信じる者の為
ガリアスは、なりふり構わず自らの氷を纏った腕を振り回す。鋭く研ぎ澄まされた意識は、相手の魔力を正確に捉えてくれている。眼などに頼ることはなく、魔力だけを追いながら、キラへの攻撃を繰り出す。
もちろん、その攻撃は全て空を切っている。だが、嵐のようなガリアスの攻撃を前に、キラは攻撃を出しあぐねている。幸いなことに、キラの放出する魔力は尋常ではないお陰で、キラを見失うことはない。
キラが次々と自らの立ち位置を変えることに、多少翻弄はされるものの、それでも眼で追わなければ何とか遅れを取ることはない。
最早人間業ではない凄まじい速度の移動を可能とするキラは、一体どれだけの負担を強いられているのだろうか……。
ガリアスの足許が次々と凍結していく。ガリアスが放つ魔力が、地面を凍らせ氷床を作り出す。キラが移動する度に氷床はその面積を広げ、少しずつ鏡のように光を反射する床が広がっていく。
キラは決して跳躍している訳ではない。雷の力を借りることで、光速で地面を移動しているのだ。つまり、氷床に足を踏み入れれば、いくらキラと言えど足を踏み外す。
そんなことに何故今まで気が付かなかったのだろうか……。相手の動きを止める策としては、一番思いつきそうなものなのだが……。
だが、今はそんなことを憂いている時間は無い。もう一人の自分の暴走により見えた一筋の希望に、ガリアスは全力で腕を振り下ろす。
足場の悪さに一歩逃げ遅れたキラの左肩を、ガリアスの纏う氷槍が襲い掛かる。キラの左肩を鮮血が舞い散る。
キラは一度退いて体勢を立て直そうとするが、ガリアスは一刻も待つことはなく、追い打ちを掛けに奔走する。ガリアスが踏み込んだ床が次々と凍結し、床が点々と色づいていく。無色という名の鮮やかな色に……。
キラは右手と左肩を赤く染めており、ガリアスの勢いに押されてはいるものの、特に息をあげている様子も、焦りを見せることもない。只淡々と、ガリアスの攻撃を無表情のまま避け続けることに徹していた。
次々に氷で囲まれていくグランパニアの王室は、既に冷気が満たしており、筋肉はセメントで塗り固められたように硬く強張り、著しい身体能力の低下を促す。
それでもキラは魔法を行使することにより、ガリアスに攻撃は加えられないにしても、ガリアスからの攻撃を受けることはほとんどなかった。
ガリアスの攻撃を避け続けるキラはガリアスを壁際に誘導し、直ぐには接近することのできない反対側の壁へと移動する。
「このまま戦っていても、埒が明かないな。認めてもいい……。お前は確かに強い。だから俺も本気を出そう」
落ち着き払っているキラとは異なり、ガリアスは何の抑制もなく魔力を放出しているため、既に息が上がり始めている。
「この姿になるのはいつ振りだろうな……。冥土の土産に見せてやろう。資質持ちの真髄、『醒者』の姿を……」
そう告げるキラは、いつもと変わらず淡々と機械的に話しているものの、その表情は何処か楽しそうに見えた。
久しぶりに外に出てはしゃぐ子供のような、そんな無邪気さが、キラの表情には見え隠れしていた。
キラは天に手を翳しながら、言葉を紡ぎ始める。
「天界より召されしその御身、我が身に宿りしその力、大いなる意志の下、その名をもって我が力と為さん。雷鎚の戦神、トール」
キラがその名を告げた瞬間、キラの姿を覆い尽くす巨大な光の柱がキラの元に降り注ぐ。その光柱は徐々に先細りになり、キラの姿が露になる。
黄金の鎧に身を包んだキラは、あまりにも神々しく、それを人間と呼ぶにはいささか人間味に欠けていた。
それは荒れ狂うガリアスをも、動きを止めて見蕩れさせるほどの神々しさを放っていた。
「『醒者』の姿を見るのは初めてか?」
キラの問い掛けにガリアスは何も答えない。今のガリアスは、キラとは別の意味で人間味を失っている。『思考』という名の、人間が持ち得る大切な行為を棄てているのだから……。
「資質持ちの中の一握りの者だけが得られる力だ。神の名を知り、新たな契りを交わす。そこから得られるのは、神にも等しい力」
ガリアスの右手には、雷を帯びた巨大な鎚が握られている。それを肩に担いで、キラは少しずつガリアスへと歩み寄る。そう、潰れたはずの右手に……。
「先程までのやり方は俺の性に合わない。やはり俺は、力と力のぶつかり合いを演じなければ、血が騒がないようだ」
少しずつ近づいてくるキラに、見蕩れていたガリアスもようやく呪縛から解放されたように構えを取り直す。
彼から放たれるあまりに巨大な魔力に、思考を失ったガリアスですら、本能的に身じろぎをしてしまう。目の前にいる相手が格上であると、野性の勘が悟っている。
しかしここで立ち止まったところで、何も変わらない。これまでとやることは変わらない。力の限り、自らができることをやるしかない。
「ぐうおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
雄叫びを上げながら、ガリアスは再びキラへと接近する。それは、目の前の敵への恐怖に怯えているだけなのかもしれない。今のガリアスには自分の感情すらも、霧に埋もれて判然としなかった。
襲い掛かるガリアスに対して、キラは避けるのではなく、自らの手に携える雷鎚を振りかぶる。ここからは力比べだと、最早逃げるような策をとることはないという意思表示。
ガリアスはこれまでにない程の力を込めて、氷槍を全力で突き出す。その尖先に向けて、キラは雷鎚を振り下ろした。
魔力のぶつかる瞬間、この空間がまるで無重力になったかのような浮遊感を覚えた。そして、その浮遊感が走り抜けると共に、自らの氷槍は粉々に砕け散った。
ありったけの魔力を注ぎ込んだ氷槍は、相手の雷鎚と競り合うことすらなく、まるで果実でも握りつぶすかのように容易に崩れ落ちて行った。
埋めることのできない実力の差に驚愕を覚えたガリアスは、そこで身体を硬直させてしまう。そんなガリアスに向けて、キラは容赦なく雷鎚を振り抜いた。
痛みすらも感じない。何をされたかもわからないまま、一瞬の浮遊感を覚えた後、気が付けば反対側の壁にめり込んでいた。背後から迫って来るかのように、痛みが徐々に押し寄せてくる。身体の細部が軋み、悲鳴を上げるように、各部が痛みを訴える。
気を失いそうだった。たった一撃、あの巨大な雷鎚を振り抜かれただけで、死をも覚悟した。それでも何とか意識を保っていたのは、奇跡だったのかもしれない。
あんな攻撃を受け続けることは、どう考えても不可能だ。ならばもう決めるしかない。自らが持つ、最大限の魔力を解き放って……。
ガリアスは身体をふらつかせながらも、何とか地面を踏み締め、仁王立ちをするかのように立ち尽くす。
そんなガリアスを視界に捕えたまま、キラはゆっくりとこちらに向かってきている。戦いを直ぐに終わらせる気はないらしい。あくまでも、この状況を楽しんでいるようだ。
ガリアスは身体の細部まで神経を尖らせて、身体の隅々から魔力を抽出するかのように、全身を蒼白色の輝きで満たしていく。これで終わらせることができなければ、自分が目の前の敵に勝つことは不可能なのだ。手加減はいらない……。全てを棄てて、自らの全てを出し切る。
そんなガリアスの様子を見ても、キラは歩みの速度を速めようとはしない。まるで、その攻撃を敢えて撃ってみろと言わんばかりに、キラはゆっくりとガリアスに歩み寄っていく。
ガリアスの全身を包んでいた蒼白色の輝きは、一気にガリアスの構える両手の中へと集まっていく。魔力が集約した途端、今度はそれが爆発するかのように、巨大な魔法陣となって展開される。
「これで終わりにさせていただく……」
これでキラが倒れれば、ガリアスの勝利で終わり。キラが倒れなければ、ガリアスの精神崩壊で終わり。どちらにしろ、この一撃でこの戦いの全てが決まる。
「地獄より導きし、死の冷気を纏いし龍よ、我が前に立ちはだかる敵を滅ぼしたまえ……。出でよ、ヨルムンガンド」
ガリアスが魔法を唱えた瞬間、魔法陣がこれまでとは比べものにならない程の輝きを放ち、そこから十を超える氷の龍がうねりを上げて、四方八方からキラへと襲い掛かった。
キラも一応の抵抗は見せた。最初の二、三体の氷龍は、自らの手に携える雷鎚で、砕け散らせた。だが数の暴力には、流石のキラも為す術がない。そこから先は、十数の氷龍が鋭く尖った牙を剥き出しにしながら、キラへと襲い掛かった。
氷龍が放つ冷気によって、この部屋全体が氷漬けになる。氷龍はキラの身体に牙を立てると、氷塊となってキラへと纏わり付く。氷龍たちは次々とキラへと喰い掛かり、赤い鮮血を散らしながら、キラを中心として巨大な氷塊を成していった。
最後に出来上がったのは、巨大な氷の牢だった。その中に、赤い鮮血を滲ませるキラの姿があった。氷に囲まれた彼は、身動きを取ることもできなければ、息をすることもできない。
瞬きすらすることのできないキラの瞳が、ガリアスを射る。だが、それに反応するだけの力がガリアスには既に残っていない。遠ざかる意識の中で、何とか身体を持ちこたえるのがやっとの状態だった。
だがそれでも、あとはキラの窒息を待つのみ。嬲り殺しをしているようで、戦い方としては褒められたものでは無いかもしれないが、それでも勝利したのだ。なんと卑下されようとも構わない。
ガリアスは相手の意識が失われるのを、まどろむ意識のおぼろげな視界の中に捕えようと、必死にその場に意識を貼り付けていた。後数秒もすれば、彼の魔力は消滅するだろう。それだけは、見届けなければならない。
だがガリアスのまどろむ視界は一気に晴れる。それは、驚愕による視界の覚醒だった。
最早疑う余地もない。氷の牢は悲しげな悲鳴を上げながら、大きな罅を生み出した。その罅は次第に氷の牢を喰い尽くすように、全体に広がっていく。
その瞬間ガリアスは悟った。この戦いに敗北したのだと……。自らの主との約束を果たすことは叶わなかったのだと……。
やがて、罅に覆われた氷の牢は中心に佇むキラを残して、粉々に砕け散った。解放されたキラの表情には嘲りなど一切なく、無表情のまま真っ直ぐにガリアスを見据えていた。まるで、ガリアスの力を認めるかのような眼差しで……。
止めてほしい……。そんな眼で見ないでほしい……。自分はもう、負けたのだから……。
「お前は、それだけの力を持って、何故力を否定する?」
不意に投げ掛けられたのは、そんな言葉だった。キラはただ何の邪気もなく、本当に不思議そうにそう尋ねる。もう立っているのもやっとなはずなのに、何故かキラの言葉に答えなければならない気がした。
「別に、自分は力を否定したことなどありません。この世界はどうしようもなく不条理です。それを自分は幼い頃から、この身体に刻み込まれております」
「ならば何故、お前は俺に抗い、この世界を争いの無い世界に変えようとする?それは力という名の権力を否定していることと同じではないか?」
ガリアスは小さく笑みを浮かべる。もう、笑みを浮かべるのもやっとの状態だというのに……。
「ええ……。自分があなたに抗うのは信じるものの為です」
「信じるもの……?」
「ええ、私を牢獄から解き放ってくれた、優しく気高い、我が王の為……」
こんな言葉を恥ずかしげもなく言えるのは、それだけ彼を尊敬し、信頼しているからだろう。こんな窮地だからこそ、心の底から自然と言葉が溢れ出す。
「自らの意見を変えてまで、何故にそれほどまでに盲信ができる?それではまるで、神のようではないか……」
そうだとも……。自分からすれば、アカツキは神にも等しい存在なのだ。キラが言っていることが間違っているとは、欠片も思いはしなかった。
「本当に神が存在して、そしてキラ殿の言う『醒者』という存在になる条件が神の名を知ることなのだと言うのであれば、自分は『醒者』になることは不可能だと思います。何しろ、自分が本当に信じているのは、アカツキ殿だけですから……」
キラの表情は相変わらず無表情で、本当に自分に興味があるのか疑わしいが、それでも疑問の言葉を並べ連ねる。
「ならばもし、お前の主が世界を壊せと言えば、お前は世界を壊すのか?」
盲信しているからこそ、この問い掛けは必ずされるだろうとは思っていた。そんなことはあるはずがない。アカツキはこの世界を大切に思っている。だからこそ、この世界を争いと身分社会の無い世界に変えようとしているのだ。
それでも、もし本当にそんなことを言いだしたとすれば……。
「それが、アカツキ殿が正しいと信じる道であるのならば、自分は自分の意思でそれに従います」
キラが口を開いて疑問を重ねようとするが、ガリアスはキラの言葉を待たずして、それを遮るように言葉を重ねる。
「それでは昔と変わらない、と思われるかもしれません。しかし、それは似て非なるもの。自分は自らの意思でアカツキ殿について行くだけ……。誰に強制された訳ではなく、自分がついて行きたいから……、そうするのです」
ガリアスの眼に意志が宿っていく。もう魔力は失われたはずだ。もう出せる力は一つもないはずだ。なのに、力が溢れて止まらない。いや、最後に残されたものが一つだけある……。
これから起こることが手に取るようにわかる。この力がどういったものなのか、使ったこともないのにわかってしまう。
それでも、まだ抗う力が残っているというのなら、これ以上に嬉しいことはない。自らが神よりも信じることができる、我が主の為にまだできることがあるというのなら、それが何であろうとも、惜しみなく使うことができる。
これが本当の最後だ。我が主の王道を切り開く糧にならんことを……。