我が国の民
ルブルニアのグランパニア侵攻作戦開始当日、国を建てた時と同じように、幹部棟の前の広間に全ての国民たちが集まっていた。あの時よりも数は多くになり、広間に入り切っていない国民もちらほらと見受けられる。
ここにいる全ての者が、何かしらの覚悟を決めてここに立っている。あのときと同じように、この国は更なる一歩を踏み進めることになるのだ。
ここにいるのはこれから戦場に向かう者だけではない。彼らを見送り、ここで帰りを待つ者たちもまた、この戦争で何かを失う覚悟を決めている。誰もが何かを失う覚悟を決めながら、心の何処かで誰も失わない未来を思い描いている。
「今日は、皆よく集まってくれた。ここにいる全ての者たちが、この戦争に様々な思いを抱いていると思う」
その全ての国民たちの覚悟や思いを背負い、この戦争に赴こうとするのは、この国の国王であるアカツキだ。この戦争に誰よりも大きな覚悟で臨み、この戦争に誰よりも強い思いを抱いているのは、間違いなく彼だ。
「皆の思いは、この俺が全力で受け止める。何があろうとも、皆を見捨てたりはしない」
アカツキの言葉に力が込められる。一言ずつを噛み締めるように、言葉の一つ一つに重みが増していく。
おそらく、こんな演説紛いのものに意味はない。これから共に行動する訳でもない者から、見捨てたりはしないと言われても、説得力に欠けるだろう。
皆には、既に今回の作戦の全てを伝えてある。だから、アカツキとガリアスが別行動することも、既に理解しているだろう。資質持ちである二人が欠けることが、彼らにとってどれだけの不安を煽ることかは十分に理解している。
それでも、この国の王として、アカツキは責務を果たそうとしているのだ。それが、この国の王として、彼らにできる唯一の行いだと思うから……。
「この言葉は、皆と一緒にいることができない俺が言うのには、無責任過ぎるものなのかもしれない……。だけど、俺は本気で願っている。みんなの無事を、この国の勝利を……。だから、必ず生きて帰ってきてくれ。これが、俺の最後の願いだ」
アカツキがそう告げると、広間にいた兵士たちは、揃って誓いを立てるように、胸の前に拳を掲げながら頭を垂れた。いや、兵士たちだけではない。この国に残る者たちもまた、同じように拳を掲げる。
「後のことは、軍の隊長であるロイズに任せる。皆の武運を祈っている」
本当は、自分が最後まで国王として責任を果たしたい。でも、あまりにも強大過ぎる敵を前にそれはもう叶わない。だからアカツキは心苦しそうに、表情を歪ませながら踵を返し、国民たちに背を向ける。
アカツキの正面からロイズが鎧に身を包みながら、こちらに向かってくる。お互いの視線が交わり、お互いの影が重なり合ったところで、まるで示し会わせたようにお互いに歩みを止める。
「後は頼んだぞ……」
「ああ……」
一言ずつ言葉を交わし、二人は再び歩み出す。 ロイズは国民たちの元へ、そしてアカツキはこれから命を預けることになる、ガリアスの元へと……。
この日、時を同じくしてグランパニアからは四つの部隊がバランチアに向けての侵攻作戦を始めた。指揮を採るのは二番隊隊長アルベルトである。
オウルは基本的に指揮を採りたがらない。指揮を採ることになれば、自らの戦闘機会が減ってしまう。彼にはそれが一番堪えられないのだ。だからこそ、グランパニアの部隊の中でも一番の実力が有るにも関わらずオウルはその権利を放棄している。
彼らは現在約二万の大部隊を編成し、バランチアへと向かっている。流石に二万の馬を用意することはできないため、階級が上の者たち以外は徒歩での移動となる。
「本当に来ると思うか?シリウスの孫って奴は?」
ジェドがいつもの軽いノリでアルベルトに話し掛ける。ジェドは鎧でありながら全身を包むようなものではなく、動き易さを重視した身軽な鎧に身を包んでいた。
「どうでしょうね?それよりも、私たちは国のことを気にするのではなく、目の前の作戦に集中するべきなのでは?」
ジェドの軽いノリとは裏腹に、アルベルトの声音はとても厳かだった。それは格好の違いにも表れており、アルベルトは全身を包み込むような重厚な鎧に身を包んでいた。
「けっ……、つれねえな。あんまり力みすぎても、いいことなんてないぜ」
「ははっ……」と少々意地の悪い笑みを浮かべながら、ジェドはアルベルトに話し掛けるが、アルベルトはそれ以上話すことは無いと言うように、口を噤んで黙り込んでしまった。
アルベルトの様子からこれ以上話す気は無いことを察したのか、ジェドは小さく舌打ちをすると、アルベルトからは離れていく。その途中で、また遊び道具を見つけたとばかりに、楽しそうな笑みを浮かべながらシェリーに近づいていく。
「おいおい、大好きなキラ様と離れちまって寂しいんじゃないの?寂しかったらグランパニアに戻ってもいいんだぜ、お前の分の獲物は俺が貰っといてやるよ」
シェリーはジェドの方に視線を巡らせることはない。進行方向を見据えながら、ジェドのことを気に掛けていないように軽くあしらう。
「黙れ、下衆が……。今は作戦中だぞ。無駄口を叩くな」
シェリーはジェドのことを冷たく突き放す。しかし、ジェドは別段に気にした様子もなく、それでもなおシェリーにちょっかいを掛けに行く。
「そんな冷たいこと言うなよー。お前のことを気に掛けてやってるだけだろ。なっ、こんな作戦に、資質持ち四人も要らねえって」
アルベルト同様、シェリーもまたジェドのことを無視するという結論に至ったようで、最早口を開く気は毛頭なかった。
そんなシェリーは、ビキニアーマーとまではいかないが、それでも露出は多く、防御力よりも動き易さを重視した、どちらかと言えばジェドと似たような格好をしていた。
しかし、格好とは裏腹に、その心は重厚な鎧を着こんでいるようにガードが固く、まるでジェドを相手にしていない様子だった。
ジェドは会話を交わそうとしない、二人の同僚に気分を害したのか、つまらなそうな表情を浮かべながら、自分の部隊に戻ろうとする。
彼らは作戦を前に気を張り詰めているようで、いつものようにからかうことができそうもない。緊張感が無いのは自分とその部隊、そしていつものように眠そうにしているオウルだけだった。
流石のジェドも相変わらずオウルには絡もうとはせず、仕方なしといった様子で、部隊の後方に位置する自分たちの部隊に到着すると、先頭にいた鶏冠のように髪を逆立てた、赤髪の青年が話しかけてくる。
「どうかしやしたか、ボス?そんな世界が終わったみたいな顔して……」
「いくらなんでもそれは言い過ぎだろ、カルロス。こんなことで世界が終わっていたら、今は何回目の世界だって話だ」
「ちげえねえ」と言いながら、第三部隊の面々は揃って下卑た笑みを浮かべる。どうも、他の部隊と比べると異色な雰囲気を放つ第三部隊は、他の部隊からは多少距離が置かれている。しかし、それもいつものことなので、お互いにそれを気にする様子はまるでない。
ここから彼らは一週間以上を掛けて、バランチアへと向かうのだ。彼らの旅も、まだ始まったばかりだった……。
ロイズたちは、およそ五十人ずつで二十組に別れての移動となった。今回は宣戦布告もない、所謂奇襲作戦なのだ。千人もの団体で移動し、グランパニアの傘下の国に目をつけられ、グランパニアに報告されでもしたら、奇襲作戦はその時点で失敗に終わる。
奇襲作戦が卑怯だと罵られようが、今回の作戦では何をしてでも勝てる確率を上げなければならない。元々勝てる確信がある戦いではないのだ。彼らは周囲からの批判も覚悟で、この戦争に臨んでいる。
ルブルニアからグランパニアまでは、約一週間掛かると思われる。全員の馬があれば、三日もあれば到着するが、千頭もの馬を手に入れるだけの経済力はルブルニアには存在しなかった。
そんな中で、誰よりも早くルブルニアを出発した二つの影。彼らは他の皆とは異なり、馬に股がりながら平野を颯爽と駆けていく。
「ガリアスは恐くないのか?これから起こる戦争のこと……」
ガリアスに尋ねるその声は小さく震えており、不安を色濃く滲ませる。実際に作戦が開始され、グランパニアとの戦争が現実味を帯び、まるで怪物のように巨大な不安に押し潰されそうになりながら、アカツキはガリアスに向けて尋ねる。
「皆さんの言う恐怖という感情は、既に自分の中にはありません…。死ぬことすら、自分は恐いとは思わない。暗く冷たい牢獄の中で、ひたすらに暴力を耐え続けた記憶だけが、自分の中の恐怖なのです。自分はもう普通ではいられない……」
語っている内容はとても残酷で、叫び散らしてもおかしくないようなものだった。だからだろうか……、ガリアスは敢えて優しげな、とても穏やかな声音でそう告げた。死よりも恐ろしい恐怖を知っているのだと……。
「そうか……。ダメだな、俺は……。お前は俺の国民なのに、俺はお前の感情が理解できそうにない……。お前のことをわかってやることができない……」
アカツキは胸に痛みを覚えながら、左胸に手を当てて俯く。そんな主君の姿を見たガリアスは、こんな自分をしっかりと思ってくれている主君に感謝の念を抱かずにはいられなくなる。
「いいんですよ、それで……。自分のことなど理解できる人間になってはいけない。自分は普通では無いのですから。あなたは国民たちの幸福や恐怖を理解し、共に悩み、分かち合うことができる。それこそが王の在り方だと、自分はあなたに教わりました」
「それなら、お前だって俺の国民だ……」
アカツキは顔を俯けたまま上げようとはしない。今はそんな感情に苛まれている場合ではないとわかっている。けれど、今だからこそ、アカツキはガリアスを思わずにはいられない。
「ええ……、そうやってアカツキ殿が自分のことを考えていてくれるだけで、自分はあなたの国民であると実感できる。自分はアカツキ殿の国民となれたことを、誇りに思いますぞ」
アカツキの顔がようやく上がる。その顔はまだ晴れてはいない。おそらくこの戦争が終わるまで晴れることはないだろう。不安が不安を呼び、後ろ向きなことだけしか考えられなくなっているのだ。そんな主君に自分が送れるのは、こんな言葉しかない……。
「だからアカツキ殿は、今のアカツキ殿のままでいてくだされ。この戦争に恐怖を覚えるあなただからこそ、自分たちの国王なのです。自分が誇りに思うことができる、主君なのです」
ガリアスは変わった。ただの虐殺機械のような過去のガリアスはもうここにはいない。今でもその名残を残しながらも、着実に彼は変わっていった。
自らで考え、言葉を紡ぎ、感情を露にする。人がこれだけ変わることができるのだ。ならばその人が寄り集まり形成された世界もまた、同じように変わることができるはずだ。
「ありがとう、ガリアス……。お前のように、この世界も俺が変えてみせるよ……。これは、その第一歩だ」
ガリアスの表情に微笑が浮かぶ。自らの主君の迷いを、少しでも和らげることができた自分に少しだけ嬉しさを覚える。こんな自分に変えてくれたのは、他でもない彼なのだ……。
「はい……。必ずや、あなたの創り出す世界を見届けて見せます。だから共に戦いましょう。地獄の果てだろうと、自分はあなたに付いていきます」
二人は平野を駆けていく。自らを押し潰すほどの恐怖に抗いながら、それでもその歩みを止めることはない。その恐怖の先に、彼らが目指すものがあるのだから……。
二人はひたすらにグランパニアへと向けて走り続けた。二人しかいないことに心細さを覚えながら、多くの国民で賑わうルブルニアに馴れ親しんでいたことを、改めて実感する。
そしてようやく、二人は目的地に到着する。その馴れ親しんだ自らの国とは比べ物にならないほど巨大な国を囲む城壁と、城壁の外からでも見ることができる、国の中央に悠然と佇む巨大な城。
「始まるんだな、ようやく……」
アカツキはその国を見据えながら、無意識の内に呟きを漏らす。吹き付ける風に自らが羽織るローブを揺らしながら、その声は風に乗って消えていく。
彼らはひとまず、その国の東側へと足を運んだ。城壁の外からでも、賑わいの声が聞こえてくる城門正面とは異なり、とても閑散とした雰囲気を放つ城門東側へ。
そこには、ローブを目深く被った赤髪の少女が、彼らを待ち続けていた。彼女がそのときに浮かべた笑みは今でも忘れることはない……。