鳴り響く警鐘
国を出てから一週間と数日が経ち、ロイズたちも着々とグランパニアの周辺に集まり始めていた。
彼らが身を潜めるのは、グランパニアから数キロ離れた平野の奥まったところだ。そこにキャンプを建て、全員が集まるのを待つことになっている。
ここからなら、グランパニアから捕捉されることはない。グランパニアから出てくる、または帰ってくる人に見つかる危険性はあったが、グランパニアの外を往き来する者など、ほんの一握りしかいない。そこは多少の賭けではあったが、それくらいの賭けに勝てなくては、グランパニアに勝利することなど叶わないだろう。
ロイズを含む一行は、最短距離でグランパニアまで向かったので、皆よりも早くにそこに到着していた。その後、アリーナやハリーを含む部隊が到着し、着々とそのキャンプに人が集まり初めた。
全員が到着したことが確認されたのは作戦前日だ。全ての部隊が予定通りに事を運んだ、ということはなく、結局余分に取っておいた時間はほとんど消化されてしまった。
「ようやくこの日が来たんですね……」
言葉の割には、期待の込められた声音ではなく、不安の滲み出た声音でアリーナはロイズに声を掛ける。
作戦前日、キャンプを少し離れていたロイズの元をアリーナが訪れていた。他の者たちは皆、作戦前日ということあり、武器の手入れや心身の調整を各自で行っていた。
本当はこんな日は訪れない方がよかったのかもしれない。無傷で終わらせることなど出来ないことは、誰しもがわかっているのだから。
「そんな心配そうな顔をするな。お前たちは私がちゃんと護ってやる。それに、キラの方はアカツキとガリアスがなんとかしてくれるはずだ。自分の国の王を信じれなくてどうするんだ?」
アリーナにそう告げるロイズの表情も、何処か不安を隠しきれないように、唇を噛み締められていた。
「信じていない訳じゃないですよ。アカツキ君のことだって、この一年半の間ずっと見てきたんですから……。彼はやってくれると信じていますよ」
でも……、とアリーナは顔を俯け、表情を曇らせる。ロイズは彼女の言葉の続きを、無言のままジッと待ち続けた。
「私たちは元々グランパニアの傘下の国で、彼らの力を充分に知っているんです。アカツキ君の信用に負けないくらい、彼らの強さを知っているんです」
そう、目の前でキラの戦闘を目の当たりにしたヨイヤミ程ではないが、それでもロイズたちはグランパニアの強さを知っているのだ。彼らの戦歴は嫌でも耳に入ってくる。
作戦前日になり、いよいよ現実味を帯びてきたばかりに、これまで隠れ潜んでいた恐怖心が顔を覗かせても、なんらおかしくはない。
「そうだな……。本音を言えば私も怖いよ。ヨイヤミが正しかったんじゃないかって、今でも時々思うんだ」
何度も言い争って、彼の意見を否定し、拒絶した。それなのに、今更彼が正しかったなんて、口が裂けても言える訳がない。
「でも、悔しいじゃないか。ちゃんとこの戦争に勝って『どうだ、私たちが正しかっただろ』って、あの見透かしたような顔に言ってやりたいじゃないか……」
もう、ただ意地を張っているだけなのかもしれない。彼の正しさを認めたくなくて、彼の全てを見透かしている態度が気に食わなくて……、ただそれだけなのかもしれない。
「そうですね。たまには、ヨイヤミ君の高い鼻をへし折ってやりたいって気持ちは私にもありますよ」
アリーナは不安な気持ちを覆い被せるように、笑顔を自らの顔に貼り付ける。怖くたって、もう逃げる訳にはいかないのだ。自分たちが逃げれば、既に潜入を終えているであろうアカツキたちが、身動きを取れなくなってしまう。
「だろ。そんなちっぽけな理由かもしれないけど、そんなものでも少しは心を奮い起てられるだろ。だから、あいつにも感謝しないとな」
今は近くにはいないけれど、それでもヨイヤミは彼らの心の中にしっかりと刻み込まれている。喧嘩別れなんて、そんな詰まらない終わり方をするつもりは、誰にもなかった。
「そうですね。本当に、ヨイヤミ君の嫌みな顔が頭に浮かびますよ」
「ふっ……。あいつを殴り飛ばして、『僕が間違っていました、すみません。』って言わせるまで、死ぬ訳にはいかないな」
二人は声をあげて笑い始める。心の底から笑うには、まだ不安という名の心のしこりが邪魔をする。それでも誰かと共に笑うだけで、少しだけ心が晴れていく気がする。
二人が笑い合っていると、キャンプの方から一人の青年が歩み寄ってくる。
「二人で何やってるんですか?ロイズ隊長、羽目を外せとは言いませんが、このまま何もせずにいたら、皆息が詰まって戦争どころじゃないですよ。少し位は騒ぎませんか?」
彼はグランパニア軍発足初期からの兵士で、実力も信頼もロイズやアリーナの次に厚い。実際にロイズが面倒を見た時間が一番長い兵だと言えるだろう。
「レクサス、女の花園に顔を突っ込むもんじゃないぞ。女が二人で密会してるんだから、ソッとしておくのが常識だろ」
ロイズが意地の悪い笑みを浮かべながら、レクサスに向けてからかうようにそんなことを言う。だが、からかわれた本人は何も物怖じすることなく、ロイズに向けて笑みを返す。
「隊長の口から女の花園なんて言葉が出てくるとは驚きです。というか、何処に女性が二人もいるのですか?私の目には一人しか……」
レクサスがそこまで言ったところで、不自然に言葉が途切れる。レクサスの首の回りにロイズの腕が回され、首を絞められる。
「何か言ったか、レクサス……?私の気分次第ではこのまま絞め落としてやってもいいんだぞ」
ロイズの笑みと声音が不敵なものへと変貌する。レクサスは自らの首に回された腕を叩きながら、「ギブギブ……」とロイズの腕の中でもがいていた。
ようやく解放されたレクサスは、噎せ返しながら軽く頬を染めていた。まあ、男が女に首を絞められれば、ある部分が押し付けられて、男なら多少は赤面してしまうのは言うまでもない。
その辺が無自覚なところもロイズらしさではあるのだが……。
「本気で落としに掛からないで下さいよ。前日に体調崩したらどうしてくれるんですか?アリーナさんも、なんか言ってやって下さいよ」
二人の様子を楽しそうに笑みを浮かべながら見ていたアリーナが急に話を振られて、不思議そうに首を傾げながら口を開く。
「今のはレクサス君が悪いよ。ロイズさんは女の子なんだから。私たちの間に割って入って来るなんて……」
アリーナの顔が何かどす黒い頑丈で染められていくように感じる。レクサスの額は湿り気を帯び、心臓の鼓動が早くなる。何の感情も込められていない笑みが恐すぎて仕方がない。というかさっきまで楽しそうに笑っていたよなこの人……。
「えっ……、ふ、二人って、ホントに、そ、そんな関係、なんですか……?」
あまりの恐怖にレクサスの舌がほとんど回らなくなっている。その上、恐怖で声は上擦っており、聞き取るのがやっとな程だ。アリーナは相変わらず、面を被ったように無表情な笑みを浮かべており、何を考えているのか全く読めない。
レクサスはアリーナから視線を外すことができないまま、恐怖のあまりゆっくりと後退る。すると、何か柔らかいものにぶつかり慌てて振り返ると、そこにはアリーナと同じように不敵な笑みを浮かべたロイズが立っていたのだ。
「ひっ……」
レクサスはあまりの恐怖に悲鳴をあげながら尻餅をついてしまった。ロイズが笑みを浮かべたまま、レクサスにゆっくりと近づいていく。ロイズの手がゆっくりと伸びてきて、遂にレクサスの肩を掴もうとしたその時、レクサスは恐怖のあまりに身を屈め、縮こまってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
そんなレクサスにロイズは少し慌てた声音で呼び掛ける。
「ちょっと落ち着け、レクサス。それでは私が虐めたみたいじゃないか……。別に私は何もしていないだろ」
そう、ロイズはそもそも不敵な笑みを浮かべてなどいない。それは、レクサスが恐怖するあまりに創り出した幻想だ。あくまでもロイズは、レクサスを落ち着かせようと、近寄っただけである。
「お前、アリーナにからかわれているだけだぞ……。頼むから私をそんな目で見ないでくれるか……」
ロイズは呆れたように溜め息を吐きながら、レクサスからアリーナへと視線を移す。
「アリーナもあんまりこいつをからかうなよ。すっかり怯えているじゃないか……。明日に支障が出たらどうするんだ?」
それをさっきまで首を絞めていたあなたが言いますか?と突っ込みを入れたかったが、レクサスはそれどころではなく、再度恐怖の対象であるアリーナに視線を戻す。
「ごめんなさい、レクサス君。ちょっと面白そうだっから、ついつい遊んじゃった」
軽く首を傾けながら可愛らしく告げるアリーナは、いつの間にか感情を取り戻したように明るい笑みを浮かべており、それを見たレクサスの心は、スッと重みが消えていくように軽くなった。
ようやく落ち着きを取り戻したレクサスは立ち上がると、砂埃を払いロイズたちの元に来た本来の目的を果たそうとする。
「隊長がいないと始められませんから、二人ともキャンプに戻りますよ」
レクサスに促されて、ロイズは颯爽と踵を返してキャンプに戻ろうとする。
「わかったよ。ほら、二人とも行くぞ」
行動の早いロイズに遅れて、レクサスは慌ててその背中を追おうとしたその時、背後から肩を掴まれる。そして、気づいたときには耳許にアリーナの口があり、その唇から冷えきった声音で呪詛を唱えるようにのように言葉が紡がれた。
「本当に、ごめんなさいね……」
告げられた言葉自体は、突拍子もない謝罪の言葉だった。しかし、レクサスの身体中を悪寒が駆け抜け、身体を震わさずにはいられなかった。
結局、からかわれていただけなのか、それとも本当にアリーナの逆鱗に触れてしまったのかはわからないままだった。ただ、最後に囁かれた言葉は、眠りにつくまで耳許から離れないままだった。
そして翌日の夕暮れ頃、遂にロイズたちは行動を開始する。千人の兵に対して、その半分の五百近い数しか馬は存在しない。足りない分は、馬に荷車を引かせての突撃となる。
先頭を切るのは、ロイズ、アリーナ、ハリー、そしてレクサスだ。この四人は作戦通りローブを羽織り、顔を隠すためにフードを被っている。
「このフードを被ってるってことは、資質持ちの振りをしないといけないってことですよね……。要は一番狙われる訳ですよね。俺で、大丈夫ですか……?」
先頭から聞こえてくるのは、何とも情けない、半べそを掻いたような声だ。
「心配するな。敵兵たちは私が全て蹴散らしてやる。お前は堂々としていればそれでいいよ。お前は私たちが認めているんだ。いつも通りにしていれば、そう簡単にやられることはないさ」
泣きそうになるレクサスに、ロイズは優しく声を掛ける。元々緊張しがちなレクサスだが、今回はいつも以上に不安に駆られている。まあ、それも仕方がないことではあるのだが……。
会話をしている内に、地平線の向こうに巨大な城壁が顔を覗かせはじめる。陽は沈み切り、賑わいを見せるグランパニアの城内は、皆それぞれの家に身を寄せ、静かな街並みが顔を覗かせはじめていた。
今作戦で奇襲時間に夜を選んだのは、他でもない、一般国民を巻き込まないためだ。大国ともなれば、昼間は国民たちで大通りが埋め尽くされるだろうことは、容易に想像ができた。
「さあ、もう泣き言を言っている時間は無さそうだぞ……」
フードの下から響き渡るロイズの声音が鋭く尖る。その言葉を聞いたレクサスの息を飲む音がはっきりと聞こえる。皆がそれぞれに最後の覚悟を決めていた。もう、退路は完全に断たれた。
ロイズは天に剣の切っ先を掲げ、誰に誓う訳でもなく、天に向けて言い放つ。
「さあ、我々の意思を貫き通すため……、我々の未来を切り開くため……。この命尽き果てるまで……」
城門を見張る衛兵たちがロイズたちに気が付き、城門の前を固めようと、次々と集まってくる。危険を知らせる警鐘がグランパニア城内に響き渡る。
そして、何十人と構えていた見張り諸共、ロイズは城門を切り裂いた。
東区のとある廃墟にアカツキたちは潜んでいた。リディアは既にこの場にはいない。残された二人は、訪れる時をただジッと待ちながら、静かに時の流れに身を任せていた。
陽は完全に落ち、街並みに静寂が漂い始めた頃、その城内の巨大な警鐘がその巨体を震わせ始めた。
「始まった……」
警鐘にかき消されるように呟かれたその言葉は、しかしその声はあまりにも重く、ガリアスの耳にはこびりつくように鼓膜を何度も震わせた。
アカツキとガリアスはフードを羽織り、廃墟の扉を力強く開け放つ。
その瞬間、城壁を切り裂く轟音と共に、夜空に一線の光が瞬いた。ロイズからの作戦開始の合図だ。
「行くぞ、ガリアス」
運命の歯車は、歪な音をたてながら回り始める。