不慣れな潜入
「ありがとな」
馬のたてがみを撫でながら、アランはここまで送り届けてくれたことに感謝の意を唱える。馬は鼻を鳴らしながら、返事をするように大きく尻尾を振る。
アランはようやく野盗のアジトへと到着していた。辺りは緑の中に、多少岩肌が見え隠れしている、小さな森の中の岩山の前。いかにも、何かが隠れていそうな鬱蒼とした場所だ。
空もそろそろ朱色に染まり始めており、ベルツェラを出発してからずいぶんの時間が経ったことがわかる。
もしかすると、今頃本当のことに気が付いたクロガネたちが暴れはじめているかもしれない。そう考えると、自然と溜め息が漏れてしまう。
「まあ、急いでも仕方ねえし、夜まで待つとするか……」
アランはアジトの入口が見える木の影に隠れながら腰を下ろして、持っていた布袋を開くと、そこから干し肉を引っ張り出す。
「味気ねえ……」
この場所へと赴くことが決まってから、レオナたちが食べきっていなかった料理をここぞとばかりに平らげていた。なかなか食べられない高級な料理ばかりで、舌の肥えていないアランでも、それがいいものだと一口でわかるようなものばかりだった。
そんなものを食べた後にただの干し肉を食べれば、味気なくも感じるし、お世辞にもおいしいとは言えないだろう。
干し肉をゆっくりと咀嚼しながら、アランは少しずつ藍色が混じっていく空を眺めていた。朱色の空から闇夜へと移り変わるほんの一時の藍色。空の色の中でも、一番短い時間しか留まることのできない色。
たった一時しか見えないからこそ、儚くとても美しく見える。そう、まるで昨日の素直なレオナのように……。
普段は闇夜のように冷たく振る舞っているくせに、大切な者や村のことになると、朱色の空のように熱くなり、そして最後にそれらが入り乱れるように、儚い藍色の姿を見せる。
あんな頼まれ方をすれば、断らない訳にいかないではないか……。
「いつまで経っても、ガキのままだな……」
レオナがアランとクロガネを救ったのは、レオナがまだ十五くらいの頃だった。まだ十代にもなっていないクロガネと二十代になって間もない頃のアランはレオナによって命を救われた。
あの頃も、普段はふんぞり返って偉そうな口を叩く癖に、すごく面倒見がよく自分たちを救うと言いながら閉じ込めるという、傍若無人ぶりを見せたこともあった。
まあ、それも全てアランたちの為だというのはわかりきっていたのだが、やり方があまりにも子供っぽい。今回にしたって、自分の持っていた手札が無くなれば、癇癪を起こして泣き叫ぶ子供のようになっていた。
十年たっても、レオナは何も変わっていなかった。アランはそれが嬉しかった。彼女にはずっと、子どのような真っ直ぐなままでいて欲しいと思っていたから。まあ、身体はすっかり成長しているが……。
そんな昔のことを思い出していると、闇夜がいつの間にか藍色を飲み込み、既に辺りは明りすらほとんどない暗闇へと姿を変えていた。
「さて、そろそろ行くとするか……」
ようやくアランは立ち上がり、アジトの入口へと向かう。
木々の間から見える、灯りの漏れる洞穴。野盗のアジトは間違いなくそこだ。内部は、蟻の巣のように、一本の廊下が奥まで続いており、そのあちらこちらに部屋が繋がっているらしい。そして一番奥に広い広間が存在し、そこに今回の目標が居座っているらしい。
「いきなり騒ぎ立てるのも、あまり得策じゃねえよな……」
すっかりと独り言が板についてきてしまっている。それに気が付いたアランは思わず自らの掌で口を抑えて独り言を制止する。なんとなく、独り言が癖になるのは良くない気がしたからだ……。
アランが外からアジトの内部を覗き込む。流石に野盗なだけあって、国とは違って見張りみたいな者がいない。
まあ、この平和な大陸で、わざわざ攻め込んでくるような輩はベルツェラ以外にないだろうし、そのベルツェラもこの前倒してしまったとなれば、野盗の余裕もわからなくもない。
けれどこれはアランにとっては好都合だ。見張りがいないというのなら、外から中の様子を容易に覗うことができる。
実際に入口の影から中を覗き込んでみると、夜と言うこともあり、外を出歩いている者はほとんど見えず、ほとんどが部屋の中で過ごしているようだ。厄介なのは、外に出て喋り倒している数人の野盗だ。
それにしても、土地があるのをいいことに、普通にいくつも部屋があるとは、野盗とは思えない生活っぷりだ……。もう少し野盗らしく、貧しそうな生活をして欲しいものだ。
「さて、どうしますかね……」
どうやら独り言はそう簡単には抜けてくれないらしい。無意識の内に思ったことが口から漏れだしている。
外に出て喋っている三人の野盗はどうやら当分ここを動く気は無さそうだ。ならば、多少強引に手を掛けるしかない。
「まあ、お前らだって散々なことやってきたんだ。その報いと思って受け入れろ」
アランが人差し指を立てると、パチパチと音を発てて、小さな指先に青い雷の球が生成される。そして、指をその三人の方向に振りかざすと、小さな雷の球はその内の一人の首許に吸い込まれるように当たると、そのまま気を失って地面に伏せる。
「おい、どうした?」
周りの二人が突然起こった事に慌てて、倒れた一人に声を掛けようと膝を屈めた瞬間、アランは勢いよく地面を蹴って全速力で駆け、その二人の元へと接近する。
二人とも接近する何者かに気付きはしたものの、時すでに遅く、声を上げるよりも先に、アランの両手が二人の首許へと押し付けられる。
バチッという刺激音と共に、二人の野盗もそのまま地に伏せる。アランはその三人を他の者に気付かれないように外へと引きずり出すと、三人を縄で縛ってその辺の木に括り付ける。
その中で一番体格が似ている男の身ぐるみを全て剥がすと、アランはその衣服に身を包む。
「人の物を着るってのは、あまり気乗りしねえが、まあ仕方ねえな」
最早治す気があるかどうかも疑わしい程の量の独り言である。
アランは野盗に扮装すると、そのまま堂々とアジトの中に入っていく。野盗の衣服にはフードが付いていたため、目許を覆い被せることができる。そのお陰で、そう簡単にバレることはないだろう。
相手の規模を知りたかったアランは、隣接する部屋の数を細かく数えていた。部屋の数から大体の相手の数がわかるだろうし、数がわかれば作戦の立て方も変わってくる。
アランが周りに気を遣いながら歩いていると、前方に一人の男が何かをしている様子が覗えた。
いくら目許が隠れているといっても、流石に実際に人とすれ違うのは緊張する。その姿を確認した瞬間、アランの足取りが自然とゆっくりになっていく。
一歩ずつゆっくりとその男に向かって近づいていく。前方に全神経を集中させて、ギリギリに近づくまでバレないように、忍び足で歩いていると、不意に後ろから肩を掴まれる。
「おい。お前どこ行くんだよ?」
前方を意識しすぎて、後方への注意を怠った。そのせいで、後ろからの気配に肩を触られるまで気が付かなかった。
アランはあまりの驚きに肩を大きく震わせ、小さな悲鳴まで上げてしまった。これでは疑うなという方が無理である。
「いや、ちょっとそっちに用があってだな……」
だが、どうやら相手は敵が忍び込んでいるとは思っていないようで、本当にただの興味本位で聞いてきたようだ。その証拠に、とてもニコニコとした笑顔を浮かべながら、こちらを覗いている。
それにしても、目の前の男の息が異常に酒臭い。どう考えても呑んでいる。これなら、特に危険視する必要はないかもしれない、と思っていた矢先に男の表情が一変する。
「お前、見かけない顔だな?何て名前なんだ?」
『酔っているくせに、どうして気が付くんだよ』と突っ込みたい気持ちを抑えながら、その男から一歩距離を取り、フードを剥がそうとした手を避けた。
だが、こんな行為は自分が怪しい人間だと認めたようなものだ。
目の前の男も酔っていたとしても、それくらいの頭は回るらしく、怪訝な顔をしながらこちらに寄ってくる。
この辺りが限界だ。何もせずに済むのならそれに越したことはなかったが、ここまで来たら仕方がない。唯一の救いは、この男が叫んだり、周りの仲間を呼んだりする気配がなかったことだ。
「てめえ。他所もんだな。ここがどこだか、わかってんのか?」
このまま騒がれれば、面倒事になる。様子を覗って叫ばれるより、早い目に相手の意識を奪った方が得策だ。
アランは右手の人差し指に雷を纏うと、それを相手の左の首筋に押し付ける。
バチッという刺激音と共に、その男は力無く膝から倒れ地面に横たわる。いい感じに顔が赤く染まっており、男から漏れる酒の匂いのお陰で、酔って倒れているようにしか見えなかった。
アランはひとまず危機を乗り越えたことに、安堵の溜め息を吐きながら、もう一度前方へと意識を集中させる。
前方の男はそんなこちらの様子に気付く気配もなく、相変わらずなにやら集中している。これは好都合と、アランは静かに男の背後を忍び足で通り抜ける。
慎重に男の背後を通り抜けていくと、男は一切気がつく様子もみせずに、ひたすら何かに集中していた。
気付かれるか気付かれないかのスリルを味わうのが少し楽しくなってきたアランは思わず笑みが溢れていた。
そんな、気づかれずに通り抜けたことに喜びを覚えていたアランの背後に、不意に殺気が走った。
アランは思わず背後を振り返ると、刃がこちらに切っ先を向けていた。
アランも一瞬驚いて、思考が真っ白になりそうにったが、条件反射のような動きで回りの松明の光を受けて怪しく光る切っ先を、拳でなんとか弾き飛ばした。
男が持っていた刃は回転しながら宙を舞い、岩壁に勢いよく突き刺さる。
だが、その際にアランの拳から赤い鮮血が飛び散る。
向こうも、まさか避けられるとは思っていなかったようで、驚愕の表情を浮かべながら動きを止める。
自らの傷を気にしている余裕などないアランは、血の垂れる右手に雷を纏うと、指を弾いて自らの血液を男に向かって飛ばす。
男が反応するよりも早く、アランの血液は男の顔に飛び散る。血液が男の顔へと到達した途端、一瞬の瞬きと共に、男の瞳が白目を剥く。
そして、そのまま力なく膝から崩れ落ちた。
「血液も液体だからな……。電気は通すだろ」
しかしこの男を、この廊下のど真ん中に寝転がしておくのは不味くないだろうか……。せっかくここまで、穏便に済ませて来たにもかかわらず、ここで放っておけば今までの努力は水の泡だ。
ふと、先ほどの男が必死に弄っていた場所を覗き込む。どうやら名前のようなものを壁に掘っていたらしい。
ということは、ここはこの男の部屋なのではないか。
恐る恐る、木造の扉をゆっくりと押していく。それでも、木造独特のミシミシと軋む音が鳴り響く。その音に、どうしても周りに意識を遣わざるを得ない。
扉を開けた先の部屋は真っ暗で、廊下から漏れる灯りを頼りに、その男を部屋の中に引きずり込む。
部屋に誰もいなくて助かった。野盗だから余程あり得ないとは思ったが、家族でもいたらどうしようかとアランは冷や汗を掻きながら扉の中へと足を踏み入れていた。
それにしても、この格好はあまり意味がなかったのかもしれない。結局ほとんどのやつらに正体がバレている。
「わざわざ嫌な思いして、他人の服を着てるってのに……」
しかし今更戻って着替える気にもならないので、アランは男を部屋に残して、その場を後にする。
不意にアランが苦笑を漏らす。この野盗たちは思った以上に健康的なやつらが多いらしい。まだ暗くなってそこまで時間が経っていないにもかかわらず、ほとんどのやつらが部屋の中で過ごしているようだ。
まあ、野盗が不健康だというのは、勝手な思い込みなのかもしれない。以外と内部を見てみると、こんなものなのかもしれない。
隣接した部屋を三十くらいまで数えたところで、廊下の突き当たりに、これまでの扉とは様相が異なる大きな扉が顔を覗かせた。
「ここに、例の資質持ちがいるって訳か……」
アランはいつのまにか、拳を握りしめていた。その中が汗でじんわりと湿っているのがわかる。
心臓も思った以上に早く脈打っている。脚にも力が入り、太股の筋肉が張っているのを感じる。
その緊張を無理矢理押さえつけるように、アランは自らの太股を殴り付ける。
痛みで筋肉が少しだけ和らいでいく。まあ、後でこれまで怠惰に過ごしてきた自分を叱ってやろう。今やれるのは、これくらいのことだけだ。
アランは一歩を踏み出す。懐かしく、そして二度と向かい合うことはないと思っていた戦争への一歩を……。