思わぬもてなし
そして、今に至る……。
脳天にかかと落としをもろに喰らったアランは、その場で大の字になって伸びていた。あのかかと落としはいくら資質持ちといえど、相当の痛みを伴うだろう。アカツキもあれは喰らいたくはない、と心の中で少々怯えていた。
するとレオナはゆっくりと立ち上がり、アランを無視しながら横を通りすぎ、こちらへと歩み寄る。
「お前たちもよく来たな。心配するな。こいつ以外にこんな真似はしない。それにしても、見慣れない顔だな?」
どう考えてもその問い掛けは自分へ向けられていることを察したアカツキは、こういう時にどうすればいいのか戸惑いながらも、とりあえずもう一度額を地面につけるように深く頭を下げる。
「アカツキ・リヴェルです。初めまして」
これまでは自分よりも目上の人間に会うことはあっても、それは例外なく戦う時であったので、こういう時の態度がアカツキにはわからなかった。
「私はレオナ・ジェラルディンだ。そんなに堅苦しくなくて構わない。私もこの馬鹿と交流をもっているような人間だ。あまり堅いのは好まん」
レオナがアランを指差しながらそんなことを言う。
そう言われるとなんだかとても、抜けていた穴にすっぽりとはまったような納得感を得る。アランがこれまでに、これほどの説得力を与えてくれたことがあっただろうか。
「それにしても、この馬鹿とはどういう関係だ?」
グイッと迫られると、思わず身体を退いてしまう。久しぶりに女性恐怖症が発動しているらしい。まあ、これまでは馴れた女性ばかりが回りにいたので、初対面の女性というのは案外久しぶりだったりする。
「えっと、命の危険を、アランとクロガネに救ってもらいました」
アカツキがそう言うと「ほぉ」と値踏みするような視線で、アカツキをなめ回すように眺める。
「ということは、アイギスの花はお前のために……?」
レオナの思うことはもっともで、アイギスの花のことを謝りにきていて、そこに命の危険に晒されていたアカツキがいれば、誰だってそういう答えにたどり着く。
「いえ、あれはまた別件らしいです。俺の命の危機って言うのは、心の問題でして……。まあ、身体の方は丈夫にできてますので……」
何とかわかる限りの敬語をひねり出しながら、失礼の無いように会話を続けていく。
「ほお、頼もしいじゃないか。この馬鹿には力仕事を頼むことが多いから、役に立ってくれると嬉しいよ。それにしても、相変わらずこいつは、人の気も知らないでズカズカと心の中に踏み込んできたのだろう。まあ、それがこいつの良いところでもあるんだが……」
本当にそうだと思う。確かに普段は軽薄で信頼の薄い遊び人みたいな印象だが、本当に大事な時には平気で人の心の中を踏み荒らして、掬い上げていく。
「そうですね。俺もそう思います」
アカツキがそう言うと、レオナは優しげな笑みを浮かべながらアカツキを眺める。
いつかボロが出てしまわないかと肝を冷やしていると、やがてその視線はクロガネへと移っていく。自分から視線が外されたために一気に脱力感に襲われ、思わず溜め息を吐いてしまい、急いで口を手で塞ぐ。
どうやら溜め息は気付かれていないようだ。アカツキは手で口許を抑えながら、クロガネとレオナの話に耳を傾ける。
「やあ、アカネ。久しぶりだな」
どうやらレオナはクロガネの本名を知っていて、尚且つ本名の方で呼んでいるようだ。
「お久しぶりです。その名で呼ぶのは止めてくださいよ、レオナさん」
思わず目を見開いてその光景を見てしまう。少し恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、クロガネが普通に会話をしている。いやまあ、アランとは普通に会話しているのだから、そんなに驚くことではないのだが、やはり驚かずにはいられない。
「今は私とこの馬鹿と、そしてアカツキしかいないのだ。どうせアカツキは知っているのだろう?」
ふとこちらに視線を向けられたので、思わず無言で何度も頷きながら返事を返す。
「ならば問題なかろう。なに、気にせずとも他の者がいる時はちゃんとそっちの名で呼んでやる。しかし、偽名というのはあまり好かんのだ。こういう時くらい本名で呼ばせてくれ」
クロガネが珍しく優しげな笑みを浮かべる。そう言えば、いつの間にか口許に巻いていた黒い布は外されていた。それにしても、あんな笑みも見せるんだな……。
「わかりました。レオナさんなら信用できるので構いません」
アカツキがクロガネの普段は見せない表情に見蕩れていると、キッと冷たい視線が注がれて勢いよく視線を逸らす。それにしても、レオナは許されるのに、アランはどれだけ信頼が無いのだろうか……。まあ、こんなところで伸びている時点で、仕方がない気もするが……。
「まあ、アイギスの花の件は後々こちらからも話すことがあるのだが、一先ずお前たちをもてなそう。アカネ、アカツキ、私に付いてこい」
アカツキがその中に含まれていなかった変態男に視線をやると、レオナはわざわざそれを遮るようにアカツキへと話しかける。
「その男は放っておけ。少々反省が必要なようだからな」
そう言って、三人は本当にアランを残してこの部屋を出ていった。
案内されて入った部屋には、長机にたくさんの料理が並べられていた。アランが『飯くらいは喰わせてくれる』とは言っていたが、まさかこれほどのものが出てくるとは思わなかった。これからパーティーでも行われるのではないかと思ったくらいだ。
「す……、すげぇ……」
語彙の少ないアカツキから漏れたのはそんな言葉だった。アカツキの脳内の引き出しにあるどんな言葉を用いても、この光景を言葉をもってして表してしまえば安っぽくなる。
クロガネは何の身じろぎもせずに、女中さんに案内された席へと腰を下ろす。どうやらクロガネはこの光景に慣れているようだ。
「アカツキも座ってくれ。クロガネの隣でも、私の隣でも、どこでも好きなところに座っていいぞ」
そう言われた瞬間クロガネがこちらに『来るなよ』と言いたげな冷たい視線を送ってくる。アカツキが『わかってるよ』という、げんなりとした視線を返すと、クロガネはスッとアカツキから視線を逸らす。
クロガネの隣にいかないとしても、レオナの隣に行くのはもっと無理だ。知らない女性の隣でなんて、せっかくのご飯を落ち着いて食べられやしない。
それにしても、女中さんが現れた途端に、アカネからクロガネへと呼び方が変わっていた。この切り換えの早さは見習いたいものだ。
アカツキはどちらの隣にも、どちらの正面にもならない場所に位置取ると、ようやく腰を下ろして息を吐いた。レオナのような大人の女性がいると、やはり無意識のうちに緊張してしまい、精神的疲労が溜まっていく。まあ、そんなことを口にすれば、クロガネに怒られることは必至なので口にはしないが。
「好きなものを食べてくれ、足らないのなら言ってくれれば好きなだけ出してやるぞ」
その言葉にアカツキとクロガネは揃って首を横にブンブンと振る。既に並べられている料理だけでも相当量あるにも関わらず、これ以上何をどう食べろと言うのだろうか。
レオナの言葉は冗談だったようで、二人の素直な反応に、楽しそうに笑みを浮かべていた。しかし、欲しいと言えば本当に出てきそうなところが怖いところだ。
アカツキは見たこともない料理の山々に、恐る恐るフォークとナイフを使って、自分の皿に盛り付けていく。クロガネはどうやら慣れているようで、アカツキとは比べ物にならない手付きで、様々な料理を少しずつ、見た目も綺麗に盛り付けていく。
やはりクロガネは男のように振る舞っているものの、その本質は女の子なのだなと思いながらクロガネの様子を眺めていると、その視線に気付いたクロガネがいつものように冷たい視線を向けてくる。
そんな視線から逃げるように自分の皿へと視線を移すと、大きい塊が何の規則性もなく適当に並べられている様を見て、やっぱり自分は男だなと再認識していた。
「食べながら聞いてほしいのだが……」
不意にレオナから掛けられた声に反応してアカツキの手が止まる。こういうときに、食べながらというのができないところが、アカツキの不器用さを表している。
「お前たちに頼むようなことじゃないんだろうが、これはお前たち、特にクロガネやアランにしか頼めない相談だ」
そんな話の切り出し方をされれば、それがどんな人物を求めているのかは嫌でもわかる。それに、それならばアカツキも他人事ではない。
「これはアイギスの花の件と引き換えという訳ではない。だから、断ってもらっても構わない。最初に言っておくと、これは命に関わることだ。だから、アイギスの花と引き換えなんて卑怯なことを言うつもりはない」
『命に関わること』という言葉で、レオナの声音に一気に重さが増す。アカツキの脳裏に浮かんだのは、いつまでも頭の奥底にこびりついて離れることのない、鮮血の飛び散る深紅の光景。
アカツキとクロガネの二人は黙ってレオナの言葉を待つ。軽薄に途中で口を挟むには、あまりにも話の内容が重たすぎる。
「ここ最近、ベルツェラの周辺で野盗が現れるようになった。それもかなりの頻度で、この村の住民が襲われている。だが、こちらもやられているばかりではない。自警団に野盗の一人を捕まえさせて、拷問でアジトを吐かせたのだ」
レオナが拷問をしている姿というのが、あまりにも絵になりすぎていて、容易に想像ができてしまう。しかし今はそれどころではないので、その妄想を振り切り、平然とした表情でレオナを見据える。
「そこまでは順調だった。あとはアジトに乗り込み奴等を全員抑えて、事態を収拾させるだけだと思っていた。だが、そう簡単には終わらなかった」
ここまで来れば、その先は嫌でも予想できる。平和ボケした人間ならば、ここまできてもこの先に何が待っているのか、辿り着けない者もいるのかもしれない。だが、アカツキはそういう血生臭い環境に身を置いてきた人間なのだ。この先に語られる言葉がなんであったとしても、驚くことはない。
「自警団は全滅だった。三十人の兵士が、装備を揃えて向かったにも関わらず、逃げ延びてきたのはたった一人だけだった。そいつも大怪我を負って、普段の生活すら危ういような状態だ」
レオナ表情が悔しそうに歪む。クロガネは信じられないといったように、先程まで動いていた手元はピクリともせず、眼を大きく見開いたまま固まっていた。
やはり、この大陸の住人は死というものに疎すぎる。まさか死ぬことはないだろう、という固定観念がどこかにあるのだ。
それは平和でいいことなのかもしれない。死に疎いということは、自らの周囲に死が存在しないということだ。それは、アカツキが求める平和な世界に他ならない。だが、そこに戦禍の異物が混ざり込んだのなら……。
平穏な水面にたった一滴の黒い雫が降り注ぐだけで、黒い雫は水に溶けることなく、その水を漆黒に染めてしまうことだってあるかもしれない。そうなれば、もう誰にも止めることはできない。同じ黒い雫でなければ……。
「その逃げ帰ってきたたった一人がこう言ったのだ。『水の化物が襲いかかって来たんです』と。その存在を知らないやつならならば、化物が襲いかかって来たように見えてもなんらおかしくはない。だが、生憎私はその存在を知っている。アカネやアランの存在を通じて……」
いつのまにかクロガネの呼び方が元に戻っている。改めてこの話をしたことで、自分の中の余裕が無くなってしまっているのだろう。それは表情を見れば明らかで、クロガネもその事について言及するつもりはどうやらないらしい。
「だから、アカネ。どうか、私の願いを聞き入れてほしい。この通りだ……。あの力に対抗できるのは、あの力を持った者だけなんだ」
レオナは両手を机について深々と頭を下げる。レオナも必死なのだ。自分が治める村が、危機にさらされているというのに、焦らない領主などいない。その気持ちは、一国の王であったアカツキにもよく分かる。
だから、この件に関してはアカネに一任する。アカネが行くと言うのなら、自分もそれに従おう。自分はまだこの土地のことは知らない新参者。思い付きで回りを巻き込むわけにはいかない。
「わかりました。レオナさんのお願いは……」
「待て!!」
クロガネが了承の言葉を告げようとしたその瞬間、部屋中に響き渡る大きな音を発てながら、制止の言葉と共にその扉は開かれる。
「悪いが、俺たちはそんな頼みを聞き入れる気はない」
拒絶をしたのは、もう一人の黒い雫……。