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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第九章 兵どもの鎮魂歌
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目覚める心の化け物

 なんとも簡素な、何の装飾もない部屋だった。その部屋だけを見せられれば、ここが王宮の中の最上階で、王座が収められた王室だとは誰も思わないだろう。ただ大きいだけの、何処か普通の家の一室と言われても何の違和感もない。

 入口の反対側にある王座ですら、キラが座っていなければ、それが王座であるとはわからないだろう。それくらいに、全てが簡素で特徴がなかった。

 けれどこの簡素な王室は、逆に畏怖を覚えざるを得ない。何ものも主張しないこの部屋で、唯一怪物のような殺気を放つ一人の男。

 この何もない部屋では、その殺気を邪魔するものは何もない。彼が放つ殺気の全てが、何のフィルターも介することなくガリアスの身に襲いかかる。


「久しぶりだな、ガリアス」


 キラは動く気配もなく、まずは会話を持ち掛けてきた。相変わらず肘はついたままで、おおよそ礼儀と呼ばれるものは欠片も感じない。そもそも、彼に礼儀というものが備わっているかどうかは、甚だ疑問ではあるが……。

 敵同士であるのにわざわざ礼儀を正す必要もないだろうと、ガリアスもキラを睨みながら、いつでも臨戦態勢を取れるような格好で、一先ず彼の会話に答えることにする。


「お久しぶりです、キラ殿」


 少しの間が空いてから返された返事に、キラは少し口許を歪めながら冷たい笑みを浮かべる。

 何か可笑しなことを口にしたか、と訝しげな表情を浮かべるガリアスの心中を察したように、キラは会話を投げ返す。


「そんな声をしていたのだな……、お前は」


 あぁ、そういうことか……。ガリアスも彼がそんな表情を浮かべた意味に納得をする。

 たしかにこれまでに、彼と顔を合わせたことは何度もある。けれど、一度もガリアスは声を発したことがなかった。セドリックに連れられて、顔には布を掛けられたまま、その眼だけを彼らに曝していたのだ。


「ノックスサンを離れたと聞いた時は驚いた。お前が自ら、あの愚王の元を離れるとは、思ってもいなかったからな」


 キラは目の前にガリアスがいるにも関わらず、まるで遠い過去を思い出すように、その瞼を深く閉じる。その余裕が逆に隙がないように見えて、ガリアスはそんな中で動けないままでいた。


「だが、あの頃の鋭さはなくなったな……。何者をも傷つける剥き身の刃は、今のお前からは感じられない。丸くなった、というよりも錆び付いたといった方がすわりがいいな」


 キラの瞳が興味なさげにガリアスを視界から遠ざける。昔ほどの殺意を纏わなくなったガリアスを見て、拍子抜けしたように溜め息を吐きながら……。


「あの頃とは違います。あの頃の、自らの意思もなく全てを傷つけていた自分はもうここにはいません。今は自らの意思で、キラ殿に抗いに来たのです」


 「ふっ……」とキラは鼻を鳴らしながら、ガリアスのその言葉を受け止める。そして、嘲るような笑みを浮かべながら、ガリアスへと視線を戻す。


「今のお前に、俺が倒せると思うか?それくらいの力量を測るだけの力は持っていると思っていたのだが……。それすらも、俺の過大評価だったか……」


 そんなキラの言葉を受け止めるように、ガリアスは一度その瞼を閉じる。今のキラに不意打ちをする意思は全くといっていいほど感じられない。

 そしてガリアスはゆっくりと瞼を開くと、そこには先程とは見違えるほどに鋭い眼光が、怪しい光を帯びて揺らめいていた。


「えぇ、残念ながら今の自分では無理でしょうね……。ですから、今日だけは、不本意ですがもう一人の自分に、目覚めてもらうとしましょう」


 ガリアスは呼び起こす。アカツキに解き放ってもらったはずのもう一人の自分を……。目の前の者を全て傷つける、無慈悲で無情なもう一人の自分を……。

 『殺せ、殺せ……』と耳元で囁くような幻聴が、ガリアスの鼓膜を介することなく、心の奥底へと流れ込んでくる。

 久しぶりに目覚めさせたもう一人の自分に、自らの意思が飲み込まれそうになる。無意識の内に、身体の先という先まで意識が潜り込み、血流が異常な程に速度を増しているのを感じる。


 こんな姿、アカツキ殿には見せられないな……。


 そんなガリアスの意識も、すでに風前の灯火となっていた。

 ガリアスの殺気が、今まで飲み込まれそうになっていたキラの殺気を、押し返すように払い除ける。飢えた獣のような眼光をキラへと放ちながら、噛み締めた白い歯を剥き出しにする。


「ほぉ……」


 キラの双眸が生気を取り戻したように、目尻を少しだけ吊り上げる。そして、彼はようやく拳に乗せていた頭を持ち上げ、音を発てながら首を左右に傾ける。

 彼が戦う準備を終え、ようやく立ち上がろうとしたその瞬間、左右から巨大な氷壁がキラを押し潰すようにして、凄まじい速度で互いの表面をぶつけた。それが誰による攻撃かは、考えるまでもない。

 キラが座っていた王座は粉々に砕け散り、跡形もない姿になっていた。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。

 肉片が転がっていることも、真っ赤な鮮血が飛び散っていることもなかった。

お互いの衝撃で、氷壁もまた砕け散っていた。瓦礫のように、大きな氷塊の山ができており、その向こう側に感情の色がどこにもない、真っ白い紙のような表情を浮かべた男が立っていた。


「悪くない攻撃だ。お前の持つ殺気で魔力を覆い被せ、魔力の錬成を相手に悟らせない。不意討ちとしては上出来だ」


 言葉はたしかにガリアスを賞賛している。だが、その言葉を紡ぐ顔にあるのは、無そのもの……。


「考えていたことは、同じようですが……」


 そう告げるガリアスの頬を、真っ赤な鮮血が伝って滴り落ちる。ガリアスの後方に構える壁には、一点の黒い焦げ跡が残っている。


「しかし威力が桁違いだ。お前の攻撃は、相手を根絶やしにするつもりの攻撃だった。だが、俺の攻撃はお前に掠り傷を一つ残しただけだ」


 そう言いながらも、結果だけをみれば、傷を負ったのはガリアスだけだ。キラは焦りすらも見せずに、易々とガリアスの攻撃を避けたのに対し、ガリアスはキラからの攻撃を受けてしまったのだから……。

 一切の焦りもなく易々と……。


「いや、違いますね。考えが同じだったというのは訂正します。キラ殿、あなたは自分のやろうとしていたことに、途中でお気付きになった。だから、敢えて同じ手段で自分に攻撃した。違いますか?」


 そこでようやく、少しだけ感情の色が戻ってくる。筆からこぼれ落ちた絵の具のように、点々と……。


「お前もよく喋るようになった。戦いに言葉など不要だろ。あまり口を動かすと、底が見えるぞ」


 戻ってきた感情は嘲りのみ。一歩ずつガリアスの方向に歩み寄り、氷塊の山の前でキラが腕を横に薙ぐと、一閃の稲妻が走り氷塊の山を消滅させる。

 相手の出方を伺っていれば、恐らくこちらに勝機はない。相手の一歩……、いや、二歩も三歩も先を行かなければならない。

 ならば、ここで相手がこちらに来るのを待っている場合ではない。戦いは始まってしまったのだ。最早不意討ちも意味をなさない。


『殺せ、殺せ……。血だ、血を寄越せ……。』


 もう一人の自分が耳許で囁く。この一年半の反動が、ガリアスの意思を飲み込んでいく。


 心配せずとも、これから好きなだけ喰わせてやる。


 ガリアスがキラの接近を待つことなく魔法陣を展開すると、キラの周辺をドーム状に囲うように、先の鋭く尖った百以上の氷柱が出現した。それらの尖先の全てがキラに向き、ガリアスが拳を握った瞬間、氷柱たちがその掌を模すかのように、一斉にキラへと襲い掛かる。

 氷柱の刃がキラを捕える寸前、キラが天を仰ぐように掌を突き出すと、キラすらも覆い尽くすほどの巨大な稲光が天井より降り注ぐ。その稲光に、ガリアスの攻撃は木端微塵に砕け散る。

 その衝撃で舞い上がった土埃の中から、まるで何もなかったかのように平然とした表情で歩み出てくるキラの姿。やはり、本物の化け物だ……。攻撃の一切が、掠り傷一つ残すことすら叶わない。


「ならば……」


 ガリアスは、自ら接近を試みる。キラの元へと辿り着く前に、自らの両腕に氷を纏わせ、自らの腕を巨大な槍と化す。その先端を何の躊躇もなく、それこそ殺すつもりで、ガリアスはキラへと突きつけた。

 だが、その氷槍は鈍い音を発てながら空を切った。ガリアスの視界には、既にキラの姿は無い。


「遠距離がダメなら、近距離か……。甘いな」


 その声は背後からガリアスの鼓膜を震わせる。この一瞬で、目前から背後に回り込むことなど……。いや、この男なら可能なのだ。光速での移動を可能とする、この男なら……。

 だが、それはガリアスも知っていた。だから、敢えて誘い込んだのだ。自らの背後に回り込むように……。

 ガリアスの表情が怪しく歪む。浮かべたことのない表情に、顔の筋肉に違和感を覚えるが、こういう時はこういう表情をするものだろう。少しくらい頭を使って戦えるようになったのだ。

 その笑みに呼応するように、最初に王座を粉々に砕いたのと、同じような氷壁が再び左右からキラに襲い掛かる。ガリアスは自らの背中を抉りながら、何とかその場を離れて、視界にキラを捕える。


「少しは面白いことをするじゃないか。お陰で右手は使いものにならなそうだ」


 どうやら捨て身の覚悟のお陰で、キラの右手を封じることができたようだ。赤く染まった右手をぶらぶらと揺らしながら、キラはガリアスへと視線を向ける。その時ようやく、自分がキラに認識されたような気がした。

 だが、自分の怪我も軽視できるものでもない。背中からじわじわと熱を感じる。抉った傷だけでなく凍傷も相まって、異常な痛みを喫している。自らの攻撃で自らを痛めつけるのは、これが初めてだった。


「確かに、知性は付いたようだが、力の調整はまだまだ不十分と見える」


 それも全て、キラにはお見通しのようだ。こんな攻撃の仕方をしていれば、キラを倒す前に自らの攻撃で自らを殺してしまう。それに不意打ちだからこそ、先程の攻撃がキラに通用したのであって、恐らく同じ手を何度も喰うような男ではない。


「手加減などして、勝てる相手でもありませんので」


 だからこそ、弱みを見せる訳にはいかない。どれだけ背中から痛みを感じようとも、平静を装わなければならない。こんなもの、アドレナリンでどうとでもなる。

 光速で移動する相手に唯一抵抗できる手段を考えろ。相手の移動手段が最早常軌を逸していることは最初からわかっている。それに追いつくのは、考えるまでもなく不可能である。ならば取らなければならない手段は、相手の動きを止めること。どうすれば……。

 ダグラスが必死で思考を巡らせたために、一瞬キラから視界を外してしまった。その瞬間、ガリアスの肩に背中にも劣らない程の痛みが走る。


「うぐっ」


「戦闘中に余所見か……。呆れたものだ。さっきまでの殺気も、嘘のように消えているぞ。お前は自分の利点を理解していない。そんなに思考を巡らせたところで、お前が思いつく案など、想定できる範囲のものでしかない」


 キラはいつの間にか目と鼻の先にいた。そしてその腕が雷を纏いながら、ガリアスの左肩を貫いていた。ガリアスは痛みを押し殺して、右腕に纏っていた氷槍をキラに向けて突き出す。

 キラの腕が肩から抜けて、一気に身体に重力を感じ、ガリアスは膝から崩れ落ちる。右腕の氷を解除し、右手で左肩を抑えつけて、氷で出血を無理矢理に止める。


「はあ……、はあ……」


 痛みで呼吸が乱れる。キラを視界に捕えてはいるものの、その姿は既に数メートルも先に離れている。

 たった一瞬目を離しただけだった。思考を巡らせるなどという慣れないことして、意識が一瞬彼を霞みの中に放り込んだだけだった。それだけなのに、自分は地面に膝を付かされている。

 あまりにも規格外だ。これまで戦ってきた相手など比にはならない程の、飛び抜けた実力の持ち主。これこそが、この世界の四柱に数えられる者の力。


「どうした?さっきまで覗かせていた牙は、もう仕舞い込んでしまったのか?俺の右手を潰すためだけに、この場所に来たのか」


 まるで挑発するような言葉を投げかけている割に、その声音のどこを探してもこちらへの嘲りや叱咤すら見当たらない。彼は機械的に、只の決まり文句のように、そう言っているだけなのだろうか。

 自分が言うのものなんだが、彼もまた昔の自分と同じく感情が欠如しているのだろうか。


「あなたの言うとおり、自分には考える頭などございません。考える暇があったら、身体を動かした方がよさそうですね。その方が自分に合っている」


 相手の教え通りに動くようで癪だが、実際そうなのだから仕方がない。自分には考えるだけの頭などないのだ。ならばその牙を剥き出しにして、命の限り向かっていった方が、勝率が高いに決まっている。

 ガリアスは自らに襲い掛かる痛みを押し殺して、地面に付いていた膝を持ち上げると、もう一度立ち上がる。身体中に魔力を纏い、己の身体能力を最大限まで引き上げる。

 相変わらず、もう一人の自分が『けたけた……』と笑い声をあげながら血を欲している。いつまでも耳元で囁いていないで少しは役に立たぬか、と言い聞かせると、彼は更に下卑た声で笑い声を上げ始める。

 その笑い声を皮切りに、ガリアスの感覚が徐々に研ぎ澄まされていく。少しずつ昔の感覚が蘇り、自らが暴力と血を求めているのが、はっきりとわかるようになる。

 ガリアスの身体中から、まるで彼の狂気を模したかのように、鋭く尖った氷柱が出現する。

 最早自分などいらない。目の前の敵に勝つためなら、自らの狂気に身を委ねても構わない。全ての理性を棄ててでも、目の前の敵に喰らいついてやる。


「この身体が朽ちたとしても、圧し通る……」


 キラの顔に、再び笑みが蘇る……。


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