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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第十章 春の芽吹きと共に
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白銀の雪景色

 暖炉の中でパチパチと音を発てながら、木片が火を揺らめかせて燃えている。少し早足でその前を通りすぎると、火がまるでその背中を追うかのようにその身を傾かせる。

 肩くらいまで延びる黒髪をなびかせながら、男か女かわからない中性的な顔の少年は狭い家の中を、地団駄を踏むように大きな足音を鳴らしながら、目の前に構える扉へと向かって歩いていく。

 そろそろ家を出るはずの時間になるというのに、同居人が起きてこないのだ。


「まったく……。どうしてアランはいつも、いつも……」


 無意識に愚痴をこぼしている自分に気がつき、慌てて口を手で抑える。まだまだ若い自分が、小言を漏らすようになっては目も当てられない。そうなってしまっている原因は、全てだらしのない同居人なのだが……。

 そんな同居人の自堕落な性格に溜め息を吐きながら、少年は扉が軋みそうなほど力強く叩く。


「アラン、もう時間だよ。早く起きてきて。もういい大人なんだから、朝くらい自分で起きてよ」


 ドンッ、ドンッ、ドンッと狭い部屋の中に扉を叩く音が響き渡る。同居人を呼ぶ少年の声は未だに声変わりを終えていないのだろうか、男声にしては少し高い声が狭い部屋に響き渡る。

 何度扉を叩いたか数えるのも面倒になった頃、ようやくドアノブがゆっくりと動き出す。扉も同じようにゆっくりと開かれ、中から酷い寝癖が付いたままの頭を掻きながら、眠そうに瞼を半開きにした男が顔を覗かせる。


「わかった、わかった……。もう起きたから、ドアを叩くのは止めてくれ。頭に響いて仕方ねえんだ」


 「うぅ……」と唸りながら再び頭を掻いたかと思えば、今度は大口を開けてあくびをする。出発の時間が迫っているというのに全く焦ろうとしない同居人に、少年は遂に堪忍袋の緒が切れた。


「いいから早く着替えて準備しやがれ、このクソジジイ」


 あまりの剣幕に、同居人のアランは、先程まで半開きだった瞼を大きく開き、あからさまに驚いた表情になる。


「は……、はい……」


 寝起きの回っていない頭でも、目の前の少年がすっかり怒ってしまっていることは、はっきりと理解することができた。

 一度部屋に戻ったアランは着替えを済ませ、男の割には長く伸びた髪を後ろで結び、こちらは男らしく伸ばした顎鬚を整えると、なかなかに男前な中年男性だった。


「いやあ、もうこんな時間だったとは……。すまんな、ア……」


 アランが少年の名を呼ぼうとすると、少年から鋭く冷え切った視線を向けられて、思わず口を噤む。すると少年はその鋭い視線を崩すことなく、アランに戒めるように告げる。


「アラン。その名前では呼ばないって約束だよ」


 少年の表情は堅く、ふざければまた怒られそうな雰囲気だったので、溜め息を吐きながらアランは改めて素直な謝罪の言葉を述べる。


「わかったよ。済まなかったな、クロガネ」


 そう呼ぶと、少年改めクロガネは満足そうに、頷きながら急かすようにアランに朝食を勧める。


「ほら、もうすぐ出かけるんだから、早く朝ごはん片付けちゃって」


 アランは促されるがまま、湯気が立ち込める食器を持ち上げて、口につけながらゆっくりとすする。野菜をふんだんに取り入れたスープが、寝起きの身体に沁みわたる。


「くぅ~、やっぱお前が作る朝飯は最高だわ。お前が一緒にいてくれて、俺は本当に助かるよ」


 そう言いながらアランはクロガネの頭をクシャクシャと撫でる。起きるのが遅かったことに、多少腹を立てているクロガネの機嫌を取ろうとしているのだろうか。


「本当に、調子いいんだから……」


 しかし実際、気さくな笑みを浮かべながら頭を撫でられると、悪い気はしない。そう思いながらクロガネは少しだけ頬を染める。


「それにしても、別に二人きりの時は普通に名前呼んだっていいじゃねえか。俺に本当の名前を隠して、今更何になるってんだ?」


 アランがそう尋ねると、クロガネは呆れた表情を浮かべながら溜め息を吐き、その問い掛けに答える。


「別に、二人きりの時にアランに呼ばれるのは構わないよ。でも、アランはすぐに油断して、口を滑らせちゃうでしょ。だから、二人でいる時も禁止なの」


 まるで子供を注意するお母さんみたいに、クロガネはアランに諭すように述べる。

 そう言われると自分にも自信が持てないアランは、少し複雑な表情を浮かべながら、暖かいスープを喉の奥まで出てきそうになっていた言葉と一緒に飲み下した。

 アランはこれ以上この話を続けても、自分よりもしっかりしている年下に色々と言い負かされてしまうような気がしたので、話を全く別のものに切り替える。


「それで、今日はどこに向かうんだ?レオーネは勘弁してくれよ。この時期は身体に堪えるんだ……。せめて近場のブルネリアにしてくれよ」


 アランは腕を組んで身体を震わせながら、窓の外に見える白銀の世界をその視界に捉える。そんなアランの様子を見ながら、クロガネは呆れたように溜め息を吐いて、愚痴を零すように口を開く。


「何が、老体なんだか……。アランはまだまだ若いんだから、このくらいの寒さ大丈夫でしょ。大体、もうこっちに来てから結構長いんだから、身体が慣れてきてもおかしくないのに……」


 そう言いながら、故郷では絶対に見ることができなかった景色を、ジッと見つめる。

 アランもクロガネも元々ここの人間ではない。もっと遠く離れた海の向こうからやってきたのだ。それも、もうすっかり過去の話。クロガネに関しては、こちらに来てからの方が長くなる。この真っ白な景色も、昔はかなり感動したし、苦労もしたが、すっかり見慣れたものになってしまった。


「さすが、子供は純能力が高いな。俺は未だに、この環境には馴れねえんだ……。まあ、環境さえ気にしなければ、向こうの世界より、余程住みやすいんだけどな」


 そう言いながら、アランは再び器を持ち上げ、煽るように一気に飲み干した。冷え切った身体を暖かいスープが駆け抜けるように胃へと落ちていく。


「食べ終わったら、食器はちゃんと片付けてよ。食事の準備はしてあげてるんだから、それくらいはちゃんとやってよね」


 そんなことを言うクロガネに、アランは頭を掻きながら苦笑を漏らして、食器を持って立ち上がる。


「本当に、クロガネはどんどんお袋みたいになっていくな。どっちが年上かわからなくなるぜ」


 そんなアランの言葉に少しムスッとしながらクロガネはアランの方に少し冷ややかな視線を向ける。


「いらないこと言ってないで、早く片付けてよ。まあ、僕がこんなのになったのは、だらしのない同居人のせいとしか考えられないけどね」


 そんなクロガネに仕返しと言わんばかりに、アランは少しだけからかうように、邪気の込められた笑みを浮かべながらクロガネの方を見る。


「無理に『僕』なんて使わなくてもいいんだぜ。昔みたいに可愛く……。いてっ……。何しやがる、この野郎」


 からかうアランの額に向けて、クロガネが手元にあった固い木の実を投げつけた。それは見事にアランの額を捉え、アランの額は赤く腫れ上がる。


「アランがいらないことばっかり言うからじゃないか。あんまり僕のことをからかうと、これからご飯も作ってやんないぞ。良いのか……」


 生活のことを人質に取られると、アランも強く出ることはできない。何しろ、自分がこれまで自堕落な生活をしてもなんとかやって来られたのは、クロガネが私生活のことを粗方やってくれているおかげだ。今回は大人しく下手に出ておくことにしよう。


「悪かったよ。それで、今日はどっちに行くんだ。それよりも遠くに行くなんて、流石に言わないでくれよ」


 アランは少し嫌な予感を覚えながらクロガネに尋ねると、クロガネは窓の外に視線を移しながら答える。


「さすがに僕も、この天候でそんなに遠くに行きたくないよ。心配しなくても今日はブルネリアに行くつもりだよ。まあ、この様子だとブルネリアでも苦労しそうだけどね……」


 そう告げるクロガネの表情はどこか不安げで、外を眺めながら憂鬱そうに溜め息を漏らす。遠くに行かなくて済むことに胸を撫で下ろしながら、アランはそそくさと食器の片づけを終え、ようやく出発の支度を済ませると、毛皮で作られた分厚い上着を羽織る。


「よし、それじゃあ行くとしますか。外は寒いが、その分明るくいこうじゃねえか」


 年上であるにも関わらず、無邪気な笑みを浮かべながら出発を促すアランに呆れながら、クロガネも同じように毛皮の上着を羽織る。その上着はとても暖かく、寒さで凍える身体を優しく包み込んでくれるようだった。更に、首許と頭にも黒い長い布を巻きつけ、目許以外の肌を全て覆い隠してしまう。


「はあ……。もういい年なんだから、もう少し大人になって欲しいんだけどな……」


 クロガネはアランには聞こえないような小さな声で、心の底からの言葉を吐露していた。




 外は一面白銀の世界と化していた。この大陸には『四季』というものがあり、一年で四つの季節がやってくる。今はその中の『冬』にあたるのだ。冬は四季の中でも最も気温が低く、その真っただ中では、現在のように雪が降り積もる。

 雪の上を歩くのはとても困難で、歩いた後にはくっきりと足跡が残る。だがそれも、数歩進んだ先で振り返ると、新しい雪に覆われて消えてしまう。

 吹きすさぶ雪のせいで視界は悪く、これだけ分厚い上着を羽織っているにも関わらず、体温は着実に奪われていく。


「やっぱりこの季節はキツイな……。冬だけは、村の近くに家を建てればよかったって、本気で思うぜ。まあ、今更別の場所に住む気にもなれないが」


 アランとクロガネはどの村からも少し離れた所に暮らしている。自然に囲まれた場所で、ブルネリアの村も一時間もすれば着くことができるので、生活に苦労することはないが、この雪の季節に関してだけ言えば、どうにも村に住んでいればよかったと思いたくなる。


「本当に文句が多いんだから。少しは黙って歩けないの……」


 そう毒づくクロガネは布で口許を覆っているため、声が籠ってアランにはほとんど聞こえない。それをいいことに、ことあるごとにぶつくさとアランへの文句を呟いている。

 所々に地面から生える針葉樹には、雪が積もって白い葉が伸びている。それが重力に負けて、重たい音を発てながら地面へと落ちていくと、たまにその針葉樹の下で雪を凌いでいる白兎などが、雪を被って慌てふためいていた。

 そんな穏やかな風景を、クロガネは微笑ましく眺めていた。時の流れが止まったような、静かな世界。けれど、ここでは争いが起きることもほとんどない。巡りくる季節に身を寄せて、静かな時を過ごしていく。クロガネやアランの過去を考えれば、何も起きない平和なこの大陸は天国のような場所だった。

 そんな風に思いを馳せていると、不意に後ろから衝撃を感じた。驚いて振り返ると、アランが雪玉を作って、こちらに投げる構えを取っていた。


「へへっ、油断大敵だぜ、クロガネ。いつ何時だってそんな隙だらけの背を見せちゃいけねえ」


 そう言いながら、アランは無邪気な笑みを浮かべて次の雪玉を投げつけてくる。その雪玉はクロガネの顔面を直撃し「ぶへっ」という、気の抜けた呻き声を漏らしてしまう。


「おっ、顔が真っ白だぜ。そんな顔を布で隠したりしているから、視界が狭くて避けられねえんだよ」


 どちらが子供なのかわからない程に、アランははしゃいでいた。まあ、いつもとそんなに変わらないことなので、普段ならこれくらいのことは無視して、アランを放って先を急ぐのだが、今日は何故だか頭に血が昇ってしまった。


「上等だ……、このクソジジイ……。これまでの鬱憤をここで晴らしやる……」


 クロガネの表情が怪しげな笑みへと変わり、身体が小刻みに震えている。けれどその笑みは布で隠されて表へ出ることはない。しかし臨戦態勢に入ったクロガネを見て、アランも楽しそうに笑みを浮かべる。


「おう、珍しいじゃねえか。そう来なくっちゃ面白くねえ。ほら掛かってこいよ」


 挑発するアランはクロガネとは異なり、頭にも首許にも何も巻かずに顔を露出している。年齢を考えると、格好が逆のような気もするが、精神年齢を考えるとしっくりくる気もする。

 クロガネが足元の雪を掻き揚げ綿密に握りしめると、かなり固くなった雪玉が出来上がる。顔に当たりでもすれば、無事では済まないかもしれないくらいに固く仕上げる


「お望み通り、痛い目見せてやるよ」


 クロガネはそれを振りかぶると、思いっきりアランに向けて投げつけた。それは人の出せる速度を優に超えており、眼に見えない速度でアランへと襲い掛かる。

 しかし、アランはそれをいとも容易く手の甲で殴り壊し、ニイッと挑発的な笑みを浮かべる。


「そんなもんで、俺を捉えられるとでも……、ぶはっ」


 格好をつけて目を閉じた瞬間、柔らかい雪玉がアランの顔面を襲う。固さは度外視して、丸めた雪玉を速攻で投げつけてきたようだ。

 「ふんっ」と自慢げに鼻を鳴らしながら、クロガネがアランを見据えている。


「こんにゃろ。こうなりゃ手加減は無しだ。俺の顔に当てたこと、後悔させてやる」


 唐突に、静かに雪が降り積もる雪原で、騒がしい二人による雪合戦が始まった。


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