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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十章 春の芽吹きと共に
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生きていることが罪

 そこは真っ暗な海の中で、どれだけもがいても何物にも触れることはできず、そしてその海の中からは出ることができない。呼吸ができないことに苦しみながらも、窒息して死ぬということはない。死んだ方がマシだと思える程の永遠の苦しみが、自らの身体をまるで舐め回すように蝕んでいく。

 出口はどこにあるのだろうか。そもそも出口なんてものがあるのだろうか。出口がないにも関わらず、それを求めて必死にもがき苦しむことほど滑稽なものはない。

 けれど出口を諦めたからといって、死ぬことができる訳ではない。ただ苦しみに身を任せてそれを耐え忍ぶだけで、やがて心が腸のようにねじ曲がって壊れていくのを待つだけだ。

 それならば、もがいていた方が何らかの目的を見出だせるから、心が少しだけ苦しみを忘れてくれる。苦しみを忘れる為にもがき苦しむなど、本当の目的が何であったのかをいずれ見失い、苦痛の海に沈んでいくに違いない。結局何をやっても、行きつく場所は同じなのだ。

 俺はどれだけ苦しめばいいのだろうか。仲間も全て失った自分に生きている意味などあるのだろうか。生きていても、この海の中と同じように、永遠の苦しみにもがき続けるだけなのではないだろうか。

 いっそのこと誰か俺を殺してくれ。そうすれば、この苦しみからも解放されるかもしれないのだから……。




 海の中から浮上して必死に酸素を取り込むかのように、勢いよく目覚めたアカツキは息を荒くして何度も空気を吸い込む。

 フカフカとした柔らかい椅子に身体を預けていたようで、慣れない感覚に身体が軋みをあげている。いや、身体の痛みはそれだけが原因ではなさそうだ……。

 周囲を見渡すと窓の外は真っ暗で、どうやら今は夜のようだ。家の中には、部屋の大きさの割には立派な暖炉の中で、もうすぐ燃え尽きてしまいそうな先細りの火が、真っ黒で今にも崩れてしまいそうな木々の上で揺らめいていた。

 机の上に視線を巡らせると、看病をしていてくれたのだろうか、おそらくほとんど歳も変わらないような子が机に突っ伏して、腕の中に顔を埋めながら眠っている。


「俺は結局生き永らえてしまった訳か……」


 いっそのこと、あの場所で死んでしまえた方が楽だっただろう。生きていたとしても、アリスを目の前で失った今の自分に生きている意味などない。自分は負けたのだ。敗者に与えられた生など、死との違いがあるのだろうか……。

 そんな時にふと、机の上に広げられた紙に視線が移る。他人のものだし、勝手に覗き見をしてはいけないと思いながらも、何故かその紙に吸い込まれるようにその紙を覗き込む。

 そこに大きく写っていたのは、忘れもしない大切な仲間たちの顔。そしてそこに並ぶ自らの顔を見た瞬間、自制心が効かなくなり、その紙を粉々に破りたい衝動に駆られる。

 けれど、そこで眠りについていた目の前の少年が不意に顔を上げ、驚いたような表情でこちらを数秒眺めた後に、中性的な声でこちらに向かって尋ねてくる。


「君、大丈夫なの?さっき大声を上げて気を失ったけど、そのこと覚えてる?」


 目の前の少年が何を言っているのかよくわからないが、どうやら自分は既に一度この場所で目を覚ましているようだ。記憶には無いが、恐らく暴れたりしたのではないだろうか。それならば、ここに長居して迷惑をかける訳にはいかない。


「ごめん……。そのことはたぶん覚えてないんだと思う。もし迷惑を掛けていたら謝るよ。それにもう迷惑を掛けることはない。今すぐにでも、ここを出ていくから……」


 アカツキの言葉に一切の覇気は無く、このまま消えて行ってしまいそうなおぼろげな声音でクロガネに別れを告げようとする。そんな様子のアカツキをこのまま外に出す訳にはいかないという思いに駆られ、気付いた時にはクロガネは外に出ようとするアカツキの前に立ちはだかっていた。


「ちょっと待って。ここを出てどうするつもり?大体ここがどこだか、わかっているの?」


 ここは力づくでも止めなければならないような気がして、クロガネは鋭い視線と共に、少しだけ語気の強い言葉でアカツキに問い掛ける。

 だが、アカツキはそんものでは一切怯む様子もなく、クロガネの前で足を止めたものの、引き返そうという意思はどこにも感じられなかった。


「ここが何処かなんて関係ない。俺がやることは、もうたった一つしかないんだから……。看病してくれたことには感謝するよ。でも、これ以上俺には関わらないでくれ。俺はもう、この世界に居てはいけない人間なんだ」


 アカツキに目は死んだままで、クロガネの言葉は一切アカツキの心には届いていない。

 本当は力づくでも、もう一度ソファの上に引きずってでも戻してやりたかったが、目の前に立たれると嫌でもわかってしまう。目の前の少年は自分よりも格段に強いということが……。

 今彼から放たれるのは、これ以上ない後悔と悲哀に満たされた負のオーラだが、その中に壊れてしまった彼に強さが間違いなく混ざり込んでいる。戦いから身を遠ざけたクロガネですらそれを感じることができるのだから、その強さは計り知れない。

 見ただけで強いとわかる彼が、これほどまでに壊れてしまうほどの出来事とは一体何なのか……。そんなもの、彼に問い掛けるまでもない。クロガネはそれを知っている。だから、無意識の内に机の上にある瓦版へと視線が泳いでいく。

 彼は多くの仲間と共に、大国と呼ばれる巨大な敵を相手に戦争をしたのだ。そして、多くの仲間を失い、そして自分も大きな傷を負って敗北した。何故生きていて、こんな辺境の地にいるのかはわからないが、この目を見ればはっきりとわかる。あの瓦版に、嘘偽りはなかったということが。そして、今の彼の心はボロボロに傷ついているということが……。


「この世界にいちゃいけない人間なんていない。君が何者であろうとも、この世界に生まれてきたことには必ず意味がある。だから、君をここから通す訳にはいかない」


 クロガネの眼差しに強い意志が宿る。彼のことは何も知らないし、彼の気持ちをわかってあげることもできないと思う。けれど、彼がどれだけ歯向かおうとも、彼にこの扉の先へ行かしてはいけない。きっと彼は……。


「いくらでもいるさ……。この世界に生きていてはいけない人間なんて。俺もそうだ……。俺のせいで多くの仲間の命を奪った。死んだ人間は、もう帰って来はしないんだ。なのに、俺だけがこれからものうのうと生きる訳にはいかない。だから、もうそこをどいてくれ」


 アカツキも我慢していた。向こうが自ら退いてくれるまで、手は出さないでおこうと……。それが自分を助けて、看病してくれた人間への礼儀だと思ったから。

 それでも、いつまでもこのやり取りを続ける気はなかった。どうしても聞いてくれないのなら、多少力づくでも圧し通る覚悟があった。これから死のうと言うのだ。それくらいの覚悟ができなくてどうする。

 クロガネの身体が震えていた。見ただけでわかるほど自分よりも強い人間など、この力を得てから初めてだったから……。それでも、クロガネはこの場を動かない。自分が傷付けられようが、この扉の先へと通す気はない。


「いやだ。ここは通さない。君がなんと言おうと、君をこの家から出す訳にはいかない」


 これ以上の睨みあいは意味がないだろう。恐らく、この少年はどれだけ頼んだところで、ここを退いてはくれはしない。ならば、これ以上無駄な時間を浪費させないことが、自分が彼にしてやれる最善のことだと、アカツキはそう思った。

 そしてアカツキの手がクロガネへと延び、クロガネが恐怖のあまりに目を瞑った瞬間、背後から声が掛けられた。


「待て。クロガネ、お前はそこをどけ」


 不意に掛けられた声に、アカツキの冷たい視線が後ろで壁にもたれながら腕を組む青年の姿を捉える。その青年からは、どことなく殺気に似た何かを感じる。戦争のお陰で、こういう感覚が無駄に鋭くなってしまったと、アカツキは心の中で溜め息を吐く。それも、今となっては必要のないものだが……。


「でも、ここを退いたら……」


 クロガネの眼が既に潤んでおり、今にも泣き出しそうになっていた。


「いいんだ。それはそいつが決めたことだ。そいつの生き方に、俺たちがあれやこれやと口出しをしちゃいけねえ。そいつが死にたいって言うなら、後は勝手に死なせてやれ」


 アランがそんなことを言うとは思ってもみなかった。アランならばてっきり、自分と同じように止めてくれるのだと思っていた。けれど、アランに言われてしまっては、これ以上自分が恐怖を噛みしめながら、ここに立ちはだかっている必要はないように思えた。アランの言葉で自らの意地は簡単に崩れ去ってしまった。

 クロガネ俯きながら、しぶしぶと扉の前からその身を退ける。クロガネが退いたのを確認したアカツキは、一歩踏み出して扉のノブをその手に掛ける。


「すまなかった。助けてくれて、ありがとう」


 呟くような小さな声でそう告げると、アカツキはノブをゆっくりと押して扉を開く。扉の先は未だに暗く、雪が降り続いていた。雪を見たことのないアカツキが、その光景に一瞬足を止めると、背後から強い衝撃により、いつの間にか自らの身体は宙を舞っていた。

 アカツキの身体は埋まるかのような勢いで雪原へと転がり落ち、何が起こったのか理解ができなかったアカツキは、衝撃の源を確かめるように背後へと視線を巡らせる。

 そこに立っていたのは、先程自分が死ぬことを勧めてくれた青年だった。だが、彼が自分を殴った理由がわからない。別に殴られたことに怒りを覚えることはなかった。何しろこれから死のうとしていたのだから、そんなことで怒りを覚える心など持ち合わせてはいなかった。


「なんで、俺が殴られなきゃならないんだ?さっきあんたは、俺が死ぬことに賛同してくれたんじゃなかったのか」


 ただ純粋に、それが知りたかった。しかし、今の生気を失ったアカツキが何かを尋ねると、まるで凄んでいるようにしか見えずに、クロガネはアランの背後で怯えていた。だが、そんなアカツキにも、アランは一切怖気づくことなく、足を一歩前に踏み出す。


「ああ、別に誰が死のうが俺の知ったこっちゃねえ。ただ、お前を見てると、なんだか無性にイライラすんだよ。まあ、この苛立ちには十分に心当たりがあるんだが……。だから、お前と同じ『資質持ち』として、どうせなら俺が引導を渡してやろうと思ってな。俺たち資質持ちは所詮そういう存在だろ」


 アカツキは殴られた後頭部を抑えながら立ち上がる。それにしても、助けられた相手が資質持ちとは、相変わらず『王の資質』とは変な縁を感じる。それ程所有者が多いはずもないのだが……。

 別に誰かに殺されようと、自分で死のうと、アカツキにとってはどちらでもよかったので、ここでその申し出を断る必要も無かった。むしろ、誰かが殺ってくれるというのなら、自ら死への恐怖と戦う必要も無いので、そちらの方が気楽なのかもしれない。

 アカツキは両手を広げながら、アランに向けて無抵抗の意思を示す。


「殺したいなら、好きにしてくれ。別に誰に殺されようが構わない。死ねるなら、後はなんだっていい」


 アカツキの眼に意志が宿ることはない。生気の抜けた、死んだような眼をアランに向ける。恐らく本当に死ぬ気でいるのだろう。背後でクロガネがどうすればいいのかわからずに恐怖で震えながら、こちらを不安げな表情で眺めている。

 それにしても、よくこの歳でここまでの覚悟を持つことができる。まあ、それくらいの覚悟を持つことができなければ、大国に戦争を仕掛けるなんて大それたことできるはずもないのだろうが。

 目の前の少年がどういう理由で死にたいのかは、大体察しがつく。もちろん、殺す気なんて毛頭ない。俺はただの目覚まし時計だ。目の前の少年の目を覚ますまで、何度も何度も耳元で煩く鳴り響いてやる。

 俺は人生の先輩として、目の前の少年をみすみす殺す訳にはいかないからな……。


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