交わらぬ平行線
アカツキとヨイヤミの亀裂はそう簡単に戻りはしない。毎日のように顔を合わせるものの、会話を交わすことは一度もない。二人のそんな空気は周囲をも巻き込み、グランパニアには重たい空気が流れていた。
元々二人には頑固なところがあるので、お互いに譲れないところがあるのだろう。それに、二人が天秤に掛けているものは、そう簡単に割りきれるようなものではない。
二人ともが自分の為だけではなく、誰かの為のことを思っての結論だからこそ、意見を変える気はないし、相手に譲る気もない。
「アリスはどう思う?これから先、俺たちはどうすればいいと思う?」
アカツキが、自らの部屋に訪れていたアリスに問う。
「私にはわかりません……。アカツキ君の言うことも、ヨイヤミ君の言うことも、どちらも正しいんだと思います。いや、正しい答えなんて、きっと無いんでしょうね……」
現在アリスはアカツキの部屋へと訪ねており、二人きりの時間を過ごしていた。アカツキはヨイヤミと顔を会わせたくないからか、この数日は部屋の中で過ごすことがほとんどだった。それにしても、いつの間にか自分たちから二人きりになることが増えていた。
「正しい答えか……」
アカツキもヨイヤミが間違っていると思ったことはない。しかし、自分が間違っているとも思っていない。どちらも正しいからこそ、こんなに苦しい思いをしなければならないのだ。
ただ、正しさが幾つもあるときの答えなんて結果論でしかない。終わってみなければ、何が正しかったのかはわからない。もしかすると、正解という選択肢がない場合だってある。
唯一無二の正しさでない限りは、それは終わってみなければわからないのだ。
「やっぱりこの国を潰してでも、皆を奴隷に戻す可能性がある選択をしたとしても、皆が生き残れる未来を選ぶべきなんだろうか……」
アカツキの中にも迷いはある。ヨイヤミの意見を正しいと思うということは、何処かで自分の意見が間違っていると感じていることと同義だ。
そう、そして自分の意見の中の間違いは既に理解している。それを回避できる選択肢があるというのなら、アカツキだってそれを選ぶ。だが、それを選ぶと自分が信じるものを棄てなければならないというのなら、アカツキは自分の信じた道を突き進むしかない。
それに、ヨイヤミにだって間違っているところはある。そして、もちろん正しいところもあるのだ……。
どちらも正しく、どちらも間違っている。ならば、こんな問答に答えなどなく、お互いの信念がすれ違い、平行線を辿るだけでしかない。
アカツキが天秤に掛けているものは、命と身分。そしてそれは、天秤に掛けたところで、微動だにせずに留まっていた。
死ぬことと奴隷に戻ること、それはアカツキには天秤に掛け難い選択肢だった。何故なら、アカツキは奴隷になったことはないし、もちろん死を経験したことはない。
だからそれを天秤に掛けたところで、重さの違いなどわかるはずがないのだ。
「アリスは奴隷に戻ることになったらどうする?」
そんなことを考えていたら、ふと頭に浮かんだことが口をついて出た。その言葉を口にした瞬間、自分でも不味いことを聞いたという思いが頭をよぎったが、アリスは嫌な表情を浮かべることなく口を開く。
「それはもちろん嫌ですよ。私は大きくなる前に奴隷として売り飛ばされました。だから、あの時はそれが当たり前なんだと受け入れることができました」
そこで一旦言葉を切ると、アリスは胸に手を当ててアカツキをジッと見つめる。アカツキは何を言われるのだろう?と疑問に思い少々身構えてしまう。
「でも、もうあんな生活を受け入れることは出来ません。だって、私は知ってしまいましたから……。この国での楽しい生活を……。アカツキ君と一緒に過ごす、他愛ない日常を……」
アリスは少しだけ頬を染めながら、アカツキに向けていた視線を恥ずかしそうに外す。そんなアリスの態度が妙に可愛くて、アカツキの顔も徐々に熱を帯びていく。
「お、お、俺も、アリスと別れるのは嫌だよ。そ、そんなの考えたくもない……」
ここで何も言わなければ男の名折れだ。アカツキは勇気を振り絞って、何とか言葉を絞り出す。
アカツキの歯の浮いた言葉にアリスの顔が更に赤くなる。アリスはそのまま湯気が吹き出しそうな程、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
それが伝染するかのように、アカツキも赤くなっていく。二人きりの空間に逃げ場などなく、余計に恥ずかしさを増すが、この空間からは離れられない。
二人きりでアカツキの部屋で話し合うという、恋人同士みたいなことをしながらも、未だにすぐに恥ずかしさが込み上げて顔を紅潮させてしまう。
しかし、それほど嫌な気分はしなかった。むしろ、悩みや迷いで締め付けられそうなアカツキの心がゆっくりと解かれていくような、そんな安らぎすら感じられる。
まあ、アカツキとアリスが別れることは、この国を潰したところで恐らくないのだが、今は言葉を紡ぐのに必死でそんな考えには至っていない。
それに、力のある二人だからこそ離れ離れにならずに済むが、国民たちはそうはいかない。皆それぞれに引き離され、奴隷としての日々に戻る可能性があるのだ。
そうなれば、さっき自らが感じた思いを皆だって感じるはずだ。ならばやはり、この国を潰すなんて答えを出す訳にはいかない。それは人によっては、死よりも辛いことだから……。
顔を真っ赤に染めていた二人は、先程まで真面目な話をしていたのだということを思い出し、一旦落ち着きを取り戻そうと深呼吸をすると、もう一度お互いに向かい合う。
このとき、二人ともが何とか平静を保つために、無理矢理に無表情を取り繕っていたため、そのわざとらしさが可笑しくて少しだけ吹き出した。静寂が立ち込めていた部屋に、小さな笑い声が響き渡る。
そんな和やかな空間で、二人はもう一度話し合いを始める。
きっと答えは、どれだけ話し合ったところで出はしない。けれど、いつまでも続かないであろう、二人きりのこの時間を、二人は噛み締めるように過ごすのだった。
ヨイヤミの予想は外れた。アカツキとアリスの仲が深まれば、アカツキはアリスのためにこの戦争から手を引くだろうと考えていた。
しかし、むしろ逆の結果を生み出してしまった。アリスを大切に思う気持ちを、国民たちへ向けるようになっていた。彼らもまた同じ気持ちを抱くのだと……。
その結果、アカツキの意思はさらに強固なものへとなっていた。ある意味、分け隔てなく国民のことを考えられるアカツキは、王として余程高い素質を持っているのだと思う。
ヨイヤミはアカツキほど国民に目を向けることはできない。追い込まれれば、自分の周囲だけしか考えることができなくなってしまう。けれど、ヨイヤミはそれでいいと思っている。
『国の為よりも誰かの為に……』
何時か自らが誰かに言った言葉だ。国なんて大きなものを護ろうとしても、必ず何処かに不和が起こる。けれど、誰か一人なら必ず側にいることもできるし、その力の全てを注ぐことができる。
しかしそれは、王としての考えを逸脱している。国は誰か一人の為のものであってはならないし、国民全てのものでなければならない。
誰かの為の国など独裁政権でしかなく、そんなものは決して長くは続かないであろう。
そんなことはヨイヤミだって理解していた。それでもヨイヤミはこれ以上、友の死を見たくはないのだ。もうこれ以上、大切な誰かを目の前で失うのは嫌なのだ。
そんな未来が待っているのなら、ヨイヤミは平気で誰かを切り離すことができる。切り離すこともまた、王として大切な決断なのかもしれない。
全てを失わないために、犠牲を出すのは仕方がない。それもまた、一つの考え方だ。最大多数の幸福を求めるために、犠牲は厭わない。
だがそれは、グランパニアの政治と何処か似通っているのではないだろうか……。ヨイヤミもまた、他人の幸福のための犠牲となった一人だ。
「やっぱり僕は、グランパニアの人間なんやな……。あいつらと、何も変わらんやないか……」
ヨイヤミは一人きりの部屋でベッドに寝転びながら、天井に向けて呟く。旅立ったあの日のように二人が答えてくれることはない。
しかし、例えグランパニアの考え方と似通っていたとしても、ヨイヤミは自らの意見を変える気はなかった。アカツキが譲れないものがあるように、ヨイヤミもまた譲れないものがあるのだ。
ヨイヤミが天井を眺めていると、コンコンッ、とドアからノックの音が聞こえる。ヨイヤミが返事することなく、そのドアをぼうっと眺めていると、ドアは小さく軋む音をたてながら独りでに開いていく。
「いつまでそうしているつもりだ。アカツキの次はお前が引きこもりか……」
ドアの向こう側にいたのはロイズだった。まあ、およその予想はついていたが……。ヨイヤミを訪ねてきてくれるのなんて、アカツキの可能性がない今、ロイズくらいしか考えられない。
「別に顔は出してるやろ。ただ、いつもより部屋におる時間が長いだけや……」
子供の言い訳みたいなことを言うヨイヤミに、ロイズは頭を痛めてため息を吐く。子供の言い訳とは言ったものの、事実ヨイヤミはまだまだ子供なのだ。
「こんなこと、そう簡単に答えが出るものではないのはアカツキだってわかっている。だからこそ、お互いにもっと話し合うべきじゃないのか?」
「話し合って答えが出ると思うんか?こんなの、お互い譲れるもんやないし、どれだけ話し合ってもただの平行線や」
妥協など以ての外だろう。これで妥協して、その答えが間違っていたとしたら、きっと後悔に押し潰されてしまう。どれだけ後悔しても後悔しきれない程の自責の念に苛まれる。それは既にヨイヤミが経験してきたことだ。
何が正しいのかわからないのならば、自分が信じる道を突き進むしかない。自らが後悔しない道を歩み続けるしかないのだ。それはきっとアカツキも同じだろう。だからこそ、二人はこんな険悪な雰囲気になっているのだ。
「ロイズは、どう思うんや?」
聞かれるとは思っていたが、聞かれたくない質問だった。けれど、答えは用意していた。誰も傷つけない為の答えを……。
「私はお前たちが決めた結論に従うよ。私はこの国の王でもければ、一兵士でしかない。私が決められることなど、ひとつもないよ」
それを聞いたヨイヤミの表情が、悪寒を覚えるほどに無表情になる。ロイズは先の見えない暗闇を覗き込んでいるような、無の世界に放り込まれたような、そんな気持ちになる。
「それは、ロイズの言葉やないやろ。そんなの、ただ取り繕っとるだけの、逃げやないか。そんなの、僕がわからんとでも思ったんか?」
いや、こんなものは簡単にバレると思っていた。そうだ、これは逃げだ…。誰かの下にいるからこそ許された逃げ道でしかない。彼らはそれを許されない。彼らには最初から逃げ道など存在しない。
だから、それを卑怯と呼ぶ者もいるだろう。だが、それなら自分は卑怯者でも構わない。私は、どちらかを選ぶことなんてできないから。
強欲で傲慢で強情だったとしても、私はどちらかの味方になる気はない。どちらの味方でもあり、言い換えればこの国の味方なのだ。だから私は、どちらかを選ばせるような、そんな問いは拒絶する。
「いや、これが本心だ。私に、自分なんてものはない。お前たちが決めたその答えこそ、私の答えだ」
ロイズはその言葉を、微笑みと共に紡いだ。その微笑みには一切の邪気はなく、心を洗い流していくかのような、綺麗な微笑みだった。
そんな笑みを見せられれば、ヨイヤミも何も言うことはできない。言葉を失い、感情を失い、ただ彼女の笑みを見つめた。それ以外を奪われてしまったかのように、ヨイヤミはそれ以上何もできなかった。
でも、その微笑みの本当の意味をヨイヤミは理解してしまった。勘繰り深いからこそ、その本心を見透かしてしまった。
彼女の笑みに隠された本当の思い。それは、完全なる拒絶。これ以上の追求を許さない、絶対的な撥ね付け。
ヨイヤミは一度開きかけた口を固く結んだ。あれ程の彼女の拒絶を、ヨイヤミが堪えられる訳がない。今のヨイヤミには、言葉を発する気力すら残っていない。
「じゃあ、私は戻るよ。もう一度、しっかりアカツキと話し合うこと。私はお前たちが出した答えなら、迷いなく従うから。だから、必ず答えを出してくれ……」
ロイズは踵を返し、後ろ手でドアを閉めようとする。出ていく間際のロイズの言葉に、ヨイヤミは俯いたまま、何一つ返事をすることなく、その姿を見送った。
ドアが閉まると共に、ヨイヤミの部屋の中を静寂が包み込んだ。