懐古
死ぬこと自体は別に怖くない。
なんとなくだが、この世に生まれる前の、命を授かる前のことを思い出しつつある。
死後の世界は真っ暗な闇じゃない。
還る場所が用意されている。
そこでは仲間が待っている。
だから、そうだな、この世が職場や学校なら、あの世は家だ。
だが、一度職場や学校を退いたら、もうそこへは戻れない。この世にいる家族や友とはもう、同じ時間を過ごせなくなる。
生まれ育った茅ヶ崎は、いまでこそ芸能人を多く輩出して有名になったが、俺がガキのころは冴えない田舎の漁師町でしかなかった。
だが、チビのころは公園の竹藪に忍び込んでタケノコをもいだり、セミやトンボを捕まえたり、中坊になると近所の悪友どもと海で泳いで、釣りもよくやった。
外食といえば、その悪友どもと雄三通りの狭いラーメン屋。硬めに茹でられた玉子の入った味噌ラーメンが人気だ。おやつはその少し南のパン屋でコッペパンに焼きそばとかタマゴなんかを挟んだものを食っていた。その店は、あれから30年経ったいまも変わらずやっていて、彩加にもよく食べさせている。
彩加が生まれたときは、なんとも不思議な気分だった。
妻のハルが抱く赤ん坊は、本当に自分の子なのか?
病室で、まずそう思ったのをよく覚えている。
俺もハルも、ガリ勉か不良かといったら不良だった。ハルがほかの男とやっちまってる可能性だってあった。
だから、しばらくはよくわからなかった。
ただ、好奇心を窺わせるきらきらした目付きや、やたら生きものとか植物なんかに興味を持って観察するところなんかは俺とそっくりだ。だから自分の子なんだろう。
彩加にも、平成の子らしくない遊びをよくさせた。ゲームソフトなんかもねだられればどうにか工面して買ってやるが、そういうことはあまりなかった。テレビゲームよりは自然の中で遊ぶほうが好きな、いまどきの、しかも女の子としては珍しい性格だ。
そんな彩加は俺にとって、初めて‘愛おしい’と思える存在だ。
ハルとはなんとなく気が合って、毎日が楽しくて、友だちみたいな存在だった。あれはあれで恋なんだと思うが、性欲が勝っていた俺にはそんなことを知る間もなく年を取って、気付けば彩加がいた。
くりんとした澄んだ眼、カブトムシを掴んでヘラヘラ見せてくる無邪気な笑顔、思い詰めている人がいたらそっと近寄って、何かを諭すでもなくそばにいるやさしさ。
色んなことを教えてくれたあいつと、俺はもう、直接言葉を交わせないのか。
そういうことも全部置いて、俺は還らなきゃいけないのか。
だが、彩加に先立たれるよりはずっとマシだ。
世には子に先立たれる親も五万といる。現に俺が親をそういう目に遭わせようとしている。
そういうのと比べれば、俺の人生は至って幸せなゴールを迎えるということだ。
なんて、高を括っていたら、彩加が見舞いに来てくれた。




