世話焼きな同居人
クロガネと別れたアランは、さらに森の奥へと進んでいた。アイギスの花がどこにあるのかは、正直いってわからない。この森のどこかにあるのは確かだが、正確な場所までは教えられていないし、そもそもベルツェラの貴族にも教える義理はないだろう。
それにアイギスの花のことを、ブルネリアの誰も知らないということは、そう簡単に見つかるような場所ではないということだ。この時期こそブルネリアの民もこの森には近づかないが、他の季節にはこの森に根菜などを採取しにくる者は多くいるのだ。
クロガネには心配させないように、知っている振りをしていたのだが、別行動になったのは、案外正解だったのかもしれない。久しぶりに魔法も使って疲れているというのに、隣からブツブツと小言を言われたのでは、堪ったものではない。
それでも、クロガネに任せた少年のことも気がかりなので、早く帰りたいのはやまやまだが、如何せんほとんどの場所が雪に包まれており、目印も何もあったものではない。
「こりゃさすがに、どこにあるのか、検討も付きやしねえな」
誰もいないことがわかっていても、独り言を口にしたくなるほどに、手詰まりの状態だった。東の森自体はそんなに大きい森ではない。ただ厄介なのは、景色の差がどこもかしこもほとんどないのだ。だから自分がどこを歩いているのか、直ぐにわからなくなってしまう。
ただ帰ることに関してはそこまで大きな問題はない。何故なら、ちゃんと通ってきた木々に矢印を残しながらここまで来たからだ。こういうところは案外しっかりしているというか、野生の勘が働くというか……。
「これだけ探しても見つからないとなると、じいさんが来てたら、遭難して死んでたかもしれねえな……」
そう言ってられるのも時間の問題だろう。その内、陽も暮れて暗くなってくれば、いよいよ自分も遭難じみてくる。実際、この森に入ってから数時間が経過しているはずだ。そんなときにふとベルツェラの貴族との会話を思い出す。
『あそこは優秀な守護兵が日夜護ってくれているんだ。だから私も安心して、あの花を自分の目の届かない場所に置いておけるのさ』
あのときは大切なものだし、それくらいいてもおかしくないのだろうと思っていたが、よくよく考えると色々とおかしな部分がある。
この季節に日夜守護していては、雪に埋もれて凍死してしまう。それこそ、アイギスの花の近くに小屋でも建てていれば別だが、そんなものが建っていれば、ブルネリアの誰かが既に見つけているだろう。
ということは、貴族の言う守護兵は人間ではないのかもしれない。人間でないとすれば、獣を飼い慣らしそこを守護させているということだろう。
そして、この季節でも悠々と動き回ることのできる獣といえば数は限られてくる。そしてアランの予想が正しければ、陽が暮れて月が出れば、恐らく向こうから場所を教えてくれるはずだ。
普通の人間なら、それを耳にすれば、敢えてそこを遠ざけるようにするだろう。わざわざそこに近づくとなれば、余程の馬鹿か、アランのようなアイギスの花の存在を知り、それを求める者だけだろう。まあ、余程の馬鹿の方に自分が含まれないかどうかは、議論の余地があるのだが……。
確かにこれならば、偶然にアイギスの花を見つけてしまう、何てことはあり得なくなる。普通の人間なら、別の意味でそこを避けるだろうから……。
仕方なくアランは動くのを止めた。そろそろ辺りも暗くなってきて月が出るはずだろう。ここで動きを止めるのは寒くて仕方ないが、少しの辛抱だ。
そうして少しだけ大人しく待っていると、予想通り月夜に向かって吠える獣が辺りでちらほらと現れ始める。それはとある一点へと収束していく。
森の中に獣の遠吠えがこだまする。この森に住む野良オオカミたちは、月明かりが差すと遠吠えをする習性がある。村の人間たちはその習性を活かして、オオカミとの遭遇を避けているのだ。だが、今回はそれを逆手にとればいい訳だ。
アランの予想が正しければ、アイギスの花を護っているのはオオカミたちだ。つまり、これまで野良オオカミだと思われていたオオカミたちは、全然野良などではなかったということだ。
「さて、それじゃあ動きますか……」
夜になり、灯りが月明かりしか無くなってしまい、視界はかなり心許ない。しかも、再び雪が散り始めた。もしかすると、その内唯一の月明かりも、雲に覆われてしまうかもしれない。
だが、ここで一夜を過ごして朝を待つのも、それはそれでかなり骨が折れそうだ。
アランは、これだけ帰りが遅くなったからには、またクロガネに愚痴を言われるだろうな、と思いながら遠吠えの方向に向かって歩き始めた。
視界は心許ないが、今日の月は満月だったようで、普段の暗闇よりは余程歩きやすかった。しかし、こんな夜にはオオカミではなく狼男が出てきそうだな、と身震いをしながら歩いていると、やがて二十以上の妖しく蒼く光る目玉が、こちらを捉えていた。
わざわざ自分から獣の群れに向かっていくなど愚の骨頂だが、可能性があるのならば行くしかあるまい。まだアイギスの花は見えないが、ここである可能性は極めて高いだろう。
「いやぁ、マジで骨が折れそうだな、こりゃ……」
何匹かいるとは思っていたが、確認できるだけでも十数匹は、月明かりに牙と目玉を光らせながら唸り声をあげている。
そして一番の問題は、目の前の獣たちがベルツェラの貴族に飼い慣らされたオオカミなのだとしたら、殺すわけにはいかないということだ。そんなことをすれば、彼女にどんなお咎めを喰らうかわかったものではない。
勝手に採取しているのはこっちなのだから、そこは護らなければならないだろう。魔法を使えばこんなやつら大したことはないのだが、どうやらそうもいかなさそうだ。
「ったく、本当に面倒な依頼を受けちまったもんだ……」
あまりの面倒臭さに、小言が漏れて仕方ない。頭を描きながらも、目の前で揺れ動く蒼い目玉から目を離さない。向こうもこちらに襲い掛かる隙を窺っているのだろう。
蒼い目玉はアランを囲むように、ゆっくりと四方八方に別れて立ち止まる。どうやら統率まできっちり行き届いているらしい。ベルツェラの貴族は本当に面倒なことをしてくれる。
そこからは睨み合いになったが、ここで睨み合いをしたところで、無駄に時間を取られて、体温が奪われていくだけだ。そう考えたアランは、走るわけでも警戒するわけでもなく、いたって平然とした態度で前に歩き始める。
アランが動いたのを視認した背後のオオカミの一匹が、アランが動いたのを合図に飛び込んできた。
そのオオカミに対して、アランは何の抵抗もすることなく噛みつくのを許した。襲ってきたことに気づかなかった訳ではない。気づいていてなお、わざと噛まれたのだ。
噛みついてきて、動きが止まったオオカミに対し、アランは雷を纏った指をオオカミの首許に近づける。
バチッと音を発てて青い稲光が走った瞬間、アランに噛みついていたオオカミは『クゥン……』と情けない鳴き声をあげて雪の絨毯へと落ちていく。気を失ったオオカミはその場にまるで死んでしまったかのように横たわる。
「殺すことはできねえが、気を失うくらいは我慢してもらわねえとな……。どうせ、通しちゃくれねえんだろ?」
そのためには、わざと噛まれて相手の動きを止めるしかなかった。これを後十数匹もやらないといけないと思うと、先が思いやられる。
それでも、ここまで来たらやるしかない。ただ、報酬は絶対上乗せしてもらおうと、心の中で決心して、アランは再びその足を踏み出す。
どれくらい経ったのだろうか。数歩ごとに襲われていたので、随分と長かったように感じられた。身体中が軋み、痛みが麻痺してしまいそうなほど、身体の全身から血が流れていた。それくらいの代償を払わなければ、人一人を救うような万能薬を手に入れることはできないということだろう。
アランの背後には、まるで死体の山のように、意識を失ったオオカミたちが、雪の絨毯の上に寝転んでいた。しかし、そのオオカミたちに怪我は一切なく、むしろ立っている自分が傷だらけというのは、何ともおかしな光景である。
「これでアイギスの花が無かったら、俺は何のためにこんなにボロボロになったんだろうな……」
そんなことを思いながら、アランが雪の中を進んでいると、やがて月が本当に雲に覆われてしまった。辺りは一気に明るさを失い、視界のほとんどが奪われてしまう。
「嘘だろ……、いくらなんでもそりゃねえぜ」
このまま再び月が出るのを待っていれば、下手をすればオオカミが目を覚まし再び襲い掛かってくるかもしれない。そんなの溜まったもんじゃない。これ以上、この身体のどこに傷を増やせと言うのだ。
しかし、それはアランの杞憂だったようで、暗くなったのはむしろ好都合だった。暗くなった森の中に、ぼんやりと明りを灯す何かがアランの視線の先に現れた。
アランも正体不明の存在に警戒はしたものの、その明りに惹かれるようにして足が少しずつ引き寄せられていく。
やがてその明りの正体の輪郭がはっきりと見え始める。その輝きを放っていたのは見たこともない花だった。それがアイギスの花であることは、誰が見ても明らかだっただろう。
まるで蛍のように光ったり消えたりしながら、悠然と咲き誇っている。確かにこんな花があれば、その効能は別として、摘んで持ち帰りたくなるだろう。それを防ぐための、守護兵たちだった訳だ。
「悪いが、一つだけもらって帰るぜ」
ここにはいない知り合いの顔を思い浮かべながら、詫び言を述べてその花を一輪だけ摘み取る。それを腰に巻いていた布袋へと丁寧にしまうと、今度は明りを背に真っ暗な道を進まなければならないのだ。
「全く、最後の最後まで苦労させやがるぜ……」
それでも、帰りを待ってくれているであろう同居人の顔を思い浮かべると、自然と足が前へと動き始める。
「さて、急いで帰ってやるとするか……」
アランは暗闇の中を自分で付けた目印を頼りに、歩き始める。
アランが家に戻ってきた翌日、クロガネは熱を出して寝込んでいた。まあ、雪の中を軽装で渡り歩き、その後も心配事を抱えながら、ほとんど寝ずにいたのだから仕方がない。
アランは暖かいスープを作ると、クロガネの部屋へと直接届けてやることにした。
「ほら、アラン特製のスペシャルスープだ。身体が暖まるから、ちゃんと飲むんだぞ」
勢いよく部屋に入ってみたものの、その住人は顔を真っ赤に染めながら、ベッドの中に埋もれており、反応はほぼ皆無だった。少し苦い顔でそんな登場の仕方をした自分に反省をしていると、いつものクロガネからは想像もできない優しい声音が返って来る。
「ありがとう」
いつもなら、『うるさい』だとか『大人しくしろ』とか小言を言われるのだが、こう素直に返されると、どうも調子が狂う。
「だから、気にすんじゃねえよ。たまには大人に甘えるのも子供の仕事だ」
だから、自分もいつの間にかクロガネに対する態度が柔らかくなってしまう。
アランはクロガネの身体を起こしてやり、スプーンですくったスープをクロガネの口許に近づけてやる。
さすがにこれには、クロガネも一瞬恥ずかしそうに動きを止めたが、それも一瞬のことで大人しくスプーンに口をつける。アランの作ってきたスープは、野菜がとにかく大きく切られていて、味付けも少しだけ濃い気がする。
それでも、自分のためにわざわざ作ってくれたことを考えると、文句を言う訳にもいかない。クロガネはスープを飲み下すと、申し訳なさそうに俯きながら、アランに向けて謝罪の言葉を述べる。
「ごめんね、アラン……。私、迷惑ばっかり掛けちゃって……」
風邪を引いて弱っているのか、普段では考えられないほど素直なクロガネに、アランは何だかここにいてはいけないのではないかという気分に苛まれる。だから、素直な返事の中に少しだけ意地悪を混ぜておく。
「普段は、ほら、俺の方が迷惑掛けてるんだし、お互い様だよ。だから、気にすんなって……。それにお前、素が出てるぞ……」
アランがそう告げると、急に恥ずかしそうに口許を抑え、いつものクロガネに戻ったように、鋭い視線を向けられる。
「出てって……」
小さな声で呟かれたその言葉は、まだ本調子ではないが、それでもどこかいつもと変わらないクロガネで安心した。だからアランも、なるべくいつもと同じように返事を返す。
「へい、へい……。大人しく出ていきますよ」
そんな軽いのりで、残ったスープの器は部屋のテーブルの上に残して、アランは部屋の扉へと手を掛けた。
アランが部屋を出ようとした間際に、クロガネは小さな声でこう呟いた。
「ありがと……。おいしかった……」
やっぱりまだ本調子じゃねえな、と思いながら、ここは素直に返しおくことにした。
「気にすんな」
視線を合わすことなく、背中越しにそう告げたアランは、後ろ手で扉を閉めた。扉を閉めたアランは、そのまま扉に背を預けて腕を組むと、中には聞こえないように、ソッと呟いた。
「まったく、世話掛けやがって……」
そして笑みを溢すと、再び台所へと戻っていった。