆発なんてもん起こせるんだ」
危うく死ぬところだった……。そう言えば水素爆発なんてものを、どこかで聞いたことがあるような……。あのシャボン玉を甘く見て生身で攻撃していれば、唯では済まなかっただろう。たぶん、レビィは生身で攻撃してくれることを望んでいたのだろう。残念そうな表情を浮かべながら溜め息を吐く。
「なんだい、面白くないね。ただのシャボン玉なんかに魔法を使うんじゃないよ、まったく……」
面白くなさそうに口を尖らせながら、地面に転がっていた石ころを蹴る。まるで、遊びで仕掛けた罠に引っ掛からなかった相手に失望するような態度。遊びで済まされる領域を遥かに超えているにも関わらず。
「ただのシャボン玉な訳あるか。危うく死ぬところだっただろうが」
これにはさすがに突っ込まずにはいられない。レビィはまさか命を掛けたコントでもするつもりなのか。いや、命が掛かっているのはこちらだけなのだが……。
「意外とノリが良いじゃないかい。勢いのある突っ込みは嫌いじゃないよ」
何か、どうでもいいところで認められてしまった。そんなことを聞きたかった訳ではない。
しかし、レビィはアランの話など聞く気もなく、楽しそうに笑みを浮かべながら、手の周りに文字列を浮かび上がらせる。
「さあ、ドンドン行くよ」
その腕を地面に付けると、文字列は地面へと移り、二つの瑠璃色の魔法陣が形成される。
「泳ぎな!!」
レビィの言葉に応えるように、二つの魔法陣からそれぞれトビウオのような魚を模った水が放たれ、それが地面へと飛び込むように吸い込まれていく。
またも相手の攻撃の意図がつかめないが、先程のこともあるので油断することはできない。
アランが構えながら相手の攻撃を待っていると、アランの少し前の地面の一部が微かに揺らめくのを感じた。その瞬間、先程のトビウオが揺らめいた部分から、弾丸のように勢いよく飛び出した。
間一髪で避けたアランの頬をトビウオが掠めていく。掠めたアランの頬には切り傷が刻まれ鮮血が首筋へと垂れていく。
「水の癖に、何て切れ味してやがんだ」
アランに傷を残したトビウオは、再び地面へと飛び込んでいく。これで終わりということはないだろうと考えたアランは、トビウオが飛び込んだ先に視線をやる。
トビウオはまるでここが海であるかのように、地面に出たり入ったりしながら、レビィの言った通りに泳いでいる。
トビウオは方向転換して、再びアランへと襲い掛かろうとする。今度は両サイドに別れて、挟み撃ちをするつもりらしい。
だが、アランもそう簡単にやらせはしない。レビィと同じように地面に手を付くと、山吹色の魔法陣が地面へと形成されていく。
「喰らいつけ!!」
狙うは一方向のみ。片方のトビウオに向かって、アランは雷の蛇を放つ。雷蛇は地を這いながら、飛び出したトビウオの首許に喰らいつき、片方のトビウオを飛散させる。
残り一匹を仕留める為に、次の行動を仕掛けようとしたアランの背後に影が覆いかぶさる。
慌ててアランが影の方向を向くと、そこには腰に掛けられていたナイフを引き抜き、挑発的な笑みを浮かべるレビィの姿があった。
「あたいのこと忘れてないかい?」
最早逃げられる距離ではない。魔力を練る時間もない。考える時間すらも惜しい。
アランは突き出されたナイフに向けて、自分の腕を突き出す。鋭い刃は容易にアランの柔肌を貫き骨へと突き刺さる。だが、それ以上刃が進むことはない。
「へっ、残念だが、命はやんねえぞ。まあ、腕くらいならくれてやるよ」
アランは刃の突き刺さった腕とは逆の腕に既に雷を纏っており、刃を引き抜こうとするレビィに向かって殴りかかった。
レビィは慌てて、刃を諦めて飛び退く。
二人の間に一旦距離が生まれる。
アランは腕に刺さっていたナイフを力づくで引き抜くと、赤く染まった刃を地面に叩きつけて折り曲げる。どうせナイフなんて使ったことのない自分には扱うことはできない。けれど、そのまま返すのも癪なので、使い物にならなくしてやる。
「あそこで退かなかったのは褒めてあげるよ。なかなか男前じゃないかい」
レビィはまだまだ余裕なようだ。どう考えても押されているのはアランだ。
エレメントの相性はあるはずなのだが、その相性を差し引いてしまう程のブランクがアランにはある。
「何を今更気が付いたようなこと言ってんだよ。俺が男前なことなんて、顔を見たらわかるだろ」
アランのその言葉にレビィが浮かべていた笑みが消え、アランへと向ける表情が真顔になる。
その反応は流石に少し心が痛む。少しくらいボケないと、今にも弱音を吐いてしまいそうで仕方がないのだ。自分がこれだけ戦うことを忘れていることに、焦りさえ感じているのだから。
「それにしても、さっきまでの威勢はどこにいったんだい?あんたまだ、あたいに傷一つつけられて無いんだけど」
そんなレビィの言葉にアランは苦笑を漏らしながら答える。
「それはほら、あれだ……。男としては、やっぱり女を傷つける訳にはいかねえんだよ。察してくれよ、それくらい」
どう考えても強がりなその言葉に、レビィは自らの頬に刻まれた切り傷を撫でる。
「それにしては、戦いを始める前からここに傷をつけられた気がするんだけど、あれは気のせいだったかい?」
レビィがそう言うと、アランは「うっ」と言葉に詰まりながら苦い顔をする。何の役にも立たない、あんな傷を残すくらいなら、止めておけばよかったと、数分前の自分を叱責する。
「ああもう面倒くせえ。そうだよ、久しぶりの戦いでかなり腕が鈍ってんだよ。察しろ!!」
もう強がりはどうでもよくなったアランは、偉そうにそう吐き捨てるとレビィから顔を背ける。
こんな会話を続けているのは、あからさまな時間稼ぎだ。先程から貫かれた腕がジンジンと痛む。
久しぶりに感じる、死の恐怖を纏った痛み。流石に今のダメージは不味い。何とかこれだけに澄んだが、下手をすれば今の攻撃で死んでいてもおかしくはない。
正直な話をすれば、アランはまだ出し惜しみをしている。というよりも、過去と同じだけの魔力を込めた魔法を使うのが怖いのだ。
先程大蛇を消し去った魔法ですら、頭が揺れたのだ。現役と同じような魔法の使い方をすれば、間違いなく精神崩壊を起こす。
だが、このまま出し惜しみをしていれば、精神崩壊よりも先に身体の限界が来てしまいそうだった。
アランは指を鳴らして戦いの準備を始める。少しくらい無理をしなければ、目の前の敵を倒すことはできない。
レビィが会話に付き合ってくれたお陰で、多少息を整えることはできた。後は、どこまで自分の精神力がもってくれるかだ。
アランは想像する。少し前に起こった出来事を……。目の前の敵と戦うことになった、そもそもの元凶を……。
「こっからはアクセル全開で行くぜ。多少の無理は気にしねえ。さっきまでと一緒と思うなよ」
アランの周囲にいくつかの魔法陣が現れ、そこから雷の狼が姿を現す。あの時に見た姿を想像し、顕現する。
彼らならば、ベルツェラを護るために戦ってくれるはずだ。彼らはレオナの言いつけを守るために、アランに必死に噛み付いてきたのだから。
けれど、護るものが同じとなれば、その時は心強い仲間となる。それが例え、彼らの姿を似せて生み出した傀儡だったとしても。
「切り裂け、アイギスの守護者たち!!」
想いの強さは魔法の強さへと還元される。想像力が明確なものほど、その意志に応じて魔法がはっきりとした意志を持つ。それは過去の経験で知っている。
四体の雷狼は、アランの号令と共に地面を蹴って駆けだす。四体は別々の動きで、レビィへと襲い掛かる。
これにはさすがのレビィの表情にも余裕が無くなり、慌てて臨戦態勢に入る。レビィも魔法陣を生み出し、そこから水の砲弾を次々と放つ。
雷狼たちは次々と降りかかる水の砲弾を避けながら、着実にレビィとの距離を詰める。
だが、流石に全員が全てを避けることは叶わず、まず一体が砲弾の餌食となり消滅する。
かなり距離を詰められたレビィは魔法陣を解除すると、新たな魔法陣を生み出し、一体に目標を絞り、アランと同じように水の槍を放つ。
凄まじい速度で放たれた水の槍を避けることは叶わず、更に一体の雷狼が姿を消す。だが、それでも二体が残っている。二体は左右に別れて、特攻を敢行する。
レビィから明確な舌打ちが聞こえてくる。流石のレビィも今の状況には焦りを覚えているようで、表情が堅くなっている。
レビィは自らの身体の周りに水の壁を張り、攻撃を棄て完全な護りの体制に入る。
「これでどうだい?突っ込んできても無駄だよ」
ようやくレビィの表情に少し余裕が戻る。だが、アランもそれくらいの手は予想済みだ。ここはエレメントの相性を存分に利用する。力勝負になれば、アランに分があるのだから。
「飛べ!!」
アランの掛け声により、二体の雷狼がレビィの頭上へと飛ぶ。
「自分の魔法同士をぶつけてどうする気だい?」
二体の雷狼はそのままお互いに激突すると、そこで一つの雷の球体へと姿を変える。相手が動かないのならば、わざわざ魔力を分散する必要も無いのだから。
「突き破れ!!」
雷の球体は一線の稲光へと姿を変え、レビィの頭上に落雷が落ちる。バラバラだった魔力が一つになることで、その威力は増す。
水壁に落雷の勢いが止まる。だが、落雷はそこで消えることなく、水壁を押し潰すように威力を増していく。
「何っ?」
思わずレビィの口から焦りの声が漏れる。水壁は徐々揺らめき、瞬く間に全体を揺るがせる。
そして、アランの放った落雷はレビィの水壁を突き破りながらレビィの頭上へと落ちた。
「いやあああああああああ!!」
レビィの悲鳴が岩壁に囲まれた広間に響き渡る。
「へっ。いつまでもやられてばっかだと思うなよ、この野郎!!」