僕だけが取り残された
大騎が音楽活動を本格化し、医学部志望の鶴嶺さんは音楽の才能を発揮、響さんは変わらず音楽まっしぐら。水城先輩はわからないけど彼女は人生なんとかなりそう。結局、僕だけが取り残された。
朝から晩まで勉強漬けの毎日。それが正解なのだろうか。学生の本分は勉強という狭義な解釈に支配されているのではないか。実際、有名大学へ進んだからといって将来安泰とは限らない。就職先だって高卒と同等程度の給料しか貰えないところしか内定せず、大学進学自体が無意味どころか学費の無駄遣いになる恐れがある。そんなことになるなら高卒で就職したほうが良い。
湘南海岸学院のポータルサイトで求人、就職情報を閲覧してみたところ、大手でも初任給16万円程度、手取りでざっと13万円程度と思われる企業が多々ある。それらの企業をインターネットやSNSで調べてみたら、とある企業は残業月90時間、自殺者多数。またある企業は鬱や適応障害など精神疾患の発症率が高く、4次募集までしてようやく定員数に達したという。ほかにも闇深い企業が山ほど見つかった。
これが、懸命に勉強した先の未来。ホワイト企業も検索してみたが、どうやら表向きホワイトで実態はかなり危ういという企業もあった。結局、どこも信用できない。
和気藹々を謳う企業はガテン系や体育会系が多く、内気な僕はとても馴染めそうにない。仕事自体の適性もなさそう。
これは、勉強しかしてこなかった罰なのだろうか。勉強漬けで視野狭窄に陥って、身が果てるまで機械的に働く、または窓際にいるしかないということか。
水城先輩のように、勉強も遊びもできる器用な人間になれたら。
そんな彼女を思い出して僕は、茅ヶ崎海岸のボードウォークを学校前から江ノ島方面へ散歩している。ボードウォークは全長5百メートルにも満たないが、自転車やランナーが行き交うサイクリングロードより込み合っておらず、尚且つ嵩が高く見晴らしが良い。
行き詰まったとき、病んだときに広い海を見渡せば心が晴れるなんてほぼ嘘だけど、無いよりは良い。住宅街や湿気た団地の中を歩いているよりは開放的な気分になる。
心も開けば世界も開けるというが、それが簡単にできたら苦労しない。そういうのが極めて苦手な者である僕は、せめて何かのオタクにでもなりたかった。
いまの僕は、心を開くも何も、開いたところで何もない。袋を開けても中身は空っぽだ。そういえば昔、ラチエン通りのドラッグストアで『髪の毛集めてポイ』を買ったつもりが、箱だけで中身は空っぽだったな。中身の分までお金を払って箱だけ買わされたんだ。不良品なのか、盗まれたのか、ともかく振って中身の有無を確認すべきだった。
人間社会だってそうだ。ただ人間というハコを求めているではなく、戦力を求めているんだ。つまり僕は無価値だ。
「おや、望くん」
僕の左前方、江ノ島方面から自転車に乗った水城先輩が現れて止まった。自転車無法地帯と言われるこの街で、ちゃんと左側通行をしている。




