巻き込まない為に
「この頼みを聞く訳にはいかない。こいつらを、そんな命の危険に晒される場所に行かせられる訳ねえだろ」
先程まで別の部屋で伸びていたアランは、もうどこにもいない。そこにいるのは、その眼差しに何かの決意を灯す、凛々しい好青年。
「なんで断るんだよ。僕たちなら大丈夫だよ。この力だってあるんだから」
クロガネもそう簡単には引き下がらない。これは人の命が懸かっていることなのだ。そんな簡単に断れるようなことではない。
「そうだ。人の命が懸かってんだ。そんなとこに行って、もしおまえが死んだらどうするんだ。悪いが俺は、大切なお前たちとどこの誰とも知らないやつを天秤に掛ける気すら起きねえ。そんなものはやらなくてもわかりきっているいるからな」
アランの言っていることは正しい。実際に死地に立たされれば、誰でも護るなんて言葉は出てくる訳がない。目の前の、いや、たった一人の人間を護るためにその死地へ向かうのだ。
アカツキもたった一人の女の子に、自分が思い描く未来を見せたくて、必死になって戦ったのだ。
「知らない人なら死んでも構わないって言うの?アランがそんな人でなしだとは思わなかったよ」
だが平和ボケした人間ならば、確実にこういう結論に至る。それも間違ってはいない。むしろ正論なのだろう。世界が正論で廻るのならば、それが正しいはずだ。だがそうではない。正論は理想であって、現実ではない。正論は時として、人を死に至らしめる。
結局はその戦いに懸ける命の重さが違いすぎるのだ。『何かの為より、誰かの為』。昔、ヨイヤミが言っていた言葉だった。存在もはっきりしない何かより、護りたいと強く願うことのできる誰かの方が、戦いで引き出せる力が大きいのだ。それをアカツキは、身をもって経験している。
「人でなしだろうとなんだろうと構わない。俺はお前たちを、そんなところへは連れていかない」
こうなるとクロガネも意地だろう。お互いに引き下がる気はないのだから、口論へと発展するのは自然の流れだ。そして二人の間で行先を失った矛先は、第三者へと向けられる。
「アカツキはどう思うのさ。アカツキだって、この村のこと助けたいと思うだろ」
普段はどれだけこちらが積極的に話しかけようが無視する癖に、こういう時だけこちらに話を振ってくる。まあ、最初の日も、俺を止めようと必死になってくれていたのだから、ここでそれを気にするのはお門違いだ。
「俺が二人の意見に口を挟むには、俺は二人のことも、この村のことも知らなさ過ぎる。だから、俺は二人の決定に従うよ」
今ははっきりとした護るものもないアカツキに、命を懸ける決断をすることはできない。だから、優柔不断と罵られようとも、こう答えるしかないのだ。
だが、クロガネはアカツキの答えを言及することはない。アランもまた押し黙っている。
「こっちには三人もいるんだよ。何をそんなに弱腰になってるのさ。そんなのアランらしくないよ。この村がなくなっちゃうかもしれないんだよ」
しかし何と言われようとも、アランは首を横に振る。
「村とお前たちを天秤に掛けようが、結果は変わらない。何と言われようが、俺の意見を変えるつもりはない。それに俺は、お前たちの保護者だ。お前たちを正しい道へと導く義務がある」
そんなアランにクロガネは食って掛かる。こんなクロガネを見るのは初めてだろう。
「こんなときだけ保護者面しないでよ。普段は保護者の役目を何にも果たしてくれないくせに」
普段のアランならば『そんなこと言うなよ~』とか『俺だってな、やる時はやるんだぞ』とおどけてみせるのだろうが、今日はそんな様子をおくびにも出さない。
「これは決定事項だ。今日はもう帰るぞ」
「じゃあ、アランが一人で帰ればいいじゃないか。そんなに行きたくないなら、私一人でだって行ってやる」
いつのまにかクロガネの一人称が『私』になっている。熱くなりすぎて、自分が見えなくなっている証拠だろう。この辺で止めなければ、お互いに埋められない溝が生まれてしまう。
アカツキが止めに入ろうとしたそのとき、先に止めに入ったのはレオナだった。
「わかった。もうわかったから。この話は無かったことにしてくれ。私は他を当たってみる。それと、今日はもう泊まっていけ。陽も暮れているし、それこそ野盗が現れるかもしれん」
レオナもアカツキと同じ空気を感じ取ったのだろう。レオナの表情は疲労の色が入り交じり、何かを必死に我慢していたことが容易に想像できる。
「でも、レオナさん……」
それでも引き下がろうとしないクロガネの肩に、レオナは優しく自らの手をのせ、母親が子をあやすようにクロガネに諭す。
「アランはお前たちが心配なのだ。その気持ちを少しは酌んでやってくれ。いや、その気持ちを知っていたからこそ、私は無意識のうちにアランを遠ざけて、この話をお前たちにしてしまったのかもしれない」
依頼人本人にこんなことを言われてしまっては、クロガネも引き下がるしかない。やりきれない思いを心の中に押し込めるような苦い表情をしたまま、クロガネは口を噤んだ。
「じゃあ、今日は遠慮なく泊まらせてもらうことにする。どうせ部屋はいくらでも余ってんだろ」
頼みを断った人間とは思えない無遠慮な態度のアランに何のお咎めもなく、レオナは平然とした態度でその申し出を受け入れる。
「ああ、空いている部屋ならばどの部屋を使ってもらっても構わない」
レオナの答えにアランは静かに頷くと、アカツキとクロガネを呼び寄せる。
「ほら、お前ら飯は十分食っただろ。そろそろ部屋に戻れ」
アランに言われなくとも、今の気分では食事も喉を通らない。アカツキもクロガネも無言まま席を立つと、特にクロガネは納得のいかない表情のまま、アランの横を通りすぎていく。
アカツキは一瞬アランと視線を合わせたが、アランは小さな笑みを見せるだけで、なにも言葉を掛けることはなかった。
二人の姿が消えたのを確認したアランは、彼らの介入を拒むように、その扉をきっちりと閉めた。そして、真面目な表情でレオナと向かい合うと、ようやく口を開く。
「クロガネには失望されたかもしれねえな。でも、ああする他ねえだろ。子供を、大人たちの争いに巻き込む訳にはいかない。なんで、二人にあの話をしたんだ?」
アランは表情こそ怒ってはいなかったが、言葉の節々に角がたち、怒りが見え隠れしていることは容易に想像がつく。
「済まなかった。私も焦っていたのだ……。子供の方が情に訴えやすい。あの二人が行くと言えば、お前もかならず付いていくだろ。だから、あの二人に話を持ち掛けた。早計だったとは思っているよ」
アランの怒りの意味をレオナは十分に理解していた。けれど、それでも自分がやったことを間違えだったと言い切ることはできない。そうでもしなければならない理由がレオナにはあるのだから。
「それで、お前はこれからどうしたいんだ?もちろん、あの二人を巻き込むのは無しだ」
レオナもアランにここまで言われて、これ以上二人のことを巻き込もうなんて思っていない。だが、彼らの力を借りなければ、この事態を抜けられないのも事実だ。
そんな崖っぷちな状況にレオナの心は追い込まれ、そしてアランしかいないというこの状況に、レオナの心はなんの躊躇いもなく揺らぎ、これまで表に出さなかった素の自分を曝け出す。
「ならばどうしろというのだ?お前たちが助力をしてくれないというのなら、誰がこの村を護ってくれる。それとも、この村が滅びていくのを、ただ見ていろとでもいうのか」
レオナの瞳が潤み始める。全てを吐き出すように、曝け出されたレオナの感情は、この部屋にたった一人しかいない男に突き刺さる。
けれどアランは、まるで最初から答えが決まっているかのように、優しげな笑みを浮かべ、ゆっくりとその口を開いていく。
「俺を頼ればいいだろうが」
「えっ……」とレオナが驚いたような声を漏らす。まるでアランが何を言っているのか理解できないというような、素っ頓狂な表情を浮かべながらアランに尋ねる。
「だって、お前たちを巻き込むなって言ったのは、お前じゃないか」
そんなレオナに、仕方がないなと言わんばかりの溜め息を吐きながら、腕を組んで答える。
「俺はあの二人を巻き込むなって言っただけだ。誰も俺を巻き込むなとは言ってない。だから、俺を頼れよ」
レオナの双眸に涙の雫が込み上げてくる。口許は小さく震え、必死に涙を堪えているのが嫌でもわかってしまう。
「本当にいいのか……?生きて帰れるかどうかもわからないんだぞ……」
久しぶりに見たレオナが流す涙はとても綺麗で、普段我慢しているからこそ、そこにはいろいろな思いが涙となって表れていた。
女に泣いて頼まれて断れるわけがないだろ。そんなことを思いながら、アランは今にも泣き崩れてしまいそうなレオナの頭に優しく手を乗せる。
「当たり前だろ。大事な恩人の、そして友人の頼みを聞かないわけにはいかねえよ。だから心配すんな。この村は、俺が護ってやる」
最初は『お前は、俺が護ってやる』というつもりだったが、いざ言葉にしようとすると、何だかむず痒さを覚えたので、とっさに『この村は』と言ってしまった。
けれどレオナの心には十分に響いたようで、今まで塞き止めていた心のダムはいとも容易く崩壊し、そのままアランの胸で泣き崩れてしまった。
「ったく、いつも強がってるくせに……。相変わらず、まだまだ子供だな」
アランが優しげな笑みと共にそう告げると、レオナは嗚咽混じりに「うるしゃい」とアランの胸を叩いた。けれど、その拳からは痛みよりも暖かさの方が大きく感じられた。
少しして落ち着いたレオナは、自分の椅子に腰を下ろすと、アランにも座るように促す。そして、気持ちを入れ換えるように咳払いをすると、いつものレオナに戻っていた。
「それじゃあ早急に、これからのことについて話し合いたいんだが」
そんな、無理に平然と振る舞うレオナを、アランがからかわずにいられる訳もなく……。
「んだよ、もう少し素直なお前を見ていたかったのに」
意地の悪い笑みを浮かべるアランに、レオナはいつも通りに腕と足を組み、大きな態度を取る。
「何の話をしている。私はいつも素直に生きているぞ」
そう強がるレオナの目元は未だに赤く、そんなレオナの顔を見たアランは「どうだか……」と溜め息を吐きながら笑みを浮かべる。
「それで、アランはどうしたいんだ?残りの兵を貸す準備はできている。出せる範囲でだが、お前が要求する数の兵を出そう」
そんなレオナの提案にアランは首を横に振る。
「いや、兵はいらない。野盗のアジトには、俺一人で行く」
そう断言するアランに、レオナは困惑の表情を見せる。確かに戦って欲しいとは言ったが、一人でなんて言った覚えはない。
「待て、そんな無茶をさせる訳にはいかない」
いくらアランと言えど、相手は奇妙な力を使う奴だけでなく、他にも多くの取り巻きがいるのだ。そんなところに一人で行くのは、いくら何でも危険すぎる。
「無茶なんかじゃねえさ。大体、俺は大切な者を巻き込みたくないって言っといて、そっちからは兵を出してくれなんて、自分勝手だろ」
何の身じろぎも無く、アランは堂々と言い張る。それだけ自信があるのか……。それとも、自らの心を偽っているのか……。それは長年付き合いのあるレオナでもわからない。この男は常に何かを演じているように見えるから。
「そんなの自分勝手とは言わない。そもそも、自分勝手はこちらなのだ。アランはこの依頼を受ける義務なんてありはしないのだから」
そう、彼がこの依頼を受ける必要はどこにもない。まるで命令されているかのように頑ななアランだが、こちらはそんなつもりは一切ない。だというのに、一人で危険な地へ送り込むなどということができる訳もない。
「義務はなくとも、理由はある。アイギスの花を勝手に取ったのは俺の方だ」
目の前の男が、普段は本当の顔を隠してただふざけているような男が、自分が犯した罪をそれ程重く感じているとは思わなかった。だって、ただの花なのだ。人の命を奪った訳でも、誰かを傷付けた訳でもない。むしろ、彼は一人の命を救ったのだ。
「だからそれは関係ないと……」
アランは静かに首を横に振る。彼がいったい何を否定しているのか、どうしても彼の表情からは読めない。レオナの言葉ではなく、自らを否定しているような、そんな様子さえ窺える。
「お前はそれを盾に取ることなんてできないもんな。お前は真っ直ぐで、卑怯なことが嫌いだから。でも、俺には後ろめたさだってあるんだ。だから、お前が気にする必要はない」
そう言うことじゃない。そんな罪悪感を抱く必要なんてないのだ。だって、アランは悪いことなど、本当は何一つしていないのだから。
ようやくわかった。アランはただ本当の理由を隠しているだけだ。ただ目の前にあったちっぽけな理由を馬鹿みたいに大きく見せて、自らの本当の意思を覆い被せているだけだ。それに気付いてしまった自分は、もう彼を止めることなどできない。
だからレオナはそれ以上何も言えなかった。むしろ、この話を彼にしたことを、今更ながら後悔しているくらいだ。彼は、根はとても誠実で優しい人間なのだから……。
「でも、一つだけ俺の頼みを聞いてほしいんだ。力づくでも、あいつらのことを止めて欲しい。あの二人なら、俺が行ったと知れば、恐らく俺を追いかけようとする。だから、あの二人を、ここから出さないでくれ」
それが命を懸けて戦おうとする彼からのたった一つの頼みだった。