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The Story of Ark -王無き世界の王の物語-  作者: わにたろう
第九章 兵どもの鎮魂歌
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存在しなかった街

「なんでお前がここにいるんだ……?」


 リディアのことを知らないガリアスは、怪しげに佇む少女を前に臨戦態勢を取るが、アカツキがそれを腕で制する。アカツキも多少は彼女を警戒しながらリディアに近づいていく。


「そんなに警戒してどうしたのよ?まあ、戦争を前にピリピリするのもわかるけどさ……」


 そう言いながら、背中に抱えていた布袋をアカツキたちの前にちらつかせる。


「私は私の仕事を果たしに来ただけだよ。実際に見てから教えられるものもあるのよ。どうせ、あんたたちは陽動部隊より早く来てるんでしょ?」


 全てを見透かしたように、リディアはアカツキに問い掛ける。本当は尋ねなくとも、答えはわかっているのだろう。それはアカツキの考え過ぎかもしれないが、ヨイヤミと同じような全てを理解していてなお、何かを企むような狡猾な笑みを浮かべていたのだから……。

 アカツキは敢えて答えない。目の前の少女がヨイヤミの影と被り、すぐに喉が機能してはくれなかった。

 リディアは沈黙を肯定と捉えたのか、持っていた布袋をアカツキたちに差し出してこう言った。


「じゃあ、とりあえずこの服に着替えて。怪しまれると面倒だから、この国の風土に合わせといたわ。ほら、さっさと着替える」


 アカツキとガリアスは促されるがままにその布袋を受け取ると、着替えを始める。

 アカツキがあまり身を包んだことの無い、装飾の施された豪奢な服に、着苦しさを感じながら、アカツキたちはひとまず着替えを終える。

 アカツキたちの着替えが終わると、リディアも自らが羽織っていたローブを外し、その姿を露にする。

 ローブの姿のリディアしか見たことがなかったので、いつもとは違う彼女の姿に少しだけ見とれてしまった。いつもはフードの下に隠れて見えにくかった若草色の瞳も、今ははっきりと見ることができる。


「何よ、そんなに見つめて?あれ、普段と違う私を見て、一目惚れでもしちゃった?」


 悪戯な笑みを浮かべながら、露出した腰をアカツキに向けて強調するような格好をする。


「何馬鹿なこと言ってんだよ。ふざけてないで早く行くぞ」


 アカツキが頬を紅潮させながら、声を荒げてリディアへと食って掛かる。そんな、アカツキの急な態度の変化に、リディアもガリアスも少し驚いた表情をしながらアカツキを眺めている。

 そんな二人の視線に居心地が悪くなりアカツキは二人から視線を外す。

 リディアと話していると、ヨイヤミが頭にちらついて調子が狂ってしまう。平静を装おうとしても、何処かで綻びが出てしまう。それくらい、アカツキの記憶の中にはヨイヤミが深く根付いている。

 アカツキの様子にリディアもこれ以上からかうのは諦めたのか、踵を返してアカツキたちを手招きする。


「こっちだよ。付いておいで……」


 アカツキは相変わらずリディアに視線を合わせることはなく、それでもリディアと少し距離を取りながら、その後ろ姿を追いかけた。




 城壁に空いた小さな穴は、黒い焦げあとが刻まれており、それがどのようにしてできたものなのかは容易に想像ができる。この穴も修繕されることなく放って置かれているのだ。


「本当に、あれから何も手を加えていないんだな……」


 アカツキは不自然に開けられた黒く滲む穴を眺めながら、そんな言葉を漏らす。あれからとは言ったものの、本当にその場にいた訳ではない。ヨイヤミの口から伝えられていた情報と目の前にある光景とを重ねているのだ。


「まあ、多少綻びがあったところで、グランパニアに喧嘩を売ろうとする奴はいないからね……。だから、面倒事はそのまま放置されているんでしょうね」


 リディアもこのときばかりは声に覇気が感じられなかった。スッと焦げ痕に視線を移すだけで、止まることなく城壁の内側へと足を踏み入れていった。その後を追うようにしてアカツキも城壁の内側へと入っていく。

 城壁の中は辺り一面が黒く染まっており、どれだけ見回しても瓦礫の山しか見当たらない。五年以上経っているにも関わらず、一切の手を加えられていない焼け跡からは、腐臭が漂ってくる。その臭いの主が何なのかは考えたくもない。鼻を押さえていなければ、余りの異臭に気を失いそうなほど、その腐臭はこの空間を満たしていた。


「これはキツいな……」


 アカツキの口からはそんな言葉しか出てこなかった。余りの悲惨な光景に言葉を失う。ヨイヤミの口から伝えられたものを実際に目の当たりにして、彼がどんな気持ちであの話を自分たちに語っていたのか、想像もつかなかった。


「結局、私たちはただのストレスの捌け口だったのよ。これだけのことをしておいて、結局放りっぱなしなんだから……。この残骸を片付けるのが面倒で誰も手をつけようとしない。この街は、本当に棄てられた街だったんだよ」


 『棄てられた街』というのは、目の前に広がるこの光景にとてもしっくりとくるものだった。大量に捨て去られたゴミを焼き尽くした残骸のように、黒く焦げ付き異臭を放つ。ここが本当に街だったのか疑わしくなるほどに……。


「さっさと行こう。リディアには悪いけど、ここでゆっくりするのは……、無理だ」


 申し訳なさそうに最後の言葉を躊躇したものの、どうしても我慢することのできないアカツキははっきりとそう口にする。そんなアカツキを見て、アカツキの気遣わしさを理解したリディアは小さく微笑む。


「私たちの故郷だって言うのに、酷い言われ様ね……。でも、私もそれには賛成だわ。ここにいたら、気が狂っちゃいそうだから」


 そう言って、黒く焼き焦げた瓦礫を踏み崩しながら、リディアは先へと進んでいく。リディアが踏み崩した瓦礫の隙間から、まるで助けを求めるように伸ばされた数本の白い棒が顔を覗かせていた。

 アカツキはそれに気が付きはしたものの、見ていない振りをして先を急いだ。




「ここから先が、私たちが暮らしていた場所よ」


 瓦礫の山がなくなり、焼き焦げた布や、燃え残った残骸が辺り一面に散らかっている場所へと出る。ここには目を反らしようもなく、白骨が点在している。

 唯一の救いは、ほとんどの白骨が風化し原型をとどめておらず、それが元々何だったのかほとんどわからなくなっていたことだろう。


「ここが……、元々街だったのか……?」


 先程よりも更に浮世離れした光景に、アカツキはここが元々街であったことすら、信じることができなくなる。そこは最早、地獄と形容されても何ら違和感を覚えることはない、そんな光景だった。


「そうよ……。ここは、私たちが暮らしていた街よ。驚くでしょ……。私たちは、こんなところに住んでいたのよ。そして、なんの意味もなく虐殺されたのよ。生きるっていう、当たり前のはずの権利を奪われていったのよ」


 『生きる』という当たり前の権利。彼女たちはそれをいとも容易く奪われたのだ。

 そうだ、自分たちは生きていることを当たり前のように感じている。でも、そうじゃない……。戦争の世界に足を踏み入れてから、生きるというのは当たり前なものなどではなく、必死にもがいて勝ち取るものなのだと知った。

 誰しもに与えられている権利に見えて、実は誰にも与えられていないのだ。人は容易にその命を散らす。肉を裂かれれば、心臓を貫かれれば、呼吸を奪われれば……。それだけで人は簡単に死に至る。

 ここに転がっている白骨たちも、そうやって無慈悲に命を奪われていった者たちなのだろう。当たり前のはずだった権利を奪われていった者たちなのだろう。


「他国同士の戦争に飽きたらず、自国の中でまで、こんなことするんだな……」


 アカツキの拳が無意識の内に握りしめられ、皮膚の擦れる音が静寂の立ち込める掃き溜めに響き渡る。自分の国民を、何だと思っているのだと……。


「それは違うよ、アカツキ。あいつらに、ここが自国であるっていう認識もなければ、国民であるっていう認識もない。最初からここはグランパニアの裏側で、存在なんてしていない街だったのよ」


 存在すらも許されなかった街。そんな街で育った彼女は、寂しげな表情を浮かべながらも、言葉を紡ぎ続ける。


「ここはね、もしかしたら棄てられた訳でも、忘れられた訳でもなく、最初から存在しなかった街なのかもしれない。表側をどれだけ綺麗に着飾っていても、その裏側に何があるかなんてわかったもんじゃない。誰もそこに目をつけようとしないし、そもそも裏側を知ろうとしないのよ。自分たちが認めたく無いものは、無かったことにしてしまえばそれで終わりなんだから。世界なんて、そんなものなのよ……」


 解決を導き出すのではなく、示しあわせるための捌け口を作り出す。解決しないのであれば、そもそも問題そのものを無かったことにしてしまえばいい。そうして作り出されたのが、『存在しなかった街』スラム街なのだ。


「さあ、着いたわ。この陰鬱な空気ともようやくお別れよ。まあ、私の故郷なんだけど……」


 そう、少しだけ自嘲気味な笑みを浮かべながら、とある瓦礫の山を指差す。ヨイヤミから話を聞いていたアカツキたちは、それが何であるのかおおよその察しはついていた。


「そこに、ヨイヤミたちが使っていた抜け道があるんだな」


 アカツキの言葉にリディアは頷くと「んっ」と言って、再度瓦礫の山に指を差す。

 どうやら瓦礫の山を退けろと言っているようで、アカツキは多少顔をしかめたものの、仕方がないといった様子で、ガリアスを連れて瓦礫の撤去を始めた。

 瓦礫に埋まっていたお陰で抜け道に大きな損傷はなく、五年以上経った今でも問題なく使えそうだった。


「ガリアスでも十分通れると思うわ。私たちの中にも身体の大きいのがいたから、穴は少し大きめに作ってあるのよ」


 多少含みのある笑みを浮かべながら、ここにはいない友人に向けて軽口を叩くと、そそくさと穴の中を四つん這いになって進んでいってしまった。

 穴の中は光が入ってこない暗闇で目の前すらはっきりと見ることができない。まるで視力を奪われたように、暗黒の世界が目の前に広がっている。

 そこでアカツキはふと思い付いた。自らの人差し指を真っ直ぐに立てると、その指先からライターのように小さな炎を出して、辺りを照らした。


「おっ、あんたの力って便利ね。まあ、私は使い馴れてるから光なんか無くても大丈夫なんだけど」


 ほんの少し前を行くリディアが、前に進みながら声を掛けてくる。声をかけられて不意に前へと視線を巡らせると、スカートのような着衣から覗くスラッとした艶かしい肢体。

 リディアが前に進む度に布地が揺れてチラチラと見える太股に、アカツキは悪意のない精神攻撃を受け、心の乱れにより魔法を飛散させてしまう。

 再び暗闇に包まれたことに疑問を覚えながら、リディアは動きを止めてアカツキに問い掛ける。


「あれ?なんで消しちゃうのよ。まあ、別に私はいいんだけど……」


 今回に関しては、アカツキに対するからかいは皆無だった。だからリディアはアカツキのことが心配になり、ふと前進を止めて後ろを確認しようとしたのだ。

 一方アカツキはリディアにからかわれないために平静を装おうとして、再び暗転したにも関わらず、進む速度を落とすことなく前進を続けた。その結果どうなるかは、火を見るよりも明らかだった。

 アカツキの鼻先に、布地越しだが妙に柔らかいものが押し付けられる。その瞬間、前方から「ひゃっ……」といった少し甲高い小さな悲鳴が暗闇の中に響き渡った。

 その悲鳴を聞けば、自らが触れたものが何であるのか、そんなものは考える必要すらないだろう。そもそも、こんな暗闇の穴の中に柔らかいものが、それ以外に存在するとは思えない。

 暗闇で誰がどんな表情をしているのかは、皆目検討もつかない。そんな中で「クスッ……」というほんのわずかな笑い声の後に、リディアから囁くような声でこう告げられた。


「アカツキって、意外とムッツリよね……」


 アカツキの頬が異様に熱くなるのを感じる。よく分からない感情が渦巻き、その感情に任せて声を荒げながら否定する。


「そんなことは断じてない」


 どちらの表情を伺うこともできない。しかしその声音から、お互いがどんな心情であるかは容易に想像することができた。

 何も見えない暗闇で、自らの主人が弄られているところを、ガリアスはどんな気持ちで見守っていたのだろうか……。

 そんな一幕もありながら、アカツキたち一行はようやくグランパニアの内部への侵入に成功した。

 しかし、アカツキ心の中は滅茶苦茶だった。

 シリアスだったスラム街から一転して、穴の中ではあまりにも古典的な失敗を繰り広げてしまった。落とし穴に落とされたような、落差のある心情変化に自らの心が置いてけぼりになり、アカツキは精神的に疲労していた。

 今日が戦いの日じゃなくて、本当によかったと思っている。

 アカツキたちが穴から出たその先は、間違いなく民家であるにも関わらず、生活感も人気も全くない部屋だった。

 老朽化した棚は寂れて崩れ落ちており、その中にあったであろうビンなどは、中身を吐き出すようにぶち撒けていた。その上、壁は虫食いを受けたせいで所々に穴があり、辺りには蜘蛛の巣が張り巡らされている。家であることは間違いないのだが、家と言うにはあまりにも廃墟じみていた。


「ここも五年も経つとすっかり寂れているわね。昔から人気は無かったけど、ここまで寂れてはいなかったわ……。家そのものが倒壊するのも、時間の問題ね」


 そう言って膝辺りについた泥を払いながらリディアは立ち上がる。

 先程のこともあり、リディアに視線を向けることのできないアカツキも、心を落ち着かせるために深呼吸をするが、この部屋の空気そのものが汚れているため、思った効果は得られなかった。

 そしてリディアは膝の泥を払い落している二人の方に視線を移し、これから戦争に向かう二人に掛ける言葉とは思えない程、明るい口調でこう言った。


「さて、それじゃあ観光と行きますか」


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