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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十章 春の芽吹きと共に
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傷だらけの少年

 誰かを背負うというのは、なかなかに新鮮な感覚だった。これまでも、アランに背負われたことは何度もあるが、自分が誰かを背負ったことなど一度もない。

 背中に直接鼓動を感じる。この鼓動を感じることができる限り、この少年の命は燃え続けている。

 クロガネは自らの上着をボロボロの少年に掛けてやり、自分は軽装のままで森の中を進んでいた。それでも、背中から伝わってくる熱がとても暖かい。

 それにしても、この少年はどこから来たのだろうか。この格好から察するに、この周辺の人間ではないだろう。しかし、この周辺の人間でもないのに、この格好であんなところにいたとすると、相当の距離をこの軽装で歩いてきたことになる。それこそ考えられない。

 それとも、ここに来るまでは厚着を着込んでいたが、この森の近くで野盗にでも遭遇して、身ぐるみをはがれたのだろうか。そうして森の中に捨てられたというのなら、合点は行くかもしれない。

 しかしそうすると、先程襲い掛かってきた魔法は何だったのかという話になるので、考えれば考える程謎は増すばかりだ。

 そんなことを考えながら、ふと背中越しに見える少年の顔を覗き込む。この少年が今目を覚ませば、どんな反応をするのだろうか。驚いて暴れられたりしないだろうか。同族だったら、目を覚ました途端こちらに襲い掛かって来るかもしれない。

 それでも、こんな大怪我した人間を放って行く訳にはいかないではないか。

 そんなことをしている内に、森の出口が見えてくる。本当に先程と同じ世界かと疑わしくなるくらいに、雪はすっかり収まり、むしろ陽が雲の隙間から顔を覗かせ始めていた。


「今日は変な一日だなあ……」


 まるでこの少年を天が導いているように、この少年を森から助け出した途端に、あれだけ振っていた雪が止んだのだ。こんな天気、首も傾げたくなる。

 そんな独り言を呟くと、クロガネは気合いを入れ直して、陽の光を浴びてキラキラと輝く雪原を踏みしめていく。陽の光が真っ白な雪の絨毯に反射して、じりじりと肌が焼けそうになる。

 先程の吹雪で降り積もった雪は未だに柔らかく、足が深みに嵌まってしまい、背中の少年の重みも増して、一歩がとても辛くなる。お陰で余分な力を使わなくてはならないため、身体の内側からも外側からも暖まっていく。今は本当に冬なのだろうか……。

 自分に特別な力がなければ、恐らくこの柔らかい雪の中を、人一人を背負って歩くなどという所業はできなかっただろう。そもそも自分は……。

 ただ無心で黙々と家に向かって前に進んでいく。アランが近くにいないとこんなに静かなのか、と新鮮さを感じながら、背後から聞こえてくる寝息に耳を傾ける。

 そんな少年の寝息を聞くと、こんな大怪我をしているにも関わらず呑気なものだと思わざるを得ない。それでも、この寝息が気づいたら止まっているかもしれないのだ。そう考えると、油断はできない。


「急がなくちゃ」


 足をずっぽりと雪の中に埋めながら、次の一歩を踏み締め歩いていく。

 行きとは異なり、ブルネリアを介さずに家に直接向かえばいいため、行きよりも短い時間で帰ることができるのは当たり前なのだが、それでもクロガネの必死な行動により、行きよりもよほど早く自らの家に到着した。

 扉を開けて中に入ると、出てきた時の暖炉の火がまだ少しだけ残っており、先細った小さな火が、まるで帰りを待っていたかのように、フッと揺れて煙となって消えた。


「ただいま」


 なんとなく、クロガネは暖炉に向けて帰宅を告げると、少年をソファの上に寝かせる。その暖炉の火のお陰で、部屋の中はとても暖かかった。


「へくしゅっ」


 そこでようやく、自分が軽装で雪の中を歩いていたことを思い出す。いくら暖かかったとはいえ、あんな雪の中を軽装で歩けば、自ら風邪を引きにいっているようなものだ。

 だが今は自分の心配をしている暇はない。とにかくこの少年の、怪我の手当てが先だ。

 本当はちゃんとした医者に連れていくのが良いのだろうが、残念ながらブルネリアには医者がいない。もちろんベルツェラには医者がいるのだが、この時期にあそこにいくのはかなりの困難を強いられる。その上、人一人を背負って行くとなると、背負っている側が倒れてもおかしくない。

 しかし、恐らくあんな雪の中に放っておかなければ、消毒をするだけで事足りるだろう。同族ならば、凍死の恐れさえ回避すれば、後は自然治癒で十分に回復するはずだ。

 とにかく、悪いとは思いながらも、少年が身に付けていた服を剥ぎ、赤黒く染まった傷口に消毒液を湯水のように掛け流す。

 仕事上、怪我をすることはよくあるので、ある程度の道具は揃っている。まあ、少しもったいない気もするが背に腹は代えられない。とにかくあるだけの消毒液で、身体中を洗い流してやる。

 痛々しく残っていた固まった血が流されると、先程よりは綺麗な身体になったが、それでも身体を真っ二つに切り刻むような胸の傷は、見ているだけ自分の胸を抉られた気持ちになる。

 消毒を終えると、少年の表情が何処か安らかなものになった気がした。あとは、この暖炉の火を絶やさずに燃やし続けて暖めてやれば、いずれ目を覚ますだろう。


「へくしゅっ」


 少年の治療を終え少し気が休まると、待っていたかのようにくしゃみに襲われる。もしかすると風邪を引いたのかもしれない。

 しかし彼の命と引き換えに、風邪を引いたのだと考えれば、対価としてはむしろ安上がりに感じられた。これくらいならば、喜んで受け入れられる。

 それにしても、この少年はとても哀しげな表情を浮かべているように見える。治療も終え、落ち着いて彼の表情を観察していると、まるで心が壊れてしまうほど耐え難い困難に見舞われたような、とても痛々しく哀しい表情をしていた。


「なんで、こんな大怪我してたんだろう……?君は誰かに追われていたのかな……」


 彼の顔を覗き込みながら、気掛かりで尋ねてみるが、少年が答えることはない。ただ小さな寝息を発てながら、静かに眠りについている。

 そんな彼の姿を見ながら食卓の椅子に腰を下ろしていると、やがて身体中を疲労感が駆け巡る。どうやら思っていた以上に疲れていたようだ。しかし、暖炉の面倒も看なければならないし、アランが帰って来るまでは寝る訳にはいかない。

 しかし、本当に少しだけ、ちょっと目を瞑るくらいはいいだろう。少しだけ目を瞑って休んだら、後から帰って来るアランの為に、暖かいスープでも作っておこう。

 アランはちゃんと仕事を終えてきてくれるだろうか。アランが怪我をして帰って来ないだろうか…。アランが…………。




「へくしゅ」


 再びくしゃみがクロガネを襲う。どうやらいつの間にかうたた寝してしまっていたようだ。

 目の前の少年は、未だに目覚める様子はない。ふと暖炉の方に目をやると、暖炉の火が消えかけていた。


「いけない、火をくべなくちゃ……」


 急いで暖炉に薪を放り込むと、再び暖炉の火が激しく燃え上がる。「ふう……」と安堵の溜め息を吐きながら、何の気なしに外へと視線を巡らせると、クロガネの心は不安な気持ちに包まれる。

 外は既に陽が落ち、辺りは真っ暗になっていたのだ。どうやら自分は思ったよりも長く、眠ってしまっていたらしい。だというのに、アランがどこかにいる様子はない。どうやら未だに帰ってきていないらしい。

 クロガネは不安な気持ちを抑えきれず、窓に張り付いて、もう一度外の様子を確認する。窓はかなり冷えきっており、外の寒さを明瞭に伝えてくる。

 どうやら雪も再び降り始めているようで、暗く染まった空の中に、白い雪のコントラストができていた。

 いつもなら飛び出してでも探しにいくところだが、今日は傷だらけの少年を抱えているし、下手に外に出る訳にはいかない。それによく考えると、別行動をしたのなんて始めてかもしれない。


「アラン、大丈夫かな……」


 心配事が積み重なるように、心に重みを増していく。一度に二つも心配事を抱えるのは始めてで、クロガネは胸の辺りに嫌な痛みを感じる。どうやら、今夜は眠れそうもない……。




 次の日のお昼頃、ようやくアランが家の扉を開いた。アランの姿を見たクロガネは、大きく目を見開いたまま、固まってしまっていた。

 帰って来たアランの身体はボロボロで、何か良くないことがあったのではないかと勘ぐってしまう。それでも、ちゃんとアランが帰ってきてくれたことに安堵し、クロガネの瞳がじわじわと潤み始める。

 そんなクロガネも、結局あれから一度も寝ることができずに、手持無沙汰になったクロガネがやっていたことといえば、ただひたすらに暖炉の火を絶やさないように、暖炉に槇を入れ続けていたことくらいだった。そのせいか、クロガネは目許に大きな隈を作っていた。


「いやあ、ちょっと遅れたわ。でも、ほら、これ見てみろよ。こんなにたくさんもらったんだぜ。じいさんのやつ、案外気前が良くて、倍くらい上乗せしてくれたんだよ。これで当分は……」


 アランが手に持っていた袋を指差して、少年のように無邪気な笑みを浮かべながらクロガネに自慢するが、そんなもの目にも入っていないというような勢いで、クロガネはアランに抱きついた。


「そんなのどうでもいいよ。心配したんだから……。本当に、心配してたんだから……」


 クロガネはその存在を確かめるように力強く抱きしめる。そんな素直な気持ちをぶつけられると、アランも恥ずかしさが込み上げてきて、いつものようにからかおうと思っていたが、そうすることもできなくなってしまう。


「色々怪我して、身体中痛いんだ……。勘弁してくれ……」


 照れ隠しにそんなことを言いながら、クロガネの頭を撫でてやる。自分のことを心配してくる人間がいてくれて、こうやって迎え入れてくるだけで疲れが吹き飛びそうだった。

 ようやく満足したのか、クロガネがゆっくりとアランから離れて、今度はへたりと力無く膝から崩れ落ちた。

 そんなクロガネにアランは驚いて、肩を支えながらすぐさま声を掛ける。


「おいっ、大丈夫か」


 アランには珍しく、酷く焦った表情が可笑しくて、クロガネは力無く笑みを零す。


「なんか、アランが帰ってきたら、力が抜けちゃった。それに、なんだかすごく眠いの……」


 どうやら、別にどこかが悪い訳ではないらしい。そんなクロガネの姿に、アランは安堵の溜め息を漏らしながら、自室に戻るように勧める。


「もう安心していいから、今日は部屋でゆっくり休め。ご飯も、たまには俺が作ってやる」


 アランがそう言うと、クロガネが心配そうな顔をしながらこちらを眺めてくるので、何かを言われる前に先に口を塞いでおく。


「心配すんな。俺だって料理くらいはできるし、多少眠らなかったくらいで、倒れるような柔な身体じゃねえ。大人の力、舐めるんじゃねえよ」


 そう自慢げに胸を叩きながら、威張って見せる。クロガネにはすっかりお袋気質が染みついているらしく、こんな時でもアランがちゃんとできるか心配なのだろう。

 クロガネの顔が、こんな時だけ大人ぶって……、みたいな苦笑交じりの表情になっていたので、どこかむず痒さを覚えたが、今日は素直に受け止めておこう。


「だから、お前は早く休め」


 そう優しくなだめるように告げながら頭を撫でてやると、クロガネはようやく頷き、自分の部屋へと戻って行った。

 クロガネの姿が見えなくなると、アランはソファが埋まっていたため、仕方なく食卓の椅子へと腰を下ろした。大きく深呼吸をしながら腰を下ろすと、身体が急激に重くなり、疲労感が一気に襲ってくる。身体中が軋み、傷を負ったところが熱く燃えるように痛みを帯び始める。


「こんな感覚久しぶりだな……。全く、面倒事ばっかり増やしやがって……」


 そんな小言を聞いているものは誰もおらず、ソファの上に居座る存在が気になって、そちらへと視線を向けてみるが、哀しげな表情を直視することができなくて、すぐに視線を逸らしてしまう。


「まだ、あいつと歳も変わんねえだろうに、お前も大変だったのか……?」


 返事が返ってこないことはわかっているが、ようやく安心できる場所に帰ってきて、どうやら口数が増えているらしい。自分でも感じていなかったが、案外寂しかったのかもしれない。どこかで自分自身に嘘をついていたのだろうか……。

 そこで、自分の傷をとりあえず消毒しようと、消毒液を探そうとするがどこにも見当たらない。何故だ、と首を傾げながらふと床へと視線を落とすと、そこには三本の消毒液が入っていたはずの空っぽの瓶が転がっていた。


「まったく……、限度ってもんがあるだろうが……」


 まあ、クロガネにしても初めてのことで、一人でできることを必死に頑張っていたのだろう。これについては不問にしてやるか、と思いながらアランも少しだけ眠りの世界へと落ちて行った。


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