不安を断ち切るために
ヨイヤミがルブルニアを去り、グランパニアへの侵攻が決定した。アカツキに異議を唱える者はおらず、国民もアカツキの考え方に同意した。
国民の全ての意見が、アカツキと同じだった訳ではないだろう。人の心を読むことができない。だから、異議を唱える者がいなかったと断言することはできない。
しかし、アカツキが皆の前で語った、イシュメルとの戦いで命を散らしていった者たちの思いを聞いたほとんどの国民がアカツキの思いに同調した。
少数派が多数派に飲み込まれるというのは、往々にしてあることで、少数派の意見を述べようとする者がいなかった可能性は多分にある。
これを数の暴力と言われればそうなのかもしれない。別にアカツキは多数決を取りたかった訳ではない。だが、国民たちからすれば、アカツキの意見に同意しない少数派は迫害されると考えてもおかしくはない。
アカツキは少しだけ不安だった。戦場は無理矢理に人を連れていく場所ではない。だが、今回の戦争ではなるべく数が欲しいのも事実だ。
だが、何度同じことをやっても無駄なのはわかっている。やるならば、国民一人一人に自分の本当の気持ちを聞いていくこと。それはとても時間が掛かるし、それを期日までに終わらせるのは至難の業だ。
アカツキがそんなことを考えていると、不意にアカツキの視界が勢いよく回転し空を見上げていた。
空には満天の星が瞬き、目の前に広がる光景に見蕩れてしまう。様々な星々を許容する夜空を見ていると、あれこれ考えている自分がとてもちっぽけに感じる。
そして、そのまま背中から地面に落ちていくように倒れ、その衝撃に噎せ返しながら、アカツキは我に帰った。
「何を呆けているのだアカツキ?そんな時間はないぞ」
どうやらロイズに投げられてしまったらしい。アカツキが仰向けで倒れているところに、ロイズがヒョコッと顔を出してアカツキを見下ろす。
「悪い……。ちょっと考え事してた」
アカツキは苦笑しながらそう答えると、ロイズから差し出された手を取り立ち上がる。そんなアカツキの元に、走り寄ってくる少女が一人。
「アカツキ君、大丈夫?昼間もずっと考え事してたみたいだし、疲れてない?」
アリスは心配そうな表情を浮かべながら、心配そうな声音で話しかけてくる。これだけ素直に感情表現されると、なんだか心配させていることを申し訳なく感じてしまう。
「大丈夫だよ。心配かけてごめんな」
アカツキはアリスの頭の上に手を置きながら、優しく撫でてやる。自分のことをいつも見てくれて、心配してくれる人間がいるというのは、それだけで元気付けられるし心が安らぐ。
アリスの存在は、アカツキにとってとても大きな抑止力になっている。アリスがいなければ、再び自暴自棄になり、引き籠っていてもおかしくは無い。
「確かに、国民のことを思うのは国王として大切な役目だ。しかし、それでお前が心労を抱えすぎたら元も子もないだろ。どこかで踏ん切りをつけるのも大事なことだぞ」
ロイズはアカツキにそう告げると、手を叩きながら広場の中央へと足を運ぶ。
「よし、もう一回組手をやろう。ガリアス、準備はできているか」
ガリアスは頷くと、重そうな身体を持ち上げて、広場の中央へと躍り出る。アカツキはロイズを間に挟むようにして、ガリアスと向かい合う。
「アカツキ殿。今は細かいことは忘れて存分に身体を動かしましょうぞ。さすれば、開ける道もあるやもしれません」
必死に励まそうと声を掛けてくれるガリアスに、アカツキは深く頷きながら構えを取る。
「そうだな……。よし、手加減は無しだ。全力で掛かってこい」
アカツキの表情が和らいだことでガリアスの表情も晴れ、同じようにアカツキと向かい合って構えを取る。
「では、これより一対一の組手を始める。資質の力を使用しても構わない。先に、相手の背中を地面につけた方が勝ち」
向かい合う二人の表情が一気に鋭くなる。ロイズが合図を掛ける瞬間を聞き逃さないように、静寂が二人を包み込む。
夜風の音が耳を撫で、二人が地面を踏みにじる音が戦闘欲を刺激する。
ロイズの腕がゆっくりと天へと向けて振り上げられ、焦らすように二人の顔を見回す。
「始めっ!!」
散々焦らされた戦闘欲が爆発する瞬間を狙って、ロイズは天へと突き上げた腕を勢いよく振り下ろす。
アカツキとガリアスはロイズの誘導に抗うことなく、合図の瞬間地面に穴が空く勢いで地面を蹴り、お互いにぶつかり合う。
昔とは違い修行での資質の力の使用を許可されている。殺すための力ではなく、倒すために使用する。力の制御は時として、全力の引き金となる。
常に全力を出すのも一つの手ではあるが、普段から己の力を制御することで、己の力を支配し、思うがままに全力を出すことができるようになる。
見た目は倒すための訓練であるが、その本質は殺すための訓練なのだ。だが、それも今回に限った話で、皆がこれが最後になることを望んでいる。
アカツキの炎を纏った拳をガリアスは難なくかわし、その巨大な体格からは考えられない細やかな体術により、アカツキの足を掬い体勢を崩しにかかる。
それを見たアカツキは宙を舞いガリアスの足を避けようとしたその瞬間、自らの足が動かないことに気が付く。何故なら、足元が凍らされていたからだ。
氷ごと足を絡め、そのままアカツキの背中を地面に押し付けようとするガリアスに対し、アカツキはその腕を掴んで投げ飛ばす。
「そんな簡単に、やられて堪るかあああああ!!」
ガリアスは地面に引き摺られながら何とか体勢を取り直しアカツキに対峙する。アカツキも既に氷から抜け出し、臨戦態勢を取っている。
「そんな小細工でやられるほど、柔じゃねーよ」
「アカツキ殿がこんなことでやれるとは思っておりません」
まだまだこれからです、とガリアスの表情が再び鋭くなる。そして、ガリアスが地面に拳を叩きつけると、アカツキの足元に魔方陣が展開し、そこから巨大な氷柱の山がアカツキに向かって突き出す。
アカツキは魔方陣を視認した瞬間、その範囲から逃れようと翔んだが、あと一歩及ばず左腕に氷柱の一部が突き刺さる。
アカツキが左腕を押さえながらガリアスを見据えると、ガリアスは何の躊躇もなく次なる攻撃体制に移っている。
「まだまだいかせてもらいますぞ」
ガリアスが両手を前に翳すと、再び魔方陣が展開しそこから百を越える氷の礫がアカツキ向けて放出される。一つずつが大きく、逃げ場など何処にもない。
だが、アカツキは退くどころか、氷の礫に向かって飛び込んでいく。
「舐めるなああああああああ!!」
アカツキの手には赤熱する炎の球体が今まさに爆発しようと蠢き暴れだしている。アカツキはそれを礫の嵐に向かって放つ。
凄まじい赤光と爆音が辺りを包む。今が夜だということは度外視した、近所迷惑も甚だしい一撃が繰り出される。
赤光により遮られた視界が回復すると、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべるアカツキが佇んでいる。そんなアカツキに向けてガリアスは小さく笑みを浮かべながら称賛の言葉を送る。
「流石ですね、アカツキ殿。百を越える氷の礫を、よもや一蹴してしまうとは……。ですが、それくらいでは、私には勝てませんぞ」
そこでアカツキの脳裏にふと疑問が浮かび、顔をしかめながらガリアスに尋ねる。
「何でいつの間にか、上から目線なんだよ……」
アカツキの不意な問い掛けに、ロイズやアリスも笑みを溢す。戦いの最中でふとこういうことを言い出すのが、なんともアカツキらしい。
「そういうことは、私に勝ってから仰ってください」
いつの間にか、すっかり口達者になったガリアスが笑みを交えながらアカツキを挑発する。それに答えるように、アカツキも笑みを浮かべてこう答える。
「上等だ。後で吠え面かかせてやる」
アカツキが再び臨戦態勢を取り、今度は接近を試みる。それに答えるようにガリアスもアカツキへと襲いかかる。
アカツキの表情には笑みが溢れていた。本来アカツキが築き上げたかった関係性がいつの間にか構築されていたからだ。
アカツキは別に誰かの上に立ちたい訳ではなかった。こうやって、拳を付き合わせて対等な関係でいたかっただけだったのだ。今はここにはいない親友とも……。
お互いに魔力を込めた拳同士がぶつかり合い、周囲に凄まじい衝撃が走る。アリスは小さな悲鳴をあげながら、着衣の裾を押さえていた。ロイズは軽く目を伏せるだけでそれを凌いだ。
アカツキは既に宙へと跳んでおり、そのままガリアスに回し蹴りを繰り出す。だが、ガリアスの腕に阻まれ、隙だらけになったアカツキをガリアスの掌から繰り出された巨大な氷柱が襲いかかった。
アカツキは数メートル吹き飛ばされたが、何とか体勢を立て直しながら地面へと着地した。
「はあ、はあ……。あっぶねえ……」
既に修行というには、余りにもボロボロになっているアカツキだったが、それもアリスが居るからこそできる所業であった。二人ともがアリスの力を信じて、ボロボロになっても全力でぶつかり合うことができる。
まだ地面に背中は付いていない。どれだけ追い込まれようとも、敗北が決するまでは、諦めることなく闘志を燃やす。それもまた、大切な修行の内だ。
「そろそろ決着といきましょうぞ」
ガリアスが地面に掌を翳すと、ガリアスの背後に魔方陣が展開されていく。ガリアスが力を込めていくごとに、その魔方陣は大きさを増し、蒼白色の巨大な魔方陣が形成されていく。
「負けてられるかよっ」
アカツキも星々を掴むように手を伸ばし、天へと掌を翳すと、ガリアス同様、アカツキの背後にも紅緋色の魔方陣が展開されていく。
「魔法が完成する前に、決めさせていただく。全てを凍らせたまえ、ヨルムンガンド!!」
ガリアスが魔法名を口にした瞬間、魔方陣から巨大な氷の龍が放たれる。
氷の龍から放たれる轟音が地面を揺らし、周囲の森が唸り声を上げる。もう、近所迷惑などという次元は越えている。これではまるで災害だ。
「お前たち、魔力の制御するっていう課題はどうしたんだ?何を全力で魔法の撃ち合いをしているんだ」
ロイズが二人に呼び掛けるが、最早どちらの耳にも入っていない。そもそも、ガリアスが発動した時点で、時既に遅し……。
「やられてたまるかよ……。喰らえっ、倶利伽羅!!」
ガリアスの魔法が、アカツキに到達する寸前で、アカツキの魔法が発動する。こちらもヨルムンガンドに負けないほどの、巨大な炎の龍だ。
氷の龍が、炎の龍を魔方陣に押し戻そうとするように、魔方陣から出切っていない炎の龍に圧力を掛けていく。だが、相性が悪すぎる。
一瞬押し負けはしたものの、それも束の間、直ぐ様炎の龍がその全貌を露にし、氷の龍に喰い付くように飲み込んでいった。今回の魔法の力の差は歴然だった。
そして、炎の龍は氷の龍を飲み込み消滅させると、自らも蒸発するように弾けとんだ。それはどう考えても異常な光景で、考えられるとすれば、アカツキが自ら魔法を消滅させたからであろう。
「来いよガリアス。これは正々堂々とした戦いだ。相性の差なんかで勝っても嬉しくねえよ」
ガリアスが笑みを浮かべる。それでこそ「我が主です」と小さく呟くと、珍しくガリアスからアカツキへと突撃する。多少調子に乗った面もあり、魔力はほとんど残っていない。
アカツキはその場に居座ったまま、ガリアスを迎え入れるように構えを取る。基礎魔法である身体強化を使用し、ガリアスの拳を掌で受け止める。
「いくぞっ」
二人の拳と蹴りの応酬が繰り広げられる。二人ともが防御には一切手を回さない、完全なる攻撃体制。頬を、胸部を、腹部を……、次々と傷を負いながらそれでも倒れずに、戦い続ける。
あまりの迫力に、アリスが少しだけ怯え始める。だが、その隣でロイズはとても満足そうな表情で二人の戦う様子を見守っていた。
悩み苦しむアカツキは、今は何処にもいなかった。自らの拳に思いを乗せ、全力で戦うアカツキがそこにはいた。主人の力を信じ、全ての力を惜しみ無く出し切るガリアスがそこにはいた。
二人ともが、過去のしがらみから解放され、ただ全力で拳と拳を撃ち合わせていた。それがロイズには、堪らなく嬉しかった。
やがて、二人は同時に背中から地面に倒れた。二人とも、息を絶え絶えにしながら地面に転がり込み、胸部を必死に上下させ、酸素を取り込む。
「楽しかったな、ガリアス。ありがとうな」
「滅相もありません。こちらこそ、楽しませていただきました」
二人が天を仰ぎながら、お互いのことを称える。全てを出し切り、動くのもやっとな状態だが、心はとても晴れやかなものだった。
やがて、周囲から拍手の音が響き渡る。二人が、唖然としながら周りを見渡すと、国民たちが皆、家から出て来て、アカツキたちの戦いを覗いていたのだ。
まあ、あれだけ派手に魔法を使えば、周囲の者たちが心配して見に来てもおかしくはない。
「これだけの力がある方が国王様なら、どこの国にだって負けないさ」
「ガリアス様だっていらっしゃる。この国に敵などおらんわい」
「ロイズ隊長も忘れんじゃないよ。この国は最強だぜ」
国民たちが手前勝手に盛り上がりながら、アカツキたちを褒め称える。だがそれも、悪い気はしない。皆これから迎える戦争が心配で、仕方ないのだ。だから、何処かに希望を求めたがる。目に見えるような、はっきりとした希望を…。
アカツキは何とか身体を持ち上げると、国民たちの方を向いて、拳を突きだし宣言する。
「俺たちはこの戦争に必ず勝つ。だから、皆は俺を信じて付いてきてくれ」
その言葉に、国民たちが雄叫びを上げるように沸き上がる。夜にも関わらずルブルニアは活気を取り戻す。
「よし、皆食料を持ってこい。今夜は宴だ。準備しろ」
アカツキの呼び掛けに、更に盛り上がりを見せる国民たち。皆一度家に戻り、食料をかき集め、本当に宴を始めてしまった。
「ふっ……。本当に、近所迷惑な奴等だな」
ロイズは苦笑を漏らし、そんな国王や国民たちを見守りながら、注がれた酒を一気に煽るのだった。
夜のルブルニアを、赤い炎が照らし出す。皆の不安のすべてが消え去った訳ではない。それでも、皆が寄り添うことで、不安を分け合い共有することができる。
一人ずつは、暗闇に瞬く一筋の炎のように小さな希望かもしれない。それでも、そんな小さな炎が集まれば、一国を照らし出すことができるように、希望もより集まれば何かを為し得ることができるのかもしれない。
今はただ、不安を忘れ、希望を抱いて立ち向かおう。ルブルニアに幸運が訪れることを、切に願いながら……。