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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第九章 兵どもの鎮魂歌
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生きて必ず

 そこには一人の青年がいた。何処かで目にしたことのあるような、透き通るように明るい茶色い髪に、空のように全てを見透かすような群青色の瞳。

 目の前から感じる強大な魔力とは裏腹に、優男のような笑みを浮かべながら、彼はアカツキたちの前に立ちはだかる。銀色で所々に翡翠色のラインが入った簡素な鎧にマントを垂らし、階段に腰を降ろしている。

 額には髪止めのような円環を嵌めており、その左側面には一枚の白い羽が顔を覗かせている。

 アカツキよりは老いているが、ガリアスよりは間違いなく若いだろう。だが目の前にしてはっきりと理解できる。この男の魔力は、恐らく二人を遥かに凌駕している。

 彼の後ろには上の階へと繋がる階段が、まるで居座るように一段、一段を重々しく並べ連ねている。アカツキの使命は、ガリアスをあの階段へと送り届けること。


「やはり彼は、お前たちを倒すことはできなかったか……」


 目の前の優男は、ゆっくりと階段から重い腰を持ち上げるように立ち上がる。魔力の怪物と言わんばかりのオーラを放ちながらも、その仕草はとても人間味に溢れており、彼が浮かべる笑みは警戒心を解いてしまいそうなほど、優しく柔らかいものだった。


「お前は、誰だ……?」


 そんな彼の表情に騙されないようにと、アカツキは自らの表情を必死に強張らせながら、目の前の優男に尋ねる。

 彼は少しずつ歩みを進めアカツキたちに歩み寄りながら、アカツキの問い掛けに答える。


「俺のことを知らないのか?それは残念だ……。でも、お前は知っているようだな……」


 アスランの視線がガリアスへと向けられる。そう目の前の優男から告げられて、アカツキは隣に立つガリアスの表情を覗き見る。彼は口許と頬を震わせながら、青冷めた表情で目の前の優男を眺めている。


「どうした、ガリアス?お前、あいつを知っているのか……?」


 アカツキのその問い掛けに、まるで糸で縫い付けられた口を解くようにゆっくりと開いていく。


「ええ、知っております。あの男は、世界最強の剣士と謳われる男……。ガーランド帝国騎士団長、アスラン・クロフトであります……」


 『帝国騎士団長』その言葉に、アカツキの顔が一気に血の気を失う。目の前の敵のあまりの巨大さに、思考は追い付かなくなり、焦りだけが先走る。


 これから敵にしようとしていたのは、四大大国の中でも一番の暴君と謳われる国王だぞ。それだけでも、こっちは勝てるかどうかわからないっていうのに、その上帝国騎士団長だと……。ふざけるのも大概にしろ……。


 アカツキにはまるで神の遊戯に巻き込まれ、わざと悪手を打たれて嘲笑われているかのような気持ちに苛まれる。こんな不幸、あってたまるか……。


「丁寧な説明感謝するよ。まあ、そういうことだ……。本当はこの戦争に手を出すつもりはなかったんだが、やはりお前とは少し話したいことがあってな……」


 帝国騎士団長に持たれる興味などどこにある。アカツキはたかだか一国の王に過ぎない。しかも、何処にでもある小国のだ。

 そんなアカツキの考えを先読みするかのように、アスランは言葉を重ねる。


「お前は気付いていないかもしれないが、それなりに権力の有る者たちからしたら、お前は有名人だ。多分、大国の王の中でお前の存在を知らない者はいない。もちろん、帝国も同じだ」


 アスランが話していることに頭がついていかない。確かに、大国に仇なす国などほとんど存在しないだろう。だが、それは今現在、しかも奇襲で行っていることだ……。

 そうでないとするのなら、理由が見つからない。……いや、一つだけあるではないか。ダグラスも言っていた、自らの血縁が……。


「じいちゃんや、顔も知らない親父のことか……」


 アカツキの心の歪みが、声の震えとなって現れる。表情は更に強張り頬筋は感じたことのない程に収縮している。


「まあ、それも一つだ。だが、そんなことはどうでもいい。キラに殺される前に、俺は一度お前と戦って見たかっただけだからな……」


 アスランから優男の笑みが消える。その瞬間、この場の空気が一変したように、張り詰めた空気が満たす。

 無意識の内に、アカツキとガリアスは臨戦態勢を取っていた。彼が発するあまりの威圧感に、アカツキの網膜は彼の姿を異様に大きく映し出す。


「お前がここに残ると言うのなら、ガリアスはこの階段の先に通してやっても構わない。キラの奴も、暇をしているだろうしな」


 ガリアスだけでもここを通してくれると言うのなら、それは願ったり叶ったりの申し出だ。だが、ここに一人で残ったところで、自分は一瞬で殺されてしまうのではないだろうか……。

 そんな恐怖が顔に出ていたのか、ガリアスが隣から声を掛ける。


「アカツキ殿、ここに残る必要はありません。二人で、何とか切り抜けましょうぞ」


 いや、違う……。恐怖に負けて、この戦争の本質を忘れてはならない。この戦争はキラを倒すために起こしたのだ。ならば、自分の死と引き換えにしても、ガリアスを向こう側へと送り届けるべきだ。元々、そうする予定だったのだから……。

それが、ルブルニアの王として、彼にしてやれる最後の仕事になるかもしれないのだから……。


「その提案、乗った……。俺がここに残れば、ガリアスはその先に通してくれるんだな?」


 アカツキの拳はあらん限りの力で握られ、耳を傾ければ軋む音が聞こえてきそうなほどだった。それほどにアカツキの心は激しく乱され、それでもなお様々な感情を圧し殺しているのだ。


「ああ、この戦争自体に、俺は全く興味がないからな」


 ならば自分もその先に通してくれ、と言いたかったが、そういう訳にはいかないのだろう。それが許されるのなら、そもそも彼は戦場に顔を出さなかったはずだから。

 アカツキのその言葉を聞き、ガリアスは強張った表情でアカツキの顔を見返す。アカツキは小さく震えながらも、覚悟を決めたように、真っ直ぐにアスランを見据えている。

 そんなアカツキに掛ける言葉が、ガリアスの何処を探しても見つからなかった。こんな時に、仲間に掛ける言葉も見つからない自分の無知さに腹が立ち、ガリアスは無意識の内に拳に力が入る。

 そんなガリアスの様子に気が付いたのか、アカツキはガリアスに向かって落ち着いた声音で声を掛ける。


「ガリアス、俺たちの目的を忘れるな……。俺たちの目的は何だ?目の前のこいつを倒すことか?違うだろ。キラを倒して、グランパニアが創りだしてきた、身分や争いに満ちた世界を変えることだろ……」


 アカツキの表情は未だに強張っている。隠しきれない程の恐怖が、今もまだアカツキの心を蝕んでいるのだ。それでもアカツキは、それを必死に隠そうと、声だけは落ち着き払ってみせている。


「だから……、ここは俺に任せて先に行け。後のことは頼んだぞ……」


 アカツキが奥歯を噛みしめているのが、はっきりとわかる。恐らく本人は隠しきれているつもりなのだろうが、頬の震えを見れば誰にだってわかるだろう。それでも、アカツキはそんな恐怖の中で覚悟を決めているのだ。それに答えない訳にはいかない。


「わかりました。必ずや、生きてもう一度、皆で会いましょう。ヨイヤミ殿も一緒に……」


 『ヨイヤミ』という言葉に、アカツキの表情が少しだけ和らぐ。こんな状況においても、アカツキの中で『ヨイヤミ』という存在は大きな意味を持つのだ。彼の恐怖を多少和らげる程度には……。


「ああ……。あいつに謝らせるまで、死ぬ訳にはいかないからな」


 アカツキの瞳に小さな炎が宿る。ガリアスはそんなアカツキの姿を見て思うのだ……。


 やはり、ヨイヤミ殿はすごいな。その名前だけで、誰かの力になり得るのだから……。自分は誰かの中で、それだけの存在になれたことなど一度もないだろう。できることなら、誰かのそんな存在になってみたいものだ……。


 そして、ガリアスもまたその一歩を踏み出す。もう迷いは捨てなければならない。ここでいつまでも踏みとどまっている訳にはいかない。自らの主人の願いを聞き届けなければならない。


「では、アカツキ殿。ご武運を……」


 アカツキはゆっくりと瞳を閉じ、心の底からの返事を返す。


「ああ……。お前もな……」


 ガリアスとの距離が一歩ずつ開いていく。やはり一人は怖い。どれだけ大きな相手がいようと、仲間と共になら、無理矢理にでも足が動いていた。けれどここからは一人だ。隣で支えてくれる仲間はもういない。そんな恐怖に押し潰されそうになる。

 けれどそれは、ガリアスも同じことなのだ。ならば、自分だけが弱音を吐く訳にはいかない。自分だけが逃げ出す訳にはいかない。だから俺は覚悟を決める。目の前の敵と戦う覚悟を……。

 ガリアスがアスランへと近づいていく。まるで興味が無いと言わんばかりに、アスランはガリアスに視線すら合わせようとしない。その視線は、常にアカツキを捕えていた。

 だが、視線すら合わせていないにも拘らず、アスランの周辺は殺気と魔力に満ちており、その恐怖に押し潰されて、自我が保てずに彼に襲い掛かりそうになる。既にガリアスの拳は、皮膚を抉りそうな程の力が込められていた。

 しかし、今彼に襲い掛かってしまえば、アカツキの思いを全て無駄にしてしまう。そう思うことで、ガリアスは必死にその恐怖心を抑え込んでいた。

 ガリアスがアスランの隣を通り過ぎる瞬間、アスランの口角が少しだけ吊り上げられた。その表情を見た瞬間、ガリアスは悟った。自分は試されていたのだと。試されていた、と言ってしまえば聞こえはいいが、要は遊ばれていたのだ。『資質持ち』二人を相手にしてなお、彼にはそれだけの余裕があるのだ。

 ガリアスはアスランの挑発に乗ることなく、アスランの背後に構えていた階段へと足を踏み入れる。ガリアスが階段を昇っていく音だけが、この部屋に響き渡る。

 天井を挟んで一つ上の階に行くだけなのに、まるでもう会うことのできない何処か遠くへと行ってしまうような、そんな気持ちを植え付けられる。そう思うと、自然と右手がガリアスへと延びようとするが、アカツキはそんな右手を静かに左手で制した。

 思うのは勝手だ。けれど、それを行動に移してはならない。ガリアスの覚悟を、そして何よりも自らの覚悟を無駄にしないために……。

 ガリアスは振り向かない。ただ真っ直ぐに、階段の先を見据える。もう、この場所に置いてきたものは何もないと言うように……。

 階段を昇り切った先には巨大な扉が待ち構えていた。錆びた部分がどこにも見当たらない青銅の扉は、この城が建てられてからそれほどの時間が経っていないことを暗に示す。キラがこの国の王に即位してから、まだ十数年しか経っていないのだ。

 四天王が統治する国々は、ガーランド帝国の王であるアーサーからの勅命を受けた資質持ちが代々その王の座についてきた。キラもまた、同じようにアーサーから、この国の王に叙任されている。

 だが彼の場合、勅命を受けた理由が周囲とは少しだけ異なった。彼は元々の四天王であったグランパニアの前国王を殺すことで、アーサーからその命を受けたのだ。

 その時の戦争で、グランパニアの城はほとんどが焼け落ち、キラが国王に戴冠すると同時に、新たな城を建てた。だからこの城はまだ、歴史の浅い城なのだ。

だがキラは十数年の間にその力を惜しみなく発揮し、領土を次々に広げ、この国の周辺を統一した。今では、四大大国の中で、一番の領土を誇る国となってしまった。

 これからガリアスは、そんな男に立ち向かおうとしているのだ。

 しかし、案外呼吸は落ち着いている。『帝国騎士団長』という、あまりにも巨大な敵を目にしてしまったため、少しだけキラが霞んで見えているに違いない。

 だがそれも、キラを目の前にすれば一瞬で晴れてしまうだろう。あの男もまた、最強を謳われてもおかしくない存在なのだから……。

 重苦しい青銅の扉にガリアスは手を掛ける。その大きさや見た目とは裏腹に、軋む音を発てることすらなく、すんなりと扉は開いていく。それがまるで、自分から怪物に飲み込まれていくような感じがして、先程までの落ち着いた呼吸が一気に乱れ始める。

 その先には、最早説明するまでもない、禍々しい魔力を放つ一人の男。

 王の座など興味が無いと言うような、簡素で装飾のない王座に深く腰を下ろし、肘を付きながら拳で頭を支えている。垂れ落ちる白髪はまるで雪のように透き通った白さで、その男のどす黒い殺気をまるで覆い被せているように見える。

 ある意味で、彼には一切の邪気がない。あるのは殺気と闘争本能のみ。そんな真っ直ぐな殺気を浴びせられたことは、これまで生きてきた中で一度もなかった。

 これまでにも多くの戦いを潜り抜けてきた。戦争をする者たちには必ず、何かしらの邪気が孕んでいた。金、権力、奴隷、領土……。そんな欲望の塊が邪気を生み出し、それが戦争の引き金となる。

 だが、この男は違う……。本当に争いを求めているだけなのだ。それ以外はただの副産物でしかないと言うように……。戦うことさえできれば、それでいいと言うように……。

 そしてキラは、閉じていた目をゆっくりと開いて、こう告げるのだ。


「待ち詫びたぞ……。抗う者たちよ……」




 アカツキとアスラン、ガリアスとキラが邂逅を果たした頃、ロイズの視界に異質なものが入り込んできた。この戦場のど真ん中を、馬を駆り、駆け抜けていく一つの影。黒のローブに身を包み、顔はフードでしっかりと覆われている。


「こんな戦場に、どちらの所属でもない奴が、何故紛れ込んでいるのだ……」


 だが、ロイズも赤の他人に気を遣えるほど余裕はなかった。だから、一度は捨て置こうと視線を外した。しかし、得も言われぬ違和感に襲われて、もう一度その姿を視界に捉える。

 そして、ロイズは気付いた。それが一体誰なのか……。


「まさか、何故お前がここに……。待てっ……」


 しかし、静止の声は戦場の音色に溶け込み、誰かの耳へ届くことはない。その影は荒れ果てた戦場を、王宮に向けて一人走り去っていく。


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