父が最後に教えてくれたこと
わたしの願いは、届かなかった。
お父さんは、お空の向こうに旅立っていった。
握る手の力はとうになくて、潤んだ目が細くなっていって、日付が変わるころ、静かに、しずかに、旅立っていった。
11歳のわたしは当時、もう会えなくなる事実を、いまいち受け止められなかった。
だからお葬式でも、涙は出なかった。
死んじゃった。だから、せっかく帰宅したお父さんが天国に行けるよう、お線香を何本も焚いた。煙の少ないお線香だったから、道に迷わないように、何本も。
もし18歳になった現在のわたしが誰か大切な人を失ったら、‘その時点’でもう、冷静ではいられない。
葬式は、市内の斎場で執り行った。たくさんの人が来てくれた。たくさんの人が、泣いていた。
わたしは、泣かなかった。
火葬して、骨になってもまだ、泣かなかった。
2週間後、砕骨して墓石に納骨する日が来た。
市内北部の坂の途中にある墓地。すぐ脇に国道と交差する道路があり、周辺には住宅や寺院がある。
親族や友人、秋穂ちゃんも来て、十名で墓石を囲う。
お坊さんが骨覆いから骨壺を取り出し墓石の台部分に置くと、ハンマーを持った。
「それでは、失礼いたします」
言ってお坊さんはハンマーを振り上げ、お父さんの遺骨が入った壺を叩いた。
コンッ、パキンと壺が割れると、遺骨が露出した。
大きな頭蓋骨。これがお父さんなんだと実感は湧かなかったけれど、頭では理解していて、もうそれを心は受け入れていた。
そして頭蓋骨が、粉砕された。
「あ……」
お父さんが、影も形も、無くなっちゃった。
辛うじてお父さんの面影があった頭蓋骨が粉砕された。この瞬間、お父さんの姿は、この世から無くなってしまった。
実感すると呼吸が荒くなってきて、心臓がバクバクして、思考が停止した。
「ああ、うああ、ああああああ!! お父さん!! いやああああああ!!」
「彩加!?」
「彩加ちゃん!」
泣き叫び取り乱す私に驚いたお母さんと秋穂ちゃんが寄って来て、肩に手を添えてくれた。普段は穏やかな私が壊れるさまを見て、驚いているようだった。
お坊さんは手を止めて、それ以上砕骨をしなかった。
泣きながら、態度とは裏腹に、安心している節もあった。
ああ、わたしも他の人みたいに悲しみに暮れて泣けるんだ。涙が出るまでの耐力が他の人より強いだけなんだ。
もしかしたらお父さんは、最後にそれを、私に教えてくれたのかもしれない。
のんびりまったりの彩加にも、悲しみの感情がある。人間らしさはちゃんとあると。
お父さんの死から月日が流れて落ち着いてきたわたしは、以前ののんびりまったりな自分に戻っていった。
でも、ただまったりのんびりしているだけではなくて、悲しみや痛みの感情を少しばかりは理解できる、落ち込んでいる人に少しくらいは寄り添える自分になれた。そんな気がするのだ。
お父さん、遊びも、気持ちも、大切なことを教えてくれて、ありがとう。
感謝を込めてわたしはきょうも、仏壇の前で線香を焚き、手を合わせるのであった。
お読みいただき誠にありがとうございます。
更新大変遅くなり申し訳ございません。次回から18歳になった彩加たちの日常が再び始まります。




