表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十章 春の芽吹きと共に
138/244

きな臭い話になってきた

 仲介屋から地図を貰った二人は、老人の家に足を踏み入れていた。着実に近づいてくる幽霊の噂話に、クロガネは気が気ではなかった。


「それで、あんたらがわしの依頼を受けてくれるっていう方々ですかい?」


 お金持ちというだけあって、家は回りと比べて一回りも大きいレンガ造りの家だった。家の中には、アランたちの家の暖炉とは比べ物にならないほど大きく装飾の施されたものが、この広い家を隈なく暖めていた。

 二人はふかふかのソファに腰掛け、例の老人を前に話を聞いていた。


「はい。私たちは依頼を受けようと思い、仲介屋から紹介されて参った次第です」


 アランの口調が普段とは異なり、どこか違和感を覚える。顔も真面目で大人っぽい表情を浮かべており、こうしていると年相応の好青年に見えなくもない。


「そうか……。こんな依頼を受けてくれる人がいて助かったわい。あんな思いをしたあとに、もう一度あそこに足を踏み入れるのは、どうしても敵わん」


 どうやら老人は、昨日受けた恐怖に心を完全に折られているらしく、直ぐに東の森に戻ることはできそうもない様子だった。


「そのことなんですが、幽霊を見たというのは、具体的にどのような状況だったのですか?」


 あくまでもこれまで耳にしてきたのは噂話に過ぎない。実際に本人から聞いてみないと、その真相を聞くことは叶わないだろう。


「そうじゃな……。今回の依頼にも関わってくるから、それも含めて話しておこうかの」


 そう言って老人はソファから立ち上がると、窓の外を眺めながら話し始める。


「わしは昨日、あるものを取りに行くために、東の森を訪れた。雪が止むのを待っていたら、陽が暮れる寸前になってしもうた。わしが森に取りに行ったものというのが、万能薬と謳われる『アイギスの花』じゃ」


 何となく察しがついていたアランはそこで静かに頷くきながら口を開く。


「まあ、そうでしょうね。わざわざこの時期に、誰にも言わずに東の森に行くとすれば、粗方察しはつきます。しかし、あれの無許可の採集は禁止されている」


 老人は顎から伸びる白く染まった髭を擦りながら、表情を強張らせてアランの方を向く。


「そうじゃな。それはわかっておる。じゃが、許可をとるにはあの土地を所有する貴族が暮らす、ベルツェラに向かわねばならん。あそこは、この老いぼれには遠すぎる」


 そう、あの花を採集するならば、ここから遠く離れた町に暮らす貴族に許可をとる必要がある。しかし行ったところで、ほぼ確実にその許可は降りないのだが……。


「なぜ、そこまで危険を犯して、アイギスの花を採集しようとしたのですか?」


 その問い掛けに老人は肩を落とす。直ぐには質問に答えずに、ふたたびソファに腰を落としてから、ゆっくりと口を開く。


「先日、息子が不治の病で倒れたんじゃよ。その病が治らなければ、もう先は長くないらしい」


 老人は俯き、項垂れてしまう。アランはただ、静かにそのあとに続く言葉を待った。


「わしの唯一の家族なんじゃ。妻を亡くしたわしを、ずっと支えてきてくれたのが息子じゃった。わしももう長くはない。わしが死んだら、金はいくらでも残してやれる。じゃが、金がいくらあろうとも、息子の病が治せないのならば、意味がなかろう」


 アイギスの花を求める者の、典型的なパターンだった。大切な者の命を救いたいという思いが、万能薬であるアイギスの花を求める。

 だが、解せないことが一つだけある。アランは幽霊騒ぎよりも、むしろそちらの方が気になっていた。


「しかしどうしてです?アイギスの花のことを何故あなたはご存知なのですか?それに、ベルツェラのことまで御知りになっている。アイギスの花はそもそも秘匿情報ですので誰にも知らされていないはずなのです。私はこういう仕事柄ですので、様々な土地を渡り歩く中で、その話を知る機会がありましたが、あなたがそれを知る機会があったとは到底思えない。あなたは、誰にこの事を聞いたのですか?」


 アランが知りたかったのはそれだった。自分はベルツェラの貴族とも交流があったため、この話を知っていたが、普通はあの森にそんなものがあるなんてことは知らされていない。事実この村の皆は、何故こんな時期にあの老人は東の森に行ったのだろう、そう不思議がっていたのだ。


「誰と言われても、わからないというしかあるまい。本当に知らないんじゃ。この村でも見たことがないし、冬だというのに大した厚着もせずに、平気で雪の中を歩いていた。唯一覚えておるのは、ボサボサの頭に無精髭を生やして、だらしのない格好をしていたことくらいか」


 老人の話を聞いても、全くその人間に思い当たる節がない。

 便利屋のような職業柄人の顔を覚えるのは、アランの数少ない特技の一つなのだが、この周辺の村々で、今老人が言ったような外観の人間は知らない。まあ、情報が少ないと言えば少ないのだが……。


「しかしどうして、そんな見るからに怪しげな男の言うことを信じたのですか?」


 先程から老人の話を聞いていると、その情報をくれた謎の男は見るからに怪しい。なのに何故、老人はそんな男の言うことを信じたのかがわからなかった。


「そりゃ、信じたくもなる。不治の病だと診断されたところに、どんな病でも治す万能薬があると教えられたんじゃ。藁にもすがる思いで、その情報を信じるのは当たり前じゃろ」


 確かに、そう思うのが人の心理というものだろう。本当に必要なものが目の前に差し出されたとき、そのものの真偽など度外視して、それを求めてしまうのが人間というものだ。老人が、その怪しい男の言葉を信じてしまうのは無理もない。


「わかりました。この依頼を承りましょう。ですが、報酬もそれなりにいただきます。こちらも、ベルツェラの貴族に目をつけられる危険性を孕んでいますので……」


 これは、金持ちの老人から財産をむしりとってやろうという話ではない。実際、ベルツェラの貴族に目をつけられると厄介なのだ。

 だが、アランにはベルツェラの貴族との交遊関係がある。終わった後に彼らに話をつけに行けば、一先ず事は落ち着くだろう。これはその分の追加報酬だ。


「わかった。報酬もそれなりの額を用意しよう」


 老人も承諾してくれたことで、一先ず割りの良い仕事が舞い込んできたことに、アランの口許が少しだけ綻ぶ。


「それと、アイギスの花のことは門外不出でお願いします。知られると色々と困ることもあると思いますから」


 自分はベルツェラの貴族と交友関係があるので、こういうことはちゃんと釘を刺しておいた方がいいだろう。まあ、そこまでの義務はないだろうが、それでも一束もらうのだから義理は果たしておきたい。


「そう言えば、アイギスの花の話に夢中になって、幽霊のことを聞くのを忘れていました」


 思い出したようにアランが訪ねると、隣で黙ったまま座っていたクロガネの肩が小さく揺れた。


「そういえば、そうじゃったな……。確かに、陽も暮れ始め、暗くなり視界も悪くなっていた。じゃが、見間違いではない。そいつはこちらを見て、笑っていたんじゃよ。その体はゆらゆらと揺らめき、大きく見開いた眼ははっきりとこっちを捉えておった。あれは人影などではない。間違いなく幽霊じゃった」


 老人の話を聞いていると、どうやらあながち嘘では無いような気がしてきた。先程肩を揺らしてから、今度は逆に一切動かなくなってしまったクロガネを横目に、アランは話を続ける。


「村で聞いた話と多少誤差があるようですが、幽霊は笑っていたのですか?すすり泣く声が聞こえてきた、という話だったのですが……」


 まあ、正直これはどうでも良いことだろうとは思いつつ、何となく気になったので尋ねてみた。


「ああ、それはどちらも正解じゃ。顔は笑っておったが、聞こえてきたのはすすり泣く声じゃった。じゃから余計に怖かったんじゃよ。笑いながら泣くなど、人としておかしかろう」


 確かに、話を聞けば聞くほど幽霊じみている気がする。これは案外、本当に幽霊がいるのかもしれない。

 隣の様子が気になったアランは、目だけで隣の様子を確認すると、身体は一切の身動ぎもなく固まっており、膝の上の拳は堅く握りしめられ、焦点の合っていない虚ろな目をしていた。

 これは少しクロガネのことが心配になってきたが、これだけ割りの良い仕事をみすみす逃すわけにはいかない。クロガネには悪いが、ここは我慢してもらおう。


「わかりました。確かに、本当に幽霊である可能性も捨てきれませんね……。まあ、幽霊の方は一先ず遭遇するまでは放っておくとして、今回の依頼は『アイギスの花』の採集という事でよろしいですか?」


 これ以上の情報も得られそうにないと踏んだアランは、老人に最終確認をとる。アランの言葉に老人も頷き、商談は無事成立した。

 隣で小さくなって小鹿のように蹲っている同居人は一先ず放っておいて、アランの心の中は久しぶりに期待できる報酬に胸を膨らませていた。


「さて、それじゃあ幽霊退治と行きますか」


 老人の家を出た矢先に、伸びをしながらアランがそう言うと、クロガネはすっかり大人しくなっており一切の反応を示さなかった。ここまで来るとなんだか可哀想にもなってきたので、ひとまずクロガネの頭を撫でてやることにした。


「大丈夫だ。何かあったら俺がちゃんと護ってやるから、安心しろ」


 アランには珍しく優しい声音でそう告げると、ようやくクロガネが口を開く。


「無理」


 たった一言だけ、吐き捨てるようにそう言うと、顔を引きつらせるアランを尻目にそそくさと先に進んでいってしまった。取り残されたアランは、


「なんだよ……。可愛くねえ奴だな、まったく……」


 と頭を掻きながら溜め息を吐くと、可愛げの無い同居人が雪に溶けていってしまう前に足早に彼のことを追いかけた。

 東の森はブルネリアからそう遠くは無い。老人でも歩いて行ける範囲なのだから、若い二人からすれば何の問題もないだろう。むしろ、東の森に入ってからが問題である。

 二人きりになっても相変わらず無口なクロガネを見ていると、口ではなんと言おうとも、やはり緊張と不安で押し潰されそうになっていることが一目でわかる。

 いざというときは、本当に護ってやらねばならない。まあ、それは別に今に始まった話ではなく、クロガネを引き取ったその時から、覚悟を決めていることだが……。

 それにしても、アランたちが東の森に入るのを遮るかのように、雪の勢いが強くなってきた。少しでも目を離せば、クロガネを見失ってしまいそうだった。いくら来馴れた場所だからと言っても、そういう油断が一番危ない。


「クロガネ、流石にこの雪はまずい。俺の背中に隠れて、俺の上着でも握ってろ」


 クロガネも降り注ぐ雪の量に危険を感じたのか、いつまでもへそを曲げていることなく、大人しくアランの指示に従う。風も強くなってきて、上着の隙間から冷気が入り込み、体温を奪っていく。


「アラン……、何か嫌な雰囲気を感じる。久しぶりに感じる、心がピリピリする感じ」


 クロガネはその感覚をどこかで知っている。あまり考えたくはないが、この大陸ではほとんど見られない特別な感覚。しかし、東の森に近づく程に、その色は濃くはっきりと輪郭を現してくる。


「これは、多少厄介な仕事になるかもしれんな……。クソっ、報酬もっと高くしとけばよかったな……」


 アランはこんな時にまで、がめつくお金の話をし出すアランはある意味心強い。この状況に臆することなく自分の前を歩いてくれる。普段は子供っぽくてだらしないけれど、いざという時には頼れる男なのだ。

 クロガネが尊敬の眼差しでアランの背中を見つめていると、東の森の方から獣の遠吠えが鳴り響いてきた。その瞬間、アランはサッと身体を翻し、クロガネの背中へと隠れたのだ。


「な……、何の遠吠えだ?いやあ、ビビらせやがって、まったく……」


 「ふうっ……」と溜め息を吐きながら、額の汗を拭っているアランの顔面目掛けて、クロガネの拳が勢いよく飛んできた。殴られたアランは鼻を抑えながら、クロガネに向けて抗議する。


「いってえな……。なんで殴られなきゃいけねえんだ」


「もう、知らない……」


 トナカイのように鼻を真っ赤にしながらアランは猛抗議するが、クロガネは一切聞く耳を持とうとしない。それどころか、先程までの約束も忘れて、この大雪の中、どんどん先に進んで行ってしまった。

 その後ろ姿はすぐさま雪の中に溶けていき、一瞬でその姿を隠してしまう。


「おい、マジではぐれるから、ちょっと待てって……」


 流石のアランも、このときはかなり焦りながらクロガネを呼び止めるが、もうクロガネは止まらない。

 アランの視界から消えたクロガネは、ただひたすらに一つの言葉を反芻していた。


 アランの馬鹿、アランの馬鹿、アランの馬鹿…………。


 結局先に行ったクロガネは、気持ちを落ち着けて東の森の入口で、アランのことを待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ