終わらない逃走劇
遺跡擬きにいないとすれば、真っ先に思い付くのはヨイヤミたちがスラム街と貴族街を行き来するのに使う、いつもの抜け道である。だが、カルマが帰ってくるのを待たずして、彼らが先にこの街を抜けるとは考え難い。それでも、可能性がある場所をしらみ潰しに探すしか道はないのだ。
案の定、ヨイヤミが抜け道辿り着いたときには誰一人として存在しなかった。先に抜け道を抜けて向こう側へ行っている可能性も考えたが、それだけは無いと断言することができた。
遺跡擬きにもいつもの抜け道にも居ないのなら、後は皆が暮らす家があるテントの集落くらいしか考えられない。迷っている暇のないヨイヤミは、思い立った場所へとすぐさま足を向ける。既にスラム街の半分近くが火の海に溺れており、空が炎と黒煙で赤黒く染まっていた。
テントの集落にヨイヤミが足を踏み入れたことがあるのは、一度か二度程度のものだった。それでも、抜け道からそこまで離れていない所にあるので、道に迷うということはなかった。
テントの集落に入ると、布と木の棒を柱として造られた、テントとは言い難いが、言葉で表すのならテントとしか言い様のないものがズラッと並んでいた。
ここには逃げ遅れた人が大勢溢れかえっていたので、その人たちを掻き分けて、自らのよく知る背中を必死に探す。
ヨイヤミが知っているのは、カルマとレアの暮らすテントだけだ。だからまず、そこから潰していくしかない。後はわからないので、そこにいなければ端から順に探していくつもりだった。
だがそれは杞憂に終わった。カルマたちの家に辿り着く前に、ヨイヤミのよく知る赤髪の後ろ姿が視界に入り込んできた。ヨイヤミはすぐさまその後ろ姿を目指して全速力で走る。
後ろから勢いよく走ってくる存在に気がついたのか、リディアはハッとこちらを振り向くと、ヨイヤミと視線が交わる。少しだけ驚いたような表情をするが、すぐに安堵の表情を浮かべる。だが、ヨイヤミの周囲や背後を覗き見るような素振りを見せると、その表情は堅くなった。
そして、ヨイヤミがどう切り出そうか迷っていると、妙な間が空いた後に何かを納得したようにリディアは頷くと、ヨイヤミに向かって口を開いた。
「おかえり、ヨイヤミ。カルマのことは大体察しがつくから何も聞かないわ。ここにいないってことは、そういうことなんでしょ。ヨイヤミだけでも無事でよかった」
リディアは全てを理解しているように、何も尋ねようとはしない。そして、ヨイヤミだけでも戻ってきてくれたことに、本当に安堵をしているように深いため息を吐く。
「皆はどうした?なんでリディアしかおらんのや?それに、なんでこんなところに……?」
皆が揃っていないのなら、すぐにここから逃げ出すことはできない。カルマのことを説明するのは後にして、今は全員を集めるのが先決だ。
「皆はレアのために探し物に付き合っているのよ。レアがどうしても、置いていきたくない物があるって言うから……。そして、私は見張り中よ。でも、そろそろヤバそうよね」
レアのどうしてもという願いを切り捨てられる強い心の持ち主はいなかったようで、皆それに付き合ってのことらしい。それなら、それで都合がよかったので、リディアが皆を呼びに行く前に、一つだけ尋ねておくことにした。
「なあ、リディア……。レアちゃんに何て伝えればええと思う?」
主語は全くなかったが、それでも何が言いたいのかは直ぐに伝わった。
これだけは、レアがいない間に聞いておきたかったので、真っ先にリディアに尋ねる。ヨイヤミがどれだけ考えても答えは出なかったため、同じ女の子同士だし、リディアの方がヨイヤミよりも余程レアとの付き合いが長い。
しかし、リディアもすぐに答えられそうな様子は無く、少しの間逡巡した後、それでも一つの答えを提示してくれる。
「いつかは、どうせバレちゃうから、隠しておくのが得策だとは思わないわ。でも、今それを伝えて、混乱して動けなくなりでもしたら、カルマとの約束は絶対に果たせなくなる。だから、逃げ切るまでは隠しておいた方がいいと思うわ」
それは、ヨイヤミも同意見だった。レアがこの場から動かなくなってしまえば目も当てられない。ここは、一旦隠し通すのが得策だろう。だが、それにしても、問題は解決していない。一旦にしろ、レアにはどう伝えるべきなのだろうか?
ヨイヤミがリディアに救いの視線を送っていると、それに気が付いたのか、仕方ないと言った表情で苦笑しながら口を開く。
「まだ、どこかで戦っている、とでも言っておきましょう。それなら、カルマがここになくても、レアだって納得してくれると思う。レアは、おにいちゃんが戦いに行くことを理解して、おにいちゃんのことを送りだしたんだから……」
それくらいが落としどころだろう。カルマが戦っているとなれば、レアもその場所に行きたいと駄々をこねたりはしないだろう。
「ありがとう。その通りに伝えることにするわ。本当のことを伝えなあかんときは、またよろしくな……」
そう言うと、リディアは少しだけ険しい表情を見せて、諭すようにヨイヤミに告げる。
「カルマの最後を知っているのは、ヨイヤミしかいないのよ。なら、それは人に頼ってはだめ。あなたが見たことを、カルマの最後の勇姿を、レアちゃんにあるがままのことを伝えてあげて。それが、カルマについて行った、あなたが果たすべき義務よ」
いつもは面白いことばかりを探し求める彼女が、今だけは本当に真剣な表情を見せていた。本人も柄ではないと思っているのだろう。言葉を告げ終えた後は、少しだけ恥ずかしそうに、顔を背けた。
「……じゃあ、私はレアたちを呼んでくるわね。逃げ切れた後のこと、ちゃんと考えておきなさいよ」
リディアが限界を感じて、レアたちを呼びに行こうとすると、道向かいからレアが飛び出してくる。
「リディアおねえちゃん、おまたせ。……あれ?ヨイヤミおにいちゃんがいる。おにいちゃんは、どうしたの?」
いざ、そのことをレアの口から尋ねられると、心が締め付けられそうになるほど苦しかった。それでも、今だけはそれを悟られないように、必死で笑顔を作りレアに伝える。
「おにいちゃんはまだ別の場所で戦っとる。だからおにいちゃんが安心して戦えるようにレアちゃんは僕たちと一緒にこの街の外に逃げやなあかんのや……」
何とか伝えることができた。嘘っぽくならないようにすることに必死で、息継ぎをすることすら忘れていた気がする。その努力の甲斐あって、レアもその嘘を信じてくれたようだった。少なくともそう見えた。
レアはヨイヤミの言葉に力強く頷く。
「わかった。わたしもおにいちゃんのために、がんばってにげるね。そうすれば、あとでおにいちゃんにあえるよね……」
後でカルマと会える、という言葉に、ヨイヤミは一度喉を詰まらせてしまった。こんな嘘をついてもいいのだろうか。この嘘は本当にレアのためになるのだろうか。ヨイヤミの心の中を迷いが駆け巡る。
そんなヨイヤミの様子に気が付いたのか、助け舟を出すようにリディアがヨイヤミの肩に手を乗せ、ヨイヤミの肩越しにレアに声を掛ける。
「そうだよ。だから、今は一生懸命逃げよう。おにいちゃんに会うためにも……。ねっ」
レアはカルマがもうこの世にいないことを理解しながら、平然と嘘をついてみせる。その心の強さは見習いたいと思うと同時に、何処か恐怖じみたものを感じた。ヨイヤミには、表情を保つことが精一杯で、言葉を発することができなかったのだから……。
「うん。わかった」
レアはリディアの言葉で納得してくれたようで、拳をギュッと握りしめて、ここから逃げ出す決意をしてくれたようだ。
決意を固めるレアの背後から、ニコルたちがぞろぞろと顔を出す。そして皆同じように、ヨイヤミの顔を見るなり、悲壮な表情を浮かべる。でも誰一人として、その事実を口にすることは無かった。皆、レアのことを察してのことだろう。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、今は我慢しているといった様子だった。それは、今のヨイヤミからしても、とても有難いことだった。ここで、色々と尋ねられても、落ち着いて答えられる自信が無かったから……。
「とにかく門の方は、もうあかん……。しゃーないから、いつもの抜け道のところから、貴族街へ抜け出そうと思う。それに異論あるもんはおらんな?」
ヨイヤミの力強い言葉に、皆息を飲むようにして頷いた。実際にここからも、門の方が火の海に飲み込まれた様子が容易にうかがえる。この状況で、誰も門から出ようなどという者はいなかった。
「皆わかっていると思うけど、カルマが言っていたように、あそこに人が押し寄せたら、簡単に穴がつぶれてしまうわ。だから、なるべく隠れながら、人に見つからないように移動することになる。いいわね……」
本当に今喋っているのがリディアなのか、顔を覗き込みたくなるほど、いつものリディアとは口調が異なっていた。そのせいで、皆の顔に緊張の色が顕著に表れる。それが気に入らなかったのか、ニコルが口を挟む。
「おいっ、リディア。その口調止めやがれ。確かに、今ふざけている場合じゃないのはわかってる。でも、こんな時だからこそ、いつもと同じように振る舞わねえと、皆の恐怖心を余計に煽るだけだ。サラやレアはこういうことに慣れてないんだぞ」
そこに怒るのはどう考えても理不尽だが、ニコルはニコルなりに皆に気を遣っているのだろう。そもそもリディア自身が既に普通の精神ではないことが気掛かりだったのだろう。
リディアも最初は何故怒られたのかわからない様子で、ニコルの言葉を呆けて聞いていたのだが、ニコルが言いたいことを話し終えた頃には苦笑を漏らしていた。
「そうだね。悪かったよ……。よぉし、これからちょっとスリリングな鬼ごっこを始める。鬼に見つかったら怖ぁいお仕置きが待ってるから、絶対捕まるんじゃないわよ。わかったわね、レア」
リディアがいつものようにおどけて見せる。そんなリディアの様子に、レアに笑顔が戻る。
「うんっ」
レアは元気よく答えると、大切そうに握っていたものを首にかける。おそらくそれが、どうしても取りに戻りたかった物なのだろう。なんとなく、ヨイヤミはそれが何なのか尋ねてみる。
「これはね、おにいちゃんのたからものなの。おかあさんやおとうさんからもらったものなんだって。あとで、わたしてあげるんだ」
つまり、レアは大切おにいちゃんのために、危険を冒してまで、それを取りに戻ったのだ。そのおにいちゃんは、もうこの世にはいないのに……。
それでも、その宝物はレアに受け継がれる。おそらく、兄と両親の思いを受け継いで、それを糧にレアは立派に育ってくれるはずだ。そんなことを願いながら、ヨイヤミはレアの首にぶら下がった首飾りをジッと眺めていた。
「ニコルの癖に生意気だぞ。何が、いつも通りにしろだ、この野郎……」
リディアがいつものようにニコルの首に腕を回して、じゃれ合っていた。ニコルは軽く赤面しながら、うるせえ、と突っぱねていたが、その表情は何処か嬉しそうだった。
「ほら、そこじゃれ合ってないで急ぐぞ」
そんな二人にヨイヤミが声を掛けると、リディアがニコルの首から腕を外し、小さく頷くと、私が先導するよ、と言って皆の前に出る。
「よおし、逃げるぞお」
ロニーがやけに明るく振る舞いながら皆に声を掛ける。ロニーなりに皆に気を遣っているのだろうが、あまりにもわざとらし過ぎて違和感が拭いきれない。
皆の視線が自分に向けられているのに気付いたロニーは、不思議そうに首を傾げていた。やっぱりロニーは何処か抜けている気がする。それがロニーらしくて、少しだけ場の空気が和んだ。
「うん、行こう」
リディアの掛け声と共に、皆が動き出す。